悲しみを背負っているのは自分だけではない
子を亡くした悲しみを諭すブッダの話がある。
一人子を病気で亡くした女がいました。
仏陀に「何とかこの子を助けてください」とお願いしたところ、
仏陀は「急いで街へゆき、一度も葬式を出したことのない家を見つけ、芥子粒をもらってきなさい」と言いました。
女は喜んで街中を探し回りますが、そんな家は一軒もありません。
疲れ果てて仏陀のところへ戻ってきた彼女は、この世の無常を知り、ようやく子どもの死を受け入れることができたということです。
お釈迦さまの人生[釈迦伝精選] 一ノ瀬武志 著
第五章 帰依する人々 46. 子を亡くした母
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sak/oshaka/05.htm
新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」と重なってくる。
こちらは「でんでんむし」を主人公にしたお話だが、子供向けとは思えない内容の重さである。
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一匹のでんでん虫がありました。或る日そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは、今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。
「わたしはもう、生きてはいられません」とそのでんでん虫はお友達に言いました。
「何ですか」とお友達のでんで虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。
すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
それじゃ仕方がないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
そこではじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どのお友達も同じことを言うのでありました。とうとうはじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしはわたしの悲しみを堪えて行かなきゃならない」そして、このでんでん虫はもう、嘆くのをやめたのであります。
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引用元は以下の「浄土真宗のお坊さんのブログ」である、
宗教色が強いと感じるのは、周知の事実なのだろう。
http://jyoushouji.blog17.fc2.com/blog-entry-561.html
人は、不幸な目に逢うと、「なぜ自分だけが・・」と嘆いてしまう。
そのような人間の弱さに対する励ましのメッセージなのかもしれない。
◆悲しいのは自分だけではない
◆自分1人だけが不幸なのではない
◆誰だって悲しみを背負って生きている。
シェイクスピアの戯曲『リヤ王』の中にあるセリフとも重なってくる。
◆「人は皆、泣きながらこの世にやってきたのだ。」
このように、いろんな書物を重ねることで、
「みんな通ってきた道なのだ」
「みんな同じことで悩んできたのだ」
と、自分を慰めることができる。
まさに書物は人間の叡智の結晶なのである。
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