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July 31, 2013

論理的思考=型思考

Higuti

 

 中学の二次方程式について、 数学の教科書には次のようにある。

 

(χ+3)(χー5)=0
では、X+3とXー5をかけて0になるのだから
少なくとも一方は0でなければならない。
したがって
χ+3=0 または χー5=0
χ+3=0 のとき、χ= ー3
χー5=0 のとき、χ= 5
よって、χ=-3、5

 

 「ああ、こういう論理の組み立ていいよなあ」と思う。
 義務教育で、論理的な思考(表現)が確実に教えられるのは、数学の時間なのである。

 

①もし○○ならば、△△になるはずである。したがって、□□は、▽▽である。

 

②○○なのだから、▽▽でなければならない。

 

③○○の条件を考えると、すくなくとも▽▽でなければならない。

 

といった、表現が自在に操れる子どもを育てたい。
 それは、国語や数学といった教科の範疇ではない。
 これは、全ての学問に通じる「型」の指導である。

 

 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一(集英社新書)には、次の話し方を勧めている。

 

「君の質問は3つの誤解に基づいている。第一の誤解、それは~」
「そこには、問題点が2つある。歴史的にみると~」
「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からすると反対だ」
「そもそも~とは~」
「今問題にあっているのは~」
「なぜ、そのようなことが起こっているかというと~」
「確かに~、しかし~」
など。

 

 これを「型思考」と言う。
 樋口氏は次のように書いている。(便宜上の改行あり)
===============================
 どうやらフランスの人たちは、頭の中に自分の論ができあがってから、そのように口にいるわけではなさそうなのだ。
言い換えれば、ほとんど「くせ」として、「理由は三つある」「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からのすると反対だ」などと言っているにすぎないのだ。
そして、そう言ったあとで、必死になって三つの理由や○○の面や▽▽の面の根拠を考えているのだ。
つまり、「理由は三つある」「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からのすると反対だ」などの「型」があって、それにあてはめて話をしているにすぎないのだ。
 知識人たちも、このような「型」が頭に刷り込まれており、それを用いて思考しているのだろう。
おそらく、知識人の用いる論理パターンというものが存在し、その「型」のなかで思考しているのだ。
だから、無駄なく緻密に思考できるのだ。
言われてみれば、リヴィエールの論理展開もサルトルの論理展開も似たところがある。
そしてそれは、子どものころから数学の証明問題のように叩き込まれてきた論理形式なのだろう。
 おそらく、フランスの人々は学校でこのような口調を身につける訓練を受け、論理的に思考する「くせ」をつけているわけだ。(P24)

 

 もちろん、「型」を守りさえすれば論理的になるわけではない。
論理矛盾や飛躍が生じることはある。
だが、少なくとも、論理的に考えるための一つの要素を満たすことにはなる。
その意味で、「型」を守ることは、論理的に思考するためには、きわめて有効だと言えるだろう。(P25)

 

 そもそも、能力のあるものが個性を発揮するのは、ある程度「型」を押しつけられて、それに反発するときではないだろうか。
初めから自由にされたのでは、何も身につかない。
(中略)「型」を応用することで、論理的に思考でき、しかも個性を鍛えることができるのだ。(P27)

 

 戦後、日本の教育界では、「型」に当てはめることが、個性を壊すとして、何よりも嫌われてきた。
作文でも絵でも、どのように書くかは指導されず、「考えていることを自由に書きなさい」「ありのままに書けば、それでよい」とされてきた。
そうして、どのように書くかのろくにしないまま、読書感想文を書かせて、本嫌いや作文嫌いを大量に生産してきた。(中略)
 だが私の言う「型」とは、出発点としての、組み立ての基準になる「型」だ。それを目的とするわけではない。このような「型」は決して、個性的な思考の妨げにはならない。(P34)
======================

 

「ごんぎつね」の「ごん」は、次のような論理を展開する。

 

①兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。
②それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。
③ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。
④だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。
⑤5そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。
⑥ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。
⑦ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。

 

・・・ごんは、前提①で推測をしている。
 しかし、兵十のおっ母が、うなぎが食べたいと言ったかどうかは分からない。
 前提①が確定できないのだから、あとは正しい論理展開になるはずがない。
 誤った①から導かれる⑥「ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう」は確証がない。

 

 そのような論理の誤りを見抜くことも含め、楽しい「型」の学習をさせられないかと思う。
 数学から学ばねばならないことが多い。

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