「くれない教師」にならないように・・・。
「お母さんの敏感期」(相良敦子著)を、久しぶりに読んで、以前とは異なる箇所にひっかかった。
少々改変して提示する(P78~87)
「子どもの見方」がよく分かっているお母さんは、「感性豊かに今を生きる」子ども特有の生き方をあたたかく見守り、「今の子どもの心を大切にする」おおらかな母親として生きている。だから子どもの観察レポートは「感動した・驚いた」といった言葉に満ちている。
一方、そのような見方ができていないタイプのお母さんは、「~なってほしい」「~でありたい」という子どもへの期待や自分の願いを書くばかりで、それが目の前で実現されていることを見逃している。
子育てをしているお母さんは、幼児期特有の行動や感受性をよく知っている人、幼児期特有の不思議な行動をする意味をわかって見守ってあげることのできる人、その意味での「子どもの専門家」であることが必要である。
ここからは原文。
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でも、難しく考えなくいでください。前にあげたように、小さな子どもが「今」「目前」でしている、大人には理解しがたい行動を「まあまあ!」とあきれ、「なぜ」と思うだけでいいのです。そこから、「子どもの専門家」への道が開かれるのです。
見るゆとりもなく「なんですか、こんなことをして!」と一喝したり、「早くしないと、もう塾の時間ですよ!」と、大人の見方を基準にして子どもを支配していると、ますます子どもの行動を理解できなくなり、「子どもが何を考えているのかわからない」と深刻に悩まねばならない時が遠からずやってくるかもしれません。
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座布団1枚の位置が変わったからと泣きやむ子を受け入れるには「秩序感」の理解が必要だ。
トンネルに入ると大声を出して反響を楽しむ子を受け入れるには、聴覚の洗練の時期にあることの理解が必要だ。
飽きることなく並べたり分けたりし続ける子を受け入れるには、分析・集合・比較・対応といった「知性の働き」のあらわれであることの理解が必要だ。
・・・先生は、時に子どもを、苦情やクレームの対象として語る。
それは、熱心なあまりの心情だ。目の前の子を何とか高めてやりたいと思うからムキになってがんばらせる。
我々は、子どもの専門家であらねばならないのに、子どもの行動を許容できず一喝したり「なんでこんなことを!」と叱ったりしてしまう。
子どもの事実(子どもらしい特性)を受け入れられず「~なってほしい」「~でありたい」と願望だけを語るのは、いわゆる「くれない族」ならぬ「くれない教師」だ。
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見るゆとりもなく「なんですか、こんなことをして!」と一喝したり、「早くしないと、もう塾の時間ですよ!」と、大人の見方を基準にして子どもを支配していると、ますます子どもの行動を理解できなくなり、「子どもが何を考えているのかわからない」と深刻に悩まねばならない時が遠からずやってくるかもしれません。
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という相良氏の言葉は、まさに教師にストレートにぶつけられている。
子ども理解を感性に頼っていてはいけない。
子ども理解は、学問であり科学である。
ただし、子どもを「プラス思考」で見るか、「マイナス思考」で見るかを考えたら、「プラス思考」の感性が求められている。子ども理解の土台は「プラス思考」である。
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