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February 12, 2013

「いじめ」はなくならないからこそ、なくす努力が必要になる!

Koji


 2月10日、豊橋のカリオンビルで長野県の小嶋悠紀先生の講座があった。
 その中で「いじめ」に関するお話があった。

◆「いじめ」のような相手をおとしめる快感は、脳の側座核で感じるものである。

 「いじめ」は人間の脳が欲する快感なのだという主張は、以前どこかで同じような指摘を聞いたことがあったようななかったような・・
 というわけで、帰宅して調べてみた。

2007年3月の中日新聞の特集に、「いじめ」と「脳」の関連記事がある。

http://www.chunichi.co.jp/hold/2007/ijime/list/200703/CK2007031802102058.html.

=============引用ここから
 (前略)
 ヒトはなぜ、いじめるのか-。この難問に対し、ヘビなど爬虫類(はちゅうるい)の脳に、答えを求めるのは、浜松医科大名誉教授(大脳生理学)の高田明和(71)だ。「いじめは、爬虫類の脳の暴走なんです」
 人間の脳は三層構造だ。高田の表現だと「進化の過程で、古い脳の上に新しい脳を建て増してきた」。最も奥には「爬虫類の脳(ヘビの脳)」と呼ばれる脳幹など、それを哺乳類(ほにゅうるい)になって発達した大脳辺縁系、いわば「イヌ・ネコの脳」が包む。さらに外側を、霊長類、特に人間になって発達した大脳新皮質、「ヒトの脳」が覆う。
 高田によると、「爬虫類の脳」は「命の脳」ともいわれ、呼吸や心臓の動きなどを司(つかさど)る。そして「本能的に自分の縄張りを守って敵を襲い、排除しようとする」。「イヌ・ネコの脳」は、相手を敵、あるいは嫌なやつだと感じて攻撃する。そして、嫌な相手でも許そうか、と考えられるのが「ヒトの脳」だという。
 この3つの脳のバランスが不安定になると、攻撃的になり、いじめにつながることがある、というのが高田の考えだ。「原始的な感情で動く『イヌ・ネコの脳』、一番奥底にある『爬虫類の脳』が理性の脳を追いやり、わがもの顔で脳全体を支配するからだ」と高田は説く。
 高田によると、脳のバランスが崩れるのは「疲れている時、自信がない時、いらいらしている時」。そのカギと考えられるのが、脳内の神経伝達物質「セロトニン」だ。精神安定に関係し、情緒不安定の時には少なくなっているとされる。
 攻撃的な個体を交配させてつくった高い攻撃レベルを示すネズミでは、セロトニンの脳内濃度が低かったとの報告もあるという。
 高田は言う。「誰もが、いじめる脳をもっている。いじめる子は決して特別ではない。だから、脳のバランスをいかに保たせるか、から考えないと」
 同じ脳科学の専門家でも、京大名誉教授で日本福祉大教授(認知神経生理学)の久保田競(74)は、考えが違う。いじめは複雑な行動だとし、本能や衝動ではなく、「快感」から読み解く。曰(いわ)く、「いじめであれ、どんな行動であれ、それを『繰り返す』のは脳が快感を感じているからだ」。
 久保田によれば、その仕組みはこうだ。
 中脳の中には「A10(エーテン)神経核」と呼ばれる神経細胞の集まりがある。何かの行動などで、ここが活性化すると、「前頭前野」「運動野」「海馬」、さらには「側座核」の神経細胞にまで伸びる「軸索」の末端からドーパミンという神経伝達物質が放出され、それぞれが活性化する。
 このうち「側座核」は、人間が快感を感じている時に血流が増すことが最近、脳の断層画像で確かめられた領域。かくて、快感は生まれるのである。
 そして、これらの領域全部の活性化が、再びA10神経核を活性化させ、ドーパミンをさらに分泌させるという「快感循環」をもたらす。どんな行動であれ、積極的に繰り返している時には、この循環が起きていることも最近の研究で分かってきたという。
 つまり、いじめも、継続的に行われている場合には、脳が快感を感じていると考えられる、というわけだ。
 「快感を感じている行動に、ただ『ダメだ。やめなさい』と怒っても効果は少ない。むしろ、やらなかったときにほめて達成感を感じさせる、それ以上の快感を感じる別の行動に導く、といった対処が有効ではないか」

==============引用ここまで
 
 相手をおとしめる快感・他人の不幸を喜ぶ快感と同一線上に「いじめの快感」がある。

 でも、その事実だけ知っても意味はない。
 大事なのは解決策だ。
 久保田氏は、次のように言う。

 「快感を感じている行動に、ただ『ダメだ。やめなさい』と怒っても効果は少ない。むしろ、やらなかったときにほめて達成感を感じさせる、それ以上の快感を感じる別の行動に導く、といった対処が有効ではないか」

 小嶋先生は講座の中で、次のように言われた(私の解釈)。

 「他人からの高評価を与えても、側座核は反応する。」

 ほめられる・認められるといった他者とのまっとうな関わりが「いじめ」以上の快感になれば、いじめを防ぐ(減らす)対処になるということだ。
 2007年に読んだことのある中日新聞の記事は、記憶から飛んでいた。
 大事な大事ないじめ対策の記事なのに抜け落ちていた自分は恥ずかしいが、再度、刺激を受けたことで、記憶が強化されたというべきかもしれない。
 とにかく「ほめる」「笑う」「あたたかい対応」にこころがけるよいきっかけになった。

 さて、小嶋先生は脳科学の知見から「いじめは簡単にはなくならない」という主張をされた。
『週刊現代』の2月16日号で、曽野綾子氏も「いじめをなくすことは決してできない」と述べている。
女性が買うにも立ち読みするにも少々抵抗のある雑誌なので、その論拠を数か所引用する。

==============
そしてもうひとつの理由は、いじめは「楽しい」ものであるということです。 もちろんいじめられる側にとってはたまらなく辛いことでしょう。 しかし、いじめる側の精神が幼いと、楽しい、面白いと思う。
私たち人間の心の中には、いじめを「楽しむ」という悪い心根が確かにあるのです。 それを認めて論議しないとだめですね。
 このように、人間の本質と繋がっているいじめを、人為的に設けた制度によってなくすことができる、あるいは減らすことができると考えるのは間違っています。
制度の見直しだけでは、いじめ問題の根本的な解決にはとうてい至らないという認識を持つべきです。
 いじめをなくすことができないならば、いじめに耐えていきてゆける強い子どもたちをどう育てていくか。 これこそが大切なのですが、そのことに教育関係者も政治家も、誰ひとり言及しません。
(中略)
 まず誰の心の中にも、いじめを楽しいと感じてしまう「悪」の部分があるのを認識することです。 それがなければ教育は始まりません。 重要なのは、その「悪」をいかにコントロールするかです。それが人間として完成するということです。
 人間は動物とは違うのだから理性によって自分をコントロールして然るべきで、それを訓練するのは教育です。
===============
 
 「なるほど!」と思う1つ目は、「いじめはあって当たり前」というスタンス。 「我がクラスにいじめはない」と油断するクラスほど危険である。
 「いじめはあって当たり前」と思うから、いじめ発見の意識も高まるのである。
 「なるほど!」の2つ目めは、「私たち人間の心の中には、いじめを『楽しむ』という悪い心根が確かにある」という指摘。 これは小嶋先生が話されたように、側坐核の反応である。他人をおとしめて快感を得る意識がある。
 「なるほど!」の3つ目は、「理性によって自分をコントロール」することでいじめをなくそうという部分。人間の人間らしい「理性」や「良心」で、自分の持つ「悪意」に対抗するしかない。
 しかし一方で反論したくなるのは、「いじめに耐えていきてゆける強い子どもたちをどう育てていくか。これこそが大切なのですが」の部分。
 「これこそが大切」と言いながら、そのあとで、「重要なのは、その『悪』をいかにコントロールするか」と述べている。これでは、どちらが重要(大切)なのかが分からない。
 曽野氏は「理性によって自分をコントロールして然るべき」と言いながら「いじめる側の精神が幼いと、楽しい、面白いと思う」と認めている。
 ①精神が幼い人は、
 ②理性によって自分をどうコントロールできないから、
 ③いじめが楽しくて、やめられない。
と言うことになれば、打つ手がないことになる。

 認知神経生理学の久保田競氏は次のように言う。

◆「快感を感じている行動に、ただ『ダメだ。やめなさい』と怒っても効果は少ない。むしろ、やらなかったときにほめて達成感を感じさせる、それ以上の快感を感じる別の行動に導く、といった対処が有効ではないか」

 セミナーで小嶋先生は言われたことを、竹田がまとめると

◆他人からの高評価を与えられると、側座核は反応する。
◆「ほめられる」「認められる」ことで、「いじめ」以上の快感が得られれば、いじめを防ぐことができる。

・・・日々の授業で成功体験を積み、教師から褒められ、周囲から認められることが、「いじめ」加害者をなくす策になる。
 これなら精神の幼い子にも適用可能だ。

 「ほめられ認められる体験を積むことで、いじめ以上の快感が得られるようになれば、いじめはなくせる」という意気込みで取り組んでいる教師が、ここにいることを曽根氏にもぜひ知ってもらいたい。

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今になって太平洋戦争の重みを感じる

1月16日付の「サンデー毎日」の連載「岩見隆夫のサンデー時評」は考えさせる内容だった。
 幸いネットでも見ることができる。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130116org00m010001000c.html

 いまやグアム・サイパンは日本にとって観光地である。
 ただ自分が子どもの頃、おそらく昭和50年前後、父親が
「サイパンは戦争でたくさんの犠牲者が出ている。なにが観光旅行だ!」
とつぶやいたのを覚えている。
 その言葉の意味を理解したわけではなかった。
 父親にしては珍しく固い抗議の意思を語ったなあと思った程度だった。

 今になって、父親の言わんとすることがよく分かる。
 それほど、自分は太平洋戦争について無知だった。
 だから、数年前に家族でグアムに出かけたが、その時でさえ「戦地」という意識は持たなかった。

 岩見氏はサイパンについて、次のように述べる。

◆サイパンに米軍が上陸したのは敗戦前年の一九四四(昭和十九)年六月十五日である。
この島は旧軍の大本営が設定した絶対国防圏で、海軍にとっては最重要拠点だった。
だから、海軍は総力戦を展開したのだ。
 日本軍三万に対して米軍七万、十九日から二十日にかけてのマリアナ沖海戦では、日本側が虎の子の空母三隻を失うなど壊滅的打撃を受けた。
地上戦でも物量の差はいかんともしがたく、七月七日最後の攻防戦で日本軍守備隊は全滅、非戦闘員約一万人も道連れとなる。

◆ソロモン諸島のガダルカナル島激戦以来、〈敗北〉を〈転進〉などと言い換え、劣勢を隠し続けてきたのを、サイパン玉砕を境に発表に踏み切ったのは、さらに過酷な戦いに備えるよう、国民に覚悟を促す狙いからだった。
しかし、米軍の上陸は翌年にかけ、レイテ島、ルソン島、硫黄島と続き、そしてついに四五年六月、沖縄本島の全滅に至る。
 一方、サイパン占領によって有力な航空基地を確保した米軍は、四四年末からB29爆撃機による本格的な日本本土への空襲を始めたのだ。
 翌四五年八月、原爆搭載のB29が広島、長崎に向け飛び立ったのは、隣のテニアン島からである。


 百田直樹氏の『永遠のゼロ』や『海賊と呼ばれた男』を読んで、あらためて、戦争の厳しさを知った。

 サイパン・グアム・テニアンを奪われれば、本土空襲が可能になる。

 サイパンを占領されたからこそ、B29による本土空襲が起きた。

 それが分かっていたからこそ、この地域は「絶対国防圏」であり、「海軍にとっては最重要拠点」だった。

この「絶対国防圏」であり、「海軍にとっては最重要拠点」という知識と自覚が、自分にはなかった(断片的な知識だけがあって、自分の中でつながっていなかったということでもある)。

 岩見氏は、今回のサイパン来訪について「七十年近く前、日米戦争の転回点となった運命の島、サイパンを一度は訪れたいと思い続けてきたのは、当時すでに生をうけていた日本人(私は玉砕の時、八歳)としての礼節のような感情かもしれない。」と言う。
 その意味では、自分も岩見氏と同じく再度グアムを訪れてみたいし、新たにサイパンも訪れてみたいと思う。
 私自身は生まれていなかったものの、生まれる20年前の出来事である。
 バブル華やかな頃から自分が20年過ごしてきたことを考えると、20年と言う期間は、ほんのわずかである。
 子どもの頃は、自分が生まれる20年前に起きた戦争は遠い遠い前のことだった。
 子どもにとっては20年は大昔だ。
 しかし、50年も生きてしまうと、20年はそれほど遠くないことがよく分かる。自分の部屋には20年前の服も書物も山ほど残っている。
 生きている期間、つまり分母が大きくなると、年数の相対的な長さが変わる。
 今だから「戦争は遠くない昔だった」と実感できる。
 今まで学んでこなかったことを恥ずかしくも思うが、この年にならなければ意識できなかったのだ。
 今の平和・今の日本を考えるためには、太平洋戦争の歴史をきちんと学んでいかなければならない。

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February 10, 2013

迷いなく、押しの強い授業ができるか

サークル例会で、ある先生が、教え方セミナーに備えて、話す聞くスキルの「それ、ほんとう」を披露した。
心地よい音読のリズムの体感という意味では、大事な講座内容になる。

セミナー常連参加者相手なら、何の苦労もなく楽しくできる。
しかし、一般参加者が多い教え方セミナーで、いきなり「それほんとう」のノリノリモードに入るだろうか。
初対面の多いセミナー会場で、「それ ほんとう」を楽しく取り組ませるには、講師側のパフォーマンスが必要になるだろうと思う。
と、そのような弱気な発言をした。、
自分自身の授業力=パフォーマンス力が弱いからだ。

先生自身も、留意事項として、
「まずは先生自身が思い切って演じること!!
 恥ずかしがっていては上達しません」と書いてある。

昨年、TOSSデーの第一講座では、いきなり指名なしで自己紹介が行われた。
戸惑う先生も気遅れする先生もいると思うと、自分なら、ひるんでしまう。
しかし、指名なしが強行された。
結果的に「よかった」という参加者の声もあった。

教師の技量が授業の幅を規定してしまうように、教師の技量が講座の幅を規定してしまう。
あっと言う間に自分のワールドに会場を引きこんでしまうことも、1つの技量である。
自分にその技量がないからといって、ためらってはいけない。
自分にはその技量がないからこそ、果敢にチャレンジしていきたい。
ぜひ、巻き込み感を身に付け、披露していきたいと思う。


※授業開きのような、クラスの雰囲気が堅苦しい時、先陣を切ってくれるのは「やんちゃくん」である。
「それ ほんとう」のような授業も、やんちゃくんが活躍する最初のチャンスになると思う。


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