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August 31, 2013

「本音の若者論」~そこそこの幸福感~

中日新聞夕刊に8月6日から、3日間にわたって掲載された「本音の若者論」は面白かった。
林真理子氏と対談する社会学者の古市憲寿氏の言葉が、今の若者の代弁であるのだとしたら、これはなかなかギャップがある。
 林氏は、冒頭、次のように若者観を述べる。

◆「今の子って、小さくまとまって低値安定で、海外旅行もしない、車も持たない、異性とも付き合わない、おいしい物を食べようとしない、ないない尽くしと言われますね」

 『野心のすすめ』について、「こんなにガツガツしたくない。かっこ悪い」と言われたことを受けて、古市氏は次のように言う。

◆「林さんはスタイルになっているからいいけど、若い人がガツガツして様になるのは難しい。ボクも友人と会社やったり、本を出したり、そこそこガツガツしているけど、できるだけ外に見せないようにしてますね。」

・・・「がんばる姿」を見せることも、妬まれるから嫌という気持ちは分からないではない。

◆「彼らはバッシングされることをすごく恐れている。日本はスポーツ選手とかでも全然威張れない。ちょっとお金使ったりブランド好きっていうだけでたたかれる。」

・・・妬みもそねみだって昔からある。昔から「出る杭は打たれる」と控えめに生きることを進める風潮もあった。
でも、そのような妬みやそねみは、する側の卑しさを暴露するようなものだ。まして、匿名の批判を過度に恐れる必要はない。
 バッシングを恐れて、自分の行動を抑制するのも、ほどほどにすべきだと思うが、当事者は無視できないのだろう。

 今の若者が自分たちを「ゆとり」でなく「さとり」だと称していることに対し、林氏が次のように述べている。

◆「『さとり』って美しすぎる言葉だと思わない?いろんな経験や知識を積んで初めてそういう境地に入るので、軽々しく言われたくないなあ」

・・・同感だ。ガツガツする姿はみっともないのに、冷めた姿はかっこいいなんて。冷めた態度がかっこよく見えるのは、今に始まったことではないけれど、傷つきたくなくて、自己弁護してるだけじゃんと思う。

 以後は、林氏と古市氏の掛け合いの妙があるので、双方を引用する。

古「(前略)今はお金をかけなくてもそこそこの生活ができる。ユニクロでもおかしくないし、ラインやスカイプなど無料で遊べるツールもたくさんあります。それに、周りのお金持ちの人を見ても、あまり豊かな気がしなくて。(後略)」

林「別にうらやましくない?」

古「はい。安いワインでも仲間と飲めば十分面白いじゃないかみたいな。」

林「つまり仲間がいればいいんじゃないか。そこに尽きるわけ?」

古「だと思います。食事もおいしい方がいいですが、最低限のおいしさが確保できていれば、どんな話をして、どんな仲間と食べたかの方が大事かな。」

====

古「すごく楽しいより、そこそこ楽しいという感じ。」

林「そこそこ?私、きのう銀座の高級クラブでロゼのドンぺり飲んだりして、みんなでワイワイ言ってすごく楽しかったの。そういうの嫌だなって思うんでしょう?」

古「嫌だとは思わないけれど、数千円でもそこそこの楽しみはできちゃうのでは。」

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古「その野心が持ちにくい世の中になっちゃいますよね。地方でそこそこの暮らしができるから、東京に対するあこがれもないですよね。」

林「今、地元志向すごいですよね。みんな地元の大学でいいって言う。コミュニテイから出ることへの恐怖感があるんじゃないかな。」

古「それはたぶんありますよね。今は中学校のときから携帯を持つから、村みたいに地元の仲間のコミュニテイがずっとあって、それをリセットしてまで東京に行くのはそうとう野心がないと難しい。
年に一、二回デイズニーランド行けたらいいや、ぐらい。」

林「私みたいに上京して一旗揚げるなんて、誰も考えない。」

古「がむしゃらに頑張ってみたところでなかなか報われないんだったら、ゆるく生きようと思っちゃうのが自然かなって。」

林「でも、志を低く持ってぐちゃぐちゃ生きるより、すごく努力して、それが破れてしまっても、精神が成長すると思うんですよね。
野心って、精神の冒険の旅じゃないですか。みんなも冒険に出て、嵐にも遭えば、成長すると思う。」

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林「さっき言ってましたね、友達と居酒屋でつるんでいるのが楽しいって」

古「そこの楽しさからこっちの楽しさに行くジャンプが大変なんでしょうね。そこのリスクをどれだけ負おうと思うかですよね。」

林「私もそれを言いたい。若い人が「ガツガツしたくない」「みっともないことしたくない」って言うんだけど、若いときのプライドなんて大したもんじゃない。どんどん恥かいてもいいんですよ。」

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・・・「そこそこでいい」というのは、結局「楽」をしたいからではないのかと思う。
 友達と居酒屋でつるんで楽しいのは、「楽」だからだ。
 古市氏は「ゆるく生きる」と表現しているが、それは「楽な生き方」と同義だ。
 おじさんから見れば逃げているとしか思えない。
 最も気になったのは「そこの楽しさからこっちの楽しさに行くジャンプが大変なんでしょうね。そこのリスクをどれだけ負おうと思うかですよね」の部分だ。
 「そこの楽しさからこっちの楽しさに行くジャンプが大変」なのは当然だ。
 こっちの「楽しさ」は、「そこそこ」の努力では得られない。 「楽」をしていては決して得らない。
 ポジテイブに考えれば「大変だからチャレンジのしがいがある」
 ネガティブに考えれば「大変だからやめておこう」
 明らかに発想がネガテイブなのだ。
 それに、この場合の「リスク」って何を指すのだろう。
・失敗したら自分が傷つくこと?
・周りから「がんばっちゃって」と皮肉られること?
・一度離れたら、今のコミュニテイーに戻れないこと?

 林氏の言うように「若いときのプライドなんて大したもんじゃない。どんどん恥かいてもいいんですよ。」なのである。

 いかんいかん。こんな風に興奮しては、若い世代の気持ちを受容できない。
 でも、受容するだけでもいかんと思う。おじさんなのだから、きちんとたしなめてやらないと。
 若者には若者の事情があり辛さもあるだろう。
世の中を便利にする方向で企業は様々な開発をする。
  その便利さを享受する若者を糾弾するのは、おかしい。彼らをスポイルしたのは大人だ。
 それに、自分も若い頃は慎重で臆病で冷ややかだった。
 「若者がそれじゃあいかん」と思うのは、自分がおじさんになったからなのだとも思う。
 
 しかし、だからといって全ての言動が正しいわけではない。
 なんだかんだ言っても自己弁護にすぎないのに、「自分たちのライフスタイルは変える気はない」と開き直りを感じる。
 それはいつの世も若者の特権なのかもしれないが・・。

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今日の「あまちゃん」をどう観るか?

NHKドラマの「あまちゃん」。
今日8月31日は、2011年3月11日の午前中の場面だった。
日付や時間が、妙に強調される。
そりゃあそうだ、この日の午後、震災が起こる。

A:知らないものとしてドラマを見るか
B:知っていながらドラマを見るか

分析批評で言うところの「無人島読み」でいえば、知らずに読めばよい。作中人物の「今」に同化して読めばよい。

でも、無理だ。
この日付の意味を我々は知ってる。

明日のコンサートのために喜びはしゃいでいる主人公に共感できない。
「おい、今日の午後、震災だぞ」と教えたくなる第三者の視点から離れられない(むろん、詳しいスト―リー展開を自分は知らない)。

「無人島読み」にも限界がある。
考えてみれば「八重の桜」だって、会津の敗北は分かってて見るしかない。
「龍馬伝」だって、最後は暗殺されると分かってみるしかなかった。 いやいや「龍馬伝」は、「龍馬暗殺まであと○○日」とナレーションしていたから、結末を意識することは織り込み済みだった。

たとえば「7月4日に生まれて」という映画があるが、この日付の意味を知らないアメリカ人は、常識知らずということになるだろう。映画を観る前の前提になっているともいえる。

今日の「あまちゃん」は、日付を強調していた。
作者は、その日付の意味理解を強要していたとも推測できる。

明るい、このドラマが、震災をどう描くのか気になる。
ただし、勤務があるので、平日に自分が見るのは夜のBSです。

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August 06, 2013

いじめの原因も対策も「同調圧力」

国立教育研究所の調査結果の記事があった。


いじめ、小学生の9割弱が被害・加害ともに経験 国立教育研 2013/8/5 20:55

 国立教育政策研究所は5日、首都圏の小中学生を対象に行った調査で、小学生では仲間外れ、無視、陰口といった「いじめ」を受けたことがある児童と加えたことがある児童がともに9割近くに上ったと発表した。「
調査担当者は「こうした暴力を伴わないいじめを、子供たちが日常的に経験していることが裏付けられた」としている。
 同研究所は2010~12年、首都圏のある市の小学校13校と中学校6校で、10年度に小学4年と中学1年だった児童生徒計約4600人を対象に追跡調査を実施。
毎年6月と11月にアンケートを行い、経年変化を分析した。
 10年度当時に小学4年生だった約700人のうち、小6の11月時点までに「仲間外れ、無視、陰口」の被害を一度でも受けた経験があると回答した児童は87%に上った。
6回の調査でいずれも「ぜんぜんなかった」とした児童は13%にとどまった。
 「仲間外れ、無視、陰口」の加害経験が一回でもあると答えた児童は86%。加害経験がないとした児童は14%だった。
 07~09年に実施した前回調査では小学生の被害経験は79%、加害経験は77%だった。
 10年度当時に中学1年生だった生徒の調査では、「仲間外れ、無視、陰口」の被害を一度でも受けたことのあるとした生徒は71%。加害経験があるとした生徒は72%だった。
 中学生については「ひどくぶつかる・たたく・蹴る」といった暴力についても調査し、被害を受けたとした生徒は41%、加害経験があるとした生徒は30%だった。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0503F_V00C13A8CR8000/

  この調査結果に対するコメントは難しい。
 「多少の仲間外れ、無視、陰口は誰もがやっている」と断じてしまうと、だから「いじめられている子も我慢せよ」ということになりかねない。
 仲間外れ、無視、陰口については、本人の受け止め方は千差万別だ。
 苦痛を感じている子に「お前は大げさだ」「みんな我慢している」という権利は誰にもない。
 それに、この調査で問うた「いじめ」の度合いも、この記事だけでは、よく分からない。
 苦痛を伴うような「仲間外れ、無視、陰口」に限定しているのか、ふざけ合い程度のものも含まれているのか。
 
 たとえば、

◆自分は深刻ないじめの加害者である。でも自分だって軽いノリのいじめはいつも受けている。だから、自分は悪くない。お互い様だ ◆

という言い訳をもたらすのだとしたら、加害も被害も双方9割と言う数値の意味があいまいになってしまう。
 
 それにしても、加害者9割と言う数値は、「仲間外れ、無視、陰口」をしたことを平然と口にできる雰囲気があることを示す。
 もし、その行為にやましさを感じていれば、いくらアンケートだって「イエス」とは答えないはずだ。
 「仲間外れ、無視、陰口」なんて当たり前という感覚が、すでに危険なのだと私は思う。

 さて、藤川大祐氏の『いじめで子どもが壊れる前に』(角川新書)では、同質原理(homophily)という言葉を用い、「集団の中で価値観や態度が類似であることが求められる」と解説している。
 「みんながやっているから自分もやる」の空気である。

 これもよく似た概念で、「いじめ」の背景として、「同調圧力・同調行動」はよく用いられる。

◆同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。

 同調圧力・同調現象は、あまりよい意味では使われないようだ。
 しかし、斉藤孝氏の『若者の取扱説明書』(PHP新書)では、この同調圧力=「周囲がやっているから自分もやらなきゃ」を若者を動かすためにプラスに利用している。

◆集団の中にいる彼らにとって最大の恐怖は、自分一人だけ浮いたり、さぼっていると見られることだ。
もともと叱られることに慣れていないし、恥もかきたくない。
「取り残されてもいいのか」若者は自分だけ取り残されることを極度に嫌う。P24

◆友人ががんばっていれば自分もがんばるし、仲間の多くがクリアしたことは自分もやらなければまずいと考える。
つまり、「先生にどう評価されるか」は原動力にならないが、「周囲がどう動いているか」によって自分の動き方も変わるわけだ、
だから、先に述べた”同調圧力”が効くのである P117

・・・マイナスをプラスに変えて人を動かす方法を考える斉藤氏はさすがだと思う。マイナスを嘆くのは簡単だが、嘆いたところで事態はよくならないからだ。

 「いじめ」についても同じだ。
 いじめをやって当たり前の雰囲気があれば、「同調圧力」によって、いじめが蔓延する。
 しかし、やらなくて当たり前・やらないのが当たり前の雰囲気が強くなれば、「同調圧力」によって、いじめは回避できる。
 いかに多数派をこちらに仕向けていくかが、教師の指導なのである。

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