「本音の若者論」~そこそこの幸福感~
中日新聞夕刊に8月6日から、3日間にわたって掲載された「本音の若者論」は面白かった。
林真理子氏と対談する社会学者の古市憲寿氏の言葉が、今の若者の代弁であるのだとしたら、これはなかなかギャップがある。
林氏は、冒頭、次のように若者観を述べる。
◆「今の子って、小さくまとまって低値安定で、海外旅行もしない、車も持たない、異性とも付き合わない、おいしい物を食べようとしない、ないない尽くしと言われますね」
『野心のすすめ』について、「こんなにガツガツしたくない。かっこ悪い」と言われたことを受けて、古市氏は次のように言う。
◆「林さんはスタイルになっているからいいけど、若い人がガツガツして様になるのは難しい。ボクも友人と会社やったり、本を出したり、そこそこガツガツしているけど、できるだけ外に見せないようにしてますね。」
・・・「がんばる姿」を見せることも、妬まれるから嫌という気持ちは分からないではない。
◆「彼らはバッシングされることをすごく恐れている。日本はスポーツ選手とかでも全然威張れない。ちょっとお金使ったりブランド好きっていうだけでたたかれる。」
・・・妬みもそねみだって昔からある。昔から「出る杭は打たれる」と控えめに生きることを進める風潮もあった。
でも、そのような妬みやそねみは、する側の卑しさを暴露するようなものだ。まして、匿名の批判を過度に恐れる必要はない。
バッシングを恐れて、自分の行動を抑制するのも、ほどほどにすべきだと思うが、当事者は無視できないのだろう。
今の若者が自分たちを「ゆとり」でなく「さとり」だと称していることに対し、林氏が次のように述べている。
◆「『さとり』って美しすぎる言葉だと思わない?いろんな経験や知識を積んで初めてそういう境地に入るので、軽々しく言われたくないなあ」
・・・同感だ。ガツガツする姿はみっともないのに、冷めた姿はかっこいいなんて。冷めた態度がかっこよく見えるのは、今に始まったことではないけれど、傷つきたくなくて、自己弁護してるだけじゃんと思う。
以後は、林氏と古市氏の掛け合いの妙があるので、双方を引用する。
古「(前略)今はお金をかけなくてもそこそこの生活ができる。ユニクロでもおかしくないし、ラインやスカイプなど無料で遊べるツールもたくさんあります。それに、周りのお金持ちの人を見ても、あまり豊かな気がしなくて。(後略)」
林「別にうらやましくない?」
古「はい。安いワインでも仲間と飲めば十分面白いじゃないかみたいな。」
林「つまり仲間がいればいいんじゃないか。そこに尽きるわけ?」
古「だと思います。食事もおいしい方がいいですが、最低限のおいしさが確保できていれば、どんな話をして、どんな仲間と食べたかの方が大事かな。」
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古「すごく楽しいより、そこそこ楽しいという感じ。」
林「そこそこ?私、きのう銀座の高級クラブでロゼのドンぺり飲んだりして、みんなでワイワイ言ってすごく楽しかったの。そういうの嫌だなって思うんでしょう?」
古「嫌だとは思わないけれど、数千円でもそこそこの楽しみはできちゃうのでは。」
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古「その野心が持ちにくい世の中になっちゃいますよね。地方でそこそこの暮らしができるから、東京に対するあこがれもないですよね。」
林「今、地元志向すごいですよね。みんな地元の大学でいいって言う。コミュニテイから出ることへの恐怖感があるんじゃないかな。」
古「それはたぶんありますよね。今は中学校のときから携帯を持つから、村みたいに地元の仲間のコミュニテイがずっとあって、それをリセットしてまで東京に行くのはそうとう野心がないと難しい。
年に一、二回デイズニーランド行けたらいいや、ぐらい。」
林「私みたいに上京して一旗揚げるなんて、誰も考えない。」
古「がむしゃらに頑張ってみたところでなかなか報われないんだったら、ゆるく生きようと思っちゃうのが自然かなって。」
林「でも、志を低く持ってぐちゃぐちゃ生きるより、すごく努力して、それが破れてしまっても、精神が成長すると思うんですよね。
野心って、精神の冒険の旅じゃないですか。みんなも冒険に出て、嵐にも遭えば、成長すると思う。」
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林「さっき言ってましたね、友達と居酒屋でつるんでいるのが楽しいって」
古「そこの楽しさからこっちの楽しさに行くジャンプが大変なんでしょうね。そこのリスクをどれだけ負おうと思うかですよね。」
林「私もそれを言いたい。若い人が「ガツガツしたくない」「みっともないことしたくない」って言うんだけど、若いときのプライドなんて大したもんじゃない。どんどん恥かいてもいいんですよ。」
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・・・「そこそこでいい」というのは、結局「楽」をしたいからではないのかと思う。
友達と居酒屋でつるんで楽しいのは、「楽」だからだ。
古市氏は「ゆるく生きる」と表現しているが、それは「楽な生き方」と同義だ。
おじさんから見れば逃げているとしか思えない。
最も気になったのは「そこの楽しさからこっちの楽しさに行くジャンプが大変なんでしょうね。そこのリスクをどれだけ負おうと思うかですよね」の部分だ。
「そこの楽しさからこっちの楽しさに行くジャンプが大変」なのは当然だ。
こっちの「楽しさ」は、「そこそこ」の努力では得られない。 「楽」をしていては決して得らない。
ポジテイブに考えれば「大変だからチャレンジのしがいがある」
ネガティブに考えれば「大変だからやめておこう」
明らかに発想がネガテイブなのだ。
それに、この場合の「リスク」って何を指すのだろう。
・失敗したら自分が傷つくこと?
・周りから「がんばっちゃって」と皮肉られること?
・一度離れたら、今のコミュニテイーに戻れないこと?
林氏の言うように「若いときのプライドなんて大したもんじゃない。どんどん恥かいてもいいんですよ。」なのである。
いかんいかん。こんな風に興奮しては、若い世代の気持ちを受容できない。
でも、受容するだけでもいかんと思う。おじさんなのだから、きちんとたしなめてやらないと。
若者には若者の事情があり辛さもあるだろう。
世の中を便利にする方向で企業は様々な開発をする。
その便利さを享受する若者を糾弾するのは、おかしい。彼らをスポイルしたのは大人だ。
それに、自分も若い頃は慎重で臆病で冷ややかだった。
「若者がそれじゃあいかん」と思うのは、自分がおじさんになったからなのだとも思う。
しかし、だからといって全ての言動が正しいわけではない。
なんだかんだ言っても自己弁護にすぎないのに、「自分たちのライフスタイルは変える気はない」と開き直りを感じる。
それはいつの世も若者の特権なのかもしれないが・・。
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