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July 31, 2012

「いじめの早期発見・早期対応について」

平成18年10月19日に文科省から出された「いじめの問題への取組の徹底について(通知)」18文科初第711号。
文部科学省初等中等教育局長である銭谷眞美からの通達文書である。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/001.htm

「いじめの早期発見・早期対応について」

以下の5項目が提示されている。

(1)
 いじめは、「どの学校でも、どの子にも起こり得る」問題であることを十分認識すること。
 日頃から、児童生徒等が発する危険信号を見逃さないようにして、いじめの早期発見に努めること。
 スクールカウンセラーの活用などにより、学校等における相談機能を充実し、児童生徒の悩みを積極的に受け止めることができるような体制を整備すること。

・・・当たり前だが大事なポイントである。3点ある

①「児童生徒等が発する危険信号を見逃さない」
②「スクールカウンセラーの活用」
③「児童生徒の悩みを積極的に受け止めるような体制」

担任には言いにくいこともあるからSCを活用せよということだ。
③の悩みを受け止めるのに必要なのは「場所と時間と人材」。
この3点の確保まで具体化しないと絵に描いた餅になる。

(2)
 いじめが生じた際には、学級担任等の特定の教員が抱え込むことなく、学校全体で組織的に対応することが重要であること。
 学校内においては、校長のリーダーシップの下、教職員間の緊密な情報交換や共通理解を図り、一致協力して対応する体制で臨むこと。

・・・いじめが起きた時に、「担任の指導が悪い」と責めても意味がないことを学校全体で共通理解しておきたい。

(3)
 事実関係の究明に当たっては、当事者だけでなく、保護者や友人関係等からの情報収集等を通じ、事実関係の把握を正確かつ迅速に行う必要があること。
 なお、把握した児童生徒等の個人情報については、その取扱いに十分留意すること。

・・・①「保護者や友人からの情報収集」だから友人だけのアンケートでは手落ちがある。、
  ②正確かつ迅速な「事実関係の把握」だから、大津の場合は、正確さと迅速さでアウト。
  ③「個人情報の取り扱い」も、不十分だと思う。まあ、「隠ぺい」の反動で躍起になって「暴露」されたとも言える。
  

(4)
 いじめの問題については、学校のみで解決することに固執してはならないこと。
学校においていじめを把握した場合には、速やかに保護者及び教育委員会に報告し、適切な連携を図ること。
保護者等からの訴えを受けた場合には、まず謙虚に耳を傾け、その上で、関係者全員で取組む姿勢が重要であること。

・・・教育委員会に報告したからといって「適切な連携」にならないことが、今回明らかになった。
 保護者からの訴えに謙虚に耳を傾けなかったことも、今回明らかになった。
 平成18年の通達が生きていなかったことが、今回明らかになった。

(5)
 学校におけるいじめへの対処方針、指導計画等の情報については、日頃より、家庭や地域へ積極的に公表し、保護者や地域住民の理解を得るよう努めること。
 実際にいじめが生じた際には、個人情報の取扱いに留意しつつ、正確な情報提供を行うことにより、保護者や地域住民の信頼を確保することが重要であり、事実を隠蔽するような対応は許されないこと。

・・・いじめの対処方針や指導計画の公表まで実施している学校はどのくらいあるのだろう。
 「いじめアンケートを実施しています。教育相談しています」と学校HPで紹介する程度のことを意味するわけではないだろう。
 ところで「保護者や地域住民の理解を得る」ことは、地域からの情報提供という意味でもあってほしい。公園やコンビニやゲームセンターでの不穏な動きを地域の方にも見守ってほしい。

 「事実を隠蔽するような対応は許されないこと」は、その通り。
 ただ本当に今回の学校や教育委員会は「隠蔽」したのだろうか。
 「隠蔽の疑惑」はあるだろうが、個人情報の取扱いに苦慮し対応しきれなかったという側面もあると思う。


 「2 いじめを許さない学校づくりについて」

 以下の3点が挙げられている。
 どれも、もっともな指摘である。
 
(1)
 「いじめは人間として絶対に許されない」との意識を、学校教育全体を通じて、児童生徒一人一人に徹底すること。
特に、いじめる児童生徒に対しては、出席停止等の措置も含め、毅然とした指導が必要であること。
 また、いじめられている児童生徒については、学校が徹底して守り通すという姿勢を日頃から示すことが重要であること。

(2)
 いじめを許さない学校づくり、学級(ホームルーム)づくりを進める上では、児童生徒一人一人を大切にする教職員の意識や、日常的な態度が重要であること。
 特に、教職員の言動が児童生徒に大きな影響力を持つことを十分認識し、いやしくも、教職員自身が児童生徒を傷つけたり、他の児童生徒によるいじめを助長したりすることがないようにすること。

(3)
 いじめが解決したと見られる場合でも、教職員の気づかないところで陰湿ないじめが続いていることも少なくないことを認識し、そのときの指導により解決したと即断することなく、継続して十分な注意を払い、折に触れて必要な指導を行うこと。

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「いじめの問題への取組の徹底について(通知)」を読む

平成18年10月19日に文科省から出された「いじめの問題への取組の徹底について(通知)」18文科初第711号。
文部科学省初等中等教育局長である銭谷眞美氏からの通達文書である。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/001.htm

 冒頭部分を読むと、6年前とは思えない。
 6年前と事態は変わらないことが、よく分かる。
 改行しナンバリングして示す。

◆◆◆
①いじめにより児童生徒が自らその命を絶つという痛ましい事件が相次いで発生していることは、極めて遺憾であります。

②児童生徒が自らの命を絶つということは、理由の如何を問わずあってはならず、深刻に受け止めているところであります。

③これらの事件では、子どもを守るべき学校・教職員の認識や対応に問題がある例や、自殺という最悪の事態に至った後の教育委員会の対応が不適切であった例が見られ、保護者をはじめ国民の信頼を著しく損なっています。

④いじめは、決して許されないことであり、また、どの子どもにも、どの学校でも起こり得るものでもあります。

⑤現にいま、いじめに苦しんでいる子どもたちのため、また、今回のような事件を二度と繰り返さないためにも、学校教育に携わるすべての関係者一人ひとりが、改めてこの問題の重大性を認識し、いじめの兆候をいち早く把握して、迅速に対応する必要があります。

⑥また、いじめの問題が生じたときは、その問題を隠さず、学校・教育委員会と家庭・地域が連携して、対処していくべきものと考えます。

⑦ついては、各学校及び教育委員会におかれては、別添「いじめの問題への取組についてのチェックポイント」等も参考としつつ、いま一度総点検を実施するとともに、下記の事項に特にご留意の上、いじめへの取組について、更なる徹底を図るようお願いします。
⑧略
◆◆◆

 ①と②の関連は、重い。
 たとえ自殺の原因が「いじめ」でなかったとしても、そんなことは問題ではない。
 「児童生徒が自らの命を絶つということは、理由の如何を問わずあってはならず、深刻に受け止めているところであります」
という意識があったら、大津の件も、対応が違ったのではないか。

③は、さらに3つに分けられる。
A:子どもを守るべき学校・教職員の認識や対応に問題がある
B:自殺という最悪の事態に至った後の教育委員会の対応が不適切
C:保護者をはじめ国民の信頼を著しく損なっています。

 Aの子どもを守るのは学校・教職員に仕事だという認識。
 当たり前だが、「止められなかった」「分かっていたが何ともできなかった」では話にならない。

 Bの「自殺」は最悪の事態であるという認識。
 保護者からすれば「学校の対応の悪さで我が子は殺された」という思いが消えない。

 Cの保護者や国民の信頼を損なっているという認識。
 「学校はどうせ守ってくれない」というあきらめムードが蔓延したり、教師の指導を聞かなくようなムードが蔓延したりしているのだとしたら罪が深い。

④も2つに分けられる。
A:いじめは、決して許されない
B:どの子どもにも、どの学校でも起こり得るもの

 特にBは、向山先生も指摘された。
 いじめは「どの学校でも起こり得るもの」である。
 月ごとの報告が「ゼロ」が続くことが望ましいのではない。
 むしろ「ゼロ」が続く方が怪しいのだと考えるべきなのだ。

⑤のポイントは2点。
A:いじめの兆候をいち早く把握する
B:迅速に対応する

 Bの「迅速」について向山先生は「24時間以内」という基準を設定した。

 通達は、さらに「いじめの早期発見・早期対応について」で5点提示している。
 これも非常に重いので、次回に考察したい。

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July 29, 2012

イチローの電撃移籍に学ぶ

(1)電撃移籍したイチロー

 11年在籍したマリナーズからヤンキースに移籍したイチローの真意は分からない。
 ただ、たまたま見かけた日本経済新聞には次のようにあった。

===============
 これから体験していく環境の変化に「怖い。不安です」と素直に漏らした。「でも、それを断ち切れるように進んでいきたいし、その覚悟はもっているつもり」と意欲もみせた。
===============

 自分の環境を変えるのは怖い。
 しかし、だからこそ、変えなくてはいけない。
 心地よい場所である「コンフォートゾーン」は、別名「ぬるま湯」である。
 コンフォートゾーンにに安住してはいけない。

(2)ベテランほど発想が落ちる理由
 
 「解決する脳の力」(角川書店)で林成之氏が、上記の見出しで次のように述べている。

================
 自分が作ってきた物を守りたいという「自己保存」の本能が強く働くと、「現状維持」や「安泰」を望む気持ちが強くなってしまいます。「現状維持」とは新たな発想を拒むのと同じことですから、これは見方を変えれば「衰退の始まり」なのです。(P90)
================

 この箇所を読んだとき、自分を変えるなら、ふだんの食べ物が手っ取り早いと思った。
 付箋紙には「老化」と書いた。
 かつて、ミスタードーナツに行って、たくさんの新商品があるのに結局いつも通りのポンデリングを選んで後悔したことがある。次のように記してある。

◆◆
自分の生き方っていつもこうなんじゃないの?
チャレンジ精神が大切だと口にする割には、保守的で殻を破れない。
肝心な時に一歩引いてチャンスを逃す。
いつまで、こんな消極的な生き方を選択するのか。

たかがドーナツ1つ。
でも、そんな選択の仕方1つにも、自分の人生が表れているようで、日頃の心がけの甘さを感じたひとときでした。
◆◆

 「いつも同じ食べ物を選んでしまうのは老化の始まりだ」と思うようになった。
 同様に「いつも同じ店を選んでしまうのは老化の始まりだ」とも思うようになった。
 毎日のランチや、おやつで新しい物にチャレンジするかどうか、その「微差」が「大差」になる。


(3)常連客を取り込むコメダ珈琲はすごいけれど・・・。

 さて、7月26日の「カンブリア宮殿」は、名古屋発祥のコメダ珈琲の特集だった。

===========
1年間、毎日来店する常連客も!コメダの魅力とは?

 コメダの営業時間は朝7時から夜11まで。しかし、ある店では朝6時半から続々と常連客が店に訪れる。
 客の格好はジャージ姿や寝巻きのような姿まで。地域住民にとって、コメダは生活の一部になっているのだ。
 (中略)
 ほかにもコメダには、居心地の良さを生む秘密がたくさん…。 日本マクドナルドホールディングス取締役上席執行役員からコメダの社長となった安田隆之は言う。「コメダは、名古屋で磨き抜かれ、全国にも通用するビジネスモデルだ!」。

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20120726.html
============

と番組HPにあるように、常連客を生み、朝昼夜とそれぞれの客層をうまく取り込み利益を上げている。

 「お客さん、いつものでいいですよね」という接客は心地よいのだろう。
年配の方が朝のゲートボールや農作業帰りに立ち寄り、「いつもの」を注文する。
 まあ、そのような空間は心地よいのだろう。
 まさに「コンフォートゾーン」である。
 しかし、居心地のよさは時に停滞を招く。

 むろん、大切な方を招待するような場合は、定番中の定番でかまわない。
 しかし、大切なお客さんに満足してもらうようなお店をセレクトするなら、それこそ、数多くのお店にチャレンジしておく必要がある。
 「これが一番!」と言い切るなら、20や30の候補を経験しておくべきだろう。
 2つ3つの経験で「これが一番」だと決めてしまうことの方が、むしろ傲慢なのである。

 そんなわけで、年配になって常連になるのはかまわないが、まだまだ若い人は、定番に安住してはいけない。
 コメダ珈琲は時々お世話になっている。
 時間調整や待ち合わせにはもってこいである。
  
 しかし、まだまだ「ベストチョイス」だとは思わない。
 ベストを決めるためのチャレンジを怠ってはいけない。

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July 22, 2012

「いじめ」報道は、傍観者の心を傷つけることがある。

◆あれほどのいじめなのにどうして止められなかったのか
◆知っていたのにどうして親や先生に言わなかったのか
◆自分が動いたら、自殺しなくてすんだかもしれない

 そのように自分を責める子がたくさんいると思う。
 「だから 悪い」のお話ではないが、確かに傍観するのは悪い。
 しかし、傍観者も報復が怖かったのかもしれない。
 傍観者を責めるのは酷だ。

 マスコミ報道には、そのような視点の配慮が欠けている。
 隠ぺい体質の教育委員会を擁護するつもりはないが、マスコミに対し教育委員会は「これ以上学校を責めれば、いじめを止められなかった在校生の心も傷つくのでやめてほしい」といった声明を出してほしい。

 かつて、恐喝事件で大々的にある中学校が話題になったことがある。

 その学校の子どもたちも、部活動の大会があれば、学校名の入ったユニフォームを着てのぞむ。
 大きな文字で学校名がプリントされているユニフォーム。
 その学校名が、悪い意味で広まったとしても、ユニフォームから名前を消すことはできない。

 審判の何人かの先生で、「ふつうの子がかわいそうだよな」という話をした。

 今年の、大津の中学校も、それぞれの部活動の大会で辛い思いをしているのではないだろうか。
 教師の不祥事も警察の不祥事も、ほんの一部の人間のせいで、全体が白い目で見られる。
 それは大人なら我慢できる。

 しかし、そのような試練を中学生に課すのは酷である。

 学校名が報道されることで、多くの生徒が悲しみ、嫌な思いをすることを報道する側はどう考えているのか。
 マスコミが第3の権力と言われるのは、権力者に向けて刃を向けるからだ。
 教育委員会や学校組織を糾弾するのはかまわないが、その反響や批判が中学生に及ぶなら、もっともっと慎重な対応が必要だったのではないだろうか。

 正義面をして過剰報道する態度は、「いじめ」と同じ発想に思えてしかたない。

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いじめられた本人は「いじめられた」と言わないと思え

◆いじめられたら相談しましょう。
◆いじめのアンケートに正直に書きましょう。
と勧めても、 自分からいじめられていると言わないのが「当たり前」だと思った方がいい。
 仕返しを恐れているから、当然だ。

 アンケートをしても、聞き取り調査をしても、出てこないかもしれない。
 だからといって油断してはいけない。
 教師自身が現場を押さえるか、周囲からの情報をもとに根気強く声をかけ、目をかけ、配慮する。

 さらにいうと
 裸にされる・大金をとらえる、といった悲惨な場合ほど、子どもは訴えない。
 言うのもつらいほど屈辱的であったり、あまりの規模の大きさに、今さら言うに言えなかったりするからだ。

 1000円とられたなら相談できるが、何十万になってしまったら、もう言えないのだ。

 本人が打ち明けるような場づくり・雰囲気作りを講じるのも一手。
 教師が証拠をつかんで、本人につきつけるのも一手。

 教師が待っているだけでは、いじめの発見はできない。

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いじめを防ぐのは大人の責任

かつて名古屋でも、被害者から巻き上げたお金でタクシーに乗って豪遊する事件があった。
名古屋から東京までタクシーに乗ったと言う。尋常じゃない。
タクシーの運ちゃんは、お金さえもらえば、かまわなかったのだろうか。

いかにも1人の子がグループ全員のお菓子を買わされていたとする。
コンビニの店員は、お金さえもらえれば、それでいいのだろうか。

いじめは学校だけで起こるわけではない。
学校周辺から情報が寄せられればたくさんの子が救われる。
身近な大人がけん制したり忠告したりすればたくさんの子が救われる。

被害者の学校で「見て見ぬふりをしてしまった傍観者」がいたように
地域にも「見て見ぬふりをしてしまった傍観者」がいる。
加害者が巻き上げたお金で利益を上げた人もいる。

糾弾するつもりはない。
もっと冷静に、もっと真摯に、

◆地域で協力していじめを防いでいきたい。
◆地域でいじめを撲滅しよう

が広まらないかと思う。

かつて暴走族を食い止めるキャッチフレーズは

◆しない・させない・みにいかない

であった。
地域がいじめを撲滅するには

◆しない させない 見ぬふりしない

になるだろうか。

中学生が何万のおかね巻き上げたお金で何かするのを「水際」で食い止めたい。
運転することが分かっていてお酒を売るのは違法なのだから、
恐喝まがいのお金だと分かっていて何かを売るもの違法であるべきだ。
虐待通報に義務があるなら、いじめ通報も義務化すべきだ。

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July 09, 2012

『あこがれ先生フォーラム』~背中で語る大人・教育とは~

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『あこがれ先生フォーラム』~背中で語る大人・教育とは~


拝啓  初夏の候、皆様におかれましてはますますご盛栄 のこととお慶び申し上げます。

本年、背中で語る教育推進委員会では、「背中で語る先生」「魅力ある先生」をテーマに 掲げ、昨今の教育現場に対する否定的な論調に惑わされることなく、日々教育に前向きに 取り組み、努力されておられる先生方を応援し、その姿勢や取り組みを伝播していくこと を目指しております。
そして、この度『あこがれ先生フォーラム』では、日々教育現場で奮闘されておられる 先生3 名を講師にお招きし、第1部では日々の指導についての講演を、第2部においては 更に具体的な指導法に触れていただくために、ポスターセッションを行います。
上越教育 大学の学生におかれては、将来の目指すべき姿を考え、更なる意識の高揚の場として、ま たメンバーの皆様には、地域に暮らすひとりの大人として、親として、「学校教育」について認識を深め、教育の当事者としての意識を醸成する機会として頂ければと存じます。
皆様におかれましては、何かとお忙しい時節とは存じますが万障お繰り合わせの上、是 非ご参加頂きますよう宜しくお願い申し上げます。

・・・上越青年会議所主催の教育フォーラムの案内である。、
トップページには、「自分がやらねば誰がやる!」 とある。

http://joetsujc.com/2012/?p=2198


背筋の伸びるメッセージである。

NIMBYとYIMBYの違いを彷彿させる。

NOT IN MY BACK YARD

直接の約は「自分の裏庭には御断り」

日本語訳は「迷惑施設」。

ウイキによれば
NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあってほしくない)の略で、「施設の必要性は認識するが、自らの居住地域には建設してほしくない」とする住民たちや、その態度を指す言葉。日本語ではこれらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」[1] 「嫌悪施設」[2]などと呼称される。

一方、YAMBYは

YES IN MY YARD = どうぞ私の裏庭へ

ということで、歓迎施設ということになる。

誰もやらないなら俺がやる
みんなのためになるなら喜んでやる
頼まれたら喜んでやる

そのような人間でありたいと思う。

英語で「やりたい人?」は「Any volunteer?」という。

volunteer には,「ボランティア」だけでなく
一般に「自主的に進んで何かをする人」という意味がある。

volunteerの精神を持ち続る人間でありたいと思う。

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July 07, 2012

言語活動の授業は、やらせっぱなしになりやすい

「言語活動」中心の授業は「話し合いや説明、発表等の活動が多くなり教科の学習を貧弱にする」という指摘を伺うことがある。ここには目的と方法(結果)の混同が見られるが、実際にそうなったら「言語活動」の本来の設定目的とはズレた事態になる。

・・・『国語教育』2011年3月号の佐藤洋一氏の指摘である(P114)。

 「~指摘を伺うことがある」と、やんわり書いてあるが、自分の実感としては
◆「言語活動」中心の多くの授業は、話し合いや説明、発表等の活動が多くなり教科の学習が貧弱になっている。

と思う。
言い換えると

◆「言語活動」中心の多くの授業は、話し合いや説明、発表等の活動が多くなり、指導がおろそかになっている。

と思う。
いわゆる「活動があって、指導がない」の授業である。

あるいは

◆「言語活動」中心の多くの授業は、話し合いや説明、発表等の活動そのものが目的になってしまい、それらの活動によりどんな教科の力をつけさせるのか(結果としての学力)が不明になっている。

と思う。
佐藤氏が「目的と方法(結果)の混同」というのは、この意味だ。

 話し合いは、ある目的を達成するための手段にすぎない。
 正確な引用はできないが、新学習指導要領の作成にあたり、従来「子ども中心主義の授業に主眼をおくあまり、教師の指導が遠慮される風潮があった」と聞いている。
 だからこそ、「習得ー活用」の2段階が明確にされた。

◆習得段階は、しっかり指導せよ
◆活用段階は、子どもの応用力に任せてみよ

 教えるべき時・教えるべき内容は、きちんと教える、という当たり前のことが、「言語活動」や「交流」や「学び合い」という言葉にかき消されてしまっている。
 佐藤氏は、「言語活動」の本来の設定目的とはズレた事態と言うが、そもそも「言語力育成・言語技術育成」と言えばいいところを、「言語活動」とした時点で、誤解される要因をつくってしまったのだ。

 佐藤氏は次のように言う(前掲書P115)

==============
より大事なのは「子どもの学びの思考過程や事実」をきちんと教師が瞬時に診断でき、的確に評価して子どもに返す、結果的に学力保証の結果責任を果たすことである。
==============

 やらせっぱなしでなく、きちんと指導をしろ、の意味だと理解した。

 同様の指摘が、光村図書の「国語教育相談室小学校75」にある。
 髙木まさき氏は次のように言う(P5)

==============
何より重要なのは、子どもたちの考えを発表させるだけで終わるのではなく、それを教師が意味づけたり整理したりし、子どもたちが確認できるようにするということです。そうすることで初めて、子どもたちは出てきた考えのどこがどう違うのか、なぜ違うのかということが考えることができるんだと思うんです。
==============

 やらせっぱなしでなく、きちんと指導をしろ=きちんと評価しろ、の意味だと理解した。

 授業の最後で子ども各自に振り返りカードを記入させ、一部の子が発表して終わる授業が多い。
 「今日の授業では、ナンバリングによる意見の言い方が分かりやすくてのよかったね。」
のように技術的な指摘をきちんと加えるから指導になる。
 子どもの振り返りではとうてい出てこない的確な指摘こそが、教師の仕事である。
  そのような教師の総括・総評がない授業は、「活動あって指導なし」の授業であると言わざるをえない。

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デイベート+アサーションで「学級討論会をしよう」

 6年の「学級討論会をしよう」(光村国語)は、いわゆるデイベートの単元である。
 1つの問題を肯定側・否定側が順に述べて、最後に討論を聞くグループが「まとめ」をする。
 ただし」、「デイベート」という用語は使われていない。

 肯定・否定が順に述べて聞いていたグループがまとめるのだから、通例では「デイベート」である。
 しかし、「デイベート」という言葉を使えば、正式なルールがどうかという批判もくる。

・小学生には無理だ。
・うまく指導できない。、
・コイントスで、肯定・否定を試合直前に決めなければいけない。
・判定はどうするのだ。
・デイベートをすると、勝ち負けにこだわって雰囲気が悪くなる。等々


 そのような批判をかわすには、デイベートのようなスタイルをとりながら
 「判定」は、させず、
 「反駁」は、させず、
 学級討論会という言い方をする
という手を考えたのかもしれないが、邪推だからこれ以上言わない。

 ところで、この6年「学級討論会」の単元には、討論会の後で「伝えにくいことを伝える」(6年)という相手を傷つけずに断る言い方のコミュニケーションコラムがある。
 これは、「言い負かす」印象の強いデイベートと真逆で、相手の感情を損なわずに自分の立場を理解知れもらおうというアサーションの考えに基づいている。

 論理的な正しさがあれば相手の感情を逆なでしてもかまわないといった印象があるデイベート。
 相手を傷つけない言い方を学ぶアサーション
 この2つをセットにしている教科書会社の意図を、教師はしっかり理解しないといけない。

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