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June 23, 2012

地震防災講演会に学ぶ

過日、名古屋大学減災連携研究センター長の福和伸夫氏の地震防災講演会が行われた。
勤務校区の地域防災訓練のプログラムの1つである。
体育館には町内会単位で集合した多くの参加者でにぎわい、内容はとても有意義なものだった。
しかし、残念なことに参加者の大半は地元の老人たち、つまりおじいちゃん・おばあちゃんであった。
福和氏が提示した「南海トラフ巨大地震」の危険性は、おじいちゃん・おばあちゃんの世代より親の代・子どもの代の方が切実である。
子どもが1時間の講演を聞くのは辛いが、講演内容は我が子を守るために親がしっかり知っておいてほしい内容だった。

その指摘の中には妥協のない厳しさもあった。
来校して校長室で待機されている間に校長室の写真を撮られた。
職員室にも入ってこられ、「ああ、これはダメですね」と言いながら写真を撮られ、数分後の講演のプレゼン資料に挿入された。
校長室の額は落ちてくるし、職員室のスチール棚は固定されていないとダメ出しをされた。
「この体育館、本当に大丈夫ですか?」
と居合わせた市会議員に問い詰める場面もあった。

 ○○の場所に住んではいけない

と該当者が聞いたら抗議されかねないことも、口にされた。

その根底にあるのは「歴史に学ぶ」姿勢である。
過去の震災のデータを見れば、どこが危ないかはある程度分かる。
過去の激震地は、後の地震でも大きな被害を出しているとデータが示している。
過去の地盤・地形などを考慮しての断言であった。

3・11の被害を「未曾有の被害」という人もいるが、過去の被害記録は残っている。
869年の貞観地震の様子は「日本三代実録」にちゃんと記録されている。

防災・減災の専門家からすれば、あまりに忘れやすい我々の生き方が許せないのだろう。
会場のお父さんに、自宅の家具は固定されているかを聞いていった。
ほとんどの方が固定されていないと答え、言い訳めいたことを口にされた。
「まだ、へらず口たたいてますね」
「器具は決して高くありませんよ」
「ぼく、こんなお父さんどう思う?」

など口調は柔らかいが、厳しい内容だった。

生死を分ける問題である。
甘い考えの人には、厳しい注意もしなければならない。
そのような福和氏のプロ意識を肌で感じる1時間であった。

※帰宅して調べてみた。
「貞観地震」のウイキペディアによる記述は以下の通り。

現代語訳(意訳)
5月26日20時、陸奥国で大地震が起きた。(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を挙げて身を伏せ、立つことができなかった。
ある者は家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに呑まれた。
驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合い、城や倉庫・門櫓・牆壁[3]などが多数崩れ落ちた。
雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、海嘯が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した。
内陸部まで果ても知れないほど水浸しとなり、野原も道も大海原となった。
船で逃げたり山に避難したりすることができずに千人ほどが溺れ死に、後には田畑も人々の財産も、ほとんど何も残らなかった。

※昭和1ケタの人はみんな「稲むらの火」習いましたよね、と会場に問いかける場面もあったが、「稲村の火」が尋常小学校の教科書に掲載されたのいきさつは、次のようにある。
http://www.inamuranohi.jp/cgi-bin/browse.cgi?no=46&dir=06&model=

 尋常小学校の国定教科書にはまとまった地震の知識に関する項目が全然無いので大震災後、早くも13年を経過した今日、幼い小国民の間には地震に対する知識が甚だ欠乏している。
あの恐ろしい大震災の洗礼もかくては空しくなるから尋常小学校の五年又は六年の教科書に地震の一項を至急追加する事を要すると言う意見。

・・・「あの怖ろしい大震災の洗礼もかくては空しくなるから」と書かれたように、のど元を過ぎたら、すぐに忘れ去られてしまうのは今も同じである。
10年後・20年後に地震が起きた時、人々がどのような行動がとるかは、今我々が行っている防災・減災教育にかかっているという自覚があるか、と問われるとためらってしまう。
少なくとも福和氏は、自分の講演を聞いた人を救いたいという使命をもっているように感じた。

授業参観のプログラムの1つとして防災講演会を企画する方法もある。
そのような親向けの学校の手を考慮することも含め、まずは教師がしっかり震災・防災について学んでいきたい。

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June 03, 2012

悲しみを背負っているのは自分だけではない

子を亡くした悲しみを諭すブッダの話がある。

一人子を病気で亡くした女がいました。
仏陀に「何とかこの子を助けてください」とお願いしたところ、
仏陀は「急いで街へゆき、一度も葬式を出したことのない家を見つけ、芥子粒をもらってきなさい」と言いました。
女は喜んで街中を探し回りますが、そんな家は一軒もありません。
疲れ果てて仏陀のところへ戻ってきた彼女は、この世の無常を知り、ようやく子どもの死を受け入れることができたということです。

お釈迦さまの人生[釈迦伝精選] 一ノ瀬武志 著
第五章 帰依する人々 46. 子を亡くした母
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sak/oshaka/05.htm

新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」と重なってくる。
こちらは「でんでんむし」を主人公にしたお話だが、子供向けとは思えない内容の重さである。

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一匹のでんでん虫がありました。或る日そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは、今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。

「わたしはもう、生きてはいられません」とそのでんでん虫はお友達に言いました。 
「何ですか」とお友達のでんで虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。

すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
それじゃ仕方がないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」

そこではじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どのお友達も同じことを言うのでありました。とうとうはじめのでんでん虫は気がつきました。

「悲しみは誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしはわたしの悲しみを堪えて行かなきゃならない」そして、このでんでん虫はもう、嘆くのをやめたのであります。

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引用元は以下の「浄土真宗のお坊さんのブログ」である、
宗教色が強いと感じるのは、周知の事実なのだろう。

http://jyoushouji.blog17.fc2.com/blog-entry-561.html

人は、不幸な目に逢うと、「なぜ自分だけが・・」と嘆いてしまう。
そのような人間の弱さに対する励ましのメッセージなのかもしれない。

◆悲しいのは自分だけではない
◆自分1人だけが不幸なのではない
◆誰だって悲しみを背負って生きている。

シェイクスピアの戯曲『リヤ王』の中にあるセリフとも重なってくる。

◆「人は皆、泣きながらこの世にやってきたのだ。」

このように、いろんな書物を重ねることで、

「みんな通ってきた道なのだ」
「みんな同じことで悩んできたのだ」

と、自分を慰めることができる。

まさに書物は人間の叡智の結晶なのである。

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