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August 31, 2011

「ごんぎつね」の正反対の解釈

 光村図書の『ごんぎつね』(4年下)は、手引きのページが面白い。
 「物語をめぐって話し合おう」というページに、3人の子どもの意見が例示してある。

A:ぼくは、悲しい話だったけど、「ごん」と「兵十」の心が最後に通い合ってよかったと思いました。
「兵十」が火なわじゅうを取り落としたということは「ごん」の気持ちが分かったからだと思います。

B:わたしは、二人の心が通い合ったとは思いません。たしかに「兵十」は、くりなどを持ってきていたのが「ごん」だとは分かったと思います。でみ、・・・・

C:同じ作者の「手ぶくろを買いに」という物語を読んだことがあります。これも、きつねと人間が出てくる話なのですが・・・。

 「何について話し合うか決める」と題して
・同じような感想
・正反対の感想や、かなりちがう感想
・ぎもんがあって解決したいこと
とある。

 AとBは「正反対の感想や、かなりちがう感想」の実例である。
 Bの意見が途中で切れているのは、これ以上明晰に根拠を述べたら、Bが圧倒的に有利になってしまうからかもしれない。
 Bの「二人の心は通い合ったとは思いません」は、指導する教師によっては怒りに震えてしまうような異説である。
 「そんなのへ理屈だ」
 「そんな読み方したら、せっかくの作品が台無しだ」
 「あなたの読みは、なんて冷たい読み方なの?」
などと批判を受けそうな意見を、学習の手引きが肯定的に例示しているところがすごい。
 これこそ「PISA型」なのだ。

 次頁には「感じ方のちがいを知る」と題して、しかも「たいせつ」と強調された枠囲みがある。

◆物語を読むとき、わたしたちは、登場人物のだれかと自分を重ね合わせたり、書いてあることを、自分の知っていることと経験を結び付けたりしながら読んでいます。だから、読み手が一人一人ちがうように、感じ方も十人十色なのです。
 物語を読んだら、感じたことや考えたことについて、友だちと交流しましょう。自分一人では気がつかなかったことを教えられ、物語の読み方が深くゆたかになります。また、友だちや自分自身の見方・考え方を、あらためて知ることができます。◆

 残念ながら、この枠囲みのメッセージの意味は伝わりにくい。
 主張は
 「感想を1つにまとめる必要はない。」
 「それぞれの感想に、どっちが正しい正しいがあるわけではない」

ということなのでは、と推測している。
 どうせ書くなら、そこまで踏み込んでほしかった。

 かつては、様々な意見が出るけれども、最後は1つの正しい解釈(教師の解釈)に、絞りこもうという授業が多かった。
 「そうか、自分の読みは浅かったんだ」
 「みんなと話し合って、高いレベルの読みに到達できたんだ」
という達成感を狙っていたように思う。

 これに対して、いわゆるPISA型の読解力は、根拠さえしっかりしていれば、どちらの意見でも構わないというスタンスである。
 この光村の学習の手引きは、明らかに「PISA対応」なのだと言える。

 ちなみに、「違いを知る」については、かつて以下のようにまとめたことがある(やや改変しました)。
 これは、昨年の夏期国語研修会で紹介した内容の一部でもある。

=============-
 国語の授業研究をしていて、ふと、キムタク主演のドラマ「CHANGE」の一場面を思い出した。
当時、自分の周りでは、ちょっと話題になったセリフだったが、いかがだったでしょうか?。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1417307774

木村
「以前僕は小学校の教師をやっていたんです。
去年は五年生を受け持っていたんですけど、とにかくよく喧嘩するんですよ。
でも、中には陰湿なものとかがあって、そこからいじめに繋がっちゃったりもするんですけど……。
そういう問題があったときには僕は子供たちにこういう風に言ってました。
『考えよう』って。
『クラスメートなんだから、気に入らない事とか納得できない事とかあったら、自分の言いたい事はちゃんと相手に言って、相手の言うことはちゃんと聞いて、それでお互いにとことん考えよう』って。
『そうすれば……』」

平泉
「分かり合える。」

木村
「いえ、相手と自分は違うんだということに気付くんです。
同じ人間だと思っているから、ちょっと否定されただけでむかついたり、誰かが一人別行動取ったら『何だあいつ』って。
そっから喧嘩とかいじめが始まるんです。でも、同じ人間なんていないじゃないですか。
みんな考え方も事情も違う人間ですよね。
だから、僕は子供たちに自分と相手は違うんだっていうことを理解してほしかったんです。
その上で、じゃあどういう言葉を使えば、自分の気持ちが相手に伝わるのか、どうすれば相手を説得できるのか、そこを考えろって言ってきました。
外交も同じだと思うんですよ。
先程ビンガムさんがおっしゃった通り、僕たちは同盟国です。
でも、やっぱり違うんですよ。日本とアメリカは。
だからビンガムさんが思っていることとか、言いたい事があったら、全部言ってください。
僕もそうしますから。日米構造協議は今年で終わったわけじゃないですよね。
だから、これからもっともっと、とことん話し合いましょうよ。そうすれば、お互いが納得できる答えがきっと見つかると思うんです。」


・・・これは「互いに分かりあうための話し合い・結論を1つに絞るための話し合い」ではなく
「互いの意見の違いに気づき、違いを受容するための話し合い」に意義があることを示唆している。

◆自分の言いたい事はちゃんと相手に言って、
 相手の言うことはちゃんと聞いて、
 それでお互いにとことん考えたら
 分かり合えるのではなく
 相手と自分は違うんだということに気付く

 この「相手と自分は違うんだと気付く」という部分が、この回のクライマックスだったと思う。
 「話し合えば分かりあえるのではない。話し合えば違いに気付くのだ」
という発想は、多くの視聴者には意外だったと思う。
 何年も前のドラマの一節だが、印象に残っているのは、これも「PISA型だな」と感じたからだ。
=================

 野口型の国語の授業は、最後は教師の解釈で束ねた。
 向山型の討論の授業は、最後まで子どもに解釈を委ねた。

 向山型の討論の授業の先見性には、驚くばかりであったことを改めて思い出す。

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August 21, 2011

災害教訓の継承~来るべき東海・東南海・南海地震同時発生~

愛知県民なら「東海地震」についての心構えは多少なりともある。

では、「東海地震と東南海・南海地震同時発生説」についてはどうだろう。

愛知県の高浜市社会福祉協議会が、東海地震のサイトを公開している。
http://www.takahama-shakyo.or.jp/saigai/saigai/zisin.html

 対策が進められている「東海地震」、その東海地震とともに、紀伊半島から四国にかけての広い範囲で東南海・南海地震と呼ばれる二つの大地震が発生する可能性があるとも言われています。
これらの地震も東海地震のように一定の周期で起きると言われており、東南海地震は熊野灘、南海地震は室戸岬・足摺岬が震源域に想定されています。
東南海地震は過去にも愛知県に大きな被害をもたらしたことがありました。
最後に起きたのは1944年(昭和19年)の昭和東南海地震、南海地震が起きたのは1946年(昭和21年)の昭和南海地震です。
過去には、東海地震といっしょに東南海・南海地震が起きています。
今後とも地震に関する情報に注意してください。

【注意1】
東海地震だけでなく東南海地震・南海地震とセットにした大規模な地震に対して注意していかないといけない。

 東海・東南海・南海連動型地震というウイキのページもあり、次のデータが示されていた。

1944年12月7日 昭和東南海地震:M7.9、静岡・愛知・三重などで合わせて死・不明1223、住家全壊17599、半壊36520、流失3129。津波のため尾鷲が壊滅した。このほか、長野県諏訪盆地でも住家全壊12などの被害があった。津波が各地に来襲し、波高は熊野灘沿岸で 6 - 8 m 、遠州灘沿岸で 1 - 2 m 。紀伊半島東岸で 30 - 40 cm 地盤が沈下した。最大波高は尾鷲市賀田地区で記録された9m。戦時中のため詳細不明。ニューヨークタイムズは「地球が6時間にわたって揺れ、世界中の観測所が、「破壊的」と表現した」と、大々的に報じた。
1946年12月21日 昭和南海地震:M8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死1330、家屋全壊11591、半壊23487、流失1451、焼失2598。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4 - 6 m に達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で 1.27 m 、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎・甲浦で約 1 m 沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。

以前自分が聞いたのは戦時中の地震だから、1944年の地震(昭和東南海地震)である。

「東南海地震」のウイキには、次のようにある。

1944年(昭和19年)12月7日に午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)を中心とする震源で発生した巨大地震。
「昭和東南海地震」または「1944年東南海地震」と呼ばれることがある。
また当初は遠州灘地震と呼ばれていたが、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠すため、「東南海地震」に変更したとする説がある。

さて、1944年の地震(昭和東南海地震)に関する資料としては、

内閣府の中央防災会議による報告書、に関する専門調査会報告書 平成19年3月
1944 東南海地震・1945 三河地震

が、当時の資料ではないが一級格になるだろう。

http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1944-tounankaiJISHIN/index.html

 PDFで閲覧できる巻頭言では、戦時下で国内での報道が制限されたことに触れながら、またニューヨークタイムズ等の報道記事を丁寧に翻訳して提示している。
「今回の地震は過去40年で最大の地震の1つ」ともある。
また、第6章は「戦時下での地震」
 東南海地震及び三河地震による被害は甚大で、軍需生産力にも大きく影響したため、地震に関する資料は極秘とされ、戦時報道管制の下、被害に関する報道は厳しく規制された。

【注意2】
これほどの大規模な地震が起きたのに、戦時下ということで報道がほとんどなされなかった。
当時の報道が少なかったため、現在もこの地震に関する情報が継承がされていない。
この地域の住人が70年前に大地震があったことを知らせないのは、ほとんど犯罪行為に近い。
被害状況を伝承しし、警告を続けていくことは、災害教育を担う教師の使命である。


データの出所が分からないと、不安をあおるだけで危険だが今後の予想として、

東海・東南海・南海連動型地震が発生した場合の被害予想(3連動型)

(最も被害が大きいと考えられている早朝5時に発生した場合・中央防災会議資料による)
建物全壊棟数:約51万3000 - 56万8600棟(阪神・淡路大震災 約24万9000棟)
死者数:約2万2000 - 2万8300人(同 6432人)
経済被害:約53 - 81兆円(同 約13兆円) 

静岡県、愛知県などで最大震度7を観測すると思われる。
豊橋市、浜松市などで震度7、名古屋市、四日市市で震度6強 - 6弱を観測するなど、都市部でも非常に強いゆれを観測する。
また、北は茨城県、南は鹿児島県まで、広い範囲で津波が観測され、愛知県、静岡県には平均して4 - 5m、高知県など四国太平洋側には平均して10 - 12m、最大で30m近い波が観測される(10階建てのビルに相当する高さである)。

とある。
 東海・東南海・南海連動型地震が起きた時、名古屋での予想震度は7である。
 「知らなかった」では、すまないな。

なお、東南海地震の37日後に誘発される形で三河地震が起きたため、この報告書はセットで扱っている。
幸い、今回の東日本大震災の後、大きな余震による被害は生じなかったが、1年2年は余震に要注意なのである。

【注意3】
震度7の地震がいつ起こるかわからない。
地震の備えは万端でありたい。

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「自然の猛威~この町の災害史」

尾西歴史民俗資料館で「自然の猛威~この町の災害史~という企画展があったので見に行った。
意外に小さなスペースで落胆もしたが、学べるものはあった。
 3つの災害について資料があった。

明治24年:濃尾地震
昭和34年:伊勢湾台風
昭和36年:36豪雨

 1891年の濃尾地震はM8・0。起村では94%の建物が全壊だったそうだ。地元住民は、いつも濃尾地震後何年経過したかを自問し、地震に備えなければならない。

 昭和34年伊勢湾台風は、その後「災害基本法」の成立につながったことを知った。
 それだけ大きな被害を与えた災害である。
 生まれる前のことだから、とか、実体験がないからなどと言い訳にするわけにはいけない。しっかり教訓を伝えていきたい。
 ちなみに翌昭和35年に配布された、チラシが掲示されていた。

=======================
 「水爆の千倍の力  ~おそろしい台風に備えましょう~」
=======================

 台風を、水爆と比しているところに時代を感じる。
 しかし、内容は今も健在だ。

○台風が自分の西側を通ったら危険
○中心気圧の低いほど風も雨も強い
○風雨の一番強いのは中心から外れた所
○風雨の変わり方に注意
○洪水に注意 平野部で1日に100ミリ、山間部で1日200ミリ以上の雨が降ると洪水のおそれがあります。下流では半日か、一日後に増水します。
○風の息に注意 風速が15米をこすと被害は大きくなります。
 風速30米と発表された時は瞬間風速は1.5倍、すなわち45米となります。

などは、基本的な心得だ。

 「警報が出たら次のことに注意しましょう」として
○不急の外出はやめること
○警報は次々変わってくるから引き続き気象通報は絶対聞き逃さぬこと
○停電は必ずするものと考えトランジスタラジオを利用すること

などがあった。「停電」は、今なお起こりうる。むしろ昔より電気の依存度が高いだけ、「停電」の影響は大きい。
 中でも印象的だったのが

======================
○最悪の場合は家財に執着してはいけません。避難が第一です。
======================

 本当にその通りだなとつくづく思う。
 
 それにしても、郷土資料をきちんと調べてみなくては「災害史」も「風土記」も作成できるわけがない。
 そのことを肝に銘じるだけでも収獲のある見学だった。

※さて、この後、知り合いの先生から、戦争中に起きた「東南海地震」のことを聞いた。
戦争中だったから報道が控えられた災害である。
報道資料が少ない分、この地震については地元住民がしっかり伝承させていかないといけない。
次のブログに書き込みます!

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August 18, 2011

糸井重里氏と西條剛央氏の震災支援プロジェクト

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たまたま「カーサブルータス」という本に目が留まった。
「ニッポン再生の参考書」というタイトルに惹かれた。
 特集の中で、たとえば、糸井重里氏の対談があって、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げている西條剛央氏との出会いが出てくる。
 帰宅して、糸井氏の「ほぼ日刊イトイ新聞」での震災関連の特集ページを見ることができた。
http://www.1101.com/20110311/index.html

 5月13日付の『セキュリテ被災地応援ファンド』については、次のように書いてある。

=============
 でも、「忘れちゃいけない相手といっしょに何かする」
 これなら、忘れようが忘れまいが、忘れられません。
 なんというか、縁組みしちゃうというようなことかな。
 「ほぼ日」は、そういうことをやっていくようにします。

 そのうちのひとつが、震災から光の射すほうを見つめて、
 よいしょっと立ち上がり歩きはじめた人たちの事業に、
 出資をすることにしました。
 『セキュリテ被災地応援ファンド』といって、
 最低申し込み金額は、10500円。
 出資金が5000円で、応援金(寄付)が5000円ですから、
 誰でも「出資者」として参加できそうです。
 むろん厳しく「分配」を期待しないでね、
 という感じではありますけれど、
 「出資者」が事業を見守るのは当然のことで、
 うまく行くこと行かないことを、
 何年という単位で見続けることになります。
=================

 また、西條氏との対談集を目にすることができた。

http://www.1101.com/funbaro/index.html

 西條氏は「家電プロジェクト」「ガイガーカウンタープロジェクト」「重機免許取得プロジェクト」などに取り組んでいる。
被災者のニーズに対応した支援を次々に立ちあげている。

================== 
 つまり、被災地支援においては「まったくマッチングがなされてない」ということが、最大の問題なんです。
==================
という西條氏のセリフにうなり、家電に送り主の名前を添えて送る方法についての次の会話もうなってしまった。

西條:支援するほうも 送ったテレビが誰に使われてるのか わからない、
どこかに山積みになってるかも‥‥なんて思ったら、 次から、送らなくなりますよね。

糸井: 西條さんたちのプロジェクトには つねに「人の理解」が根っこにありますね。

西條:はい、「人間の心」に沿っていれば自然とうまくいきます。
そうじゃないと、 必ず無理が生じて、続かないんです。

糸井:なるほどなぁ。

西條:だから、ぼくらは「人が人を支援する」という考えかたを基本にしているんです。
人間は「忘れてしまう動物」ですけれど人と人との間に縁が生まれれば
それが絆となって、 絶対に「忘れる」ことには、ならない。


・・・・まだまだ自分の知らないことが多いし、知らないところで世の中がどんどん動いていることを実感する。
 もっともっと自分の生き方に加速をつけないと!

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坂茂氏の「多層仮設住宅」

 Ban
 8月17日の中日新聞に「坂茂氏に聞く」というインタビュー記事が掲載された。
 坂氏についた肩書きは「仮設住宅設計、建築家」。
 「『紙』を生かした建築で知られ、独ハノーバー万博の日本館、愛知万博のトヨタ館も手掛けた」とある。
幸いWEBでも閲覧できる。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/shizu_area/shizu_earthquake/list/2011/CK2011081702000172.html

 以下の坂氏の言葉はお役所仕事へのいらだちと、建築家としての使命感を感じさせる。

◆「現地には平らな土地が十分にない。いかに有効に土地を使うかを考えた。9月から入居が始まるが、計画は大幅に遅れた。3階建ては前例がないからという理由で、県の許可が下りなかった」

◆ 「プライバシーを守るために、間仕切りは最低限必要だ。阪神大震災以来、ずっと言われてきたが、行政の基準はいまだに変わらない。間仕切りがない方が行政として管理しやすいという声も聞いた。目線が全然違う」

◆ 「彼らには市民が実際にそこで暮らすという発想がない。公営のプレハブには愛情がこもっていない。あるのは戸数を稼げばよい、安ければよい、だけ。大事なのは住む人の暮らしやすさ。収納しやすいよう家具は作り付けにし、ハンガーをかける場所やカーテンの位置、音が伝わりにくい壁など、細かく考えて設計している」

 「また建てればいい」という坂氏の次の言葉は、さすが建築家である。

◆「津波が来ても絶対に倒れない建築物を造ろうと、お金と材料を大量に投じることは無駄。人さえ助かれば、建築物なんか壊れたっていい。また建てればいいんだから」 

・・・とはいえ、坂氏の名前を知ったのは、前日に読んだ「カーサブルータス」。
 坂氏は、1995年に阪神大震災の地に「紙の教会(ペーパードーム)」を建設した。この教会は10年後に台湾に移る。
 2000年トルコ・2001年インドに紙のログハウス。
 2004年、新潟県では避難所用の間仕切りを設置
 2008年、四川大地震後、成都市華林小学校に紙管を使った仮設校舎を建設。
という実績に驚き、メモを取った。
 成都市華林小学校の様子は、以下のサイトで見ることができる。
http://www.shigerubanarchitects.com/SBA_WORKS/SBA_DRP/SBA_DRP_6/SBA_DRP_6.html


 女川町の総合運動公園内に9月初旬までにコンテナ型の多層仮設住宅が9棟、189戸が完成予定だと「カーサブルータス」で知った。
 3階建て仮設住宅については、4月26日の産経ニュースに詳しい。写真は、こちらから拝借した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110426/dst11042600280000-n1.htm
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 東日本大震災の被災地で仮設住宅の建設用地不足が問題になっているが、震災直後から現地で支援活動を続けている建築家の坂茂(ばん・しげる)さん(53)が、コンテナを利用した3階建ての仮設住宅の建設を提案している。約2000世帯分の建設が必要にもかかわらず半分程度しか用地が確保できていない宮城県女川町などが関心を寄せているといい、前例のない多層仮設住宅の実現に向けて今後、行政側と調整を図る。

 「コンテナを互い違いに重ねて、コンテナ部分を寝室に、隙間の部分を居住空間にする。この1セットで面積は平均的な仮設住宅と同じ約30平方メートルになる。強度的には3階建てまで可能です。仮設住宅として建てますが、恒久的なアパートにもなりうるものを考えています」
(後略)
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 ネットで検索すると、以下のような特集記事もある。
http://globe.asahi.com/breakthrough/100308/01_01.html
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トルコ、インド、スリランカ、中国、イタリア。地震や津波、洪水が起きると男は現れ、仮設の住宅や学校、ホールの建設に携わることになる。
男は、坂茂という。阪神大震災は、〈紙の建築家〉として地歩を築きつつあった坂が、〈行動する建築家〉シゲル・バンとして世界の被災地に活動を広げる起点になった。
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・・・昨日まで全く知らなかった内容である。
 「カーサブルータス」にあった坂氏の言葉が重い。

頼まれもしないのに出ていけば問題が起こる。
 でも、行かずにいろいろ考えていたって何も進みません。
 私は行ってから問題に気づき、それを解決する方法を探ることを選びます。
 問題を現場でひとつずつ解決していく。
 よく考えたら、それは建築家が日常やっていることなんですよ。◆

・・・謙虚に多くの事実を吸収していきたい。

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August 16, 2011

阿南陸相の真意は?

 ひと夏にひとつは、太平洋戦争について知識を増やしたいと思っている。
 昨年は「永遠のゼロ」を読んで、特攻について調べてみた。
 今年は、ふとしたことから「ポツダム宣言受諾と阿南陸相」について、興味をもった。

 【阿南陸相は、昭和天皇のご意思をよく知りながら、最後の最後まで終戦に反対し続けたのはなぜか。】という問いで藤岡信勝氏(?)がまとめているページがある。
 http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi69.html

(1)一撃説 本土決戦で敵に一撃を与えて日本の発言力を強め、国体護持その他の条件を認めさせて終戦に導こうとした。

(2)腹芸説 本心では本土決戦を否定しながらも、陸軍の暴発(内乱、暴動など)による国家の致命傷を防ぐため、部内の強硬派に対するジェスチュアとして本土決戦を主張し続け、無血終戦をなしとげた。

(3)気迷い説 ポツダム宣言を受諾して戦争を終結させるべきか、あくまで本土決戦を目指して進むべきか、そのいずれとも決しかねて迷い続けた。

(4)徹底抗戦説 日本国民の最後の一人まで闘うべきだと主張した。

参考文献は次の通り。

①、「阿南の言動だけをたどっていくと、いずれの解釈でも成り立つ材料にこと欠かない」(秦郁彦『昭和天皇五つの決断』文春文庫、一九九四年)。

②その結論は、ほぼ腹芸説に近いものになっている。(角田房子『一死、大罪を謝す』(新潮社、一九八0年)

③私(藤岡氏)の個人的な感触としては、阿南は米軍を相手に、日本本土で最後の一戦を闘いたかったのではないかと想像する。(中略)わずかでも勝てる可能性があるかもしれないと彼は思っていただろうし、その点では、当時の陸軍の幹部の平均的な認識を大きく超えていたわけではないと私は思う。だから、阿南が閣議などで最後まで本土決戦を主張したのは、その限りでは演技でも何でもなかったであろう。しかし、だからこそ、効果としては、腹芸を演じたのと同じ結果になったのではないだろうか。阿南が下僚と思いを共有していたからこそ、最も効果的に下僚の暴発を押さえることに成功したのである。

 私(竹田)は、迫水久常氏(鈴木内閣の書記官長・玉音放送草稿を書いた)のインタビュー記事を最初に読んでいたので、「腹芸」説であった。
 しかし、いろいろ読んで「腹芸」でもないのかなという気になってきた。

 ちなみに、上述の藤岡信勝氏の論に沿った授業記録がヒットした。
 元は平成17年8月15日(2005年)産経新聞だそうだ。

 http://nippon7777.exblog.jp/1641989/
千葉の中学教諭が模擬授業 昭和天皇と若手将校の板挟み/命をかけ現実教える

その中で、引用元の示された2つの文章がある。
======================
A:《若(も)し阿南さんが終戦に賛成されたら、必ず部下に殺されていたと思います。…若し陸軍大臣を補充出来なければ、鈴木内閣は総辞職する外(ほか)ありません。あの場合、鈴木内閣が総辞職したらどうなりますか、終戦は出来なかったでしょう。阿南さんはこのことを知って命を保って、鈴木内閣をして終戦を実現させるために、あの腹芸をされたのです。若し心から終戦反対なら辞職されて了(しま)えばやはり鈴木内閣はつぶれて終戦は出来なかったでしょう。私は心から阿南さんを尊敬します》
(「正論」平成十五年九月号)・・・迫水久常氏の文章
=======================
B:八月十四日正午過ぎ、最後の御前会議を終えて陸軍省に帰ってきた阿南は、全幹部を招集し、聖断が下された経過を説明し、「この上はただただ大御心のままに進むほかはない」と訓示した。「大臣の決心変更の理由をおうかがいしたい」との下僚の問いに答えて阿南は言った。「陛下はこの阿南に対し、お前の気持ちはよくわかる。苦しかろうが我慢してくれ、と涙を流しておおせられた。自分としてはもはやこれ以上反対を申し上げることはできない」。そして、「聖断は下ったのである。いまはそれに従うばかりである。不服の者は自分の屍を越えてゆけ」と言い放った。」
(西内雅、岩田正孝著『雄誥(おたけび) 大東亜戦争の精神と宮城事件』日本工業新聞社)
============================
Aは、迫永氏の言説だから「腹芸」説。
Bは、どうともとれる。セリフはあっても心情は書かれていないからだ。

 ちなみに「腹芸」説を否定するページもある。
 http://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/yonai-amami.html
=============================
阿南惟幾陸相は、悠久の日本の歴史のなかで,初めての降伏という恥辱の決断を大元帥昭和天皇にさせるつもりはなかった,昭和天皇は,萬世一系の栄えある(降伏をしたことのない)天皇家の名誉を保持すべきであり,「終戦=降伏の聖断」を下し汚名を被るに忍びない。阿南惟幾大将は,その天皇の苦衷を察して,徹底抗戦を主張した。天皇への忠誠心の篤い皇道派の陸軍大将,元侍従武官長であるからこそ,大元帥昭和天皇の名誉のために,本土決戦を戦う覚悟だったのであろう。
それを,「本心では本土決戦を否定しながらも、陸軍の暴発(内乱、暴動など)による国家の致命傷を防ぐため、部内の強硬派に対するジェスチュアとして本土決戦を主張し続け、無血終戦をなしとげた」という阿南惟幾大将による腹芸を主張する識者がいるのには理解に苦しむ。天皇への忠誠一徹の阿南惟幾陸相が,昭和天皇の面前で,姑息とも思える交渉術や腹芸を行ってまで,終戦にこぎつけようとしたというのは,後から創作された俗説であろう。
==========================

・・・今回、いろいろ比べてみて、結局は分からないなあと思った。
実際に同じ場に居合わせた迫永氏の意見は強いと思う。阿南氏を知り、御前会議の状況も理解した上で発言しているのだから。

 ただ、「腹芸」説も「強行」説も結果的には同じだという藤岡氏の意見もうなずける。
 阿南氏本人は本土決戦を望んでいたが、その意志は聖断を覆すものではなかった。天皇が終戦と判断した以上、ただただそれに従うのみ、というのが妥当ではないかなということだ。

 自由主義史観公式サイトのページの最後の部分が重要だ。
===================
【阿南陸相は、昭和天皇のご意思をよく知りながら、最後の最後まで終戦に反対し続けたのはなぜか。】この設問は、意外に奥行きの深い、すぐれた教育的問いになる可能性がある、というのが本稿の結論である。
====================
 真実がどうかなど、今となっては、しょせん決められるはずがない。
 この設問を契機に、終戦当時の国家の状況に触れて見ること・阿南氏に思いを馳せることに意義があるのだと思う。

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August 06, 2011

緊急地震速報の受信器設置

緊急地震速報:春日井市、全小中学校に受信機設置へ /愛知

http://mainichi.jp/area/aichi/news/20110721ddlk23040136000c.html

 Item2
春日井市は20日、緊急地震速報の受信機を全小中学校に設置することを決めた。東日本大地震以来、保護者から出ていた要望に応える措置。今月中にも簡易型を全54校に設置する。
 受信機はFMラジオ放送の緊急地震速報を自動的に感知して拡声機で職員室に流す仕組み。教職員は状況に応じて校内放送か火災警報装置で校内に周知する。気象庁から発表される緊急地震速報を同時に流す本格的な装置は現在、28保育園に設置されているが、1セット約80万円するため、小中学校は未設置だった。
 同市は「本格的な装置を設置するまでのつなぎとして簡易型の機器をつけることにした」と話している。【花井武人】

・・・春日井市の各小中学校に、緊急地震速報機が届いた。
学校ではテレビやラジオをつけっ放しにしているわけではない。
地震速報をどうやって知ればよいのかと、この5か月気になっていた。
1学期が終わってからようやく装置が届いた。
下記の商品だ。

http://www.irisplaza.co.jp/Index.asp?KB=1002jisin

 念のため、FM電波のキャッチしやすい職員室の窓側に置いた。
 ただし、この装置はアダプターで電源をとっている。
ということは停電になると機能しないということだ。
 「大丈夫だ。地震が起きてから停電するのだから、警報は鳴らせる」
ということなのだろうか。
 でも、そうなると、大きな地震で停電した後の2度目や3度目の地震(余震)に対しては使えないということになる。
 ちなみに、この装置は外部スピーカーと接続できるので、直接校内放送に使用できるらしい。
「間もなく地震が来る」という警報なので、時差を考えたら直結が望ましいが、簡単につなげそうにないので、教職員が校内放送や火災警報装置で知らせることになる。

 ないよりはあった方がいい。
 鳴らないよりは鳴った方がいい。
 大きな地震はない方がいいが、本当に地震が来る時は、しっかり知らせてほしいと切に願う。

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夏期研修国語講座(石原千秋著「大学受験のための小説講義」)

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 市の夏期研修で国語の担当者の1人となった。
 自分は、石原千秋著の『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)を参考に15分程度のプレゼンをした。
 冒頭に選んだフレーズは

<テキストは2度読め>
①「それからどうなるか」という問いに即してストーリー(時間的経過)を読む
②「なぜか」という問いに即してプロット(因果関係)を読む

 我々はふだん「このあとどうなるか」のストーリーだけにこだわって小説を読んだりドラマや映画を見たりする。
しかし、作品を読み味わうには「どうしてなんだろう」という問いかけも必要である。
 ストーリー(時間的な経緯)を読む方は、答えが確定することが多いから授業もやりやすい。
一方、因果関係を読む方は、答えが確定しないことが多いから、教師も自分の答えに自信がなかったり子供の答えが正しいのかどうか判断に迷うことがあって授業がやりにくいともいえる。
 それでも、文学作品を授業するなら、まずは①、続いて②を行うという手順が必要ということになる。
 自分の考えに自信がなくても、とりあえず「なぜだろう」に答えてみる。そのような行為を繰り返すことで、教師も子供も読みの力がついていくと考えている。

 提示した第2のフレーズ群は次の3点だ。

①小説は書いてないことを読まなくては読んだことにならない
②小説の読解では「想像力」が問題となる
③俗に言う「行間を読むこと」が、小説には求められる                 

 さらに、受験テクニックとしては次のフレーズもあるので提示した。

④気持ちを問う設問は、傍線部前後の状況についての情報処理であることが多い。

 ①②③だけだと行間読みは「勘や気分」でよいような誤解を生じる。
 ④が入ると、論理性・論理的整合性が必要であることを伝えた。
 この後、仮説推論・三段論法の例を提示し、論理的な読み取りの大切さえを理解してもらったつもり。
 1つ目は、シャーロックホームズが、初対面のワトソンが アフガニスタンから来た事を言い当てる場面。

①医者らしいが、軍人の雰囲気をもった男、といえば、軍医ということになる。
②顔は黒いが、手首は白いから、熱帯地方から帰ったのだろう。
③彼のやせこけた顔を見れば、苦労し、病気をしたのはすぐわかる。
④左手の動きがぎこちないところをみると、左腕にけがをしているな。
⑤英国の軍医がこんな目にあう熱帯地方といえばアフガニスタンしかない。
 
 ただし、このホームズの推理も、案外「偶然当たった」の感も否めない。
 2つ目は、ごんぎつねの独り言

①兵十のおっかあは、床についていて、うなぎが食べたいと言ったに違いない。
②それで、兵十が、はりきりあみを持ち出したんだ。
③ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取ってきてしまった。
④だから、兵十は、おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。
⑤そのまま、おっかあは、死んじゃったに違いない。
⑥ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら死んだんだろう。
⑦ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった。

 このごんの懺悔の気持ちは、①の時点で既に「思い込み」に近いから、あとはますます「おもいこみ」がエスカレートしている。極端に言えば「被害妄想」ならぬ「加害妄想」だ。
 むろん、この「ごん」の思いは加害者妄想だと推論した自分の解釈も、「妄想」かもしれない。それは、子供たちに問うてみればいい。(会場では、それは「考えすぎだ」という表情の人が多かった)。


◆自分なりの小説の読み方を自覚的に把握するために、小説から取り出した物語を、一つの主語とそれに対応する熟語一つから成る一つの文に要約する練習をしておくといい。

 石原氏の書物には引用元は「これは、フランスの批評家ロラン・バルトの<物語は一つの文である>という立場にならって(『物語の構造分析』みすず書房、1979年)」と明記されており、「僕が大学の授業でも実践している方法である。この練習を繰り返すと、学生たちはめきめき力を付ける。」とある。
 この場合の「物語」についてはイメージしにくい。
 しかし、「主題」と置き換えてみたらすんなり納得できた。

◆自分なりの小説の読み方を自覚的に把握するために、小説から取り出した主題を、一つの主語とそれに対応する熟語一つから成る一つの文に要約する練習をしておくといい。
◆<主題は一つの文である>という立場にならって実践している方法である。この練習を繰り返すと、学生たちはめきめき力を付ける。

 「はじめ」と「終わり」によって区切られた出来事をまとめる基本型は二つあるとの指摘もある。
 これも、従来実践してきた解法の1つである。。

①「~が~をする物語」(主人公の行動を要約したもの)
 例:「メロスが約束を守る物語」「人と人が信頼を回復する物語」

②「~が~になる話」(主人公の変化を要約したもの)
 例「メロスが一家の主人として自立する物語」

研修会では、主役の成長にもっとも影響を与える人物としての「対役」の存在を提示した。

◆口先だけで信頼を語るメロスは、デイオニス(あるいは様々ん人に出会って)、信頼を体現する真の勇者になった。
・・・メロスを変えたものは何か?という主発問が成立する。

◆いたずら好きのごんは、兵十に出会って、心の優しいごんに成長する。
・・・・ごんを変えたものは何か(同情か謝罪か)という主発問が成立する。

◆一人前の漁師をめざす太一は、与吉じいさに出会い、村一番の漁師になった。
・・・太一を村一番にしたものは何かという主発問が成立する。

それにしても解釈は不思議なもので

 『走れメロス』で言えば、人間不信だった暴君がメロスに出会い信頼を回復する」と言うように主役の入れ替えも考えられる。

 『ごんぎつね』で言えば、「兵十に償いの気持ちが通じた話」「通じなかった話」の両方が想定できる。

 『海の命』で言えば、太一は「父親の生き方を求めた」「否定した」の両方の解釈ができる。

 主題は1つ・解釈は1つに確定すべき場合もあるが、多様に読めばよい場合もある、柔軟な教師のスタンスが必要である、ということで話を終えた。

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