光村4年国語の『大きな力を出す』の授業を参観して「難しい文章だなあ」と思った。
どこが分かりにくいのかを検討してみることにした。
1 「声・呼吸・力」の三者関係が理解しづらい文章である
「呼吸」と「声を出す」の関連を述べているのが、次の3段落である。
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
③声を出すのは、それによってしぜんと息をはくことになるからです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
この段落は、次の三段論法になっている。
息を吐くと力が出る(A=B)
声を出すと息を吐く。(C=A)
よって、声を出すと力が出る (C=B)
しかし本文では「声を出すと、しぜんと息をはくことになり、大きな力が出せる」という一番大事な主張が明示されていない。
したがって4年生では、この段落が理解しづらい。
特に③の「(わたしたちが)声を出すのは、それによってしぜんと息をはくことになるからです」は、「大きな力が出る」と結びつきにくい。
スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいる。
それは、よしとしよう。
では、そのような科学的な理屈を知らない子どもたちは、体を大きく動かすときにどうして声を出しているのだろうか。
その説明もない。
いくつか修正文を書いてみた。
<修正案①>
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
③わたしたちが声を出すのは、それによって、しぜんと息をはくことになり、大きな力が出せるからです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
<修正案②>
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
③わたしたちは声を出すと、しぜんと息をはくことができるので、大きな力を出せるのです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
<修正案③>
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
③だから、わたしたちは大きな力を出したい時には、声を出して息をはけばよいのです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
原文のみを使って授業するなら、「スポーツ選手は、『そのこと』をよく知っているので~」の「そのこと」が何を示すのかを子どもたちに考えさせる必要がある。
この一文は、指示語の大切さ学習するには、よい機会だ。
しかし、本文理解のためには、この部分が指示語になっているために、難易度がかなり高くなってしまっている。
◆スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
↓
候補A わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すこと
↓
候補B 声を出すと、それによってしぜんと息をはくことができること
↓
候補C 声を出すと息をはくことになり、大きな力が出せること
・・・文中の言葉を組み合わせた③を選ぶとする。
◆スポーツ選手は、声を出すと息をはくことになり、大きな力が出せることをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
↓
◆スポーツ選手は、声を出すと、大きな力が出せることをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
呼吸のことにふれなくてもよいなら、最後の文がシンプルである。文が長くなると意味がとりづらい。
ただし、全体の文脈を考えたら「息をはく」は、外せない。
「声・呼吸・力」の三者関係が大事だからだ。
2 深い関係は「呼吸と筋肉」か?
題名に着目して「『大きな力を出す』ために筆者は何が大事だと主張していますか?」と尋ねたら、子どもはどう答えるだろうか?
A:呼吸を意識する・考えて呼吸する
B:声を出す
答えは結論部にある(はずだ)。
◆このように、一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、呼吸を意識することで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。呼吸と筋肉は、深い関係があるのです。
この結論部には、「声を出す」とは一言も書かれていない。
では、だからといって、Bの「声を出す」は間違いになるのだろうか?
本論の叙述を考えると、大きな力を出す秘訣は、「呼吸を意識する」より「声を出す」の方が合う。
「呼吸を意識する」「息のしかたを考える」「考えて呼吸する」とあるが、具体的な行動は、「声を出す「かけ声をかける」だからだ。
「声を出すと、しぜんと息をはくことになるので、大きな力を出すことができる」
という三者関係でこの説明文を読むと、「呼吸と筋肉」の関連しか触れていないこの結論の方がおかしいのではないかと思える。
<修正案>
このように、一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、声を出すことで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。声と呼吸と筋肉は、深い関係があるのです。
「呼吸を意識することで~大きな力を出す」と書かなかった理由は、以下に述べる。
3、そもそも呼吸は意識できるのか?
◆考えて呼吸をすると、もっと体の力を引き出すことができます。
◆何人かで力を合わせるときにも、息のしかたを考えることは大切です。
◆呼吸を意識することで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。
「考えて呼吸する・呼吸を意識する」と大きな力が出るというのが筆者の主張である。
ただし、2段落で「『えいっ』『「はっ』『うっ』などと声を出した人はいませんか」と呼びかけられた読者は、声を出すと息をはくことになり大きな力が出せるのだという仕組みは知らない。
力を出すために声を出すのは、いわば無意識の行為だ。
子どもたちは科学的な理屈を知らなくても自然にやっている。
だから、3段落には「声を出すのは、それによってしぜんと息をはくことになるから」とも書いてある。
個人的には「しぜんと」と「無意識」は同義だと思う。
そして、呼吸を意識するというのは極めて難しい行為だとも思っている。
だから、「声を出すことで無意識に呼吸を調整し、大きな力を出している」のだと思っている。
筆者の論理と異なるかもしれない。
しかし、次の流れの方が、本文を理解しやすいのである。
①わたしたちは、ふだん、特に考えることもなく呼吸をしています。
②考えて呼吸することは、なかなか難しいものです。
③ところで、わたしたちの筋肉は、息をはくときに一番大きな力を出すことが分かっています。
④そして、わたしたちは、声を出すときは、しぜんと息をはいています。
⑤つまり、わたしたちは「声を出す」ことで、しぜんと息をはき、大きな力を出しているのです。
⑥スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいます。
⑦一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、声を出すことを意識すると、筋肉はより大きな力を出すことができます。
⑧呼吸と声をだすことと筋肉は深い関係があるのです。
この流れを意識して、結論部を修正してみる。
<段落5の修正案>
このように、一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、声を出して、しぜんと呼吸を調整することで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。呼吸と筋肉は、深い関係がありますが、呼吸を調整するのは難しいので、わたしたちは声を出すことで大きな力を出しているのです。
4 (余談)冒頭の2文はつながるか?
①わたしたちは、ふだん、特に考えることもなく呼吸をしています。
②でも、考えて呼吸をすると、もっと体の力を引き出すことができます。
この2文をよく読むとつながりが悪い。
2文目に、逆接の「でも」がある。①の「考えることもなく呼吸」と対になる「考えて呼吸」を引き出すための逆接だろう。
だが、①には呼吸の記述しかないのに、②で呼吸と力の関連を述べているのは、おかしい。
「体の力を引き出すことができます」は、初めての記述なのだから、「もっと」は合わない。
たとえば、以下のように、①文目にも「力」の叙述を入れるべきだろう。
<段落1 修正案>
①わたしたちは、ふだん、特に考えることもなく呼吸をし、なにげなく体の力を出しています。
②でも、考えて呼吸をすると、もっと体の力を引き出すことができます。
繰り返すが、「考えて呼吸をするのは難しいので、その代わりに声を出して体の力を引き出している」のだと自分は考えている。
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