« March 2012 | Main | May 2012 »

April 22, 2012

『舟を編む』(三浦しをん)

Fune_2
 本屋大賞を受賞した『舟を編む』(三浦 しをん)は、とてもよい本だった。
 これほどの本なのだから、本屋大賞を取る前に読了しておきたかった。
 作品紹介は次のようにある。
================
玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。
個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。
しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか──。
言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる三浦しをんの最新長編小説。

===============
 「言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる」
・・・まさにその通り。辞書作りに没頭する彼らを「不完全」と断ずるあたり見事だ。
 とりわけ辞書作りに半生を注いだ松本先生の人生と最期に感激した。
 不覚にもラストは涙が流しながら読んだ。3連発の涙だった。

①できあがったページを病床で眺め、歓喜の声を上げる松本先生。
②完成を前に松本先生が亡くなったことを悔いて嗚咽する馬締。
③完成パーティーで手渡された松本先生の手紙。

 ラストで、壮快感を示すのが、松本先生の手紙の一節だ。「昇華された」と言ってもいい。、

◆きみとまじめさんのような編集者に出会えて、本当によかった。
あなたたちのおかげで、わたしの生はこのうえなく充実したものとなりました。
(中略)「大渡海」編纂の日々は、なんと楽しいものだったでしょう。
みなさんの、『大渡海』の、末長く幸せな航海を祈ります。

チャラいキャラクターの西岡が言うように、「なぜそこまで打ち込めるのか」。
それほど1つのことに自分は半生を尽くせるのかと思うと嫉妬を感じるほどだ。
どんなに変人と言われようと、1つの仕事に打ち込む生き方に強く憧れる。
「玄武書房地獄の神保町合宿」など、その場に居合わせてみたいと思う。


辞書の面白さは「新解さん」のシリーズで承知していた。
◆「愛」の項目で何が書いてあるか、
◆「右・左」の項目 はどう表記されているか
などは、辞書比べの定番である。
しかし、その程度の辞書知識では、とうてい補えない奥深さがあった。
カードの蓄積、新語・死語の選別、入念なチェック作業、そして圧巻は紙の質(ヌメリ感)。

確かに「紙」は大事な要素だが、裏写りやめくった時の感触など、それほどシビアに考えたことはなかった。
これからは、辞書に限らず、本を読むときは紙の質も確認するだろう。
それだけで人生が1つ豊かになった気分である。

没頭タイプの馬締光也の実直なキャラを際立たせ、馬締の仕事を援護したのは西岡である。
おそらく多くの読者が馬締だけでなく西岡の業績を高く評価していると思う。
「名より実を取る」と決意した西岡の態度は見事である。
もちろん馬締も作者も西岡の人柄を評価している、だからこそ辞書のあとがきにちゃんと彼の名を入れている。

さて、言葉の重要さを作者に代わって指摘するのは、10年も経ってから配属された岸辺だ。
彼女が途中配属の新鮮な心境から辞書の重さ・言葉の重さ・馬締の生き方を語る。

◆人間関係がうまくいくか不安で、辞書をちゃんと編纂できるのか不安で、だからこそ必死であがく。言葉ではなかなか伝わらない、通じあえないことに焦れて、だけど結局は、心を映した不器用な言葉を勇気をもって差し出すほかない。相手が受け止めてくれるよう願って。
 言葉にまつわる不安と希望を実感するからこそ、言葉がいっぱい詰まった辞書を、まじめさんは熱心に作ろうとしているんじゃないだろうか。
 だとしたら、私も辞書編集部でやっていけそうな気がする。私も、不安をなるべく晴らす方法を知りたい。できることなら、まじめさんと言葉で通じあい、居心地良く会社生活を送りたい。
 たくさんの言葉を、可能な限り正確に集めることは、歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して差しだしたとき、気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。(P186)

・・・この部分は圧巻である。何度読んでもすごい。見事の一言だ。

◆言葉と本気で向き合うようになって、私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲の人の気持ちや考えを注意深く汲みとろうとするようになった。
(P203)

◆言葉はときとして無力だ。荒木や先生の奥さんがどんなに呼び掛けても、先生の命をこの世につなぎとめることはできなかった。
 けれど、と馬締は思う。先生のすべてが失われたわけではない。言葉があるからこそ、一番大切なものが俺たちの心のなかに残った。
(中略)先生のたたずまい、先生の言動。それらを語り合い、記憶を分け合い伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ。
(中略)死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。(P258)

・・・言葉に敏感になることには、かくも重要な役割がある。 そのことを再認識させてくれた。

 作中、何度も「大言海」が出てくる。言葉の海を渡るという意味では、「大渡海」という辞書の名は『大言海』に由来しているのだろう。
 日本初の近代国語辞典『大言海』を作った大槻文彦氏へのリスペクトなのだと思う。

 大槻文彦氏についてはウイキで次のように。

1872年に文部省入省。1875年に、当時の文部省報告課長・西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられ、
1886年に『言海』を成立、その後校正を加えつつ、1889年5月15日から1891年4月22日にかけて自費刊行した。
その後、増補改訂版である『大言海』の執筆に移るが、完成を見ることなく増補途中の1928年2月17日に自宅で死去した。

 「言海」についてはウイキで次のように。

1875年(明治8年)、当時文部省報告課に勤務していた大槻文彦が報告課長の西村茂樹に国語辞典の編纂を命ぜられ、編さんを開始した。
1882年(明治15年)に初稿を成立させたが校閲に4年をかけ、完成したのは1886年(明治19年)である。
元々は文部省自体から刊行される予定であったが、出版が立ち消えそうになったため結局1891年(明治24年)に自費出版することになった。

 国語の教科書(光村5年には、「広辞苑」づくりの様子が伝記として紹介されている。
 『舟を編む』を追い風に、「言葉への敬意」が広がることを願う。ささやかながら自分も尽力したい。

| | Comments (13) | TrackBack (0)

April 21, 2012

「背中で人を導く人 最も尊し」

 『カンブリア宮殿』2012年4月19日放送は、「高齢社」。 「高齢者に働く場と生き甲斐を!」と題した特集でゲストは、高齢社会長(創業者)の上田研二(うえだ・けんじ)氏。

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20120419.html

番組サイトには次のようにある。

==============
高齢社は高齢者が明るく楽しく、みんなで!

高齢社は500人もの登録者を抱える、高齢者専門の人材派遣会社。
就労率は54.4%と、業界平均に比べても非常に高い。
仕事の内容は営業や運転助手、ショールーム受付、水泳のインストラクターなど100種類近くある。
その人気の理由は、低コスト。毎日が日曜日の高齢者には休日手当を支払う必要はないし、新人と違って研修費も必要ないからだ。
この他にも人生の先輩として若い社員に与える影響も大きく、企業として使わない手はない、というわけ。

================

会社HPを見ても、人材派遣サービスの会社としての気概と誇りが感じられる。
http://www.koureisha.co.jp/

ところで、番組の中で一番感銘を受けたのが次の言葉だった。

「言葉で人を導く人 尊し
 仕事で人を導く人 尊し
 背中で人を導く人 最も尊し」

上田社長の言葉なのかどうかは定かではなかった。
よく似た言葉は検索できた。

http://unas.ankh.jp/hikari/web/FMPro?-db=hikari.fp5&-format=detail.html&-lay=web&-sortfield=go&-sortorder=descend&go=590&-max=30&-recid=34594&-find=

語る人貴し
 されど
 語るとも知らず からだで語る人 さらに貴し
 導く人貴し
 されど
 うしろ姿で導く人 さらに貴し

・・・「背中で人を導く」は、「不言実行」の本来の意味である「あれこれ言わず、黙ってなすべきことを実行すること」に近い。

また「言葉・・・仕事(からだ)・・・背中(うしろ姿)」というステップは

「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」

に近いものを感じる。


かつて、教えていただいた「行動規範」とも重なってくる。

 「口頭説明で示す」
→「示範授業で示す」
→「生きざまで示す」

といったステップになるだろうか。

まずは自分が模範を示すことが大事だ。

◆「率先垂範(そっせんすいはん)
・・・人の先頭に立って物事を行い、模範を示すこと。
◆「率先躬行(そっせんきゅうこう)
・・・人より先に自分からすすんで実行すること」

といった四文字熟語が思い浮かぶ。

「背中で教える」という行為は「教えない・放任する」とは正反対だ。
自分の持てるもの全てを見せて見せて学びとらせていくことだ。
「自分もああなりたい」という強烈な憧れをもたせることなしには成立しない。

「背中で教えられる」教師に憧れをもち、自分もそうなるよう修行を積みたいと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 09, 2012

プロの目・プロの指摘~ダルビッシュの投球~

3月のことになりが、ダルビッシュがメジャー2回目の登板をした時、「報道ステーション」で工藤公康さんが解説をしていた。
この日のダルビッシュは調子が今一つだったのだが、工藤氏は、その原因を「コロコロ」と表現した。
ボールを持ったダルビッシュは手触りがしっくりしなかったので何度もコロコロとボールを転がしていたと言う。
確かに映像を見ると、ボールを指先でコロコロさせて握りの位置を探っていた。
そうか、これがこの2回目の登板が調子がよくなかった原因なのか・・・。
なるほど、ボールを指先でコロコロさせるのは、そのような意味があるのだ。

そして工藤氏は、コロコロ転がすのではなく、きちんと両手で握りしめてボールに握りやすい形をつけることが大事なのだと話した。

このように不調の原因と対応策をきちんと指摘できることがプロの目なのだ。

その後、ダルビッシュが、メジャー屈指のバッターのホームランの映像を見る場面があった。
どのような対応をするか・どのように攻略するかをコメントさせたかったのかと思っていた。
ところが、ダルビッシュはホームランを打たれるに至った「それ以前の配球」に問題があると指摘した。
番組はホームランを打たれる前の全投球を紹介し、確かに配球ミスがあったことを裏付けた。

なるほど、これがプロの目・プロのコメントだ。
ホームランを打たれるかどうかは、その1球の結果ではない。
それまでに、どのような配球で攻めていたかが問題なのだ。

これは、かつてドラゴンズの牛島投手が入団会見で
「二死満塁、ツーストライク・スリーボール、さあ何を投げますか?」と聞かれて
「そのツーストライク・スリーボールはどんな球だったのですか?」と聞き返した話と同じだ。

プロならプロらしい、素人が足元にも及ばないコメントができるべきなのだ。

教師に置き換えるなら
教師は、保護者が足元にも及ばないコメントができるべきなのだ。
保護者に言われてたじろいでいるようでは、話にならない。
圧倒的なプロのコメントを目指したい。

2月の授業検定では谷先生から自分の詩の授業に対して
「決定的な違いは、そこではない」
と指摘された。
まさに撃沈だった。

プロ教師になれるよう精進したい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« March 2012 | Main | May 2012 »