神社でも寺院でも初詣できるが・・ ~「神仏習合」の歴史~
神様と仏様の違い・神社と寺院(神社・仏閣)の違いは結構難しい。
初詣は神社だけではない。寺院でも、初詣は行われる。
神社は2礼2拍手1礼で参拝する。
寺院は祈祷(加持祈祷)。寺院は「護摩木」を焚いたりするでしょ。除夜の鐘も寺院のみ。
人は死んだら仏様になる。
元来、人は死んでも神様にはなれない。
ただし、天皇は「現人神」であり、戦没者や特別な人は「神」として祀られた。
菅原道真は「学問の神様」として祀られ、全国に「天満宮」がある。
靖国神社は、戦死者を「神」として祀ってある。
愛知県の「治水神社」は、治水工事に殉じた薩摩藩の人々を祀っている。
人間が神として祀られるのは、「たたり」をおそれている場合が多いというのが、梅原猛の説である。
元来、日本は「八百万の神」が存在する「多神教」の国だが、天皇家(天つ神)がすべてを古来の神(国つ神・出雲系の神々)を統率する形で日本の神話が形成されていった。
日本の神話体系は、天皇家が天孫降臨した神の子孫であることを示し権力誇示に利用されている。かつて天皇は「神」であったのだ。
だから神話はナンセンスとも言えるが、各国の神話とはそのようなナンセンスさをどこも含んでいる。
この程度なら、何も見なくても書ける。
しかし、「神仏習合」、明治以降の「神仏分離」は、難しくてよく分からなことが多かった。
神と仏は別々といいながら、日本では長い期間「神仏習合」であった。それを支える「本地垂迹説」というのがよく分からず、適当な書物にもあたれなかった。
さて、週刊ポスト2012年1/1号。
カラーの特別企画は「神と仏 初詣に見る『神仏習合』民族史」
コンパクトながら、要所をおさえていて、流れがよくわかった。
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新年を迎えると、私たちは寺院で除夜の鐘に耳を澄まし、初日の出を拝み、神社で柏手を打つ。
しかし、寺院は仏教、神社は神道、日の出を拝むのは自然崇拝と、信仰の対象はそれぞれ異なる。
日本人は神仏を大らかに捉える民族といえる。その背景にあるのは、古くから育まれた「神仏習合」の歴史だった。
佛教大学歴史学部・斎藤秀夫教授が語る。
「欽明天皇の時代に朝鮮半島の百済から佛教が伝来した6世紀中頃から、日本人は仏教を異教として排除するのではなく、積極的に受け入れ共存の道を歩んできました。千年以上の長きにわたり、神は仏であり菩薩だったのです。
仏教伝来後、聖徳太子によって各地に寺院が建てられ、仏の教えが日本中に普及していった。
一方、神仏習合の支柱となる思想「本地垂迹説」や「護法善神説」が生まれた。
本地垂迹説は、神々を仏・菩薩が人々を救うために現世に現われた”仮の姿”であるとする教説で、10世紀の平安時代にはじまり、平安時代末期から鎌倉、室町時代の中世にかけて広まった。
神は人間と同じく煩悩に苦しむ存在で、神は仏になるために修行の過程にあるとされ、奈良時代から各地の各地の神社には苦しむ神が仏法に帰依するための「神宮寺」が建てられた。
(中略)
ところが1868(明治元)年に「神仏判然令(神仏分離令)が出され、その後廃仏毀釈が席巻することによって神仏習合の長い歴史は終りを告げた。
(中略)
時を経て、明治の神仏分離令により神社で神事を担っていた僧侶が追放された。
同時に、神社にある仏像や経典のみならず、梵鐘や五重塔などの建造物まで捨て置かれた。
神社内で仏教用語を使用することが禁じられ、神社での仏事はすべて姿を消した。
神仏分離令の狙いは仏教弾圧ではなかったが、その後の廃仏毀釈によって寺は襲撃され、貴重な文化財が失われたことを忘れてはならない。
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・・・むろん、この解説だけですべて理解できたわけではない。
これを機に、「神社と寺院」「神仏習合」について、子どもに説明できる程度の把握はしてみたい。
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