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January 23, 2013

「海の命」の「の」の検討

ギャグみたいなタイトルになってしまった。

「海の命」の教材分析を「の」に絞って行う。
 とりあえず「デジタル大辞泉]による「の」の解説。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/171157/m0u/%E3%81%AE/

「海の命」の用法なので、連体修飾格の解説だけでよい。

1 連体修飾格として諸種の関係を表す。
㋐所有。…の持つ。…のものである。「会社―寮」

「海の持っている命」

㋑所属。…に属する。…のうちの。「財務省―事務次官」

「海に属する命(海に含まれる命)」

㋒所在。…にある。…にいる。「大阪―友人」

「海にある命」

㋓行為の場所。…における。…での。「異国―生活にも慣れた」

 これは該当しない

㋔時。…における。「夏―蝉(せみ)」

 これも該当しない

㋕作者・行為者。…の作った。…のした。「校長―話」

 「海が作った命」

㋖関係・資格。…にあたる。…としての。「友達―田中君」
 たぶん該当しない

㋗性質・状態。…のようすの。…の状態である。「縦じま―シャツ」

 該当しない


㋘材料。…で作った。…を使っての。「木造―家」

 海でできた命? 該当しない

㋙名称・人名。…という名の。…という。「富士―山」「三河―国」

 海という名の命

㋚数量・順序。…番目の。「多く―船」

 該当しない

㋛対象。…に対する。「反乱軍―鎮圧に成功する」
該当しない

㋜目標。…のための。「お祝い―プレゼント」
 該当しない

㋝比喩。…のような。「花―都」
「海のような命」


該当したもののみ修正して再掲する。


㋐所有 「海が持っている命」
㋑所属 「海に含まれる命」
㋒所在 「海という場所にある命」
㋕行為者「海が作った命・海がもたらした命」
㋙名称 「海という名の命」
㋝比喩 「海のような命」


ここまで調べても難しい。

①「海の中にある様々な命」

のことか

②「海そのものの命」

なのかも定かでない。まだまだ分析が足りない。

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January 14, 2013

「法律だから守る」「書いてないから分からない」は同じ思考レベル

「法律だから守れ」というだけの指導ではモラルのある子は育たない。
 「当たり前のことができるように」という指導が徹底できないと、屁理屈を言う生徒に負けてしまう。
 「そんなことは、どこにも書いていない」
 「どうして、やらなければならないの」
 「やらないと、逮捕されるの?」
 「自分にとっては『当たり前』ではない」
というような主張に屈してしまうのだ。

 同じことは国語の指導でもある。
 読解の授業の中で、書いてある言葉を抜き出す作業は簡単で誰でもできる。
 「そうだよね、ここに書いてあるからね」で決着する。
 主題を考える場合、『走れメロス』は「信頼」「友情」などの言葉が出てくるから、ある意味でバレバレである。
 一方、どこにも書いていない言葉で作品の主題を考えさせる作業は難しい。
 たとえば『桃太郎』からは「正義」「団結」、 『うさぎと亀』から「油断大敵」「努力」などの言葉を考えさせる場合だ。

 客観性がないから生徒に納得させるのが難しい。
 でも、そこで「そんな言葉どこにも書いていない」という不満に屈してはいけない。
 書いていないことも想像で埋めていくこと=行間を読むことがとっても大事な読み方なのだということを何度も何度も繰り返していく必要がある。
 曲解や妄想はいけないが、ある程度の範囲で許容される解というものがある。
 だから正解が1つしかないという指導もしない。

 モラルの指導と国語の主題指導が、自分の中ではリンクしてきた。
 「書いていないから分からない」
 「書いてあることしか考えない」
という発想では「発想が貧弱だ」ということを国語では教えていく。

 そして、日頃の生活指導では
「そんなこと書いてなくたって当たり前だ」
「言われなくたって自分で考えて行動するんだ」
「自分の常識が他人に認められるかどうかはいつも試されているんだよ」
と語り続けていこうと思う。

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January 13, 2013

プロの技術は思いあがったとたんに成長がとまる

 Bbm102030


このところ、努力の大切さを何度か書いている。
 今回も同じテーマになる。

 松井秀樹選手の引退に絡んで、張本勲氏の著作を読んだ。
 張本氏は、プロ入団の同期の王選手について、「王貞治から受けた衝撃」と題して、次のように書いている。

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 首位打者のタイトルを取った1961年あたりから、夜の宴席に招かれることが多くなった。私は、顔で笑いながら、心のなかでが“早く帰ってバットを振りたい”とだけ考えていた。そして実際、頃合いを見計らって早く帰るようにしていた。先輩と酒を飲みに行っても「お先に失礼します」と頭を下げるのが常だった。
 私以上に素質がありながら、酒やバクチ、あるいは女に溺れてダメになっていった選手を目の当たりにしていたので、自分はそうならないように、コツコツ、コツコツ、練習を重ねていった。
 プロ入りから5年間は、自分でも相当バットを振り込んだと思っていた。しかし、実は慢心していたのだと気付かされたのは、まさにその5年目の63年、オールスターゲームで、久しぶりに王と再会したときのことだった。
 この前年、62年に王は初めて本塁打王のタイトルを獲得していた。一方、私はシーズンMVPとチームの日本一を経験。61年には首位打者にもなっている。
 「王がホームラン王?それでもオレのほうが上だろう」
 なんともエラそうに考えていた私は、オールスターの試合前、冷やかし半分で王のバッティングをのぞきに行ったのだが・・。
 いきなり氷水をのぼせた頭にぶっかけられた。そんな衝撃を受けた。
 打球の勢い、スイングの早さが、以前の王のそれとはまるで違うのだ。オレはいったい、何をやっていたんだ。完全に遅れを取った。
 私もバットは振ってきた。しかし、あとから考えれば、ただ振っているだけだった。同じ300スイングでも、魂を込めて振っていない。心のどこかに慢心があった。知らず知らずのうちに天狗になっていた。(『最強打撃力』P112・113)
 
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 その仕事に何年も携わっていると、当然のように、上述のようなことが起こる。
 
 ◆心のどこかに慢心があった。知らず知らずのうちに天狗になっていた◆

 魂のこもらない反復練習では効果が薄い。
 慢心すれば、どこの世界でもおいてきぼりにされる。
 その事実を、向山洋一氏は、かつて、『続・授業の腕をあげる法則』の中で、「M氏」の手紙として紹介している(P186・187)

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 教育技術法則化運動からしばらく遠ざかっていた後の参加。夏期の合宿に参加して驚いたことが一つ。スタート地点ではほぼ同程度だったのにもかかわらず、他の若手の教師とは既に雲泥の差がついていたことである。『書くことによって本人はのびていく』という向山氏の言葉どおりであった。今の私ではたちうちできない。まさにカルチャーショックである。今から『先に行ってしまった人』に追いつけるだろうか・不安ではあるが向山氏の言葉を頼りにレポートの量産につとめたいと思う。
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 向山氏は、慢心することの愚かさを、「授業の原則(技能編)」でまとめている。

第7条「技術は、向上していくか、後退していくかのどちらかである」 (「本を読まないで自分で考えながらやる」などというのは思い上がりもいいところであり、不勉強・不誠実この上ないのである)

第8条「プロの技術は思い上がったとたん成長がとまる」 (ただの凡人にすぎぬ私達が、プロの教師をめざす以上、思い上がりは致命傷なのである)

 M氏のようなカルチャーショックを乗り越え、具体的な努力を再開した人のみが、さらにステップアップできる。

 張本氏の『プロ野球への伝言』には、次の章がある(P93~99)。

 ■プロで成功するには「努力」6割、「自己管理」2割、残りの2割は・・・■ 
 
 残りの2割は「よき指導者との出会い」だと張本氏は言う。
 「歴代の大打者を見ると、誰もが不思議とよき指導者と巡り合っている。」とも述べているが、もちろん教師の世界だって同じだ。
 そして、「大打者は皆、共通した性格をもっている」として、次のように述べている。

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 それは神経質で臆病なところだ。豪放磊落(ごうほうらいらく)な者はこの世界では、まず大成しない。
 あのワンちゃんでさえ、シーズンが開幕して第1号ホームランが出るまでは「今年は1本も打てないんじゃないか」と心配でしょうがなかったという。
 私も4打数4安打した日でも、「たまたまピッチャーの調子が悪かったんじゃないか。明日は1本もヒットが出ないかもしれない」と気を揉んだものだ。
 大打者ほど、いつも不安な気持ちでいるものだ。だから死に物狂いで練習する。そして、練習量が自信となって、いいパフォーマンスが出せるようになる。大事なことは、いくら好成績を残しても「自分を疑え」ということだ、それが猛練習のモチベーションとなるのだ。
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 向山氏も有田先生との「立ち合い授業」の時、はじめの1、2分、足がふるえていて困ったそうだ。

◆「どれだけ経験しようと、プレッシャーはかかる。だからこそ成長するのである」◆

と述べている(前掲書P91)。
 年末に見た番組の中で、ビートたけしも

◆「舞台に上がる前に緊張しない奴を、俺は信用しない」◆

というような発言をしていた。
 プロの世界の厳しさ・修行や練習の重要性において、張本氏と向山氏の主張には、共通点がある。

 ここで述べたのは、少しだけ本を読んだり,学習会に参加したりして満足してしまった方への警鐘である。
 むろん、それは私自身への警告でもある。
 自戒を込めて書いた次第である。

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January 02, 2013

泥水もすすらないまま、「命を賭けた」なんて言えない。

 昨年末に引退を表明した松井秀樹選手。さみしい話題ではあったが散り際の見事さを感じるさわやかな引退会見だった。
 トーリ監督やジータ選手が、松井選手を「誇りに思う」と述べており、その真摯な態度が評価されている。
ブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネージャーは、「誇りと規律と才能を持ってプレーした。みんなが自然に引かれたのは、彼の性格を表したもの。真のプロだった。」 と述べたという(12月28日(金)中日新聞夕刊)。

「背中で語る」
「行動で示す」

というのだろうか。
 このように評されるプロになりたいと思う。

 さて12月28日(金)の読売新聞には、次のような記述があった。
==============================-
 決して不完全燃焼のままユニホームを脱ぐんじゃない。 今年4月、レイズとマイナー契約を結んだ直後に、こんな話をしている。
「俺さ、『命を賭けて頑張りたい』って宣言してアメリカに来たでしょう。泥水もすすらないまま、「命を賭けた」なんて言えない。 はいつくばって、やるだけやって、ダメならすっきりと結果を受け止めるよ」
================================

 ヤンキースを移籍した後の松井選手はマイナーも経験し、「晩節を汚す」と感じる部分もあった。
 しかし、はいつくばって、やるだけやったと実感するまで松井選手はチャレンジを続けた。

◆泥水もすすらないまま、「命を賭けた」なんて言えない。◆

 この言葉にしびれた。
 「死に物狂いで頑張る」
  「必死で頑張る」
といった言葉を軽々しく使う人も多い。
 「泥水をすする」ような屈辱や苦難なしに用いる言葉ではないということだ。
 大仰な言葉に酔うことなく、苦難に耐え、不断の努力を積んでいきたいと思う。

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January 01, 2013

「神仏習合」の歴史(2)~聖徳太子の功績~

一昨年の12月31日に、およそ次のように書いた。

 神様と仏様の違い・神社と寺院(神社・仏閣)の違いは結構難しい。
 初詣は神社だけではない。寺院でも、初詣は行われる。
 神社は2礼2拍手1礼で参拝する。
 寺院は祈祷(加持祈祷)。寺院は「護摩木」を焚いたりするでしょ。除夜の鐘も寺院のみ。
  元来、日本は「八百万の神」が存在する「多神教」の国だが、天皇家(天つ神)がすべてを古来の神(国つ神・出雲系の神々)を統率する形で日本の神話が形成されていった。
 日本の神話体系は、天皇家が天孫降臨した神の子孫であることを示し権力誇示に利用されている。
 かつて天皇は「神」であったのだ。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2011/12/post-77b2.html  
 
 さて、今年は、この続き。少し違う角度から。 
 
 堺屋太一著の『日本を創った12人』(PHP新書)の「聖徳太子」の項で「神仏習合」について述べられている。
 抜粋引用し、再構成する。p30~33

◆クリスマス・パーテイーや教会での結婚式だけは取り入れる。けれどもお葬式は仏寺で行う。
 盆踊りにも行けば、初詣にも行く。座禅も組めば御輿も担ぐ。
 これに何の矛盾も感じることなくわれわれは行っている。
◆仏教と神道が併存することは、本当はかなり無理がある。
◆宗教的にいうと、一つを信仰することは他を排することでもある。
 だから、複数の宗教を同じ人間が同時にしてもよいというほどの堕落はない。
◆天皇家から天皇が出るのは、天皇家が天照大御神の子孫であり神武天皇の後裔である、という神道神話に基づいてのことだ。 その神道を否定してしまったのでは、なぜ天皇家だけから天皇が出るのか、その必然性が失われてしまう。
◆(中国から入ってきた文化の1つである)易姓革命というのは、天は有徳の者を皇帝に選ぶ。これを天命という。
◆いわば万世一系は大事ではなく、有徳な者が天皇になるべきなのだというのだから、天皇家にとっては累卵の危うきである。太子は個人としては仏教徒だったが、政治家としては天皇家の一員であり、神道神話の保護者でなければならなかった。この矛盾を理論的倫理的に解決するものとして、「神・仏・儒の習合思想」なるものを考え出したのである。

◆これを考えついたのは、世界広しといえども聖徳太子ただ一人だ。日本以外の国で、多数の宗教を同時に同一人が信じてもよいといった宗教者は、まずいないであろう。
◆聖徳太子は仏教を信仰し普及させたが、神道を弾圧した気配はまったくない。むしろ神道にも理解を示し、援助を与えた。ここに日本人の宗教観を決定する要素があった。
◆聖徳太子の発想と実績は、宗教的には堕落である。けれども政治的には飛躍である。
◆かくして、仏教が入ってきても、伊勢神宮は信者をまったく失わなかった。そして連綿と今日に至るも御遷宮が行われ、お伊勢参りの人は絶えない。
◆日本で宗教対立を主因とする戦争がなくなったのは、聖徳太子という天才が現れ、理論構成の巧みさと訴求力の強さによって習合思想をはじめたからだ。
◆聖徳太子は世界でただ一人、習合の思想を発案した偉大な思想家である。そして今日に至るも日本人の骨身にまで浸みこんでいる。

 斉藤武夫氏のウェブに次のような解説がある。

 斉藤氏も、上の堺屋太一氏の本に学んだことを明記している。
 http://aokihumu.blog69.fc2.com/blog-entry-10.html

==================
(推古十五年春、二月)九日詔して、「古来わが皇祖の天皇たちが、世を治めたもうのに、つつしんで厚く神祇を敬われ、山川の神々を祀り、神々の心を天地に通わせられた。
これにより陰陽相和し、神々のみわざも順調に行われた。
今わが世においても、神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」と言われた
 十五日、皇太子と大臣は、百寮を率いて神祇を祀り拝された。

 これを敬神の詔という。推古十五年は西暦六〇七年のことだ。
 推古天皇は、先祖の信仰を継承して伝統の神々を祀り続けることを誓ったのである。この詔の起草者が聖徳太子であることはいうまでもない。
それを受けて、太子と蘇我馬子という仏教推進派の二大巨頭が、わざわざ朝廷の全役人を集めて、日本の神々を祀る行事を盛大に行ったのである。
 朝廷は新たに外来の仏さまを祀るが、それは日本の神々への信仰を捨てることではない。ともに大切にしていくのだという大方針を内外に明らかにしたのである。
 こうして、およそ半世紀の抗争は決着した。わが国は仏教も神ながらの道も共に尊重して、国づくりを進めることになったのである。
 異質な宗教の衝突は、洋の東西を問わず「あれかこれか」問題になるほかはない。仏さまを信じるのなら、国つ神には去ってもらうほかないというのが世界の常識である。
前述した蘇我氏や物部氏の物言い見ても、彼らがそれを二者択一問題としてとらえていることがわかる。キリスト教はオリンポスの神々やゲルマンの神々を滅ぼした。
イスラム教が広まるときも同様であった。それら新時代の理念宗教に席巻された地域では、土着の自然宗教はことごとく滅びていったのである。
 もしそうなっていたら、わが国の国柄は大きく変わっていたと思われる。大和朝廷は、神々を祖先にもつ王家であることに王権の正統性を見いだしていた。
もし、その神々を追放すれば、天皇家は大和の国に君臨する正統性を失っていたはずである。そうなれば、次の天皇がその皇太子である必然性はない。
国を治める真の実力があるかないかだけが問題を決定するだろう。結果的に、日本も中国のように姓の異なる王朝が交替し続ける国になっていたと思われる。
武力抗争で王朝交替をくり返す不連続の国柄になっていたかも知れないのである。
 聖徳太子の天才は、宗教の衝突を「あれもこれも」という日本らしい解決法で乗り切った。仏教派の先覚者として導入の先頭に立った聖徳太子が、同時に日本の国柄を構想する政治家として「敬神の詔」を発し、仏教導入後も、従来通り伝統の神々を祀り続けることを誓ったのである。
 この文明戦略は、以後わが国が外来文明を導入する際の自覚的な方法となって継承されていく。外来文化と日本の伝統文化を統合しながら、日本の伝統を再構成し続けるという道である。
宗教でそれができるなら、他の技術や知識でできないことはない。外来のものであれ、日本古来のものであれ、「良いものは良い」「ダメなものはダメだ」という、偏見を持たない、時代に即応した取捨選択が可能になったのである。
 ここに記した仏教伝来の教材観は、堺屋太一『日本を創った十二人』(PHP新書)に依拠している。私はこの本の「第一章、聖徳太子」から激しい衝撃を受け、日本という宿命の原型を見た思いがした。
この授業は、本書に触発されて生まれたものである。
 「あれもこれも」という構えは、ときに私たちを縛る足かせのように見えることがある。しかし、その大方針がなければ日本の歴史はなかったのである。
私には、それがよかったか悪かったかといったような他人事の議論はできない。私たちは今もなお、聖徳太子が直面したのと同様の宿命を生きているのだと思えるからである。
====================

 斉藤氏は、自分の言葉で、この文章を創り出しているのだろう(むろん堺屋氏も)。
 自分は、引用紹介が精一杯である。
 興味ある話題について、自分の言葉でまとめ語ってみたいとつくづく思う。

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