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November 28, 2010

放射線照射と放射能汚染は全く違う

ジャガイモの芽止めには放射線が使われている。放射線は殺菌や品種改良などさまざまな役に立っている。今日のエネルギー教育シンポで知ったことだ。

 「ジャガイモ 放射線」で検索をかけてみる。
 例えば、次のような詳しいサイトも見ることができる。
 長いので、区切りながら示してみる。

http://www.wellba.com/wellness/food/contents/991115/index.html

11.放射線照射食品について

◆レントゲンによってエックス線が発見されてから1世紀が過ぎました。今世紀は原子力時代といわれるほど、原子力が多方面に開発利用されてきました。とくに平和利用として、医療をはじめ産業のあらゆる分野に活用され、その社会的貢献は実にめざましいものがあります。

・・・あらゆる分野で活用されていることの紹介。
 「平和利用」の一環である。

◆食料産業の分野において、農作物などへの放射線照射の実用化研究が始まったのは、ソ連(当時)が1958年にジャガイモの発芽防止に放射線を利用したのが最初といわれています。ジャガイモやタマネギなどの発芽組織の細胞は放射線の影響を受けやすく、他の部分の細胞はあまり影響されないので、商品価値を落とさずに発芽を防止することができます。比較的低線量で照射されたジャガイモやタマネギは、芽を出すことなく半年以上も常温で貯蔵することができます。

・・・ジャガイモへの照射は50年以上の実績があるということだ。

◆日本でも食品照射の実用化研究が始まったのは、1965年に原子力委員会の中に食品照射専門部会が設置されてからです。その研究テーマは、ジャガイモとタマネギの発芽防止、コメとムギの殺虫、ウインナソーセージ・カマボコ・ミカンの殺菌等でした。その成果は公表され、これら7品目の照射食品の健全性に問題のないことが明らかにされています。ここでいう健全性とは、食品添加物試験と同じく、微生物試験、栄養試験、慢性毒性試験、変異原性試験等の結果により綜合的に判定するものです。これらの成果に基づいて、1972年にジャガイモの照射が厚生省から認可され、1974年に北海道士幌町に照射施設がつくられ実用化に至っています。照射ジャガイモは市販されていますが、食品衛生法で包装容器にその表示が義務づけられています。しかしながら、今日までジャガイモ以外に照射を認可された食品はありません。

・・・放射線芽止めのジャガイモは士幌町の照射施設のみであることをシンポでも強調された。
ジャガイモならどこの産地でも放射線を照射しているわけではない。

◆次に照射食品の問題点について考えてみたいと思います。わが国で照射ジャガイモが発売されて早くも25年になりますが、当初は追放運動などで日の目を見ることはあまりなかったようです。

・・・いよいよ悪影響についての疑問だな。

◆その頃からよく聞かれる質問に、「放射線を照射したジャガイモに放射能が残らないのか」というのがあります。この質問に答えるためには、まず放射線と放射能との違いから説明しなくてはなりません。放射線とは、放射性物質または放射線発生装置から飛び出してくるエネルギーの高い粒子線や電磁波のことで、粒子線にはアルファ線、ベータ線、中性子線などがあり、電磁波にはガンマ線とエックス線があります。放射能とは、放射線を出す能力またはその強さのことです。そして放射能を持つ物質のことを放射性物質といいます。日本では、放射線と放射能を混同する人が多く、またマスコミでよく取り上げられる放射能は、「放射能漏れ事故」のように、放射性物質と同義語のように扱われてきました。

・・・・なるほど「放射線」と「放射能」は別だ。
 マスコミが「放射線」と「放射能」を混同するのは、確信犯的な行為かもしれない。

◆ジャガイモの発芽防止を目的とした放射線照射には、北海道士幌町にあるコバルト照射センターで見られるように、コバルト60という放射性物質から放出されるガンマ線が使用されます。このコバルト60は非常に危険ですので、ステンレスの容器の中に封じ込めて外部に絶対に漏れないようにしてあります。線源が広い照射室の中心の地下格納庫から上がってくると、ガンマ線は容器を透過して放射され、線源よりかなり離れた円周上のレールの上を、ジャガイモを入れたかごがゆっくり回る仕組みになっています。したがって、コバルト60とジャガイモが接触することはありません。ジャガイモが受けるのは一定量のガンマ線のみです。ガンマ線は前述のように電磁波の一種で、延長が非常に短い光と考えられる放射線です。病院で使用されるエックス線と同じです。

・・・ガンマ線はエックス線と同じ電磁波の一種なのか・・・。

◆人体にエックス線をあてても透視するだけで、放射線が残ることはありません。ましてマスコミでいう放射能(放射性物質)が残ることなどあり得るはずがありません。しかしながら、それでもまだ安心できない人もおります。それは何かといいますと、放射線照射食品が放射線汚染食品と同じようなイメージをもつことからくる錯覚(?)なのです。これは放射線と放射能の混同から来ています。日本最初で最後のあの原子力船「むつ」の放射線漏れ事故では、原子炉から中性子線が漏れました。しかし、マスコミは連日放射能漏れ事故と書きましたので、むつ湾のホタテが放射能で汚染されたと風評が広がり、その結果ホタテが売れなくなりました。つまり漏れた放射線のため、放射能汚染食品と同一視されてしまったのです。

・・・放射能汚染物質との混乱が悪印象につながっているんだ。


◆これと同じようなことが最近起きたJCO核燃料製造工場の臨界事故でもありました。どのマスコミも放射能漏れ事故と書き立てましたので、東海村の農作物はすっかり売れなくなってしまったようです。放射能汚染食品とは、チェルノブイリ発電所の原子炉爆発の際に起きたように、放射性物質(死の灰)が周辺の農作物に降り散ったために汚染された食品のことであり、放射線のみを浴びたり、照射した食品とは根本的に異なるものです。このような誤った情報のために、風評被害が起こることはまことに心外といわざるを得ません。

放射線は、「両刀の剣」といわれるように有益と有害の両面があります。今日医療の分野で放射線は無くてはならないものとされているように、食品の分野でもその有益性を積極的に活用してこそ人類の知恵というものではないでしょうか。

・・・最後の締め方も、子どもに授業したくなるような内容だなあ。
 さて、一方で、次のようなサイトも上位にヒットする。
 上のサイトと比べると、よく分かる。
 明らかに間違った「放射能汚染」という言葉で悪いイメージを植え付けている。

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2007年05月06日

私達は放射能汚染されたジャガイモを食べている

日本国内で販売されているジャガイモの多くは、ジャガイモの発芽を押さえ「見た目」を良くするため、コバルト60、セシウム137という放射線を照射されている。放射線によってジャガイモの生命体を破壊し「死なせ」、発芽しないようにされている。ジャガイモは、当然放射能に汚染された強烈な発ガン食品である。
また放射能によりジャガイモの中のアミノ酸は毒物に変化し、ビタミン類は全て破壊される。照射される放射能は500万ラドという強烈なもので、人間の致死量をはるかに超えている。
ネズミの動物実験では、わずか6万ラドでネズミの卵巣が発ガンした。
当然、この放射能汚染ジャガイモを食べると遺伝子の異常、白血球の染色体異常、ガンの発症、奇形児の出産、免疫の低下、生殖能力の低下等が考えられる。
この汚染されたジャガイモと安全なジャガイモは混ぜられて売られており、見分けがつかない。小麦粉にも放射能は照射されている。
放射能汚染されたジャガイモのみを「限定して」使用しているのが、赤ちゃんの離乳食である。細胞分裂が激しくガン細胞の増殖も一番激しい赤ちゃんに、なぜわざわざ意図的に放射能汚染ジャガイモを食べさせるのか。
計画的な人口減少政策として、意図的に食品の放射能汚染が進められているとしか考えられない。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49608341.html
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 このサイトは、いろんなサイトで引用され、拡大しているようだ。
 「こわい・危険・騙されるな」というサイトは、すぐに増殖する。

 繰り返すが、「放射線処理」である。
 別のサイトにも、そのように明記してある。

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放射線処理ジャガイモ

***放射能と放射線はちがう***
 このコバルト60から出る放射線により芽どめされたものは、その後ある程度高い温度で貯蔵が可能となって用途の拡大に役立ち、長期の貯蔵に耐えるため市場価格の安定、加工業の操業期間の延長にも役にたっています。
 設置に金がかかりますので、農水省の実験事業として、現在北海道に1か所しか設置されておりません(1973年)。このようなジャガイモへの照射は中国やチリでも実用化されています。上海のものは10万キューリーのコバルト60を使って、士幌に近い1時間に10tのジャガイモに照射しています。
 昔、果実の殺虫に発がん性が問題となった二臭化エチレン(EDB)が使われたり殺菌にエチレンオキサイドが使われたことがありましたが、今後は食べ物の殺菌、殺虫、貯蔵技術として、このような化学薬剤を使わないで食品照射が注目を浴びつつあります。
 ジャガイモへの照射はチエノブエリ事故のように放射能を出す灰(放射性物質)をジャガイモにまぶすのではありません。
 がん患者がうけるコバルト60から放出されるガンマ線や毎年健康診断の際受けるレントゲン撮影と同様に、誘導放射能*は生じません。
 日本原子力研究所など世界の研究者たちの長い間の研究により、毒性物質、発ガン物質を生じたりすることがなく、また、ネズミやアカゲザルを使った数代にわたる飼養試験で子孫への悪影響がでたりしないことも確かめられています。

http://www.geocities.jp/a5ama/cobalt.html

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 教師の仕事は、まずは事実を正しく伝えることだ、ということをヒシヒシと感じた。
 日本で唯一の放射線照射施設「北海道士幌アイソトープ照射センター」についても、サイトで見ることができた。
 
 北海道士幌アイソトープ照射センター
http://foodirra.jaea.go.jp/dbdocs/003001000002.html

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November 25, 2010

見抜く力・分析する力


 『子供を動かす法則』(向山洋一著)には、子供の些細な動きに敏感になるよう勧める部分がある。

「プロの目」は修行によってつちかわれる。

と題された章だ。
 P79を視写してみる。
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 「あれども見えず」の状態は、教師の世界の中に充満している。
 いかなるプロにとっても、対象を細かく分析して見ることができるのは、プロの基本的条件なのである。
 熱が39度あるということだけでも医師は、素人より多くの分析を加えるであろう。
 野菜の葉の色だけを見て農民は、素人よりも多くのことを考えられるだあろう。
 土俵の上のあっという間の勝負でさえ、解説者は細かい分析を加えることができる。
 だが、教師には素人のようなぼやっとした見方をしている人が多い。誰でも言えるような一般論を言っている人が多い。
 教師にとっても、対象を細かく分析できるということは、それなりの修行の日々が必要なのである。私はあえて修行と言う。のんべんだらりとした教師生活の日々を送っていては、決して身につけることはできないのである。
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・・・さて、この後、放課後の孤独な作業のシーンが書かれる。その部分は記憶にある。
 全く記憶になかったのが、次の部分だ。
 若いころは具体的な描写シーンにばかり目が向いたのかもしれない。
 以下の部分は、まさに「まとめ」だ。

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 子供を動かすのは、独立した単独の技術ではない。技術を支えるための、相手に対する深い理解を必要とする。植物でさえ、動物でさえ、そうなのである。
 まして、感性の鋭い人間を動かすのである。相手に対する深い理解があってありすぎることはない。
 相手を理解しようとする意欲は人柄の問題や人格の問題と関係するが、相手を理解する方法となると人柄や人格と別のこととなる。
 相手を理解する方法もまた技術だからである。しかも、この技術は習得するのに年数がかかる高級な技術なのである。
 医師は医師の技術を使いこなすことで、患者を理解する。医師が医師として相手を理解するとは、医師の仕事の専門性において理解することなのである。医師の技術の習得には一定の時間がかかる。あたり前のことである。
 教師が子供を理解しようとするのも、教師の仕事の専門性において理解するのである。だから、理解できる技術を習得するまでには当然時間がかかる。ところが「子供を理解しようとする意欲さえあれば、それですぐ理解できると思っている方がほとんどなのである。
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・・・重い。その重さゆえ、以前はスルーしてしまった部分だ。
 ソムリエの表現力も、もちろん、ソムリエの技術の支え・修行の支えがあってのことだ。
 以前も書いた、ワインテイストの描写は素人の想像を超える圧倒的な分析力と修行のたまものだ。
 田崎真也氏『言葉にして伝える技術~ソムリエの表現力~』より

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 目の前のグラスに赤ワインが注がれています。 
 グラスを手に持ち、視覚で外観からチェックします。色調は紫がかった濃いガーネット。次に、ワインの液面に浮いているように見える表面張力によるデイスク様の状態の厚みをチェックし、さらに、グラスを少し動かすと、グラスの壁面に付いているワインの流動性に粘着性があるのがわかります。デイスクの厚みや粘着性は主にアルコール度数のレベルを判断するポイントです。

 清澄度や輝き具合を確認し、次に嗅覚です。香りは芳醇で複雑性を感じ、ブラックベリーのコンポートやスミレの花、丁子や甘草を含む甘苦いスパイスの香りにほのかに土の香り、木樽からのロースト香やバニラ香などが調和して感じられます。まず丁子や甘草などのスパイス香を確認したことにより、カベルネ・ソーヴィニヨン種が使われていると想像します。さらに、ほのかに感じる土の香りは、メルロ種が少し使われて可能性を示唆しています。また木樽からの香りの具合により、樽の木材はフレンチオークで、その強弱などから新樽の比率が何%ぐらいであるかなどを推測します。そして、ブラックベリーの香りにより、使われているブドウの成熟度の高さを判断し、コンポートのような香りからは、まだ酸化は進んでおらず、若々しい状態であるということの意味が含まれていることを理解します。

 そして、味覚です。味わいはまろやかな果実味からのバランスのとれた印象が広がり、タンニンの渋みはなめらかで余韻は非常に長く、10秒程度(1コダリともいう)、アフターフレーバーにも果実香やスパイスの香りが残ります。このように、ワインが口先端と舌先に触れた瞬間の印象は、主にアルコールによる甘味度合いをチェックし、豊かであるとか、まろやか、ふくよかなどの単語で表現します。
 次に、ワインが口のなかで広がる際に、とくに口の前方部分に意識をし、酸味と甘味(感覚的な)のバランスをチェックします。そして後半、口の後方部に意識を移し、苦味(とくに赤ワインの)がもたらすバランスを確認。さらに、歯茎などの粘膜の敏感な部分で収斂性(渋み)を確認します。そして、口をすぼめ、葉の隙間から空気を吸い込むようにしながら、口中にあるワインと空気をからめ、そのワインの香り成分を含んだ空気を肺に送り、今度はその空気を鼻から抜きます。この際、鼻腔を逆流しながらも香りを確認することができます。アフターフレーバーを瞬時に判断することができるのです。最後に口中のワインを吐き出し、そして、アフターフレーバーとして感じる印象が持続する時間をチェックします。これは、ワインの質を判断する基準としても重要なポイントとなります。

 この結果、この赤ワインの品種はカベルネ・ソーヴィニヨンが主体のもので、メルロを少量ブレンド。だとするとフランスのボルドー地方、カベルネ主体ですのでメドックやオー・メドック地区産のワイン。その余韻の長さなどからポテンシャルが高いので、オー・メドック、バランスのよさから、サンジュリアン村産の線が濃く、そうであれば、この熟成具合とブドウの成熟度の高さから、2006年ものの、おそらくは「シャト―・ブラネール・デュクリュ」でしょう、というふうに判断します。
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・・・新書版で3ページの叙述部分。プロというのは、ここまで分析し、ここまで表現できるのだ。

 シャーロックホームズは、初対面のワトソンがアフガニスタンから来た事を言い当てた。
 「『医者らしいが、軍人の雰囲気をもった男、といえば、軍医ということになる。顔は黒いが、手首は白いから、熱帯地方から帰ったのだろう。彼のやせこけた顔を見れば、苦労し、病気をしたのはすぐわかる。左手の動きがぎこちないところをみると、左腕にけがをしているな。英国の軍医がこんな目にあう熱帯地方といえばアフガニスタンしかない』ぼくがこれだけの推理をするのに一秒とかからなかった。それで、アフガニスタンにおられたのでしょうと言い、君がびっくりしたというわけだ」
 http://www5.ocn.ne.jp/~shworld/18_endless_adventure/endless_1_homles.html

 シャーロック・ホームズはよくアブダクションを使う。徹底した現場観察によって得た手掛かりを、過去の犯罪事例に関する膨大な知識、物的証拠に関する化学的知見、犯罪界の事情通から得た情報などと照らし合わせて分析し、事件現場で何が起きたかを推測する。しばしば消去法を用い、「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」(When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.) と述べている(「ブルースパーティントン設計図」)。彼の観察力の鋭さは「白銀号事件」で犬が吠えなかったことを指摘したように、現場で起きた出来事だけでなく、現場で発生すべきなのに起きなかった出来事にも注目した点に表される。この事例は、ミステリ小説界に留まらず広く学問の世界においても、注意力と観察力は如何にあるべきかを示す事例として頻繁に引用される
ホームズのモデルは、作者の医学部時代の恩師で外科医であるジョーゼフ・ベルとされている。ベルは病気の診断には観察力が重要だと学生に説き、訪れる患者の外見から病名だけでなく、職業や住所、家族構成までを鋭い観察眼で言い当てて学生らを驚かせた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA

 ※ アブダクション = 仮説推論

 ホームズのモデルが医者であったことからも分かるように、医者は、診察室に入った患者を様々な観点で看取り、病状を判断する。
 向山先生が、医者を引き合いに出すのも、そのためだ。
 
 名捕手だったスワローズの古田は、バッターが打席に入るわずかな時間の間に、走者の動き・三塁コーチの動き・打席に立つバッターの足の位置やバットの握りを確かめてた。視線を次から次へと移動させ、さまざまな情報を収集して1つのサインを決めた。
 「バッターの動きを見ると、どんな球をねらっているかだいたい分かります。」と言い切る自信もすごいが、次のセリフもすごいと思った。

  「三塁コーチなんて見たって、ほとんど役に立ちませんよ。でも100回見て1回役に立つなら見てもいいかなと思う。」 名キャッチャーには、自分なりの技術があり工夫があり努力があったのだ。

 さて、ひるがえって、我々教師は、教室に入った瞬間どこを見るか、子供にあった瞬間どこを見るか、ノートの何を見るか、机の中の何を見るか。
 そして、「看取った事実」から何を引き出し、どう分析し、どれだけ表現できるか。
 気分・経験・勘の3Kで済ますのではなく、客観的・科学的な分析の観点を明らかにしてみたい。

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November 13, 2010

いじめ自殺を起こさないために


「こんなときだけ来るのか」  
この一言がきっかけで女の子が自殺したそうだ。
何気なく口にした子は一生その責任を負うことになるだろう。

 ◆産経新聞 2010/10/27 20:30より抜粋・改行

 10月に入り休みがちだった明子さんは21日、前橋市内の県庁や地裁を回る社会科見学には参加した。
 だが、社会科見学に臨むと笑顔は消えた。

 「こんなときだけ来るのか」。

 同級生が放った一言にふさぎ込んだ。
 そして、二度と学校に行くことなく23日正午ごろ、自室のカーテンレールにマフラーをかけて首をつった。
 マフラーは母(41)へのプレゼントに自ら編んだものだった。
 いじめは明子さんが愛知県から転校した1年後の5年生に始まった。
授業参観に訪れたフィリピン人の母の容姿について悪口を言われたのがきっかけだった。
 クラス替えした6年生から無視が始まり、今秋には給食時にグループに加われず独りぼっちで食べていた。
 「転校したい。どんなに遠くても歩く」と、明子さんは何度も両親にすがっていた。
 一方、学校側は明子さんの悪口を言う児童への注意や、班ごとで給食を食べるように指導。
 だが、事実上クラスを統制しきれなかった。岸洋一校長は「よくない状況だったが、いじめとは認識していなかった」と強調する。

・・・忙しさにかまけて、よく読んでいないニュースだった。
 昨日の例会で授業化された先生がいたので、あわてて検索してみた。
 詳細を読めな読むほど、情けなく、また悲しい事件だった。


◆毎日新聞 2010年10月26日 地方版より抜粋

 明子さんはクラスメートに無視されるなどのいじめを受け続けていると訴え、「お父さん、お母さん、転校したい」「どんなに遠い学校でもいいから歩いて行く」と話していた。このため、来春の中学進学を機に、引っ越しで校区を変えることを考えていたという。

 明子さんは先週、火曜日から2日連続で学校を休んでいた。
 今秋から給食は決められた席ではなく、班をつくって食べるようになり、明子さんが孤立したのが原因と両親は見ている。
 木曜の校外学習に出席すると、同級生には「こんな時だけ学校に来るな」と責められ、母親に「もう学校に行きたくない」と涙ながらに訴えたという。
 竜二さんはこの日、学校に電話し、いじめや給食時のグループ分けについて「なんとかしてほしい」と頼んだ。
 担任は「話し合ってみます」と応じたという。金曜日にはまた学校を休み、事件は土曜日に起きた。

・・・・いろいろな事情があるにしても、学校の対応の悪さは明確だ。

放置すれば、子供はいつだって「好きな子同士」を選びたがる。
しかし、好きな子同士は「嫌い子外し」と表裏一体だ。 
「好きな子同士」は年度当初に否定されるべき課題だ。
 「好きな子同士は、仲間外しの第一歩」なのだ。
 担任は給食を好きな子同士で食べることの危うさが分かっていなかったのだろうか。

 (2010年10月28日01時30分 読売新聞)は、芥川の歌を引き合いにしてひとりぼっちの辛さに思いを馳せている。
 これこそ、本来、教師が持つべき想像力である。
 改行は竹田。
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 芥川龍之介の歌がある。
 〈幾山河(いくやまかわ)さすらふよりもかなしきは都大路をひとり行くこと〉。
 にぎやかで華やいだ空間に身を置くとき、大のおとなでも孤独は骨身に染みとおる
 ◆食器の触れ合う音と、笑い声と、おしゃべりと、好きな子同士が机を寄せ合って食べる給食の時間は毎日、ピクニックのような楽しい音に満ちていただろう。
 ひとりぼっちのその子には拷問の時間だったかも知れない
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 この女の子の死を無駄にしてはいけない。
 まだまだ全国には、ひとりぼっちの子がたくさんいる。

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November 01, 2010

『言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力』

『言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力』
(祥伝社新書214) [新書] 田崎真也 (著)

WEBによる 内容紹介は以下の通り。
03327305
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★あなたの表現はズレている テレビのグルメレポーターが、ステーキやハンバーグの一片をほおばり、「肉汁が口のなかに、じゅわっと広がってきますね」と大げさにコメントするのを聞いたことがあるだろう。
■■■ところが、この表現は、実は肝心なところを何も言い表わしてはいない。その肉汁がいったい、どんな味か、どんな香りかが、まるで語られていないからだ。
■■■著者によると、私たちが日頃なんとなく「おいしい」を伝えたつもりで使っている表現は、およそ不完全なものばかりだという。それは、深く意味を考えずに常套句を使っていたり、先入観にとらわれて、本当はどうなのかを正しく言い表わせていなかったりするためである。
■■■それでは、正しい感覚を取り戻し、言葉の数を増やすためには、どうすればよいか。世界一ソムリエが、表現力を豊かにするためのプロセスを明らかにしたのが本書である。
★本書の構成 第一章 その言葉は、本当に「おいしい」を表現できていますか? 第二章 味わいを言葉にして表現する 第三章 五感を鍛え表現力を豊かにする方法
内容(「BOOK」データベースより)
私たちが日頃なんとなく「おいしい」を伝えたつもりで使っている表現は、およそ不完全なものばかりだという。それは、深く意味を考えずに常套句を使っていたり、先入観にとらわれて、本当はどうなのかを正しく言い表わせていなかったりするためだ。そこで、正しい感覚を取り戻し、言葉の数を増やし、表現力を豊かにするためのプロセスについて解説したのが本書である。
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・・・なるほど、確かに料理の紹介はイージーな決まり文句にあふれている。
 国産・手作り・厳選素材・産地直送・・どこがうまいのか明確にしてなくても、何となくおいしそうだと思いこんでしまう。
 お決まりの文句のいかがわしさは、「手垢のついた言い回し」と本多勝一氏の『日本語の作文技術』でも指摘されていた。 清水義範氏のパロデイにもあったような気がする。

 国産牛肉使用・・・・「それで何?」 
 肉汁がたっぷり・・・・「それで何?」
というように
 「それで何? =SO WHAT」
で問い詰めていくと、どこが「おいしさ」とつながるか曖昧であることが分かる。
 この本の話を職場でしていたら、ちょうどその日のNHKで焼津で干物を作っている名人を紹介する場面があったことを教えてもらった。
 伝聞で申しわけないが、次のようなやりとりだったそうだ。

リポーター・・「この干物、脂がのってますねえ」
名人・・・・・・「そりゃあ、焼津の魚は脂がのってて当たり前だ。
        そうじゃない、味はどうかを聞いているんだ」
リポーター・・「(困ったようにおそるおそる)甘い、ですかね」
名人・・・・・・「そう、私の干物は甘みがあるんだよ」

 干物をつくる名人にとって「魚に脂がのっている」ことは、自分の腕でも何でもないことだ。
 田崎氏の著書にあるように「新鮮でプリプリですね」「意外にくせがないですね」は、ほめ言葉どころか失言や侮辱になりかねない。

 「くせがない」ことが、万人向けの日本酒や料理の評価基準になると、酒も料理も、実に平均的でつまらないものが賞をとることになる。
 それではいけないと田崎氏は説く。
 そもそも「くせ」は個性(長所)であって、欠点ではないのだと。
 
 長所である「くせ」を悪者扱いしスポイルする日本人の思考が、酒や料理の評価の言葉にも表れている。
 まさに「言葉は文化」であることの証左である。
 逆に、酒や料理の評価において「くせ」を長所として表現する意識が定着すれば、日本が減点主義から加点主義に変わるかもしれない。

 田崎氏は料理の表現という一点から日本の減点主義を指摘し、変えようとしている。
 それは壮大な提言だ。

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