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October 10, 2010

視覚と聴覚による情報の入力


・聴覚による情報の入力
・視覚による情報の入力
について、我々教師はどれほど意識しているだろうか。
 TOSSの学習の中で何度も出てくる話題である。
 それなりに 分かっていたことではあるが、ついおろそかになってしまう。

 自分は算数のT1を担当しているが、やはり、ふだんの授業において「聴覚入力・視覚入力」がいい加減であると認めざるを得ない。

 例えば、教科書を読ませる視覚入力の場面がある。
 読む部分が難しければ「範読」を入れるぐらいは当然だが、

◆本当に全員が読んでいるのか?
◆全員に読ませる手立てを講じたか?

と思って振り返ってみると、甘い。
 一斉に全員に本読みさせるだけでは漏れがある。

◇読んでいない子が明確になるように男女別や列ごとに読ませる

などして集団を小さくすることが授業のアクセントにもなる。
 そして、「読んでいない人はお見通しですよ」というメッセージを込めて

◇時折、個人指名して読ませる

ぐらいの「詰め」が必要だ。
 

 もちろん授業は「読ませる」だけで成立するわけではない。
 「聞かせる」「書かせる」「話させる」などの場面においても、

◆本当に全員がやっているが
◆全員にやえあせる手立てを講じているか

をきちんと考えないといけない。
 
 「読む」という視覚入力に対して、補うべき聴覚入力の手立ては

◆教師の範読や一斉音読で「読み」を入力する

ぐらいしか思いつかないが・・・。

 「聞かせる」という聴覚入力の場面についても、

◆本当に全員が聞いているのか?
◆全員に聞かせる手立てを講じたか?

と思って振り返ってみる。
 確かに、一斉に全員に聞かせるだけでは漏れが生じる。
 筆頭の指示は「復唱」。
 
 復唱も、言っていない子が明確になるように

◆男女別・列ごとなど集団を小さくしたり、個人指名して復唱させる

ぐらいの「詰め」が必要だ。

◆教科書の説明をしている時なら「指さし確認」と「お隣との確認」が可能。

 これは、「聞かせる」という聴覚入力に対して、補うべき視覚入力の手立てということになる。

  いかに、自分のふだんの授業がイージーかを反省する毎日である。

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