ダブルスタンダードは教育的配慮である
ダブルスタンダード=二重基準は、不公平な対応だと思っていた.
だが、いろんな先生の話を聞くうちに、そうとも限らないと感じるようになってきた。
◆厳しく言っても通用する人には厳しく
◆厳しく言ったら逆効果の人にはやさしく
の方が望ましいと考えれば、相手かまわず厳しくすることも、相手かまわず優しくすることも逆効果だ。
その方が「思慮分別のない人間」ということになる。
言い方を変えれば
◆期待している人には厳しく
◆期待していない人には甘く
ということにもなる。
「できる人には厳しく、そうでない人にはそれなりに」の配慮は差別でもひいきでもない。
これは正当な個別対応だ。
「子どもが荒れるのは教師の授業技量が低いからだ」と厳しく言い放つことがある。
一方で、実際に荒れてしまい疲労困憊している人には「自分を責めなくていい」とメッセージを送ることも大切だ。
これも正当なダブルスタンダードの対応だ。
かつてこのブログでも2006年、中日新聞7月18日付の朝刊「ひろさちやのほどほど人生論」の「正しいことを言うな」という言葉を引用したことがある。
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怠けている人間、遅刻した人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。
その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、ー正義という名の魔類ーになっているのです。
仏教では、その正義という名の魔類をー阿修羅ー
と呼びます。阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、神界から追放されて魔類になった存在です。(後略)
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教師は「よかれ」と思って平気で子どもを傷つけることがある。
悪意がない分だけ、たちが悪い。正義感を振りかざす鈍感な教師はまさに阿修羅である。
何も言わずにじっと相手の聞いて上げる行為が「慈悲」なのだとも書いてある。
今はきちんと問詰める場面か、深く追いつめるべきでない場面か、その程度の思慮分別は持ち合わせたい。
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Comments
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Posted by: Nashvilleseo.org | February 07, 2014 04:04 PM