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June 29, 2013

学級はエネルギーを注入しないと崩れていく

 愛知で行われた谷和樹セミナーから1週間。
 「魔の6月なんて思ったことがない」
 「月曜日が楽しくてしかたがなかった」
 という谷先生の胸中を考えていた。
 どのようにしたら、そのような境地に立てるのかと・・

 実は、学級経営がうまくて尊敬している先生に「魔の6月」の話をしたら、
「ありえない。6月は軌道に乗っている」
と言われ、さらに、あれこれ悩んでしまった。

 4月にエネルギーを注入した学級は活性化する。
 しかし、その後、エネルギーの注入を怠ると、学級は停滞し、トーンダウンする。
 これは、そもそもあらゆる事象に適応される「エントロピー増大の法則」だ。
 「エントロピー増大の法則」は、どこでどう調べてもすぐに分かる。
 たまたま手元にある『世界は分けてもわからない』(福岡伸一 講談社現代新書)には、次の一節がある(P132・133)

◆秩序は、その中に、構築のための膨大なエネルギーと精密さを内包している。
けれどもひとたび組み上げられた秩序をこわすためなら、ほんのわずかな揺らぎがありさえすればよい。
秩序はこわされることを待っているからである。

◆苦労して整理整頓した机の上は、二、三日もすれば散らかった書類の山と化す。
温めたコーヒーはまもなく冷える。
熱い恋愛もほどなく醒める。
秩序はすぐに無秩序さを増す。
熱いものが冷える。
局所に集められた高エネルギー状態が、拡散していく。
これらの現象はひとことで言い表すことができる。
乱雑さ=エントロピー増大の法則である。

◆坂の上から坂ノ下へ転がす動作(中略)には、原理的には大きなエネルギーは全く必要ではない。
 ただ、転げ落とすためのほんの小さなきっかけとなる揺らしの動作だけが必要となる。

 4月にエネルギーを注入した学級に、6月になってもエネルギーに満ちているだろうか。

 教師の強いリーダーシップ・ほめ言葉・叱咤激励・軌道修正

 子供同士の高めあい・競争心・向上心・自浄作用 

 これらがなければ、クラスは電池切れだ。
 荒れるほかない。
 「魔の6月」を感じたことがない谷学級は、電池切れどころか日々充電の更新状態だったのだろう。
 
 さて、そういえば、自分も感じたことのない言葉があった。

「中だるみの中学2年」

である。
 中2が中だるみなどと自分は考えなかった。
 しかし、そういう言い方があることは知っていた。
 だから、いつも「中だるみなんてしている場合じゃない。2年は飛躍の1年だ」と言い続けてきた。

 いくらなんでも2学期を「なかだるみの2学期」と言う人はいないだろう。それと同じだ。
 ホップステップジャンプのステップは、最後のジャンプを導く重要な1歩である。

 言霊信仰ではないが、「魔の6月・なかだるみの中2」のような言葉を口にして、そこに安易に乗っかってしまうと
 「これは魔の6月だから仕方ない」
 「中だるみの中学2年だから仕方ない」
と、解決の手を打たずに、あきらめに入ってしまう。
 そのようなマイナスの言葉を使い、成長を妨げてしまうのはもったいない。

 谷先生もGW明けで子どもが疲れていると思うのは、先生が疲れているからでしょう、とも言われた。
 「なかだるみ」と教師が思ってしまえば「なかだるみ」になってしまう。
 「放置しておけば学級は荒れる」のは、エントロピー増大の法則だからだ。
 教師が常に学級へのエネルギー注入を意識しなければ、学級は荒れる。
 その気持ちだけはキープしたい。

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June 15, 2013

「一つの花」の題名の理由は?

▼なぜ「一つの花」という題名がついているのでしょうか。話し合って考えましょう。

という課題が教科書の手引にある。
題名について、指導書に次の記載がある。

※正解がある問いではない。これまでの学習を振り返りながら、理由とともに自分なりの考えを発言させたい。
友達の考えを聞くうちに考えは深まっていくので、なるべく多くの児童に発言させるとよい。
場合によってはグループで話し合わせてもよい。

 「正解がある問いではない」なんて言いきってよいものだろうか。
 「正解がある問いではない」とは書いてあるが「誤答がある問いではない」とは書いていない。
 わたしは、誤答や不十分な解答はあると思う。
 それにしても「一つの花」の題名の意味について、子どもたちはどんな解釈を出すのだろう。
 どのような解釈を望めばよいのだろう。
 そして、教師自身は、どのような解釈をもつべきなのだろう。

○すごく印象に残るから
○目立つから
○すごく大事な言葉だから

などと、子どもは書きがちである。
 しかし、これでは中身がないので×とする。
 どう印象に残るのか、なぜ目立たせたいのか、どんな点で大事なのかまで語らせたいと意味がない。

 そこで、「印象に残る」「すごく大事」が末尾にくるように、理由を想定してみた。
 今回、がんばって10個。

①お父さんが、戦争に行く前にゆみ子にあげたものだから(すごく印象に残る・すごく大事) 

②お父さんは、これぐらいしか満足にあげられないからとゆみ子にあげたものだから(すごく印象に残る・すごく大事)

③戦争中、食べ物以外でゆみ子を喜ばすことのできたものだから(すごく印象に残る・すごく大事) 

④食べ物をほしがったゆみ子を喜ばすために、食べ物でない「一つの花」をあげることしかできなかった父親の悲しみが伝わってくるから(すごく印象に残る・すごく大事) 

⑤食べ物をほしがったゆみ子が、食べ物でない「一つの花」をもらって喜んでいる姿が不憫で、戦争の悲惨さや父親の無念さが伝わってくるから(すごく印象に残る・すごく大事)

⑥「一つの花」が、やがてたくさんの花になったように、ゆみ子にも大きく育ってほしいという父親の願いがこもっているから(すごく印象に残るい・すごく大事)

⑦戦争中の「一つの花」が、戦後、たくさんの花になったから(すごく印象に残る・すごく大事)

⑧戦争中の物不足の中で、「一つの花」だけは手に入れることができたから(すごく印象に残る・すごく大事)

⑨戦争の悲惨さ(物不足)を「一つの花」が象徴しているから(すごく印象に残る・すごく大事)

⑩戦争中の「一つの花」と、戦後の「たくさんの花」という対比構造は、戦争中の不幸な時代と、戦後の平和な時代の対比構造と一致しいる。「一つの花」は、戦争の悲惨さと父親の愛情をを象徴する大切なキーワードだから。(すごく印象に残る・すごく大事)

 ①から⑦は「キーワード」の概念を根拠にした解答である。
 とはいえ「『一つの花』がこの作品のキーワードだから題名になっている」では意味がない。
 なぜキーワードになっているかを説明もしないで「キ―ワードだからです」では理由にならない。そこを言わせる授業展開こそが望まれる。

 ⑨⑩は「象徴」を根拠にした解答である。
 ⑩には対比概念も加わっている。
 ⑩は私自身のめいっぱいの解答である。
 「象徴」の指導が無理だと思うなら、⑨⑩は期待できない。
 「戦争の悲惨さを代表している」というように「象徴」みたいな概念を伝えようとしている意見が出たら「それが『象徴』だ」と説明すればよい。

 それにしても「なぜ『一つの花』という題名がついているのでしょうか」という課題もつまらないなあと思う。
 ほかの物語で、わざわざ題名の理由を問うものは少ないし、聞かれても答えに困るものが多い。
 作品のキーワードに着目させているのだとも言えるが、子どもからどんな意見が出るか分からないけれど「とりあえず発問」をしているような安易さを感じてしまう。いずれにしても、子どもにとっては答えにくい課題であることを教師は自覚すべきである。

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June 09, 2013

「大きな力を出す」(光村4年)の疑問

光村4年国語の『大きな力を出す』の授業を参観して「難しい文章だなあ」と思った。
どこが分かりにくいのかを検討してみることにした。

1 「声・呼吸・力」の三者関係が理解しづらい文章である

「呼吸」と「声を出す」の関連を述べているのが、次の3段落である。

①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
③声を出すのは、それによってしぜんと息をはくことになるからです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。

この段落は、次の三段論法になっている。
息を吐くと力が出る(A=B)
声を出すと息を吐く。(C=A) 
よって、声を出すと力が出る (C=B)

しかし本文では「声を出すと、しぜんと息をはくことになり、大きな力が出せる」という一番大事な主張が明示されていない。
したがって4年生では、この段落が理解しづらい。
特に③の「(わたしたちが)声を出すのは、それによってしぜんと息をはくことになるからです」は、「大きな力が出る」と結びつきにくい。
スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいる。
それは、よしとしよう。
では、そのような科学的な理屈を知らない子どもたちは、体を大きく動かすときにどうして声を出しているのだろうか。
その説明もない。

いくつか修正文を書いてみた。

<修正案①>
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
わたしたちが声を出すのは、それによって、しぜんと息をはくことになり、大きな力が出せるからです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。

<修正案②>
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
わたしたちは声を出すと、しぜんと息をはくことができるので、大きな力を出せるのです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。

<修正案③>
①わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すことができます。
②息をすおうとしているときや、息をすっているとちゅうには、強い力は出せません。
だから、わたしたちは大きな力を出したい時には、声を出して息をはけばよいのです。
④スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。 

原文のみを使って授業するなら、「スポーツ選手は、『そのこと』をよく知っているので~」の「そのこと」が何を示すのかを子どもたちに考えさせる必要がある。
この一文は、指示語の大切さ学習するには、よい機会だ。
しかし、本文理解のためには、この部分が指示語になっているために、難易度がかなり高くなってしまっている。

◆スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。
           ↓
 候補A わたしたちの筋肉は、息をはくときに、いちばん大きな力を出すこと
           ↓
 候補B 声を出すと、それによってしぜんと息をはくことができること
           ↓
 候補C 声を出すと息をはくことになり、大きな力が出せること

 ・・・文中の言葉を組み合わせた③を選ぶとする。

◆スポーツ選手は、声を出すと息をはくことになり、大きな力が出せることをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。

           ↓
◆スポーツ選手は、声を出すと、大きな力が出せることをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいるのです。

呼吸のことにふれなくてもよいなら、最後の文がシンプルである。文が長くなると意味がとりづらい。
ただし、全体の文脈を考えたら「息をはく」は、外せない。
「声・呼吸・力」の三者関係が大事だからだ。


2 深い関係は「呼吸と筋肉」か?

題名に着目して「『大きな力を出す』ために筆者は何が大事だと主張していますか?」と尋ねたら、子どもはどう答えるだろうか?

A:呼吸を意識する・考えて呼吸する
B:声を出す
 
  答えは結論部にある(はずだ)。

◆このように、一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、呼吸を意識することで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。呼吸と筋肉は、深い関係があるのです。

この結論部には、「声を出す」とは一言も書かれていない。
では、だからといって、Bの「声を出す」は間違いになるのだろうか?
本論の叙述を考えると、大きな力を出す秘訣は、「呼吸を意識する」より「声を出す」の方が合う。
「呼吸を意識する」「息のしかたを考える」「考えて呼吸する」とあるが、具体的な行動は、「声を出す「かけ声をかける」だからだ。

「声を出すと、しぜんと息をはくことになるので、大きな力を出すことができる」
という三者関係でこの説明文を読むと、「呼吸と筋肉」の関連しか触れていないこの結論の方がおかしいのではないかと思える。

<修正案>
このように、一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、声を出すことで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。声と呼吸と筋肉は、深い関係があるのです。

「呼吸を意識することで~大きな力を出す」と書かなかった理由は、以下に述べる。


3、そもそも呼吸は意識できるのか?

◆考えて呼吸をすると、もっと体の力を引き出すことができます。
◆何人かで力を合わせるときにも、息のしかたを考えることは大切です。
◆呼吸を意識することで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。

「考えて呼吸する・呼吸を意識する」と大きな力が出るというのが筆者の主張である。
ただし、2段落で「『えいっ』『「はっ』『うっ』などと声を出した人はいませんか」と呼びかけられた読者は、声を出すと息をはくことになり大きな力が出せるのだという仕組みは知らない。
力を出すために声を出すのは、いわば無意識の行為だ。
子どもたちは科学的な理屈を知らなくても自然にやっている。
だから、3段落には「声を出すのは、それによってしぜんと息をはくことになるから」とも書いてある。
個人的には「しぜんと」と「無意識」は同義だと思う。
そして、呼吸を意識するというのは極めて難しい行為だとも思っている。
だから、「声を出すことで無意識に呼吸を調整し、大きな力を出している」のだと思っている。
筆者の論理と異なるかもしれない。
しかし、次の流れの方が、本文を理解しやすいのである。

①わたしたちは、ふだん、特に考えることもなく呼吸をしています。
②考えて呼吸することは、なかなか難しいものです。
③ところで、わたしたちの筋肉は、息をはくときに一番大きな力を出すことが分かっています。
④そして、わたしたちは、声を出すときは、しぜんと息をはいています。
⑤つまり、わたしたちは「声を出す」ことで、しぜんと息をはき、大きな力を出しているのです。
⑥スポーツ選手は、そのことをよく知っているので、大きな力が出せるようにさけんでいます。
⑦一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、声を出すことを意識すると、筋肉はより大きな力を出すことができます。
⑧呼吸と声をだすことと筋肉は深い関係があるのです。

この流れを意識して、結論部を修正してみる。

<段落5の修正案>
このように、一人で力を出すときも、人と力を合わせるときも、声を出して、しぜんと呼吸を調整することで、筋肉は、より大きな力を出すことができます。呼吸と筋肉は、深い関係がありますが、呼吸を調整するのは難しいので、わたしたちは声を出すことで大きな力を出しているのです。


4 (余談)冒頭の2文はつながるか?

①わたしたちは、ふだん、特に考えることもなく呼吸をしています。 
②でも、考えて呼吸をすると、もっと体の力を引き出すことができます。

この2文をよく読むとつながりが悪い。
2文目に、逆接の「でも」がある。①の「考えることもなく呼吸」と対になる「考えて呼吸」を引き出すための逆接だろう。
だが、①には呼吸の記述しかないのに、②で呼吸と力の関連を述べているのは、おかしい。
「体の力を引き出すことができます」は、初めての記述なのだから、「もっと」は合わない。
たとえば、以下のように、①文目にも「力」の叙述を入れるべきだろう。

<段落1 修正案>

①わたしたちは、ふだん、特に考えることもなく呼吸をし、なにげなく体の力を出しています。
②でも、考えて呼吸をすると、もっと体の力を引き出すことができます。


繰り返すが、「考えて呼吸をするのは難しいので、その代わりに声を出して体の力を引き出している」のだと自分は考えている。

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