
この夏「終戦のエンペラー」を観た。ストーリーは以下の通り。
◆『終戦のエンペラー』(7月27日日本公開)は、第二次世界大戦敗戦直後の日本が舞台となるハリウッド映画です。
GHQ最高司令官のマッカーサーは、昭和天皇を戦争犯罪人として処分するべきか否かについて決めかね、彼の部下、ボナー・フェラーズ准将にある調査を極秘で依頼します。
それは、戦争中の政府の重要人物を調べ、真の戦争責任者は誰かを突きとめるという特命だった・・・というストーリーです。
http://www.huffingtonpost.jp/rochelle-kopp/post_5281_b_3657353.html
全くの予習もなく観たので、十分理解できなかった。
その後も、しっかり復習することもなかったので、この映画の値打ちも分からなかった。
http://www.emperor-movie.jp/
今、この映画の予告を観ると、よく分かる。
なるほど、終戦当時の状況を丁寧に誠実に描写していると思う。
フィクションとしての恋愛話が挿入されているのは、むしろ余分だったという印象は、上記のサイトでも書かれている。
◆残念だったのは、脚本家が映画をフェラーズ准将と日本人の恋人アヤの「ハリウッド風ロマンス仕立て」にしてしまったことです。
さて、復習してみて、改めて、「マッカーサーと天皇の会見」が歴史的な一日だったのだということが分かった。
この映画に関する田原総一郎のコメントの一部(一部改行)。
◆日本が無条件降伏をして、マッカーサー最高司令官のアメリカ軍が日本に乗り込んで来る、ここから映画ははじまる。
マッカーサーの任務は日本を占領することである。さらにいえば、占領という名の国家管理を行なって、日本を民主主義国として独立させることだ。
マッカーサーは、そのために、まず戦争責任者たちを逮捕して連合国の裁判で裁かなければならない。
その戦犯裁判に昭和天皇をかけるべきかどうか。
マッカーサーは、ボナー・フェラーズ准将に、その調査を命じる。
そしてフェラーズが、東条英機、近衛文麿、木戸幸一たちキーパーソンに直接あたって、天皇の戦争責任を問い、裁判にかけるべきかどうかを確かめる。
これがこの映画のテーマでありストーリーである。
たしかに日本ではとても映画化出来そうにはない。いわばタブーである。げんに、これまでにこのような映画を企画した日本人はいない。
フェラーズはキーパーソンたちを調べてまわり、結局、昭和天皇は裁判にかけず、天皇制も続けるべきだと考える
。日本人がいかに天皇に深い思いを抱いているかを知り、天皇なしでは日本が大混乱して占領政策がまっとう出来ないと判断したからだ。
フェラーズのこうした意思を知り、マッカーサーは、自分が天皇と直接会って話して決断することにした。
そして昭和天皇とマッカーサーの、あまりにも有名な場面が映画でも展開されることになる。これが、この映画のクライマックスでもある。
http://www.huffingtonpost.jp/soichiro-tahara/post_5310_b_3674394.html
・・・映画の中では、戦争責任を問うGHQに対して、関係者は非協力的で、観ている私まで苛立ってきた。それだけに天皇の処刑に踏み切らなかったマッカーサーの英断は「薄氷」だったなだと改めて知った。マッカーサーには、次期大統領選出馬の功績を狙っていたようだ。それも日本には見方したということか。
「そして昭和天皇とマッカーサーの、あまりにも有名な場面が映画でも展開されることになる。
これが、この映画のクライマックスでもある。」
と言われると、その「あまりにも有名な場面」「歴史的な一日」を知らなかったこと、知らずに映画を観たことに恥じ入るばかりである。
ただし、さすがに、ここがこの映画のクラマックスであることは実感できた。
昭和天皇が姿を見せるシーンは、映画の中であるとはいえ、実に厳かであった。
◆歴史好きの人であれば、これだけ忠実に再現された終戦後の日本、そしてマッカーサーと昭和天皇の歴史的な会見(この記事の冒頭の写真)が見られるチャンス逃すわけにいきません!
とあるが、歴史好きの人でない人にこそ、戦後の日本を運命づけた「歴史的な1日」を扱った貴重なこの映画を見てほしいが、今後はDVDを待つことになるだろう。
さて、このように今になって「終末のエンペラー」を振り返ろうと思ったのは、竹田恒泰氏の『日本人はいつ日本を好きになったのか』(PHP新書)を読んだからだ。
「マッカーサー元帥が書き残した感動」の項目を、敬意を込めて一部視写する。
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◆マッカーサー元帥の判断に大きな影響を与えたのは、なんといっても昭和天皇と対面を果たしたときの衝撃だったと思われる。
昭和天皇が初めて米国大使館にマッカーサー元帥を御訪問になった九月二十七日の午前中のことだった。このとき昭和天皇と元帥がどのような会話を交わしたか、いまだ公式な発表はないが、元帥の著した「マッカーサー回想記」(朝日新聞社)や、関係者の手記などからその一端を知ることができる。
元帥は当初、天皇は戦争犯罪者として起訴されないよう、命乞いをしに来るのではないかと考えていたようだ。しかし、元帥の回想によると昭和天皇は、政治と軍事の画面での全ての決定と行動に対する全責任は御話しになったという。元帥はこれに感動し、次のように記している。
「死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私を骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本も最上の紳士であることを感じ取った」(「マッカッサ―の回想記」)
また、マッカーサーの副官で、専任の通訳だったフォービアン・パワーズは、御引見の直後に元帥から聞いたとして、御引見時の昭和天皇の御言葉を次のように伝えている。
「すべての事は私の名のもとになされたから私が全責任をとる。だから、東郷や東篠や重光らを罰さずに、私を罰せよ」(小堀桂一郎『昭和天皇』PHP新書)
また、当時、侍従長を務め、御会見の準備に当たり、米国大使館まで同伴した藤田尚徳は、備忘録に昭和天皇の御言葉について次のように書き残している。
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するから、ところだ彼らに責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお任せする。このうえは、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」(藤田尚徳「侍従長の回想」講談社)
そして、昭和天皇に随伴した通訳・奥村勝蔵も、天皇のお言葉を書き留めている。
「今回の戦争の責任は全く自分にあるものですから、自分に対してどのような処置をとられてに異存はない。次に戦争の結果 現在国民は飢餓に瀕している。このままでは罪もない国民に多数の餓死者が出る死するおそれがあるから、米国に是非食料援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券をまとめて持参したので、その費用の一部にあてて頂ければ仕合せである」(前掲『昭和天皇』)
昭和天皇はこのようにおっしゃると、大きな風呂敷包みを差し出した。このとき元帥は、立ち上がって昭和天皇のところに行き、握手をして、「私は初めて神の如き帝王を見た」と述べたという。また、マッカーサーの返答についても次のように記録されている。
「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願いしたい」(前掲『侍従長の回想』)
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・・・竹田氏は、連合国が日本を占領した最終的な目的を「日本を精神的に武装解除させること、すなわち、日本人を精神的に骨抜きにすることである」(p41)と述べている。
天皇処刑の声も大きかった当時のアメリカの風潮に反して、天皇の存続を決定したことの意義は大きい。「復讐の為の復讐は、天皇を裁判にかけることで誘発されることで誘発され、もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることなく続く恐れがある」としても、鎮圧・弾圧するだけの力は有していたはずだ。
それは、「神の如き帝王」と感じさせた天皇の振る舞いや言動によるものだったということだ。
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