視覚と聴覚による情報の入力
・聴覚による情報の入力
・視覚による情報の入力
について、我々教師はどれほど意識しているだろうか。
TOSSの学習の中で何度も出てくる話題である。
それなりに 分かっていたことではあるが、ついおろそかになってしまう。
自分は算数のT1を担当しているが、やはり、ふだんの授業において「聴覚入力・視覚入力」がいい加減であると認めざるを得ない。
例えば、教科書を読ませる視覚入力の場面がある。
読む部分が難しければ「範読」を入れるぐらいは当然だが、
◆本当に全員が読んでいるのか?
◆全員に読ませる手立てを講じたか?
と思って振り返ってみると、甘い。
一斉に全員に本読みさせるだけでは漏れがある。
◇読んでいない子が明確になるように男女別や列ごとに読ませる
などして集団を小さくすることが授業のアクセントにもなる。
そして、「読んでいない人はお見通しですよ」というメッセージを込めて
◇時折、個人指名して読ませる
ぐらいの「詰め」が必要だ。
もちろん授業は「読ませる」だけで成立するわけではない。
「聞かせる」「書かせる」「話させる」などの場面においても、
◆本当に全員がやっているが
◆全員にやえあせる手立てを講じているか
をきちんと考えないといけない。
「読む」という視覚入力に対して、補うべき聴覚入力の手立ては
◆教師の範読や一斉音読で「読み」を入力する
ぐらいしか思いつかないが・・・。
「聞かせる」という聴覚入力の場面についても、
◆本当に全員が聞いているのか?
◆全員に聞かせる手立てを講じたか?
と思って振り返ってみる。
確かに、一斉に全員に聞かせるだけでは漏れが生じる。
筆頭の指示は「復唱」。
復唱も、言っていない子が明確になるように
◆男女別・列ごとなど集団を小さくしたり、個人指名して復唱させる
ぐらいの「詰め」が必要だ。
◆教科書の説明をしている時なら「指さし確認」と「お隣との確認」が可能。
これは、「聞かせる」という聴覚入力に対して、補うべき視覚入力の手立てということになる。
いかに、自分のふだんの授業がイージーかを反省する毎日である。
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