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December 31, 2011

神社でも寺院でも初詣できるが・・ ~「神仏習合」の歴史~

 神様と仏様の違い・神社と寺院(神社・仏閣)の違いは結構難しい。

 初詣は神社だけではない。寺院でも、初詣は行われる。
 神社は2礼2拍手1礼で参拝する。
 寺院は祈祷(加持祈祷)。寺院は「護摩木」を焚いたりするでしょ。除夜の鐘も寺院のみ。

 人は死んだら仏様になる。
 元来、人は死んでも神様にはなれない。
 ただし、天皇は「現人神」であり、戦没者や特別な人は「神」として祀られた。
 菅原道真は「学問の神様」として祀られ、全国に「天満宮」がある。
 靖国神社は、戦死者を「神」として祀ってある。
 愛知県の「治水神社」は、治水工事に殉じた薩摩藩の人々を祀っている。
 人間が神として祀られるのは、「たたり」をおそれている場合が多いというのが、梅原猛の説である。

 元来、日本は「八百万の神」が存在する「多神教」の国だが、天皇家(天つ神)がすべてを古来の神(国つ神・出雲系の神々)を統率する形で日本の神話が形成されていった。
 日本の神話体系は、天皇家が天孫降臨した神の子孫であることを示し権力誇示に利用されている。かつて天皇は「神」であったのだ。
 だから神話はナンセンスとも言えるが、各国の神話とはそのようなナンセンスさをどこも含んでいる。

 この程度なら、何も見なくても書ける。

 しかし、「神仏習合」、明治以降の「神仏分離」は、難しくてよく分からなことが多かった。
 神と仏は別々といいながら、日本では長い期間「神仏習合」であった。それを支える「本地垂迹説」というのがよく分からず、適当な書物にもあたれなかった。

 さて、週刊ポスト2012年1/1号。
 カラーの特別企画は「神と仏 初詣に見る『神仏習合』民族史」
 コンパクトながら、要所をおさえていて、流れがよくわかった。

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 新年を迎えると、私たちは寺院で除夜の鐘に耳を澄まし、初日の出を拝み、神社で柏手を打つ。
 しかし、寺院は仏教、神社は神道、日の出を拝むのは自然崇拝と、信仰の対象はそれぞれ異なる。
 日本人は神仏を大らかに捉える民族といえる。その背景にあるのは、古くから育まれた「神仏習合」の歴史だった。
 佛教大学歴史学部・斎藤秀夫教授が語る。
「欽明天皇の時代に朝鮮半島の百済から佛教が伝来した6世紀中頃から、日本人は仏教を異教として排除するのではなく、積極的に受け入れ共存の道を歩んできました。千年以上の長きにわたり、神は仏であり菩薩だったのです。
 仏教伝来後、聖徳太子によって各地に寺院が建てられ、仏の教えが日本中に普及していった。
 一方、神仏習合の支柱となる思想「本地垂迹説」や「護法善神説」が生まれた。
 本地垂迹説は、神々を仏・菩薩が人々を救うために現世に現われた”仮の姿”であるとする教説で、10世紀の平安時代にはじまり、平安時代末期から鎌倉、室町時代の中世にかけて広まった。
 神は人間と同じく煩悩に苦しむ存在で、神は仏になるために修行の過程にあるとされ、奈良時代から各地の各地の神社には苦しむ神が仏法に帰依するための「神宮寺」が建てられた。
 (中略)
 ところが1868(明治元)年に「神仏判然令(神仏分離令)が出され、その後廃仏毀釈が席巻することによって神仏習合の長い歴史は終りを告げた。
 (中略)
 時を経て、明治の神仏分離令により神社で神事を担っていた僧侶が追放された。
 同時に、神社にある仏像や経典のみならず、梵鐘や五重塔などの建造物まで捨て置かれた。
 神社内で仏教用語を使用することが禁じられ、神社での仏事はすべて姿を消した。
 神仏分離令の狙いは仏教弾圧ではなかったが、その後の廃仏毀釈によって寺は襲撃され、貴重な文化財が失われたことを忘れてはならない。
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・・・むろん、この解説だけですべて理解できたわけではない。
 これを機に、「神社と寺院」「神仏習合」について、子どもに説明できる程度の把握はしてみたい。

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December 27, 2011

漫画「MAJOR」に感化される

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 たまたまコミックの「MAJAR(メジャー)」を読んだ。満田拓也作の小学館サンデーコミックス。70巻を超える大作である。NHKでも放送されていた。
 何度も同じパターンが繰り返されるので、主題が明確に浮かび上がってくる。
 主人公の豪腕投手茂野は、リトルリーグや高校やマイナーリーグで、弱小チームを引っ張って強豪チームと対戦する。
 最初はあきらめがちだったチームメートも逆行になればなるほど燃える茂野の情熱と気迫に感化され、ばらばらだったチームも結束するようになる。
 また先のことは考えず、あるいは私利私欲は考えず、目の前の試合に全力を傾ける姿勢も、心を奮い立たせるものがある。
 まさに「ネバーギブアップ」なのだ。
 しかも試合は必ず勝つとは限らない。要所の試合で負けを喫し「次への挑戦」「さらなる成長」につなげている。

 さて、その中で印象的だったのが38巻の第一話「好きだったら」
 茂野率いる聖秀高校は陽花高校相手に3点差まで追いつめるが、茂野は負傷中。。
 7回で交代させられた1年生の清水投手が、ぼやく。

清水:「この僕をベンチに下げちゃって、あと2回誰がピッチャーやるんすか?」

茂野:「俺しかいねえだろ」

清水:「マジっすか。さっきホームから戻ってきた時に、足ひきずってたじゃないっスか?」
清水:「フィニッシュで全体重を支える右足がそんな状態で、まともなピッチングなんかできるんスか、先輩?」

ここで茂野のセリフ


 おまえさあ、さっきからそうやっていちいち人生先読みしておもしれえか?
 できえるかできねえかじゃないよ。
 男ならやるかやらねえかのどっちかしかねえだろうが。
 それが好きなことならな。

 ぐっときた。
 「やってみたいけど自信ないな~」ということがよくある。

◆「できるかできないか、ではなく、やりたいかやりたくないか」

 そのように自分の行動基準(規範)を決めてしまえば迷いはなくなる。
 「即断即決」できる人は、おそらくこの「やりたいか、やりたくないか」を規範にしているからだろう。
 
 迷いがなければ「一意専心」で向かっていけるから成功の可能性も高まっていく。
 逆に、迷っていればせっかくのチャンスも逃げていくし、中途半端な姿勢では失敗する可能性も高くなる。

 スポーツでも受験でも、最後は「絶対に勝ちたい・受かりたいという気持ちの差」であると言われる。

 スポ根性マンガで、久しぶりに「闘志」をもらった。

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December 11, 2011

励ましの言葉はケースバイケースで

少し前の話になるが、NHKの「Rの法則」を観ていて、考えさせられた。

http://www.nhk.or.jp/rhousoku/backnumber/111130.html

 テーマは「やる気が出る言葉」
 たとえば、大きな大会の直前に彼氏からの励ましの言葉。

◆「もし勝ったらデートしてあげるね」

 この言葉でやる気が出るかどうか、スタジオの支持率は78%となった。
 上から目線で嫌・勝たないとデートしないのかといった意見は不支持の理由だ。
 確かに「~あげる」という言い方は尊大な印象を感じるし、デートを交換条件のように使うのは失礼だと思う。
 「デートしようね」なら、支持率も上昇しただろうに。


 中学最後の試合を前に
◆「勝ってみんなで笑おう!」

 これは支持率71%。
 スタジオの意見は忘れてしまったが、これくらいオーソドックスな言葉でも30%は不支持なのだ。
 確かに「笑おう」ではちょっと軽いかも。
 
 告白するかどうか迷っている親友に
◆「でも告白しないんじゃないお前」

 これは支持率21%。
 憎まれ口でハッパをかけようという逆説的な激励だが、ちょっと分かりにくいかも。。
 いつでも褒めればいいというものでもないことがよく分かる。
 
 どの言葉も、支持する人もいれば支持しない人もいる。
 同じ励ましの言葉でも「すごく共感する」「全然だめ」と意見が分かれる。

 それは、「半分達成」した相手に対して
「半分もできたら上出来じゃないか」と褒めた方が効く場合と
「まだまだ半分じゃないか」と叱咤した方が効く場合があるのと同じだ。

 励ましの言葉に万能薬はない。
 相手の状況や立場・性格などに配慮して、総合判断したうえでベターな励ましを行うのが基本であって、
これさえあればOKのような言葉はない。
 
 「お前に俺たちの気持ちが分かるのかよ」
 「何、偉そうに語ってんだよ」
と思われるようでは、激励どころではない。
 そのことを踏まえて、激励の言葉をかけていきたい。
 
 ※先に書いた「ダブルスタンダード」の延長のような内容になりました。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2011/11/post-4b3c.html

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問題解決学習の長所・短所

 「問題解決学習」という手法が、次のように学習指導要領に合致していると紹介されている。

=================
「生きる力」を文部科学省は、審議委員会の答申で「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」、「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心」としている。
問題解決学習はこれまでの学習指導要領の中でも常に重視されてきたが、今回の学習指導要領であらためて強調されている。
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http://www.echigo.ne.jp/~oya/kenQ/

同じサイトには、次のような基本情報がある。

===============
 問題解決学習とは、古くはデューイによって提唱された生活経験主義教育論の中核をなす学習原理である。
そこでは,学習は,子供たちが生活のなかで直面する具体的な問題にどう対処していくかという,問題解決行為そのものとしてとらえられる。
 教師が,生活の現実から離れた教室のなかで,講義を中心にして一方的に子供たちに一定の観念的な知識を伝達していくといった伝統的な授業形態とはまったく異なる革新的なものであった。

子 供たちが,自分の興味や関心に応じてのびのびと作業や討議を行いながら問題を解決し,そのなかで自主的に生活に必要な知識や技能を習得していくという形で,実践的な生活主体の形成をめざすこの学習理論であった。
=================
というわけで、かなり好意的に述べられている。
 
 新学社のサイトにも詳しい解説がある。
http://www.sing.co.jp/school/practice/forum22.html

================
 今日、自ら学び、自ら考える力の育成が強調され、その指導法としては、問題解決学習、発見学習、構案法(実際の作業を中心とした問題解決法)、総合的学習などが重視されている。
 問題解決学習は、もともと日常生活の中で出あう具体的な問題を教材として、その問題を主体的能動的に解決する問題解決の過程を通して法則の理解や科学的思考の方法・能力の習得を図ろうとする指導法である。

  問題解決の過程は、古くはデューイ(1910)が、
1.問題に気づく
2.問題を明らかにする
3.仮説(解き方)を提案する
4.仮説の意味を推論する
5.仮説を検討する

の五段階に分析している。
 この順序は、今日でも認められ、言葉は違っても、大体同じ内容を含んでいる。

 例えば、ブランスフォードら(1984)は、
1.問題を見分ける
2.問題を定義し、表現する
3.可能な方略を探究する
4.方略に基づいて行動する
5.振り返り、自分の活動の効果を評価する

といった五段階に分けている。
=================

・・・このような問題解決の過程や段階を見ると、正論であると思う。
 だから、以下のような長所も確かにあるのだろうと理解する。
 しかし、その一方で以下のように短所も明らかにされている。

◆◆
 問題解決学習は、経験主義に基づき、子どもが主体的に学習することを重視する。
 そのため、この指導法には、次のような長短があげられている。
 まず、長所としては、次の点が指摘されている。

1. この指導法では、子どもの関心のある問題を用いることにより、学習に対する動機づけが行われやすい。
2. 従来の教育にみられる注入主義を排して、子どもの自発的な学習を促す。
3. 思考力・創造性を伸ばすのに役立つ。
4. 実践的な問題解決力を獲得させる。
5. 子ども自身に計画、考案させ、問題解決を行わせることにより、知識と経験を総合的に獲得させる。
6. 集団的問題解決学習では、協同、責任など多くの社会的特性を養う。

  しかし、反面、次のような短所が指摘されている。

1. 教師が問題を探すのに骨が折れ、指導に労力と時間がかかる。
2. 話し合いや作業が多くなり、指導に時間がかかる。
3. 子どもの興味や自由な思考活動を尊重するあまり場当たり的な学習になる。
4. 学習が不規則になり、学習の管理が難しくなる。
5. 系統的な知識、基礎的な技能が習得されにくい。
6. 実際的、技術的な面を重視する問題解決学習では、理論的な面がお
ろそかになるとか、必要な材料の入手が難しいといったことがおこる。
7. 集団的問題解決学習では、優秀な子どもが独占し、傍観的になる子どもが出る。

  問題解決学習の実践では、このような問題点を考慮して、その長所を生かす配慮が必要である。
◆◆

とある。

 「総合的な学習」において、「問題解決学習」が望まれるには、系統的な知識・技能を習得する他教科とは趣旨が異なり、個々の課題意識にそって探究することが求められるからだ。
 逆に言うと、各教科においては、安易に「問題解決学習」の手法を用いるべきではないということになる。
 短所が明らかに長所を上回るようなら、弊害の方が大きいということになる。無理してチャレンジするだけのメリットがない。
 それでも、研究熱心な先生は、理想を求め、現代の教育に最適な手法として問題解決学習を推進しようとしているのだろう。
 研究者はそれでいい。
 肝心なのは、授業を行う現場の教師が、上記の「短所」にどう立ち向かっているか、だ。
 実際の授業が上記の「短所」を克服できないなら、「絵に描いた餅」にすぎない。
 

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「文学作品の詳細な読解」は改められない!


 平成17年に文部科学省が出した「読解力向上プログラム」の中に、次のような記述がある。
================
 学習指導要領国語では、言語の教育としての立場を重視し、特に文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め、自分の考えを持ち論理的に意見を述べる能力、目的や場面などに応じて適切に表現する能力、目的に応じて的確に読み取る能力や読書に親しむ態度を育てることが重視されており、これらはPISA型「読解力」と相通ずるものがある。
=================

・・・「詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め」とはある。
 しかしながら、新学習指導要領では今も

場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて,叙述を基に想像して読むこと。

という目標が残っている。
 人物の性格や気持ちを読むことが、指導目標にある以上、気持ちを読み取る手立てが重宝されるのは自然の成り行きだ。
 「文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導」が具体的にどんな指導のことか不明なので、どこをどう改めるのかも不明である。
 この答申を元に、消滅した指導法があるのかどうか・・。

(1)気持ちを問わない
 
 光村図書の指導書「小学校国語 『読むこと』の授業をつくる文学編」の冒頭、椙田萬理子氏の教材研究が書いてある。
 その中に「気持ちを問わない」と題した叙述がある。
 
==============
 わたしは「気持ち」を問わない努力をしています。
子どもたちが国語嫌いになる理由に「気持ちばかり問う授業をしているからだ」と言われて久しいです。
(中略)
気持ちを直接的に問うことがそのこの豊かさを引き出すことにはならないと思います。
現に気持ちを問うと、子どもは簡単な言葉でしか表現しない場合が多いです。
(中略)
また、人の気持ちは「○○の気持ち」とひと言で言えるほど単純じゃないと思います。
複雑なものです。それなのに、それを端的に表現させようとするというのはどうなんだろうという危惧があります。(中略)
教師は、ともすると気持ちをとらえさせるときに、そんなにすぐ見つからないはずなのに、すぐ見つけさせようとしますね。それはまずいと思うのです。
================

・・・端的に気持ちを言わせるのも、詳細に気持ちを言わせるのも、いずれも本文のよさを損なうことになると自分も思う。
 「作者が吟味して表現を現を別の言葉で置き換えるのは冒涜である、というくらいの思慮が必要である。

 
 では「登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて,叙述を基に想像して読むこと。」という目標に正対して、「詳細な読解に陥らない」で、どんな授業展開をすればいいのか、そこをきちんと整理しないといけない。

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December 04, 2011

「物語の創作」は難しい課題である

 3年国語(光村)では、『三年とうげ』の読み取りの後、物語を書かせる流れになっている。
 赤本では次のようにある。

◆「三年とうげ」の学習を想起させ、四つの組み立てに沿って物語を書くことを確認する。

 はじめに「時・場所・人物・出来事」を確定させる。
 教科書には

時・・・「昔・今・未来。春。夏。秋。冬・朝・昼・夜」

人・・・「自分・おじいさん・小さな子・犬・ねこ・人形・自動車・
    さむらい・宇宙人・自分と同じくらいの子ども」

など、それぞれ多様な選択肢が提示されている。
 人物に「自動車」を入れてしまうほどの、この多様さが曲者だと思う。

◆「それぞれ自分の好きな時・場所・人物・出来事を選んで、自分だけの物語を作ればいいんですよ。」

という意図なのだろう。
 でも、これだけ多様に選択肢があると、結局「何でもいいから自由に書きなさい」と言っているにすぎない。
 選択肢が多すぎると、子どもは迷う。かえって選びづらくなる。
 サークル例会で模擬授業を受けた自分も、「時・場所・人物・出来事」のどれもすんなり決められなかった。
 昔々の話でもいいし、昨日のことでもいいし、100年後の未来のことでもいい。
 どれも可能なのかと思うと、どれか1つ絞るのは、かえって大変な作業なのだ。
 自分は次のように確定した(なんとなく「20世紀少年」のようだ)。

・20年後のある夏の夜
・ぼくたちが通っていた小学校で
・僕は仲良しグループと
・花火をした。

 このように書いてみて、ではこの一文を、どうスト―リーとして展開するか迷ってしまった。

 「三年とうげ」で学習した民話や物語の組み立てでは
・事件が起こり、
・事件が変化し、
・事件が解決しないといけない。

 「花火をした」が事件の発端なのか、事件の最後なのかを自分で決めないといけない。
 
 「へえ、花火をしたんだ。それでどうなった?」
 「へえ、花火をしたんだ。その時何か事件が起こったことにする?その後に起こったことにする?」
というような個別のアドバイスが想定できるが、書いた本人も、取り急ぎ「花火をした」と書いただけなので、それをどう事件として発展・展開させていくか、これは大変だなあと感じてしまった。
 むろん、教師が1人1人の一文のイメージを広げストーリーを作っていく支援をするのは大変な作業である。
 
 模擬授業を受ける段階で「自分も物語を書いてみたいな」というレデイネスがなかったことも要因である。
 それに、実際の授業で、「自分たちも『三年とうげ』みたいな物語を作ってみようね」とずっと呼び掛けて心の準備をさせていれば
 「やったー、いよいよ物語が書けるんだ」
と、個々の状況設定で書き始められるのかもしれない。
 ただ、もし子ども達の中に、今回の竹田のように「えー、何を書けばいいのかなあ」と低いテンションで授業に突入した子がいたら、大変である。
 「自由に書けばいいんだよ」
 「思った通りに書けばいいんだよ」
 「好きなお話を書けばいいんだよ」
と言われても、できない子は戸惑うばかりだろうと思う。

 とにかく、「物語を書こう」の単元は、大変である。
 やり方が悪いと、苦手なをスポイルする授業になってしまう。
 おそらく、物語の読書量が少ない子は、創作に苦しむだろう。
 自信喪失する子を大量に生みだしかねない。
 だから、子どもが書きやすい湯に
◆「わがクラスに1人の転校生がやってきました。さあ、どんな転校生で、どんな事件が起きると思う?」
◆「お父さんが懸賞に当たってクイズで家族全員世界一周旅行できることになりました。さあ何が起こるかな?」
◆「飼っていた犬が、ある日突然人間の言葉をしゃべりました。さあ何が起こるかな?」

というぐらい限定した設定で3つか4つ提示するぐらいが無難だと思う。

 5年生で「一枚の地図から」といった想像を働かせて物語を創る単元があったと思う。
 そのような「きっかけ」の情報というか、一定条件の元で創作活動させる方が、子どもに優しい。
 条件設定があるからこそ、どの子も興味深く取り組める。
 時も場所も人物も全く自由に物語を書かせるというのは、図画の指導で、ただ画用紙だけ配って、自由に絵を描きなさいというようなものだ。
 「自由画ほど子どもを困惑させる」というセオリーが、「自由な物語創作」にも言える。
 
 「好きな題材を好きな物語を書けばいいよ」は、ともすれば指導の放棄になり、自信喪失の結果を引き起こすこともある。 
 

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December 03, 2011

「当たり前の積み重ね」だけでは「特別」にならない

 中日ドラゴンズの落合監督が退任インタビューにあった「当たり前のことを当たり前にやるのが、一番難しい」という言葉。
 かつて、NHK「プロフェッショナル」で特集されたパテシエ杉野実氏の
 「あたり前を積み重ねると特別になる」を思い出した。
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/0124/index.html

============
 おいしいお菓子を作るためには、地道な作業を、手を抜かずにやるのが必要だと杉野は言う。
 たとえば、お菓子の飾り付けに使う木いちご。一粒ずつ、状態を見て調べる。
 熟していないものや傷んでいるものは絶対に使わない。
 素材を一つ一つ検品すること、お菓子の焼き時間を秒単位で守ること、
 お菓子に染み込ませるお酒の量をグラム単位で守ること、
 隠し味に使うショウガを2ミリに切りそろえること。
 言葉にすると、どれもあたり前のこと。
 しかし、毎日数百ものお菓子を作り続ける厨房で、ひとつも手を抜かずに完璧に貫けるかどうか。
 それが一番むずかしい。
===========

 平凡なこと、当たり前のことは、やれて当たり前と思われがちである。
 しかし、その平凡な当たり前のことを、毎日毎日当たり前にやり続けることは、実は根気のいる大変なことである。
・・そのような意味で「当たり前が難しい」=「凡時徹底」という言葉を受け止めていた。

 しかし、「プロフェッショナル」では、
「職人の仕事は、毎日毎日、同じ作業を繰り返しているように見えるが、実はそうではないと杉野は言う。」とある。

================
 「進歩がない職人はダメだ」と杉野は言い切る。
 今日50分かかった作業を明日は45分でやろうという進歩。
 同じミスを繰り返さないように手順を変えてみる進歩。
 そして、常に、その時点での最高の味を作り出すという味の進歩。
 杉野の店に並ぶお菓子は、同じ名前のものでも、10年前に比べると、そのほとんどが何かしらのマイナーチェンジを経て、味の「進化」を遂げている。

 いつものフルーツをいつもの作業で触りながら、これを違うお菓子に使えないか、考える。
 いつものお菓子を作りながら、ほかの素材を加えられないか、考える。
厨房という現場にこそ、答えはある。
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 地道に愚直に繰り返すだけではダメ。
 「凡時徹底」は、その徹底した行為の中から工夫や改善方法を見出したり、観察力や実行力が向上したりするから意味がある。

◆掃除をしていたら、別の汚れた場所にも気づかなくては意味がない。
◆今日50分で行っている作業が、何とか1分でも縮められないかとチャレンジしなくては意味がない。
少しでも進歩させる気概があってこそ、当たり前の積み重ねがいつか結実する。

 努力を積み上げるという意味では、「トレーニングの原則・原則」とも香なさってくる。。

http://everyman.client.jp/genrigensoku.html

トレーニングの三大原理
(1)過負荷の原理
   私たちが普段、日常生活で動いているときよりも、高い負荷でトレーニングしないと、体力は向上しませんよ・・・ということです。

(2)可逆性の原理
   トレーニングで得られた運動効果は止めてしまうと無くなってしまいますよ。
   しかもトレーニングの期間が短ければ、それだけ早く 消えうせてしまいますよ・・・ということです。

(3)特異性の原理
   トレーニングの効果はトレーニングをした部位や動作に効果があらわれますよ・・・ということです。

トレーニングの五大原則

(1)漸進性の原則
   筋力や体力の向上に合わせて徐々に負荷をあげて いきましょう・・・・ということです。
結果を急ぐあまり、あせって負荷を急激に高めても、 効果はおろか怪我の危険性も高まってしまいます。
負荷は徐々に上げていくことが大切です。

(2)全面性の原則
   全身をバランスよくトレーニングしましょう・・・ということ です。
1つの部位に偏るのではなく、身体全体を均等にトレーニングすることが大切です。

(3)意識性の原則
   そのトレーニングを行う目的を理解しましょう・・・・ ということです。
何のためにそのトレーニングを行うのか目的を持って取り組み、トレーニングをしている部位に意識を集中することが大切です。

(4)個別性の原則
   人は個々それぞれ違うので、自分に合ったトレーニングをしましょう・・・・ということです。
個人の体力、目的に合致したトレーニングを行うことが大切です。

(5)継続、反復性の原則
   トレーニングの効果を得るためには継続的に行いましょう・・・ということです。
  結果はすぐには現れません。続けることによって効果は生まれるのです。


http://www3.plala.or.jp/nyarome/tre/training/tr2.htm
http://www.weed-y.com/torekiso01.html
http://www.idea16.net/training-gensoku.html
では7原則としている。

①過負荷 ②漸進性 ③全面性 ④反復性 ⑤個別性 ⑥意識性 ⑦特異性


 「同じことを、ただただ続ける」という行為は、継続性の原則には合致するが、過負荷・漸進性の原則に合致しないし、
目的を失っては、意識性の原則からも外れる。
 「同じことを、ただただ続けている」と、慣れてくるから次第に負荷が軽くなる。
負荷が軽くなれば「過負荷」の原則に合わないからトレーニングの効果は減るし、だんだん負荷を上げていこうという「漸進性」の原則にも逆行する。

 日常生活なら、今まで10分かけていた掃除を5分に縮めてみようとする。そのような形で「負荷」をキープする。
 学校生活では、掃除時間は変わらないから、その分、レベルアップに挑ませる。
 「1学期と同じ掃除場所を、同じ時間かけて取り組んでいたら成長がない。どこか進歩させ工夫させるべきだ」
と呼び掛けたい。これは、どのような作業でも仕事でもトレーニングでも同じだ。

 「当たり前を積み重ねると特別になる」のパテシエの杉野さんが語ったのは、「凡時徹底」を「日々精進」とセットにしていたからだ。
 それは、継続・反復の原則に「過負荷」「漸進性」を加えることであり、何より「意識性」をキープすることでもある。

 漫然と繰り返してはダメということを、トレーニングの原理・原則から訴えるのも1つの方法だ。

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