« August 2010 | Main | October 2010 »

September 27, 2010

段落構成の指導の前に、文法指導を!

 かつて中1の担当をしていた時のこと。
 2学期の物語や説明文が終わってから文法の授業を行った。
 文法の授業での手応えを考えると、2学期の授業で要求してきた内容が難しかったかなあと反省してしまった。
 
 文法の指導時間には、「1文の構造」だけ取り上げて指導をするのに、それ以前の説明文の指導時間には「文章全体の構造」について考えさせていたのだ。

 連文節の指導で「並列の関係と補助の関係」を学習した。
 「わたしと弟は野球をした」の場合、「わたし」「弟」の並立である。
 「わたしはリンゴとイチゴが好きだ」の場合、「リンゴ」と「イチゴ」は並立である。

 そのような文単位での並立関係を理解できていた方が、段落相互の並立関係は理解しやすいはずである。
 
     リンゴ                 リンゴ
 私は     が好きだ。   私は好き
     イチゴ                 イチゴ

のような構造図になることを確認して、「構造図」というものの意味を理解させる。
 その上で、段落の関係も同じように構造図で考えられるから、図にしてみようと進めるべきなのだ。

 考えてみれば、段落相互の関係を図にしてみるという行為は相当に抽象度の高いもので、ずいぶん難しい。
  
 一文の構造で助走問題・練習問題を作るなどして、スモールステップ(布石)を作らないト、上滑りの授業になる。
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 20, 2010

「発言」と「発表」を区別する

 【発表】世間へ表向きに知らせること。広く知らせること。
 【発言】言葉を出すこと。意見をいうこと。はつごん。
                ( 大辞林 第二版より)

ということで、発言・発表の違いは分かるような分からないような・・・。
 個人的には
【発表】:事前に原稿作成などの準備をして人前で話すこと
【発言】:その場で臨機応変に話すこと

というように勝手に定義して、これで結構使えるなあと感じている。
 このように区別して説明したら「それ、いいですね」と共感していただけたこともある。
 訓練して成果が上がりやすいのは【発表】である。
 場を設定して、事前に発表原稿をチェックして、アドバイスして、というような行為を繰り返せば、子どもも安心して人前で話すことができる。
◆あらかじめ言うことを決めてある
◆場合によっては、内容を先生に認知してもらっている
という自信があるからだ。

 それに比べると【発言】の指導は難しい。
子どもも教師も事前のチェックができないので、でたとこ勝負になりやすい。
だから
◆自分の思っていることを原稿もないのにスラスラ言えない。
◆合っているかどうかも分からないのに、人前で意見を言えない宇。
と思っているような子は、なかなか挙手・発言などしない。

 かつて野口芳宏先生の「ノート発言」という方法を教わったが、それはどちらかというと【発表】に近い。
 中学校では、なかなか【発言】がないので、すぐにノートに発表原稿のように意見を書かせ、それを事前にチェックして指名発表させてきた。
当然ながらそのような指導しかしないのであれば【発表】の訓練にはなっても【発言】の力は伸ばせない。

 どうしたら積極的な【発言】ができるようになるのか。
 場作りや人間関係作りや音読練習や朝の会のスピーチなどを繰り返しても、それだけでは【発言】指導としては物足らない。
 発言の持つ「即興性」に特化した指導のポイントが必要なのだ。
 私は、問題点の指摘はできるのだが、具体案があまりない。
  
 ちなみに「朝の会のスピーチ」は【発表】の訓練である。事前に準備できるからだ。
このスピーチを【発言】レベルのその場の思いつきで言う子がいたら注意した方がいい。
 一方「朝の会のスピーチに対する質疑応答」は、【発言】の訓練である。
 その場で聞いた情報に対して即座に質問をする。質問にその場で答える。
 なかなかいい質問ができる子・明快な回答ができる子は【発言】上手なのだと言える。

 お店屋さんのインタビューなどで悲しいのは事前に準備した質問は【発表】できるが、その場で臨機応援に鋭い追加質問を【発言】できないケースだ。
 おきまりの質問より、その日に話した内容を受けた質問の方が相手も喜んでくださる。
 その意味では、【発言】者の存在は貴重であり、【発言】指導は極めて重要なのである。

 【発表】は、事前準備しておいてから話すから、話す内容には、ある程度の自信がある。
 訓練を積めば【発表】は何とかできるようになる。
 一方の【発言】は、その場の思いつきやひらめきが主だから、話す内容に誤りがあるかもしれない。
 だから、まちがいを恐れる子や自信のない子はなかなか発言しない。
 でも、そんな【発言】も、段階を踏まえれば少しは言いやすくなる。

 たとえば俳句の季節を聞く。
 ちょっと難しめの俳句で、根拠も聞かれるとなると、自信のない子は手が挙げられない。
 これは、

(1)季節が正しいかどうか自信がない
(2)根拠が正しいかどうか自信がない

の2つの不安があるからだ。
 
 この場合、

(1)理由はあとでいいです。まず、季節だけ答えてみてください。
(2)この場合、季節は秋なんです。さあ、理由がいえる人?

と2段階で問えば、上記の(1)の不安はクリアされている。

 まずは答えを聞いて、答えを確定させる。
→答えだけなら【発言】しやすい

 その後で、その答えの理由を【発言】させる。
→答えは分かっているので、少しは安心して【発言】しやすい

という構図になる。

 この手法を延長したのが「証明」問題だ。
 あるいは「これはまちがいです」とはっきりさせておいて、その間違いを確かめる「反論」の問題だ。
 
 【発言】をしやすくする手だての1つが、証明問題や反論問題である、ということは以前から分かっていたのだが、【発言】を2段階で考えたのはつい最近のことである。


 音声言語の特徴の1つは即時性にある。
 文字に書いていたら時間が経過して間延びしてしまうが、音声言語ならその場で対応できる。
 その即時性が音声のよさなのだから、事前準備のない【発言】は、特に音声言語の本領を発揮させるチャンスなのである。
 逆に言えば準備してから話す【発表】は、音声言語の「即時性」には対応してないということになる。
 しかし、私は中学校の実践時、参加度を高めるように・意見を言いやすいように、まずはノートに意見を書かせてから意見を言わせることが多かった。
 「ノート発言」に頼りすぎた授業展開だったから、【発表】型の【発言】をよしとしてしまったということだ。
 ついでにいうと【スピーチ発表】の際は発表原稿を作成したのだが、大半の生徒は原稿を読み上げる形になった。
 原稿なし→ちらちら見る→原稿を読む の3段階で指導するのだが、まじめな子でも(まじめな子ほど)最後まで原稿なしに挑戦しなかった。

 【発言】の訓練を怠ると、子どもはますます【発表】型に頼るようになる。
 入試の面接対策として、マニュアルを作って予想問答を作成して、事前に練習をしたが、練習すればするほど機転の利かないつまらない回答になってしまう。
 それでも、とりあえず安全策として事前準備を行ってきた。
 とにかく、その場で機転を利かす【発言】を進める手だてが不足していた。
 今になって、そのことを反省し後悔もしている。

 このような自分の指導のいたらなさに気が付いたのは、若い先生の実践レポートだ。
 その先生は、スピーチやデイベートの際にも「メモ」程度しか書かせないという指導に徹した。
 私は、そのまま読み上げればいいような形で書くことをOKとしてきたし、自信のない子は、ノートをそのまま読めばいいと勧めさえした。
 これでは【発表】の力は育っても、【発言】の力は育つはずがなかったのだ。

 もちろん、自分だってすべての場面で「ノート発言」をさせたわけではない。
 【発言】中心に臨機応変のやりとりを楽しんできたことも多い。
 しかし【発言】【発表】の区別は自覚してはいたものの、【発言】の訓練のステップは自覚できていなかった。
 若い先生が「メモ書き」に徹したことは、【発言】=音声言語の特質を十分理解し、原稿丸読みの【発表】に頼っていたらいつまでも【発言】できないという危機意識があったからだ。
 そこを踏まえた実践に感服する。

| | Comments (31) | TrackBack (0)

September 16, 2010

「推敲」で語感を鍛える

◆閑かさや岩にしみ入る蝉の声(松尾芭蕉「奥の細道」)

 この句の初案は「山寺や石にしみつく蝉の声」
 これが推敲され「閑かさや」の形に落ち着いた。
 その途中経過として「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」とあったという説もある)。

(1)山寺や石にしみつく蝉の声
(2)さびしさや岩にしみ込む蝉の声
(3)閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 ずいぶんイメージが変わるものだ。
 「しみつく」「しみ込む」「しみいる」は微妙な差異ながら、だんだん柔らかくなっていく感じ。
 「さびしさや」「閑かさや」は、ストレートな感情語を用いずに「寂しい」を感じさせている点で「閑かさや」はすごいと思う。

 たった一文字の違いにこだわる。
 たった一文字で作品の世界が変わることに気づく。
 これが「推敲」だ。

 先日、中学生の作品を目にする機会があった。

◆こどもの日 まだ上がってる こいのぼり

を、ひっくり返して

◆こいのぼり まだ上がってる こどもの日

を提示して「どっちがいい?」と聞いてみるといい。
ぐっと思考が集中する。

◆夏休み 受験に向けて がんばろう

の文末を変えて

◆夏休み 受験に向けて がんばるぞ

を提示して「どっちがいい?」と聞いてみるといい。


http://homepage2.nifty.com/take-t/haiku2.htm

でも書いた。
 少し言葉を変えたり順序を変えたりするだけで俳句の雰囲気はぐっと変わってくる。
 だから、1つの俳句を入れ替えたり1文字変えたりして、5句ぐらい作り替えてみると洗練されてくる。
 「1個作って終わり」では、指導のチャンスを見逃しているようなものだ。
 俳句だからこそ、推敲=言語感覚の洗練の絶好の機会としてとらえたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 12, 2010

シャッター通りの活性化プラン

主張は次の通り。

~徹底してB級に徹すればお金のない若者の聖地となる!~
                            
 「都市再生本部」のサイトからは、町づくり・町おこしの様々なレポートが閲覧できる
 その中の「交流と連携による再生」が目を引いた。
 たとえば、「千里ニュータウンの再生に向けた”普段着の智恵の交流”」には、次のように紹介されている。
 「地域の交流拠点」というキーワードは要注意である。

地域の交流拠点として利用され、定着しつつある「ひがしまち街角広場」に、パンフ・書籍棚、OA機器などの交流環境を整えるとともに、大学・地域の交流の手はじめに、留学生を招いて出身国の街や暮らしをテーマに交流する「まちかど土曜ブランチ」を継続開催し、好評を博した。(中略) 普段着の智恵の交流拠点の継続的確保とコミュニティビジネス化に向けては、当面・将来の確保方策や整備プランの検討などを通じて、具体化・実現化に向けた展望を描き、関係主体と情報を共有した。
          http://www.toshisaisei.go.jp/05suisin/kinki/04suisin/h18/11.html

 高度成長期の全国で建設されたニュータウンが、オールドタウン(ゴーストタウン)となり社会問題化している。  シャッター通りの問題もよく似ている。
 私の住んでいる尾張一宮駅のアーケードもすっかりシャッター通りとなってしまい、年に1度の七夕祭りでもアーケード街の閉じたシャッターが目立っている。日本の三大七夕と呼ばれる祭りだが、賑わうのは屋台ばかりの感がある。
 空き店舗を利用したいのは、
①地域の交流スペース 
②高校や大学に委託したフリースペース
③保育施設
④グルメスポット
⑤ファッションスポット
⑥音楽スポット
⑦スポーツスポット
など様々である。
 駅前などの商店街は、かつては人の往来の激しかった一等地である。
 しかし、交通の便がよかった半面、今となっては駐車スペースが確保できず大きな拡張工事もままならず、郊外の大型店舗に人を奪われる結果を招いてしまった。

 とはいえ、多くの高校生・大学生は、今だって公共機関やスクールバスを利用するし、自転車を利用する。
 つまり
◆「自動車」を利用しない学生をターゲットにすれば、 「自動車」が不便なシャッター通り活性化のチャンスは開ける可能性がある

 もし商店街の人たちが「かつての1等地」という意識を捨てて「B級」と開き直ることができるなら、商品も「B級」に徹すればいい。
▼ラーメン・焼きそば・お好み焼き・たこ焼き・かき氷といった安価で楽しめるB級グルメ。
▼中古服・中古CD・旧モデルのスポーツグッズといった掘り出し物目当てのB級ショップ。
▼全国的な有名人などいらない。地元のヒーロー・ヒロインが立ち寄ってくれればいい。いわばB級スター。

 そこでしか手に入らないモノ・そこでしかできない体験・そこしかない空間がいい。
 それらが揃えば「若者が立ち寄るスポット」になる。宣伝も口コミで十分だ。
 学生はお金がない。
 だからお金がなくても楽しめるスポットに集まる。
 地元一宮市の七夕祭りに集う多くの若者は「屋台」の賑わいに誘われ、それぞれおしゃれを凝らしてやってくる。
 祭りが終わったら閑散とする商店街はあまりに寂しい。
 それぞれのお店が「屋台」のような輝きを放ってくれたらと思う。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

« August 2010 | Main | October 2010 »