« March 2011 | Main | May 2011 »

April 29, 2011

孫正義氏の「正義」に感心しました。

 資材10億を投じて自然エネルギー財団を設立した孫正義氏のインタビュー記事。

「生まれてきた使命を果たす」ソフトバンク・孫正義氏"自然エネルギー財団"設立

という見出しもすごいが、中身も濃い。

 孫氏は感情的に「反原発・脱原発」を訴えているわけではない。

http://news.livedoor.com/article/detail/5514784/

より、番号をつけて引用紹介する。

①ちょうど1年ほど前、運転開始から40年を迎える福島第一原発1号機について、さらに20年間安全に運用できると東電が判断、国に受理された。この事実をどれだけの日本人が知っていたのか、どんな検査が行われたのか。その時に運転を止めていれば、今回の事故は起こらなかった。

②40年中性子を浴び続けると圧力容器はもろくなる。世界平均では22年の使用で廃炉にしている。40年以上使い続けるということがどれだけ危険か、認識する必要がある。

③今すぐ全ての原発を止めろというのではない。稼動開始後、30年が経過している原発の再点検、再評価を厳密にする必要がある。法令でも稼動30年を経過する原発は運転年数が長期間経過していることから、再評価を行うことが義務付けられている。

④今後は稼動40年で原子炉を廃炉していくとして、原発の新規建設も凍結するとなれば、当然、電力は足りなくなる。その代替エネルギー案を考えなければ、建設的な議論はできない。

・・・・耐久年数を考えて段階的に廃炉にしても、冷却期間はずいぶんかかるし増え続ける使用済み燃料の処理も大変である。使用済み燃料を再利用する「プルサーマル」も中断したままだから、使用済み燃料の行き先がないのだ。


Q:孫さんの正義感とはどういった言葉の定義?

ソフトバンクの長期的な理念は「情報革命で人々を幸せに」それに向けて情報革命を一直線にやってきた。
今、日本の人が一番不幸せだとおもっているのが原発問題ではないか。究極の選択として、「情報革命」「人々の幸せ」どちらを追い求めるかを選べと言われたら、平時であれば両方追い求める。
国難の時に、情報革命だけ追っていればいいのか。
それで生まれてきた使命を果たせるのか、正義はあるのか。毎日悩んでいる。お前に政府は動かせるのか、力を過信しているのではと言われる。
だけど、できるかできんかわからんけど、やらないかんことがある。

・・・・「この惨状を黙って見ている訳にはいかない」という孫氏の態度。

 「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がぴったりだ!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 24, 2011

自然エネルギー構想~環境省・孫正義・福島県~

 4月21日、環境省から「平成22年度再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査の結果について(お知らせ)
という報道発表があった。
 原発の不安が高まる中でタイミングを計ったかのような発表だ。

http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=13696

からPDF資料を開いて読んでいくと

風力については
◆上表の導入ポテンシャルは、設備利用率を24%と仮定すると、東北電力管内:6,300億kWh/年東京電力管内:1,800億kWh /年の発電電力量に相当する。
また、上表のFIT対応シナリオは、設備利用率を24%と仮定すると、東北電力管内:210~830億kWh /年東京電力管内:5.3~42億kWh /年の発電電力量に相当する。但し、前記の通り、中短期の導入可能量は地域間連携設備能力の限界などを含めた検討が必要である。

地熱については
◆上表の導入ポテンシャルは、設備稼働率を75%と仮定すると、東北電力管内:230億kWh /年東京電力管内:93億kWh /年の発電電力量に相当する。
また、上表のFIT対応シナリオは、設備稼働率を75%と仮定すると、東北電力管内:13~68億kWh /年東京電力管内:0~14億kWh /年の発電電力量に相当する。
なお、温泉発電に適する高温で湯量が豊富な温泉も、東北及び東京電力管内には多く存在する。

といった報告がされている。

①基本シナリオ1(FIT対応シナリオ)…現状のコストレベルを前提とし、2011年3月に閣議決定された「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案(FIT法案)」において想定されている制度開始時点の買取価格及び期間で買取が行われる場合。

②基本シナリオ2(技術革新シナリオ)…技術革新が進んで、設備コスト等が大幅に縮減し、かつ、FIT法案において想定されている制度開始時点の買取価格及び買取期間が維持される場合。

などとあるが、正直なところ数値を自分で読み取るのが難しい。

朝日新聞は次のように報じ、原発40基分を風力でまかなえると書いている。

http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201104210510.html

環境省は21日、国内で自然エネルギーを導入した場合にどの程度の発電量が見込めるか、試算した結果を発表した。風力発電を普及できる余地が最も大きく、低い稼働率を考慮しても、最大で原発40基分の発電量が見込める結果となった。風の強い東北地方では、原発3~11基分が風力でまかなえる計算だ。
同省は震災復興にあたり、風力発電を含めた自然エネルギーの導入を提案していく方針だ。
今回の試算は、理論上可能な最大導入量から、土地利用や技術上の制約を差し引き、さらに事業として採算性を確保できることを条件に加えた。
試算によると、固定価格買い取り制度など震災前に政府が決めていた普及策だけでも、風力なら日本全体で約2400万~1億4千万キロワット分を導入できる。風が吹いているときだけ発電するため、稼働率を24%と仮定。それでも出力100万キロワットで稼働率85%と仮定した場合の原発約7~40基分に相当する。
ただし東北など電力需要を上回る発電量が期待できる地域がある一方で、電力会社間の送電能力には現状では限界がある。試算どおりに導入するのは短期的には難しいとみられている。
家庭以外の公共施設や耕作放棄地などを利用する太陽光発電や、用水路などを活用する小規模の水力発電についても検討したが、多くの導入量は見込めなかった。これらを普及させるには、さらに技術開発を促すなど追加的な政策が必要だという。
.

http://genuinvest.net/?eid=1542
は再生可能エネルギーの現状と可能性について述べている。

さて、環境省の発表の前日、孫正義氏の発表があった(と後で知った)。

ソフトB孫社長が脱原発財団設立 個人で10億円を拠出
2011年4月20日 18時52分

 ソフトバンクの孫正義社長は20日、民主党の東日本大震災復興ビジョン検討チームの会合に出席し、原発依存から脱して自然エネルギーによる発電を推進するための政策提言を行う「自然エネルギー財団」を設立することを明らかにした。
 孫氏によると、社長を離れた個人の立場で財団に少なくとも10億円を拠出する。
 孫氏は会合で、津波による甚大な被害を受けた地域の復興計画として、太陽光と風力による発電設備を大々的に整備する「東日本ソーラーベルト構想」を提案。自然エネルギーで発電された電力の買い取り制度の大幅拡充も求めた。
 孫氏は財団設立に関して「原発事故で多くの国民が不安を抱いている。安心、安全な自然エネルギーを日本にもっと増やせるように、世界の科学者100人くらいの英知を集めたい」と説明した。財団は数カ月以内に設立する。
 財団は、太陽光、風力、地熱発電などの研究に取り組む各国の科学者や企業の研究成果を収集・発信するとともに、政府に対して自然エネルギー普及に向けた提言をしていく。
(共同)

http://greenpost.way-nifty.com/softenergy/2011/04/post-e2dc.html

 4月20日にソフトバンクの孫正義社長は、自然エネルギーによる発電を推進するための政策提言を行う自然エネルギー財団と被災地に大規模に太陽光発電を導入し、エネルギーと雇用の両面から支える東日本ソーラーベルト構想を発表、大きな話題となりました。


http://minnade-ganbaro.jp/res/presentation/2011/0422.pdf
は、中学生でも分かるかのような明快な資料で、自然エネルギ―への変換を求めている。
 気になるのは、この孫氏の構想について、新聞・テレビでほとんど話題にならないことだ。
 真偽のほどは分からないが、マスコミは電力会社に遠慮して無視していいるのだとの書き込みもある。
 「脱原発」の主張は、タブーなのだろうか。
 ならば、先の環境省の発表もタブーということになる。
 一方、原発の被害が甚大な福島県では、自然エネルギーの構想が進められてきた。

http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/energy_01vision.pdf
 「福島県再生可能エネルギー推進ビジョン」というプランがある。
 これは、(仮称)である。
 表紙を見ると、「平成23 年 月 福 島 県」となっている。
 2月にパブリックコメントを終え、いよいよ本格的な議論に入るところだったようだ。
 ビジョンには太陽光、風力、バイオマス、水力、地熱など8種類のエネルギーの導入を促進するための施策を盛り込む。推進期間は来年度から平成32年度までの10年。
 福島県が「脱原発」を掲げて、再生可能エネルギー=自然エネルギで最先端になろうとしていた気迫がうかがえる冊子である。


第1 章 再生可能エネルギーを取り巻く社会経済情勢.......................... 1
1.1 エネルギー事情(国際的な動き、日本の動き) .......................... 1
1.1.1 世界のエネルギー事情............................................. 1
1.1.2 日本のエネルギー事情............................................. 2
1.2 日本の再生可能エネルギー導入目標と関連政策.......................... 3
1.3 再生可能エネルギーの概要、動向...................................... 5
1.3.1 再生可能エネルギーの概要......................................... 5
1.3.2 太陽光発電....................................................... 6
1.3.3 太陽熱利用....................................................... 6
1.3.4 風力発電......................................................... 7
1.3.5 バイオマス発電・熱利用・燃料製造................................. 7
1.3.6 温度差熱利用..................................................... 8
1.3.7 雪氷熱利用....................................................... 9
1.3.8 水力発電(大規模水力発電、小水力発電) ........................... 9
1.3.9 地熱発電(従来方式、地熱バイナリー発電) ........................ 10

第2 章 福島県における再生可能エネルギーの状況と導入目標................. 12
2.1 再生可能エネルギーへの取組み....................................... 12
2.2 再生可能エネルギー推進ビジョン(仮称)策定の意義................... 13
2.3 再生可能エネルギーの導入状況....................................... 14
2.3.1 再生可能エネルギー導入実績...................................... 14
2.3.2 再生可能エネルギー導入事例...................................... 15
2.4 利用可能量......................................................... 16
2.4.1 賦存量・可採量.................................................. 16
2.4.2 福島県の特性と再生可能エネルギー導入メリット及び課題............ 18
2.5 導入目標........................................................... 22
2.5.1 目標設定の考え方................................................ 22
2.5.2 導入目標........................................................ 23
第3 章 再生可能エネルギーの導入推進に向けて............................. 25
3.1 基本的考え方....................................................... 25
3.2 導入方策........................................................... 28
3.2.1 率先導入........................................................ 28
3.2.2 普及啓発........................................................ 29
3.2.3 導入支援........................................................ 30
3.2.4 各エネルギー種における方策...................................... 32
3.3 推進体制の整備..................................................... 35


 先に示した孫正義氏のビジョンと、同じ方向を示していることが分かる。
 
 「国のエネルギー政策をリードする『再生可能エネルギー先進県』の実現を目指します」(13頁)。
 「本県の再生可能エネルギーの導入目標の設定に当たっては、これまでのエネルギー供給県としての実績と役割の大きさ、地球温暖化の危機を回避するために諸外国が掲げている目標、そして一定の省資源・省エネルギー対策の成果などを考慮しながら、産学民官それぞれが役割を十分に果たした姿として、目標年度の2020 年には県内の一次エネルギー供給に占める再生可能エネルギーの割合が30%を占めている社会を想定し、目標導入量(最大導入ケース)を設定します。」(23頁)。
とある。
 そのような矢先の原発事故だったのか、と思うと心中を察するに余りある。
 
 いわき市の市会議員佐藤かずよし氏のブログによれば、2月23日に東電に原発についての申し入れをしている。

 「福島第一原発では、今後10年以内に、2~6号機のすべてが営業運転40年を迎え当初の設計寿命を迎えますが、老朽化と設計寿命を超えた長期運転は、事故のリスクをますます拡大することになります」

・・・申し入れ後、1か月もたたないうちに懸念し事故が起きたのだから、これもまた心中を察するに余りある。

http://gogokazuyoshi.com/?m=201102&paged=2
================
 脱原発福島ネットワークなど県内の市民団体12団体は連名で、「福島第一原発1号機の40年超運転に反対し情報公開と県民説明会の開催を求める申入書」を東京電力に提出し、速やかな回答を求めました。
団体の代表5名が今日23日東京電力福島第2原発のビジターセンターで東京電力広報部に手渡したものです。以下に申入書を掲載いたします。


     東京電力株式会社 社長 清水 正孝 殿 2011年2月23日

 福島第一原発1号機の40年超運転に反対し情報公開と県民説明会の開催を求める申入書

 貴社福島第一原発1号機は、3月26日に営業運転開始40年となり、当初の設計寿命を迎えます。国は、原発の高経年化対策として、運転開始30年を超える原発は通常の定期検査のほかに、10年毎に安全性の評価と点検などの保全計画策定を事業者に義務づけており、貴社は、昨年3月、最長60年まで機器・構造物を現在の保全活動継続で維持できるという技術評価書を国に提出し、2月7日、これを審査した経済産業省原子力安全・保安院が今後10年間の運転継続を認可しました。
 これまで、日本原子力発電敦賀1号機と関西電力美浜1号機が40年を超えて運転を続けており、敦賀1号機は6年、美浜1号機は最長10年運転した後は廃炉にする方針を明らかにしています。しかし、福島第一原発1号機は、廃炉の方針を示しておりません。福島第一原発では、今後10年以内に、2~6号機のすべてが営業運転40年を迎え当初の設計寿命を迎えますが、老朽化と設計寿命を超えた長期運転は、事故のリスクをますます拡大することになります。
 貴社がどのような見通しで福島第一原発1号機の40年超運転を実施するのか、設計寿命を超えて運転することの合理性と安全性に対して、福島県民は大いに不安を感じています。事業者である貴社は、当初の設計寿命40年を超えて長期運転に入る事態を重く受け止めるべきです。
 その上で、福島第一原発1号機の「高経年化技術評価等報告書」を住民・県民に情報公開することはもとより、経済産業省原子力安全・保安院の審査で指摘を受けた、原子炉圧力容器の中性子照射脆化に対する健全性評価や水位計装ノズルの応力腐食割れに対する耐震評価、さらには10年前の報告書の中性子束計測ハウジングの耐震評価でのS2地震発生時の亀裂安定性評価が亀裂安定限界応力に対する発生応力の比が0.98であったことと、今回の「水位計装ノズルの応力腐食割れに対する耐震評価」の関係などを明らかにして、事業者としての説明責任を果たすべきです。
 この際、住民、県民に直接説明する場をつくり、設計寿命を超えて長期運転することの合理性と安全性の根拠を説明すべきです。住民、県民の合意もないまま40年超運転を強行することは、許されません。効率優先で稼働率アップのために老朽炉を長期運転で酷使することは、安全性を犠牲にするものです。わたしたちは、以下申入れ速やかな回答を求めます。

1、福島第一原発1号機「高経年化技術評価等報告書」を公開し、県民への説明会を開くこと。

1、原子力安全・保安院の審査で指摘を受けた原子炉圧力容器の中性子照射脆化に対する健全性評価や水位計装ノズルの応力腐食割れに対する耐震評価の情報公開と説明を行うこと。

1、長期運転に伴う使用済み核燃料の保管および放射性廃棄物対策について明らかにすること。
==============

 東日本で被災された方々・避難されている方々の感情を考えると、自然再生エネルギー構想を前面にして復興計画を立てていく必要があると思う。


| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 23, 2011

「原発は安全」はマインドコントロールだったのか?

3月30日に、原子力に関わってきた人たちの連名で緊急建言があった。
配信ニュースによっては「謝罪」という見出しもあった。
「絶対安全といわれてきた日本の原発が、甚大な事故を起こした」事実は重い。
 事態は極めて悪く、避難を強いられた住民は半年も自宅に戻れないという、それ1つとっても大変なことだ。

http://peacephilosophy.blogspot.com/p/blog-page_31.html

福島原発事故についての緊急建言

はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。

私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。

特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。

こうした深刻な事態を回避するためには、一刻も早く電源と冷却システムを回復させ、原子炉や使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回復させることが唯一の方法である。現場は、このために必死の努力を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線量による過酷な環境が障害になって、復旧作業が遅れ、現場作業者の被ばく線量の増加をもたらしている。

こうした中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、相次ぐ火災、作業者の被ばく事故、極めて高い放射能レベルのもつ冷却水の大量の漏洩、放射能分析データの誤りなど、次々と様々な障害が起り、本格的な冷却システムの回復の見通しが立たない状況にある。

一方、環境に広く放出された放射能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではないとは云え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響を与えている。さらに、事故の終息については全く見通しがないとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題であり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も急ぐ必要がある。

福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。

当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ、内部に蓄積されている大量の放射能を閉じ込めることであり、また、サイト内に漏出した放射能塵や高レベルの放射能水が環境に放散することを極力抑えることである。これを達成することは極めて困難な仕事であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない。

さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困難で、かつ極めて長期の取組みとなることから、当面の危機を乗り越えた後は、継続的な放射能の漏洩を防ぐための密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が一にも水素爆発を起こさない手立てが必要である。 

事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である。

私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。


平成23年3月30日

青木 芳朗   元原子力安全委員
石野 栞     東京大学名誉教授
木村 逸郎   京都大学名誉教授
齋藤 伸三   元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長
佐藤 一男  元原子力安全委員長
柴田 徳思   学術会議連携会員、基礎医学委員会 総合工学委員会合同放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長
住田 健二   元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
関本 博    東京工業大学名誉教授
田中 俊一   前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
長瀧 重信   元放射線影響研究所理事長
永宮 正治   学術会議会員、日本物理学会会長
成合 英樹   元日本原子力学会会長、前原子力安全基盤機構理事長
広瀬 崇子   前原子力委員、学術会議会員
松浦祥次郎   元原子力安全委員長
松原 純子   元原子力安全委員会委員長代理
諸葛 宗男   東京大学公共政策大学院特任教授


武田邦彦氏は、」次のように述べ、原発の危険性を説く。

http://takedanet.com/2011/04/post_c063.html

私はかつて原子力エネルギーに夢を持っていました。

日本は資源が少ない国でしたが、技術は世界一ですから、何とかして技術力で日本人が豊かな生活ができるようにと思ったのです.
幸い、日本の原子炉(軽水炉)は水で中性子を減速するので、内部に自動停止装置を持っているようなものですから、「事故は起こらない」、つまり「原子炉は暴走しない」というタイプなのです.

原子炉ばかりではなく、耐震建築にしても、電気設備やコントロールにしても、日本の技術や運転は本当に世界一と言って良いと思います。

だから、原発のような危険なものは世界で日本ができなければ、どの国もできないはずだと考えていたのです.

私が書いたかつての文章の中に「原発は安全だ」というのがありますが、考えてみると「原発は安全だ」というのは正確ではなく、「安全な原発を作る事ができるので、安全に作れば安全だ」という事だったのです。
・・・・・・・・・
そんな私の夢が大きく崩れたのが平成18年でした。この年の9月、原子力安全委員会は次のような耐震設計の審査基準を出しました。

この指針は旧指針と呼ばれた昭和56年の指針を改定するのですから、全体としては優れたものだったのですが、一つ、大きな欠点がありました。

それは、それまで「原発は絶対に安全に作る」というのが基本だったのですが、どうも大きな地震が来ることもあって、「想定外」のことが起こる場合、それを「残余のリスク」という言葉で処理しようという事になりました。

「安全な原発を作る事ができるのに、不安全な原発を作れる言葉」を役人が発見したのです。

つまり、「残余のリスク」という聞き慣れない言葉の登場です。

それまでの考え方=「絶対に安全」、というのもやや矛盾するところがあるのですが、かといって、電力会社が「災害の想定」を行って、それより大きな場合は、「仕方が無い」ということで「大量の放射性物質が漏れ」、その結果「付近住民が著しい被ばくをする(説明書にある)」というのは到底、納得できません。
・・・・・・・・・
このことが日本の親として知らなければならないのは、「福島原発以外の原発も、耐震や津波、台風、大雨・・すべて「想定外なら被ばく」という考え方」で作られているという事だからです。

こんな奇妙な指針ができたのは、推定ですが経産省が原発の安全性の責任を持ち、安全院なるものを作ったからと思います.

1) 原発は推進したい、
2) でも事故が起こったときには責任はとりたくない、
3) 自分の任期の間には地震は起こらないだろう、
というのが役人の考えだからです.


・・・4月14日の中日新聞夕刊の社会時評で高村薫氏が、原発廃止の立場で述べている。

◆◆
この世界有数の地震国でチェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。
(中略)将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためにそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っているとおもうべきである。
◆◆

 「日本には原発は必要なのだ」は、マインドコントロールだったのか。
 冷静に考えてみたい。


| | Comments (130) | TrackBack (0)

April 21, 2011

「原発が必要か」の議論

 「揚水発電」をカウントすれば原発なしでも夏の電力間に合う

という週刊ポストの記事は大きな問題を提起している。

 週刊ポスト2011年4月29日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110418_17850.html

 以下に、一部引用する。

◆◆◆
 記録的猛暑だった昨年の電力消費量のピークは7月23日の5999万kW。東電の需給見通しによると、今年のピーク時電力はそれより低い「5500万kW程度」と予測されるものの、供給力が850万kWも不足する計算になる。政府や東電が「このままでは真夏の大停電が起こる」と喧伝するのは、この数字を根拠にしている。

ところが、資料を詳細に分析すると、7月の供給力には盛り込まれていない“隠された電力”がある。「揚水発電」の出力が計算されていないのだ。

「揚水発電」は、夜間の余剰電力を利用して下貯水池から上貯水池にポンプで水を汲み上げ、日中の電力消費の多い時間帯に水力発電をする仕組み。発電時間は上貯水池の水が空になるまでの数時間だが、首都圏の夏の最大電力は午後2時を中心とした5~6時間である。揚水発電の役割は、まさにピーク時の電力を補うための非常用電源といえる。今のような停電危機にこそ有効に活用すべき設備なのである。

(中略)

 そこで、東電の7月末の4650万kWに加え、揚水発電の1050万kWをフル稼働させると計算すると、7月末に使える東電の供給力は5700万kWになる。これならばピーク需要を賄うことが可能なのだ。

他にも、7月末までの稼働予定に入っていない鹿島共同火力発電所1号機(17.5万kW)、常磐共同火力発電所9号機(30万kW)などの復旧が進んでおり、供給力がもっと増える可能性も出てきている。

また、長期停止中の横須賀火力発電所も、8基中4基は稼働させる予定だが、残りの4基も早期に再開できるという指摘がある。

5500万kWというピーク時電力も毎日続くわけではない。1年のうち数日であり、東電の夏場の平日の平均最大電力は4800万kW(需給見通し)とされている。揚水発電を合わせた供給力なら900万kWも余裕がある。
◆◆◆

・・・そもそも真夏のピーク時以外は電力に余裕があり、「電力が足りません」というPRも、瞬間的な最大消費電力に対応するための数値であることは、よく分かっていた。
 むろんC02問題もあったので、火力発電に依拠するのも問題があった。ダムは環境破壊という指摘があって水力発電にも限界があったから、「エネルギーミックス」というリスク分散の発想で、バランス良く原子力も利用されていた(と思っていた)。

 原子力なくても真夏の最大電力も確保できるなら「まあ、いいか」と今は思う。
 今回のような事故処理には膨大なコストがかかるし,たとえ,廃炉にしても使用済み燃料は熱を帯びていて安全な保管が必要となると、原子力の総エネルギーコストは相当なものだと考えざるをえないからだ。
 「そうは言っても原子力は必要だ」という立場であったが、固定観念をはずして現実を直視できるよう、情報を収集していきたい。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

April 17, 2011

「木こりのジレンマ」~目立てに相当するものは?~

 年度当初の学校は極めて多忙である。
 学級の準備があって、学校の運営組織の会議や起案があって、それらがまだまだ終わってないうちに実際の授業が始まってしまう。
 授業が始まれば当然のことながら日々の授業の準備が始まるが、新しい教科書の確認や補助教材の注文が後手に回るのが通例だ。

 忙しい、忙しい。

 しかし、そんな時期だからこそ、一息ついたり、自己研鑽したりしないと、オーバーワークで結局は作業効率が下がっていく。
 そのような事態を皮肉っているのが「木こりのジレンマ」と呼ばれるお話しだ。

http://www.wldl.co.jp/index.php/%E6%9C%A8%E3%81%93%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E

 ある日、旅人が森の中を歩いていると、一人の木こりに出会った。
 その木こりは、森の中で木を切るのに忙しそうだったが、旅人はちょっと休憩のために少し休んで行くことにした。
 そして、一所懸命木を切っている木こりを見ていた。
 旅人は、その木を切る姿を見ていて、木こりが一所懸命切るわりには木がなかなか切れないのを不思議に思って、木こりののこぎりを見てみると、随分と刃こぼれが目立っていた。
 そこで、旅人は親切心で、「木こりさんよ、そののこぎりは随分と刃こぼれが激しいようではないか、のこぎりの目を立直してから切ればもっと良く切れるに違いないだろうから、少し休んで目を立てたらどうですか?」と言った。
 そうすると、木こりは旅人に向かって、「旅人さんよ、ご忠告は非常にありがたいがの、わしは今非常に忙しくってのこぎりの目など立てているヒマがないんじゃよ」と言いながら、一心不乱にまた木を切りはじめた。

・・・忙しい時に休むのは勇気がいる。
 忙しい時に本を読んだり研修会にでかけるのも勇気がいる。
 でも、勇気をもって一歩立ち止まらないと次の一歩が出なくなる。

 別のたとえで言えば、マラソンの給水だろうか。
 マラソンの給水は一瞬のタイムロスだが、それでも効率よく、早め早めに手を言っておかないと結局は大事な場面で水分切れで力が出せなくなる。

 受験生の中には睡眠を削って勉強する人もいるが、作業効率・学習効率・記憶効率を考えると「休息・睡眠」を入れた方がいい。

 「急がば回れ」も同じ意味になるだろう。

 ちょっと立ち止まる心の余裕がなくては、子どもの心も汲む余裕もない。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 06, 2011

震災が見せつけた日本人の礼儀


 日本人の品格を示す例として「明暦の大火」のエピソードがある。
 模擬授業風に仕立ててみた。

 1657年江戸時代のことです。
 明暦3年大火事が起きました。
 この明暦の火災による被害は江戸時代最大で、江戸の三大火の筆頭としても挙げられます。
 外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失しました。
 死者は3万から10万人と記録されており、江戸城天守はこれ以後、再建されなかったというほどです。
 火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦争・地震の被害を除けば、日本史上最大です。

 さて、この大火の際、江戸幕府伝馬町牢屋敷の長官であった石出吉深(いしでよしふか)は、牢屋の中の罪人を火災から救うために独断で「切り放ち」と呼ばれる(期間限定の囚人の解放)を行いました。
 吉深は牢屋の者達に対し言いました。

「この大火事から逃げおおせたら必ずここに戻ってくるように。そうすれば死刑の者も含め、私の命に替えても必ずやその義理に報いて見せよう」

「もしも、この機に乗じて雲隠れする者があれば、私自らが雲の果てまで追い詰めて、その者のみならず一族郎党全てを成敗する」

そう申し伝えると、火が迫る中で死罪の者も含めて数百人余りを解放したのです。

さて、
問題①「みんなが罪人だったら、ちゃんと戻ってきますか?」

問題②「この時の罪人は戻ってきたと思いますか?」
     A 少し戻ってきた
     B 半分くらい戻ってきた
     C 全員もどってきた

 罪人は、解放された時、涙を流し手を合わせて吉深に感謝しました。
 そして、火事がおさまると、約束通り、全員が戻ってきたそうです。
 
 吉深は「罪人といえどその義理堅さは誠にあっぱれである。
 このような者達をみすみす死罪とする事は長ずれば必ずや国の損失となる」と評価し、老中に死罪も含めた罪一等の減刑を嘆願、幕府も罪人全員の減刑を実行しました。

 以後江戸期を通じて「切り放ち後に戻ってきた者には罪一等減刑、戻らぬ者は死罪(後に「減刑無し」に緩和」という制度になり、明治時代の法律・現在の法律へと引き継がれました。
 関東大震災や大東亜戦争末期の空襲の折に、実際に刑務所の受刑者を「切り放ち」した記録が残されています。

 現在の刑事収容施設法83条2項では、次のように記されています。

第83条  刑事施設の長は、地震、火災その他の災害に際し、刑事施設内において避難の方法がないときは、被収容者を適当な場所に護送しなければならない。

2  前項の場合において、被収容者を護送することができないときは、刑事施設の長は、その者を刑事施設から解放することができる。
  地震、火災その他の災害に際し、刑事施設の外にある被収容者を避難させるため適当な場所に護送することができない場合も、同様とする。

3  前項の規定により解放された者は、避難を必要とする状況がなくなった後速やかに、刑事施設又は刑事施設の長が指定した場所に出頭しなければならない。

 「罪を犯した人でも約束を守る」
 
 これが日本人の姿です。

 今回の震災でも、どんなに電車やバスが遅れても、列が乱れることもなく、誰もがきちんと並んでいました。
 交通渋滞がはげしかった道路でも、誰もクラクションを鳴らすことなく、みんな我慢したそうです。
 地震でレストランから外に逃げ出したお客さんのほとんどが、揺れがおさまるとお金を払いに戻ってきたそうです。
 
「こんな震災でも、マナーがしっかりしている日本人の姿」が世界で話題になりました。
 大変な震災の中でも礼儀正しい。そんな日本人だからきっと立ち直れるはずだ、と多くの国が期待を寄せています。
 この日本人のすばらしさを大切に守っていきたいですね。

 参考として、今回の震災を見た外国の記者の意見を紹介します。

時事通信[3/13 17:46]
【上海時事】中国各紙は13日、東日本大震災で大きな被害を受けながらも、日本人が整然と行動し、街の秩序が保たれている様子を驚きをもって伝えた。
上海紙・東方早報は、仙台市に入った記者が
「わずかに営業しているスーパーの前に住民が整然と行列をつくり、便乗値上げもない」
「停電で道路の信号が消えても、車は譲り合って走行している」
などと伝える現地ルポを掲載した。
中国最大の夕刊紙・揚子晩報は「東京では多くの市民が駅に足止めされたが、階段で両端に座り、人が通る道を空けた」と、写真付きでマナーの良さを紹介した。
一方、有力経済紙・第一財経日報は休刊日にもかかわらず大震災の特集号を発行。
「未曽有の自然災害に直面した日本人の冷静さがわれわれに深い印象を与えた」とし、背景には日ごろの地震への備えやテレビなどによる迅速な情報提供があったと分析。工場の操業停止を相次いで発表した日本企業の情報公開姿勢も評価した。』


『<中国人が見た日本>未曾有の大地震でも冷静な日本人がスゴイ

Record China[3/13 15:05]
マグニチュード8.8という日本観測史上最大となった東北地方・太平洋沖地震。天災に見舞われた日本人がなお冷静な態度を保ったことに驚く中国人は多い。写真は地震後の首都圏スーパー。
マグニチュード8.8という日本観測史上最大となった東北地方・太平洋沖地震。天災に見舞われた日本人がなお冷静な態度を保ったことに驚く中国人は多い。2011年3月12日、新浪ブログのエントリー「日本の地震報道で注意に値すべき細かな点」は、率直に驚きを綴っている。以下はその抄訳。

大変な災害となった日本の地震。ニュース映像を見ているといくつか細かな点が気になった。第一にある映像では地震で街が揺れている中でも、落ち着いてソファーに座ってお茶を続ける日本人の姿。ある在日中国人のブログを読んだが、地震の後サンダルでビルから駆け下りたというが、そんなに慌てていたのは自分だけだったという。

第二に多くの日本人が地震直後、携帯を手にしていたこと。これは偶然ではなく、緊急地震速報が携帯に伝えられたためだという。第三に被災直後なのに現場からの報道が多かったこと。写真も映像も次々と更新されていく。四川大地震では3日目にして初めて現地の様子が分かったのに。

第四に津波にのみ込まれた家はともかく、揺れで倒壊した家を見なかったこと。深刻な被害を受けたとしても、家に亀裂が走るレベルでとどまっていた。(翻訳・編集/KT)』


『未曾有の大災害で見せた日本人の冷静な対応に驚きの声…中国

Record China[3/13 10:51]
11日、環球時報は記事「マグニチュードは日本観測史上最大=日本人の冷静な対応が世界に与えた印象」を掲載した。未曾有の大災害にも冷静に対応した日本人の対応が驚きを呼んでいる。写真は地震発生後の東京。

2011年3月11日、環球時報は記事「マグニチュードは日本観測史上最大=日本人の冷静な対応が世界に与えた印象」を掲載した。以下はその抄訳。

マグニチュード8.8と日本観測史上最大となった東北地方・太平洋沖地震。地震発生後、日本政府はただちに緊急災害対策本部を設置。速やかに自衛隊の出動を決めるなど迅速な対応を見せた。また一般の日本人も理性的な対応を見せている。

中国のマイクロブログで話題となったのは、日本滞在中のある中国人のつぶやき。「数百人が広場に避難していたが、その間、誰もタバコを吸うものはいなかった。毛布やお湯、ビスケットが与えられ、男性は女性を助けている。3時間後、人々は解散したが、地面にはゴミ一つ落ちていなかった。一つものだ」という内容。

パニックになりかねない大災害の中で、日本人が見せた冷静な対応は驚きをもたらした。(翻訳・編集/KT)』


『<中国人が見た日本>改めて証明された日本人の民度の高さ、世界の人々に印象残す…中国

Record China[3/13 09:47]
11日、有名ブロガーの王榮霖氏は、ブログで記事「日本大地震」を発表した。東北地方太平洋沖地震は日本に大きな被害をもたらしたものの、日本人が見せた理性的で秩序だった行動は世界に大きなインパクトを与えたと評している。写真は地震発生後の東京。

2011年3月11日、有名ブロガーの王榮霖(ワン・ロンリィン)氏は、ブログで記事「日本大地震」を発表した。以下はその抄訳。

11日、マグニチュード(M)8.8という超大型地震が発生した。日本観測史上最大の規模だ。この空前の規模の地震に被災地は壊滅的な打撃を受け、ゼロからの復興を余儀なくされている。しかし、天災が起きた最初の瞬間から日本の政府、民間人が見せた冷静で秩序だった行動に、改めて日本の民度の高さを感じた。

その特長を列挙すれば以下のような点が挙げられる。

「地震後もパニックはなく治安はよかった」
「メディアはプロフェッショナルで不安を煽るようなことはなかった」
「手抜き工事が原因の被害は伝えられていない」
「政府の危機対処は落ち着いている」
「情報を公開し、外国の救援隊を拒むこともない」。
日本人が見せた民度の高さと災害への対応能力。世界に与えた印象はとても強いものとなった。(翻訳・編集/KT)』


| | Comments (6) | TrackBack (0)

April 03, 2011

「稲村の火」の主人公に震災復興の姿を学ぶ

Inamura


 「稲むらの火」の物語は、昭和12年から昭和22年までの国定教科書・尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と「初等科国語六」に掲載された。
 「稲村の火」は、1854年(安政元年)12月23日、安政の東海地震(M8.4)が発生し、その32時間後に襲った安政の南海地震(M8.4)のときの物語である。以下に全文を掲載する。
 http://www.bo-sai.co.jp/inamuranohi.htm
===============
稲むらの火
 
 「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。
 「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。
 このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。
 「よし」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。
 こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。

 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。
 「うっちゃっておけ。ーー大変だ。村中の人に来てもらうんだ」

 村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
 「見ろ。やってきたぞ」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
 「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。

 はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。
======================
・・・・実際は、儀兵衛が火を付けたのは津波を予知してではなく、津波が来襲してからであり、暗闇の中で村人に安全な避難路を示すためであったとのことだ。
 津波に村がのみこまれていった場面の描写も、今回の震災で何度も目にした映像と重なる。

 さて、 「稲むらの火」には描かれていないが、儀兵衛の偉業は災害に際して迅速な避難に貢献したことばかりではなく、被災後も将来再び同様の災害が起こることを慮り、私財を投じて防潮堤を築造した点にもある。
 これにより広川町の中心部では、昭和の東南海地震・南海地震による津波に際して被害を免れたのだそうだ。

◆儀兵衛は佐久間象山に学び、勝海舟、福沢諭吉などとも親交を結ぶ。
 地震発生前にも私財で「耐久社」(現県立耐久高校)や共立学舎という学校を創立するなど、後進の育成や社会事業の発展に努めた篤志家。地震発生当時34歳の働き盛り、自らも九死に一生を得た後、直ちに救済、復興対策(橋梁、堤防構築、失業対策等)に奔走する。
http://www.bo-sai.co.jp/inamuranohi.htm

◆翌年から4年の歳月、延べ人員56,736人、銀94貫の私財を費やして全長600m、幅20m、高さ5mの大防波堤「広村堤防」を築いた。これは津波で職を失った人を助けるとともに、1946年(昭和21年)に発生した昭和の南海地震津波から住民を守り抜いた。
http://www.bo-sai.co.jp/inamuranohi.htm

◆安政地震津波の来襲時、稲むらに火を放って、村人を助けた梧陵は、被災者の救済や復旧にも尽力した。
 さらに百年後に再来するであろう津波に備えて、巨額の私財を投じ、海岸に高さ約5メートル、長さ約600メートルの堤防を築き、その海側に松並木を植林した。
 梧陵は約4年間にわたったこの大工事に村人を雇用することによって津波で荒廃した村からの離散を防いだ。
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/inamura/p3.html

 http://www.bo-sai.co.jp/hamagutigoryou.htm
の記述は、敬意をこめて、一文ずつ改行する。
◆そのときの村の被害は甚大で、建物被害339棟、死者30人といわれている。
それでも儀兵衛などの活躍で他の村よりも廣村の被害は少なかったという。
津波が収まった後の惨状の中で、儀兵衛は村人の救援活動に奔走する。
まず、応急対策として、隣村の寺から米を借り受け握り飯を被災者に配った。
自分の家の米もすべて放出し、さらに不足すると見ると、深夜、隣村の庄屋を訪ね「一切の責任は自分が負うから」という条件で米50石を借り出すなど休むまもなく食糧確保に努めた。
それからも、流失した家財、米俵の収集、道路や橋の修復工事などを指揮するとともに近隣の資産家に呼びかけて寄付を募るなど、献身的な活動を続けた。
また、私財を投じて家屋を建て極貧者に無料で住まわせたりもした。
 中でも儀兵衛が心を砕いたのは,今後も将来にわたって繰り返し押し寄せてくるであろう津波対策と、災害で職を失った人たちの失業対策だった。
そこで、紀州藩と交渉し許可を得て津波よけの大堤防建設に着手する。
工事によって村人に職を与え離村者をなくすことができると考えたのである。
そして、怠惰に陥らないように労賃を日払いするなどの工夫までした。
また、田畑を堤防の敷地にすることで藩の課税対象から外す交渉もした。
つまり、防災対策、失業対策などを同時に推進したのである。
 特に、廣町堤防建設費、銀94貫のほとんどを自分の私財で賄ったのである。
3年10ヶ月の歳月を費やし、延べ56,736人の人員をかけて見事に廣村堤防は完成した。
高さ5m幅20m長さ600mの立派な堤防である。
海側に防風林をかねて潮風に強い松の木を、反対側にはぜの木を植えた。
150年経て見事な松林に育っている。
この堤防のお陰でその後の津波でも広村は被害を免れている。
特に戦後まもない1946年(昭和21年)に発生した昭和南海地震津波で、見事にその役割を果たし、多くの広町の住民を守りぬいたのである。
堤防そばにある感恩碑の前で、毎年11月に儀兵衛の偉業を称え、防災の誓いを新たにする「津浪祭」は、既に100回を超えた。

・・・堤防工事と言う形で震災後の失業対策の講じた点もさすがだ。
それを私財を投じて行ったのだから、「稲村の火」をラフカデイオ・ハーンが英訳したタイトルが「GOD LIVING」=生きる神であるのもうなずける。

 募金を物資購入・提供に充てることも大切だが、復興工事の資金に充てれば、失業対策・離村対策にもなる。
 
  「稲村の火」が尋常小学校の教科書に掲載されたのいきさつは、次のようにある。
http://www.inamuranohi.jp/cgi-bin/browse.cgi?no=46&dir=06&model=

 尋常小学校の国定教科書にはまとまった地震の知識に関する項目が全然無いので大震災後、早くも13年を経過した今日、幼い小国民の間には地震に対する知識が甚だ欠乏している。 あの恐ろしい大震災の洗礼もかくては空しくなるから尋常小学校の五年又は六年の教科書に地震の一項を至急追加する事を要すると言う意見。

 今も状況は同じである。

 http://www.bo-sai.co.jp/tunamikokoroe.htm
に紹介された当時の津波の様子と津波に対応する教訓も、今回の被災の状況と悲しいほど重なる。

◆翌日の五日午後四時頃、昨日よりさらに強い地震が起こり、南西の海から海鳴りが三、四度聞こえたかと思うと、見ている間に海面が山のように盛り上がり、「津波」というまもなく、高波が打ち上げ、北川(山田川)南川(広川)原へ大木、大石を巻き上げ、家、蔵、船などを粉々に砕いた。其の高波が押し寄せる勢いは「恐ろしい」などという言葉では言い表せないものであった。
 この地震の際、被害から逃れようとして浜へ逃げ、或いは船に乗り、また北川や南川筋に逃げた人々は危険な目に遭い、溺れ死ぬ人も少なくなかった。
 既に、この地震による津波から百五十年前の宝永四年(1707)の地震の時にも浜辺へ逃げ、津波にのまれて死んだ人が多数にのぼった、と伝え聞くが、そんな話を知る人も少なくなったので、この碑を建て、後世に伝えるものである。
 また、昔からの言い伝えによると、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる前兆であるというが、今回(嘉永七年)の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。
 そうであるとすれば、井戸水の増減などにかかわらず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして、その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に浜辺や川筋に逃げず、この深専寺の門前を通って東へと向い、天神山の方へ逃げること。

・・・今回の津波でも「早く」「高く」避難することの大切さが指摘された。
 過去の震災の教訓も含めしっかりと記録・記憶をして、後世に残していきたい。

| | Comments (290) | TrackBack (0)

April 02, 2011

原発の危険性を論じる前に、「原子炉の型」を知るべきだ

原発元設計者が米メディアで告白「原子炉構造に欠陥あり」危機続く福島第一原発

週刊朝日2011年04月01日号配信

http://www.wa-dan.com/article/2011/03/post-83.php

ゼネラル・エレクトリック(GE)の元エンジニア、デール・ブライデンボー氏のインタビュー記事は様々な問題を提起している。
ネット上から消えてしまう可能性もあるので、感謝の意を込めて、コピペさせていただく。

=========================
福島第一原子力発電所の原子炉には重大な欠陥があった──爆発事故を起こした原子炉の設計にかかわった日米の元技術者がそろって証言を始めた。経済性を優先するあまりに小型に造ったため、冷却システムなどに余裕がなく、地震や大規模停電になると爆発しやすいという。今回の地震では、まさにその心配が現実になった可能性が高い。


 現地時間で3月15日、米CNNが、米国を代表する原子炉メーカーであるゼネラル・エレクトリック(GE)の元エンジニア、デール・ブライデンボー氏のインタビューを放送した。白髪に白いひげをたくわえたブライデンボー氏は悲痛な表情でこう語った。

「福島原発の事故は私たちが想定したシナリオよりもはるかに悪い。このままだと、何千もの命が失われる可能性がある。それが怖くてたまらない」


遠い米国で、なぜ米国人に福島のことがわかるのか? 実は、ブライデンボー氏は福島第一原発の1~5号機で使われているマークⅠ型原子炉の原設計をした人物だった。

 今回、最初に水素爆発を起こした1号機は日本製ではない。1号機の建造が始まった1960年代、日本はまだ自力で商業用原子炉を造っていなかった。このためGEが造った。このあと2号機はGEと東芝が共同で建設し、3、4号機になってようやく東芝や日立製作所が主体で造った。炉心損傷を起こしている1~3号機はいずれも、GEの設計を基にしたものなのだ。

 そしてブライデンボー氏は在職中から、このマークⅠの安全性に疑念を抱き、75年に同僚2人とともにGEを退職すると、米原子力規制委員会と共同戦線を張ってマークⅠの製造中止を訴えてきた。この3人は、いまでは「GEスリー」と呼ばれている。

 前出の番組でブライデンボー氏はこう語っている。

「マークIは大規模事故に耐えうるようには設計されていません。冷却システムがギリギリの容量で設計されているため、電力供給が途絶えて冷却システムが止まると、爆発を起こす危険性がある。使用済み核燃料の貯蔵プールも最新型のように自然に冷やされるタイプではないため、電気が切れるとすぐに温度が上がってしまう」

 福島でも地震で冷却システムが止まり、1、3号機はいずれも格納容器の圧力が高まった。使用済み核燃料の貯蔵プールの温度が上がり、消防車などで必死に水をつぎだした。

 まさに氏の指摘どおりだ。一体、このマークⅠとはどんな原子炉なのか。

「マークⅠが欠陥を抱えているとの米国での指摘は当時から知られていました。格納容器全体の容積が小さいため、炉心部を冷却できなくなって、圧力容器内の蒸気が格納容器に抜けると格納容器がすぐに蒸気でパンパンになってしまう。最悪の場合は格納容器が破裂してしまう心配がありました」

 こう説明するのは68年から77年まで日立製作所の関連会社「バブコック日立」に勤務し、福島第一原発4号機の圧力容器などの設計に関わった田中三彦氏だ。圧力抑制プールを含めたマークⅠの格納容器の容量は、新型のマークⅢの4分の1程度しかない。

「今回、津波による電源喪失などで炉心冷却システムがすべて動かなくなったことで、格納容器が破裂しそうになりました。1号機の格納容器が8気圧になったのがそれを物語っています。運転中の格納容器は中の気体が外へ出ないように1気圧よりもすこし低くしており、設計上も約4気圧までしか耐えられないので、ものすごく大変な事態でした」(田中氏)

 このため東京電力は、格納容器にある「ガス放出弁」を開けて、容器内の圧力を下げざるを得なくなった。そしてこの弁こそ、ブライデンボー氏が会社人生をかけてまで求めたマークⅠの安全対策の一つだった。

「80年代後半、私の訴えの一部が認められ、圧力を逃すガス放出弁を取り付けることが義務づけられました」(ブライデンボー氏)

 ガス放出弁がなければ今回、早い段階で格納容器が爆発しただろう。

 しかし皮肉にも、このガス放出弁から出た放射性物質を含む蒸気のために、原発周辺の放射線濃度が上がり、作業員らが被曝している。さらに、炉内で発生した水素ガスも蒸気と一緒に出て、1号機と3号機で水素爆発を起こし、建屋を吹き飛ばした。

 マークⅠの欠点はこれだけではなかった。再び、田中氏が証言する。

「圧力容器に付属する再循環ポンプは、重さが数十トンもあるのに支えが不安定で、大地震時に再循環系の配管が壊れないかがよく問題になってきました。もし壊れると、ここから冷却材が格納容器へ噴き出し、『冷却材喪失事故』という悪夢になってしまうからです」

 再循環ポンプは、原子炉内に発生する気泡を取り除くためのもの。最新型では圧力容器内にあるが、福島原発のような古い型では圧力容器の外にある。

「格納容器の圧力の上がり方、水素爆発の起こり方などから推測すると、とくに1、3号機では今回、冷却材喪失事故が起きたように思えます」(田中氏)

 国はこれまで、格納容器の欠点にどれだけ向き合ってきたのだろうか? 

「ガス放出弁について当初は『そんなバカな。格納容器は放射性物質が外に漏れないようにするものだ』としばらく検討していました。設置されたのは90年代に入ってからでした」(同)

 そもそも、40年以上前に設計された原子炉を今も使っていること自体どうなのか。田中氏は言う。

「日本の原発には法的な寿命がありません。設計者は耐用年数を40年としてきました。1号機は40年を過ぎていますが、日本は米国をまね、90年代に入って最長60年まで使えるとの見解を示しました」

 マークⅠのコンパクトな設計については、ロシアの専門家は、
「安全性よりも経済性を優先した結果ではないか」
 と、指摘している。ブライデンボー氏もCNNのインタビューで、こう話す。

「社員だった当時、上司にマークⅠの廃炉を嘆願すると、上司は『そんなことをしたら、わが社の原子炉部門だけでなく、会社自体がなくなってしまう』と聞き入れられなかった」

 被災から11日後の22日に、福島原発にはやっと電源が回復し、温度計が復活した。1号機の圧力容器の温度が設計限界の309度を超える400度だったことがわかり、東電はあわてて炉内への注水を増やすことにした。しかし、注水を増やすと、それによって発生する蒸気で圧力容器内の圧力が格納容器に抜けて、再び格納容器が爆発する危険が高まることになる。

 小さかった格納容器という欠陥が、今も福島原発を苦しめている。 


◆現場作業員が語る「あのボロい原発が...」◆

 地震が起きた瞬間、私がいた福島第一原発の建屋では電気が消え、上から電球などいろいろなものが落ちてきました。サイレンが鳴って、「外に避難してください」というアナウンスが聞こえ、大勢の人たちが駆けだしているのが見えました。みんな口々に、
「爆発するんじゃないか」
「放射能にやられるかも」
 とさけび、原子炉から離れた事務本館に殺到。パニックになりました。最初は「落ち着いて」と制止していた警備員も、いつの間にか一緒に走っていました。

 本館で自分の車のカギを取って逃げようとしていると、おそらく東京電力の関係者が、
「帰るかどうか、もう勝手に自分で判断してくれ」
 と声を張り上げていました。もっとも、その本人がだれよりも早く逃げる態勢を整えていたのはびっくりしました。

 車にたどりつき、
「津波らしい」
「すぐそこまで来ているぞ」
 という声を聞きながらアクセルを踏みました。車を少し走らせ、高台で原発の方向を振り返ると、まさに津波が原発に襲いかかっていました。

 これで福島第一は終わりだ、あのボロい原発が倒壊して放射能が漏れたらどうなる──と思うと、背筋がぞっとした。かなり頑丈な建屋が水素爆発で無残に吹き飛んだ姿を報道で見たとき、この考えは間違っていないと確信しました。

 地震の翌日だったか、施設の地下で働いていた作業員2人が行方不明だと聞きました。一人は顔見知りでした。放射能の餌食になっていないか、本当に心配です。

 その後、友人経由で東電の下請け会社からメールが来ました。

〈現在の報道は非常にセンセーショナルで、当社が確認したところでは、そこまで深刻ではないとの回答を東電サイドから得ています。今後、多数の方々のお力を必要といたします。これまでのベースから日給3倍をめどにご賛同をいただける方々を募集しております〉

 3倍なら日給5万円です。より危険な区域を担当したり、経験が豊富だったりすれば10万円という話も聞きました。「もしものときに人手がいるから登録だけでもどうかな」という誘いもあります。

 しかし、応募した人はいないとか。下請け会社の話だと、原子炉への海水注入を迫られた際に東電側は、
「この原発にどれだけカネを使っているのか、知っているのか。原発がなくなれば、お前らの仕事もなくなるぞ。海水を入れて廃炉にするなんて、とんでもない」
 と言い放ったというぐらいの会社ですから。

(本誌取材班=本誌・堀井正明、三嶋伸一、大貫聡子、永井貴子/今西憲之、シャノン・ヒギンス

=====================

【以下に考察】

◆「福島原発の事故は私たちが想定したシナリオよりもはるかに悪い。このままだと、何千もの命が失われる可能性がある。」という言葉も印象として語るだけならどうってことない。

①福島原発1~5号機(マーク1型原子炉)はマークIは大規模事故に耐えうるようには設計されていない。冷却システムがギリギリの容量で設計されているため、電力供給が途絶えて冷却システムが止まると、爆発を起こす危険性がある。

②使用済み核燃料の貯蔵プールも最新型のように自然に冷やされるタイプではないため、電気が切れるとすぐに温度が上がってしまう。

③格納容器全体の容積が小さいため、炉心部を冷却できなくなって、圧力容器内の蒸気が格納容器に抜けると格納容器がすぐに蒸気でパンパンになってしまう。最悪の場合は格納容器が破裂してしまう心配がありました

④圧力容器に付属する再循環ポンプは、重さが数十トンもあるのに支えが不安定で、大地震時に再循環系の配管が壊れないかがよく問題になる。

⑤再循環ポンプは、原子炉内に発生する気泡を取り除くためのもの。最新型では圧力容器内にあるが、福島原発のような古い型では圧力容器の外にある。

⑥1号機は耐用年数の40年を過ぎているが、日本は90年代に入って最長60年まで使えるとの見解を示した」

 現場作業員にとっては1号機は「ボロい原発」であったとのことだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/11404964.html
に示された「マーク1型原子炉」の緊急通気弁が80年代に義務づけられたという上記の記事内容と一致する。

==================
【ワシントン五日=滝記者】米原子力規制委員会は五日、米国内で運転中の「マーク1型」原子炉
について格納容器に圧力緩和用の緊急通気弁を取り付けることを承認した。炉心溶融などの重大事故で容器内の圧力が高まった場合、放射性ガスを外に出すための装置。「マーク1型」は米ゼネラル・エレクトリック社製の沸騰水型原子炉で、日本にも同型の炉がある。
同委員会によると対象となる原子炉は米国に二十四基ある。一律に設置を定めるのではなく個々
の原発の事情を考慮して電力会社が設置するかどうか判断する。設置が認められた弁は事故により大量のガスが炉内で発生し圧力容器を破壊する恐れが出てきた場合、ガスを外に逃し容器を守るのが目的。 ガスを出せば環境汚染は免れないが、容器が壊れてチェルノブイリ原発のような惨事を起こすよりはよいとの判断から設置する。
「マーク1型」は比較的初期の沸騰水型原子炉で日本国内にも十基あるため
米国の決定により日本の規制当局も何らかの判断を迫られそうだ。

内田秀雄原子力安全委員会委員長の話 
炉心溶融など重大事故に対する一つの対策として格納容器に圧力通気弁を付ける方法は一九七九年の米スリーマイル島での事故以来、日本でも検討している。しかし事故が起こる確率から考えた必要性と、まちがって弁を開いてしまう危険性などをよく比較検討する必要がある。対策には他の方法も考えられており、立地条件や管理体制からみて、日本の同型の原子炉ですぐに米国と同じ対策を講じる必要はないと思う。
====================

・・・厳密に言うならば「福島原発」あるいは「日本の原発」をまとめて論ずるのではなく
①どの原発が、1960年代に作られたマーク1型原子炉(古い原子炉・ボロい原子炉)であるのかを明確にして論ずるべきである。
 推進派は、「マークⅡ型ならば、今回のような事故にはならない」と言えるなら、はっきり言えばよい。
 そうすれば「原発全面撤去」のような暴論を封じることができる。
 
②マークⅡや最新型が「自然に冷やされるタイプ」「格納容器の容積が大きい」「再循環ポンプが圧力容器内にある」ならば、そう言えばよい。
 そうすれば「原発全面撤去」のような暴論を封じることができる。を明確にすべきである。


http://www.tepco.co.jp/nu/torikumi/nuclearlibrary/facilities/facilities01-j.html
によれば
同じ福島でも第一原発の6号機はマークⅡ.第二原発はすべてマークⅡ・マークⅡ改良型である。

さて、中部電力管内の浜岡原子力発電所のデータを調べてみる。
http://www.chuden.co.jp/energy/hamaoka/hama_about/setsubi/index.html

原子炉格納容器仕様
1号機(運転終了)圧力抑制型[マークI]
2号機(運転終了)圧力抑制型[マークI]
3号機       圧力抑制型[マークI 改良型]
4号機       圧力抑制型[マークI 改良型]
5号機        圧力抑制型(鉄筋コンクリート製、鋼製ライナー内張)

 とりあえず福島第一で事故を起こしたマーク1型は既に運転を終了している。

 1号機:1976年3月17日(運転終了:2009年1月30日)
 2号機:1978年11月29日(運転終了:2009年1月30日)

とあるから、着工45年を前に終了したわけで、福島のように耐用年数を60年にまで延ばしたわけでないことが分かる。

 福井はどうかな?と関西電力のサイトを調べたが不明。
 
 ただし、ウイキによると

▼戦後の技術導入の経緯から、関西電力は加圧水型原子炉 (PWR) を、東京電力は沸騰水型原子炉 (BWR) を、それぞれ原子力発電所の基本設計として採用し現在に至る。

とあり、そもそもの設計が異なるのかもしれない。
 それなら、そのようにアピールしてほしいと思う。

 「だから原発は反対だ、という人もいるが、現状では日本の電気エネルギーは原発に頼っている。
 「じゃあ、やめましょう」と言えるほど簡単な問題ではない。


| | Comments (13) | TrackBack (0)

« March 2011 | Main | May 2011 »