続:文章を正しく読み取る活動は
小6の国語(光村)に「カレーライス」(重松清)という物語があります。
冒頭、次のように始まります。
ぼくは悪くない。
だから絶対に「ごめんなさい。」は言わない。言うもんか、お父さんなんかに。質問1
◆質問1 「ぼくは悪くない」と書いてありますね。「ぼく」は、本気でそう思っているのですか?◆
「ぼくは悪くない。だから絶対に『ごめんなさい。』は言わない。」と書いてあるから、「ぼく」は謝らないと思います」という意見は成立します。
しかし、読み進めていくと、「悪い」と思っている表現もちゃんと出てきます。
確かに、一日三十分の約束を破って、夕食が終わった後もゲームをしていたのは、よくなかった。
と書いてあります。
さらに、先に進むと、次のような記述もあります。
「でもな、一日三十分の約束を守らなかったのは、もっと悪いよな。」
分かってる、それくらい。
自分で約束を破ってよくなかったと「ぼく」は語っています。
悪いことは「分かってる」と認めています。
本当は謝らないといけないと分かっているけれど、謝りたくない気持ちの方が強いのだということが、次第に明らかになってきますす。
ですから、テキストの様々な部分の叙述を並べてみた上で、本心がどうなのかを検討する必要があるのです。
ちなみに、字面通りに受けとれない心理はたくさんあります。
「○○と書いてあるから、○○だ」と言いきれないことが、世の中ではたくさん生じます。
たとえば、道で転んですごく痛いけれど、友だちに「大丈夫、痛くなかった?」と聞かれたら、私なら相当な怪我でない限り、痛みをこらえて「大丈夫だよ」と答えます。
相手に心配をかけさせないために、本心でないことを言うことは、よくあります。
ということは、「大丈夫だよ」と返事があったからといって、本当に大丈夫かどうかは分からないのです。
◆質問2 「お母さんはいつもお父さんのみかたにつく」と書いてあります。これは事実ですか?◆
たしかに、「お母さんはいつもお父さんのみかたにつく」と書いてあります。
しかし、この作品は「ぼく」が語り手になっていますから、「お母さんはいつもお父さんのみかたにつく」という文も、「ぼく」の意見にすぎません。
「お母さんはいつもお父さんのみかたにつくと、『ぼく』は思っている」が、正しい形です。
ですから、これは事実かもしれないし、「ぼく」の思い込みかもしれません。
この一文からは決まりません。
セリフは登場人物の気持ちを表します。
地の部分は、その作品によって異なります。
A:語り手が、登場人物と重なっている場合、地の文には、その人物の気持ちが現れます。
B:語り手が、神様のように、どの人物の中にも入る場合、地の文には、どの人物の気持ちも現れます。
C:語り手が、主人公のような特定の人物の中にも入る場合、地の文には、その人物の気持ちもだけ現れます。
C:語り手が、誰の中にも入らない場合は、地の文には、誰の気持ちも現れません。
Aを一人称の視点の作品
Bを三人称全知視点の作品
Cを三人称限定視点の作品
Dを三人称客観視点の作品
と言います。
このような用語を覚えることが大事なのではありません。
登場人物の気持ちが、どこから読み取れるかは、作品のタイプによって違うことを知る、注意して読み解くことが大事なのです。
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Posted by: Rodrick | March 23, 2014 04:04 AM