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April 21, 2013

続:文章を正しく読み取る活動は

 小6の国語(光村)に「カレーライス」(重松清)という物語があります。

 冒頭、次のように始まります。

 ぼくは悪くない。
 だから絶対に「ごめんなさい。」は言わない。言うもんか、お父さんなんかに。
質問1

◆質問1 「ぼくは悪くない」と書いてありますね。「ぼく」は、本気でそう思っているのですか?◆

 「ぼくは悪くない。だから絶対に『ごめんなさい。』は言わない。」と書いてあるから、「ぼく」は謝らないと思います」という意見は成立します。
 しかし、読み進めていくと、「悪い」と思っている表現もちゃんと出てきます。

確かに、一日三十分の約束を破って、夕食が終わった後もゲームをしていたのは、よくなかった。

と書いてあります。

 さらに、先に進むと、次のような記述もあります。

 「でもな、一日三十分の約束を守らなかったのは、もっと悪いよな。」
  分かってる、それくらい。

 自分で約束を破ってよくなかったと「ぼく」は語っています。
 悪いことは「分かってる」と認めています。
 
 本当は謝らないといけないと分かっているけれど、謝りたくない気持ちの方が強いのだということが、次第に明らかになってきますす。

 ですから、テキストの様々な部分の叙述を並べてみた上で、本心がどうなのかを検討する必要があるのです。

 ちなみに、字面通りに受けとれない心理はたくさんあります。
 「○○と書いてあるから、○○だ」と言いきれないことが、世の中ではたくさん生じます。
 たとえば、道で転んですごく痛いけれど、友だちに「大丈夫、痛くなかった?」と聞かれたら、私なら相当な怪我でない限り、痛みをこらえて「大丈夫だよ」と答えます。
 相手に心配をかけさせないために、本心でないことを言うことは、よくあります。
 ということは、「大丈夫だよ」と返事があったからといって、本当に大丈夫かどうかは分からないのです。


◆質問2 「お母さんはいつもお父さんのみかたにつく」と書いてあります。これは事実ですか?◆

 たしかに、「お母さんはいつもお父さんのみかたにつく」と書いてあります。
 しかし、この作品は「ぼく」が語り手になっていますから、「お母さんはいつもお父さんのみかたにつく」という文も、「ぼく」の意見にすぎません。
 「お母さんはいつもお父さんのみかたにつくと、『ぼく』は思っている」が、正しい形です。
 ですから、これは事実かもしれないし、「ぼく」の思い込みかもしれません。
 この一文からは決まりません。

 セリフは登場人物の気持ちを表します。
 地の部分は、その作品によって異なります。
 
 A:語り手が、登場人物と重なっている場合、地の文には、その人物の気持ちが現れます。   
 B:語り手が、神様のように、どの人物の中にも入る場合、地の文には、どの人物の気持ちも現れます。
 C:語り手が、主人公のような特定の人物の中にも入る場合、地の文には、その人物の気持ちもだけ現れます。
 C:語り手が、誰の中にも入らない場合は、地の文には、誰の気持ちも現れません。

 Aを一人称の視点の作品
 Bを三人称全知視点の作品
 Cを三人称限定視点の作品
 Dを三人称客観視点の作品

と言います。
 このような用語を覚えることが大事なのではありません。
 登場人物の気持ちが、どこから読み取れるかは、作品のタイプによって違うことを知る、注意して読み解くことが大事なのです。

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文章を正しく読み取る活動は?

 小4の国語(光村)に「春のうた」(草野新平)という詩があります。

 あるクラスで、この詩に合わせた絵を見たら、女の子や男の子が平然と描かれていて驚いたことがあります。
 この詩は冬眠から覚めたかえるの詩です。どこをどう読んでも人間は出てきません。
 この詩を絵にしたときに人間を登場させるのは、適当に描いているとしか思えないし、何をどうイメージしても「自由な読み」として認められてきたのだろうと推測せざるをえません。

 国語の授業ですから、何をどう読んでも自由というわけにはいきません。
 文章を根拠にしないと、お互いの意見(解釈)が、かみ合いません。


 この詩の場合、主人公である「かえる」の位置についても同様です。
 あるクラスでは、冬眠のイメージが強すぎたのか、「土の中(穴の中)」にいると答えた子がたくさんいました。
(そのような実態だからこそ、授業のやりがいがあるのですが)

 詩の冒頭をきちんと読ませました。

◆かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。そのはじめての日のうた。◆

 この詩は、地上にでてきたはじめての日のうたであると書いてあります。
 多少、譲歩しても、土の中から地上に顔を出したところ、ということになります。
 しかも、第一声が「ほっ まぶしいな」なのですから、地上に出てきて太陽の光を受けていることがは分かります。

 文章を正しく読みとるということは

 「文章に○○と書いてあるから、~だということが分かる」
 「文章に○○と書いてあるから、~に違いない」

と思考することです。

 豊かに読む・イメージ豊かに読むといったって、自由気ままに想像してよいという意味ではありません。
 それでは妄想や曲解もOKとなってしまいます。

 文章を正しく読む行為は、事実を正しく判断する行為と直結します。
 大人になるまでにきちんと身につけたい能力の1つです。 

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April 13, 2013

「色彩を持たない 多崎つくると 彼の巡礼の年」

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「色彩を持たない
多崎つくると
彼の巡礼の年」

村上春樹の新刊。
これも、とてもよかった。
読みやすく、それでいて奥が深い。
共感できる部分も多々あった。
謎ときのための行動(巡礼)というストーリーも、きわめて明快でよい。
何のとりえもないと卑下していた多崎は、実は周囲からはうらやましがられていた。
拒絶された自分だけが辛いと思っていたら、実はみんなもそれぞれ辛い思いをしていた。
自分以外の4人で仲良く過ごしていると思っていたら、多崎がいなくなってバランスを失っていた。
そのような皮肉(アイロニカル)な状況が、謎解きの過程で明らかになっていく。

まあ、ラストで「?」が残ったものの、1巻で完結していてけるよかった。
ラストも、あれくらいなら読者に委ねてもらってもかまわない。
これで続編待ちとなると、いらいらしてしまう。

でも、ひょっとして、三部作ぐらいになるかもしれない。
灰田の秘密、シロの秘密、沙羅との今後など、続編の要素は山盛りなのだから。

「読みやすい」という印象をもったのは、摩訶不思議な村上ワールドがあまり出てこなかったからだ。
灰田がらみで、父親の話・夢の話・失踪については謎のまま終わってしまったが、それ以外は、常識の範囲でストーリーが理解できた。
その常識さは「ノルウエイの森」程度といったところか。

若き日の友情に対する悔恨、あるいは年をとる分だけ、輝きが失われていく自分に対する悔恨が想起された。
誰だって若いころには多かれ少なかれ「いつまでも続くと信じられた親密な友情関係」がある。
その中には、恋愛感情抜きにキープすることの難しい男女混合グループみたいなものも含まれる。
そのような友人関係の衰退や崩壊は、誰にとっても悲しい思い出である。
自分はどん底に突き落とされるような絶縁を経験したことはない。でも、そのような状況におかれたらどれほど辛いかは想像できる。
傷つきたくないから他人との距離をとる気持ちも痛いほど分かる。
また、若いころは「何でもやってみたい』という可能性に満ちているが、大人になると、その可能性が1つづつ失われていく。
その現実を受け入れるのはすごく悲しいし、若いころ輝いていた友人が平凡になってしまったのを目の当たりにするのも、すごく悲しい。

奥が深いというのは、きらりと光る名文句にあふれていたから。
「ああ、この文章すごいな」「この台詞いいな」という箇所がたくさんあった。
哲学的なもの・人生訓みたいなものもあって、学術的なものか、作者独自の見解か分からない。
完全には理解していないのだが、むしろ、その言葉の難解さにひかれる部分もあった。
特に灰田・沙羅・エリとの会話は実にスマートで知的であった。
そのような知的な会話ができる人間関係をうらやましくも思った。

色彩。
「つくる」という名前。
「駅」の役割
定番ともいえるしゃれた料理や服装の描写。
どれもよかったな。

作品のベースになっている音楽「巡礼の年」を、理解できていたら、もっと作品を味わえたのかなと思う。

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April 07, 2013

教え方セミナー春日井会場 4月14日(日曜)開催


Abe
 学級をまとめる最大の秘訣は、授業がうまくなることです。
 「学級がまとまらない」という悩みをもつ先生はたくさんいます。
 学級経営や生徒指導のさまざまな対応策はありますが、まずは日々の授業です。
 授業の中で教師が子どもを統率する・楽しい授業や力のつく授業を積み上げる・授業を通して子どもや保護者の信頼を勝ち取っていくことが一番の学級経営術です。
 さて、授業がうまくなるにはライブ体験が必要です。
 本を読んだだけでは伝わらない教師の表情やしぐさ・言葉のかけ方などをご覧ください。
教え方セミナー春日井会場では、各教科に共通する「なぞる・うつす・書く・声に出す」などが基礎学力の保障と自己肯定感の向上をもたらすことを提案します。

【予定講座】
第1講座 ていねいになぞる・うつす・かく ~「できる」の繰り返しで、力をつける~
● 漢字習得ステップの指導
● うっとりする算数のノート指導
● 英単語・英語講文習得ステップの指導
● 難しい絵もばっちり描ける直写の指導

第2講座  話す・書く・聴く ~聴覚入力と視覚入力の組み合わせで、力をつける~
● 楽しくできる音読・暗唱の指導
● 聴いて唱える百玉そろばんのリズムとテンポ
● 読み書きが苦手な子への対応術      
● アルゴリズムを唱えて覚える算数の指導
● 聴いて覚える五色百人一首

第3講座 TOSS最先端の紹介
● 新TOSSランド(フラッシュコンテンツ・タブレット型教材)
● 脳科学の知見・特別支援教育の知見 
● 討論→評論文のステップの指導
● TOSS関連書籍・セミナー・TOSS保険

第4講座 QAコーナー:参加された先生からのQに答えます

日 時:2013年4月14日(日曜) 
     午後1時30分~4時30分(午後1時受付)

会 場:高蔵寺ふれあいセンター
     JR中央線高蔵寺駅より徒歩5分・駐車場もあります。

資料代:1000円(学生500円)

主 催:TOSS春日井
後 援:春日井市教育委員会・愛知県教育委員会

★全国教え方セミナーの開催にあたっては、安倍首相より激励のメッセージが届いています。

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何も見ないで授業をするのが信頼の基本

 昨年12月9日の岐阜での親学セミナー。
 松藤司先生の講座の中で、「江戸しぐさ」の話題になった時、詳しく知らない人が多いと判断された松藤先生は急きょ解説をされた。
 予定外の解説だから、当然プレゼン資料はない。
 松藤先生は何も見ないで、いくつかの仕草を紹介しながらスラスラと語られた。

 見ないで言えるほど自分のものになっているかどうかが大事なのだと実感した。

 覚えると覚えないでは雲泥の差と言われるのが、たとえば

①児童の名前
②百人一首
③暗唱詩文

である。
 見ないで授業するから、授業のリズムとテンポが崩れない。
 授業の中断がない。

 授業の基本は、子どもの表情と教室の空気をみながら展開することである。

 だから

①指導案を見ながら授業する
②教科書本文から目を離さない
③板書ばかりで、ずっと黒板を見ている

などは論外である。
 特に、指導案を見ているというのは「発問・指示」を覚えていないということでもある。
 これではよい授業ができるはずがない。

 かつて、新任の授業が
「さあ、今日はどこからだったっけ」
と確認から始まるので、授業開始からモタモタしている、とT2の先生がこぼしていた。
これも論外である。

 何を見なくともどみなく語れる授業=万全の準備をした授業は

①発問も指示も授業の流れもあたまの中にインプットされている授業であり、
②何を聞かれても大丈夫だという自信のある授業である。

 授業に対する圧倒的な自信が、オーラとなって現れる。
 自信を持った授業が、教師への信頼につながっていく。
 自分の授業も、「何をどう突っ込まれても大丈夫」と思える万全の準備をして臨みたい。

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「リラックス&リフレッシュ」にご用心!

リラックスとリフレッシュは類似のように扱われることがある。
ネットで検索すると「リラックス&リフレッシュ」でエステグッズやリゾートホテルなど、いろいろヒットする。

refreshは、「freshの再現」が語源であることは容易に分かる。

1 元気[活気]づける, 〈気分を〉さわやかにする
2 〈記憶を〉新たにする
3 …(の外観・色彩)を新しくする
4 〈船などに〉新しく供給[補給]する;〈火を〉勢いづける;〈電池を〉充電する
5 ((主に米))〈飲み物に〉さらにつぐ, つぎ足す.

━━(自)
1 腹ごしらえする, 飲食する, (特に)一杯やる.
2 (休息・飲食して)元気を回復する.


一方のリラックス(relax)は、

[動](他)
1 〈人・心などを〉くつろがせる, 休ませる
2 〈緊張・こわばりなどを〉ゆるめる, 和らげる, ほぐす, (…の)力を抜く
3 〈決意・能力などを〉弱める;〈努力・警戒心などを〉ゆるめる, 減じる
4 〈法・制限などを〉緩和する, 寛大にする
r
━━(自)
1 〈人が〉くつろぐ, 息抜きをする, 緊張を解く, ほっとする
2 ゆるむ, 和らぐ, 衰える, 解ける

3 〈規則・規律が〉緩和される.
[ラテン語relax?re (re-再び+lax?reゆるめる). △LAX, RELEASE]

語感からすると、リフレッシュは気合を入れなおす緊張に近く、
リラックスは緊張を解く弛緩に近い。

たとえば、ぬるめのお風呂にゆっくりつかるのはリラックス。
熱めのシャワーや冷水のシャワーをさっと浴びるのはリフレッシュ。

ミント系の歯磨きはリフレッシュだから、夜磨くと目がさえてしまう。
(ということは夜用のリラックスの歯磨きもあってよいということか)。

何となく混同しやすいリラックスとリフレッシュの手だてを間違えて使うと、全く逆の効果になってしまう。
そのような正反対の指導を、「リラックス&リフレッシュ」以外にもしてはいないだろうか。

よく言われるのは

◆教えるべきところを子どもに任せ、
 子どもに任せるべきところを、教え込んでいる◆

という愚行である。

あるいは、
◆自信をつけさせる場面で自信を失わせ
  足らない点を指摘して発奮させる場面で、指摘せずに放置してしまう
◆ほめる場面でほめず、叱る場面で叱らない

というちぐはぐな指導である。

自分の指導行為を改めて振り返り、再点検してみたい。
か気にしてみようということだ。

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