「ごんぎつね」の正反対の解釈
光村図書の『ごんぎつね』(4年下)は、手引きのページが面白い。
「物語をめぐって話し合おう」というページに、3人の子どもの意見が例示してある。
A:ぼくは、悲しい話だったけど、「ごん」と「兵十」の心が最後に通い合ってよかったと思いました。
「兵十」が火なわじゅうを取り落としたということは「ごん」の気持ちが分かったからだと思います。
B:わたしは、二人の心が通い合ったとは思いません。たしかに「兵十」は、くりなどを持ってきていたのが「ごん」だとは分かったと思います。でみ、・・・・
C:同じ作者の「手ぶくろを買いに」という物語を読んだことがあります。これも、きつねと人間が出てくる話なのですが・・・。
「何について話し合うか決める」と題して
・同じような感想
・正反対の感想や、かなりちがう感想
・ぎもんがあって解決したいこと
とある。
AとBは「正反対の感想や、かなりちがう感想」の実例である。
Bの意見が途中で切れているのは、これ以上明晰に根拠を述べたら、Bが圧倒的に有利になってしまうからかもしれない。
Bの「二人の心は通い合ったとは思いません」は、指導する教師によっては怒りに震えてしまうような異説である。
「そんなのへ理屈だ」
「そんな読み方したら、せっかくの作品が台無しだ」
「あなたの読みは、なんて冷たい読み方なの?」
などと批判を受けそうな意見を、学習の手引きが肯定的に例示しているところがすごい。
これこそ「PISA型」なのだ。
次頁には「感じ方のちがいを知る」と題して、しかも「たいせつ」と強調された枠囲みがある。
◆物語を読むとき、わたしたちは、登場人物のだれかと自分を重ね合わせたり、書いてあることを、自分の知っていることと経験を結び付けたりしながら読んでいます。だから、読み手が一人一人ちがうように、感じ方も十人十色なのです。
物語を読んだら、感じたことや考えたことについて、友だちと交流しましょう。自分一人では気がつかなかったことを教えられ、物語の読み方が深くゆたかになります。また、友だちや自分自身の見方・考え方を、あらためて知ることができます。◆
残念ながら、この枠囲みのメッセージの意味は伝わりにくい。
主張は
「感想を1つにまとめる必要はない。」
「それぞれの感想に、どっちが正しい正しいがあるわけではない」 ということなのでは、と推測している。
どうせ書くなら、そこまで踏み込んでほしかった。
かつては、様々な意見が出るけれども、最後は1つの正しい解釈(教師の解釈)に、絞りこもうという授業が多かった。
「そうか、自分の読みは浅かったんだ」
「みんなと話し合って、高いレベルの読みに到達できたんだ」
という達成感を狙っていたように思う。
これに対して、いわゆるPISA型の読解力は、根拠さえしっかりしていれば、どちらの意見でも構わないというスタンスである。
この光村の学習の手引きは、明らかに「PISA対応」なのだと言える。
ちなみに、「違いを知る」については、かつて以下のようにまとめたことがある(やや改変しました)。
これは、昨年の夏期国語研修会で紹介した内容の一部でもある。
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国語の授業研究をしていて、ふと、キムタク主演のドラマ「CHANGE」の一場面を思い出した。
当時、自分の周りでは、ちょっと話題になったセリフだったが、いかがだったでしょうか?。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1417307774
木村
「以前僕は小学校の教師をやっていたんです。
去年は五年生を受け持っていたんですけど、とにかくよく喧嘩するんですよ。
でも、中には陰湿なものとかがあって、そこからいじめに繋がっちゃったりもするんですけど……。
そういう問題があったときには僕は子供たちにこういう風に言ってました。
『考えよう』って。
『クラスメートなんだから、気に入らない事とか納得できない事とかあったら、自分の言いたい事はちゃんと相手に言って、相手の言うことはちゃんと聞いて、それでお互いにとことん考えよう』って。
『そうすれば……』」
平泉
「分かり合える。」
木村
「いえ、相手と自分は違うんだということに気付くんです。
同じ人間だと思っているから、ちょっと否定されただけでむかついたり、誰かが一人別行動取ったら『何だあいつ』って。
そっから喧嘩とかいじめが始まるんです。でも、同じ人間なんていないじゃないですか。
みんな考え方も事情も違う人間ですよね。
だから、僕は子供たちに自分と相手は違うんだっていうことを理解してほしかったんです。
その上で、じゃあどういう言葉を使えば、自分の気持ちが相手に伝わるのか、どうすれば相手を説得できるのか、そこを考えろって言ってきました。
外交も同じだと思うんですよ。
先程ビンガムさんがおっしゃった通り、僕たちは同盟国です。
でも、やっぱり違うんですよ。日本とアメリカは。
だからビンガムさんが思っていることとか、言いたい事があったら、全部言ってください。
僕もそうしますから。日米構造協議は今年で終わったわけじゃないですよね。
だから、これからもっともっと、とことん話し合いましょうよ。そうすれば、お互いが納得できる答えがきっと見つかると思うんです。」
・・・これは「互いに分かりあうための話し合い・結論を1つに絞るための話し合い」ではなく
「互いの意見の違いに気づき、違いを受容するための話し合い」に意義があることを示唆している。
◆自分の言いたい事はちゃんと相手に言って、
相手の言うことはちゃんと聞いて、
それでお互いにとことん考えたら
分かり合えるのではなく
相手と自分は違うんだということに気付く
この「相手と自分は違うんだと気付く」という部分が、この回のクライマックスだったと思う。
「話し合えば分かりあえるのではない。話し合えば違いに気付くのだ」
という発想は、多くの視聴者には意外だったと思う。
何年も前のドラマの一節だが、印象に残っているのは、これも「PISA型だな」と感じたからだ。
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野口型の国語の授業は、最後は教師の解釈で束ねた。
向山型の討論の授業は、最後まで子どもに解釈を委ねた。
向山型の討論の授業の先見性には、驚くばかりであったことを改めて思い出す。
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