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December 27, 2013

問題意識をもてば、情報は飛び込んでくる


『本は絶対1人で読むな!』中島孝志(潮出版社)を読んだ、
 その中で印象的な二つの用語が出てきた。

①「カクテルパーテイー効果」・・・パーテイーなどで周囲がざわざわしていても自分の名前を小耳にはさむとその声が聞き分けられるもの。

②「カラーバス」(色を全身で浴びる効果)・・特定の色に関心を寄せると、その色が気になり、目に入ってくるようになる。

・・・この2つの効果を「情報の収集」に重ねて次のように述べていた。

◆自分が問題意識をもったことによって、そのテーマに関する情報に過敏になり(感性が研ぎ澄ませる)結果として関連情報が飛び込んできてしまうようになるのだ。
情報とはそういうものだ。情報が欲しい、欲しいと願わなくてもいい。問題意識をもった瞬間、勝手に向こうから飛び込んでくるのである。
(中略)「もっと情報が欲しい」としょっちゅうこぼしている人は、実は問題意識が足りないだけなのである。
問題意識があるだけで、なにかの拍子にそれに関連する情報やニュースを小耳にはさんでも飛びこんでくる。

・・・まずは問題意識を持つことだが、ここで、再び池谷裕二の『海馬』と重ねてみる。
 「脳は『べき乗』で発展する」(P119)という発想だ。

◆AとBふたつを知るだけでなく、Aから見たB、Bから見たAというように、脳の中で自然に四つの関係が理解できるんです。つまり二の二乗ですね。P122

◆こうやって方法を学んでいく学び方の進行が「べき乗」で起こり、やればやるほど飛躍的に経験メモリーのつながりが緊密になっていくからなのですよ。P124

・・・同時に複数の情報に対して意識をもっていれば、キャッチしやすいし、相乗効果が期待できるということになる。
 たとえば、道徳にからめて「幼学綱要」に興味をもっていたら、幕末から明治維新ころの歴史、そして昭和史と重なってきて、たまたま参加できた竹田恒泰氏の講演で、その経緯を知ることができた。
 先にも書いたように「つながり」を感じると印象が明確になって記憶にも残りやすい。復讐を重ねて情報が確実に定着する感じだ。

 「これは今の自分に無関係」などと決めつけず、意識の片隅にでも残しておくと、情報がひっかってくる確率が高い。
 食わず嫌い」をやめ、興味の間口を広げて日々生活するとよいということだ。
 自分の意識改革から始めなくてはいけない。

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December 26, 2013

『海馬』(池谷裕二)を読んで、つながる快感を知る

『海馬』(新潮文庫)を読む前から、感じていたことがある。
 そして、『海馬』を読んで、「そういうことか!」と合点のいったことがある。

  自分は、もともと歴史が得意な方ではない。
 人物名を覚えるのが苦手で、すぐに混乱してしまう。
 大河ドラマでも、主役級でないと、すぐにわからなくなってしまう。
 それでも、今年の「八重の桜」の前半、幕末の描写は興味深かった。
 2008年の「篤姫」、2年前の「龍馬伝」と重ねて復習できたからだ。
 しかも、『龍馬伝』『篤姫』からすれば薩長は味方、新選組と幕府軍は敵。『八重の桜』からすれば薩長は敵、新選組は味方、幕府軍は裏切り者である。
 このように、双方から情報が入ると、
「ああ、龍馬伝のあの部分は、今回はこうやって描かれるわけだ」
と、つながって理解が進む(すぐ忘れることも多いが)。

 ちなみに、『八重の桜』の後半は2010年の「『坂の上の雲』と重なっていた。今回、反町隆司が演じた大山巌は、[坂の上の雲」で米倉斉加年が演じている。
「ああ、あの米倉斉加年が、今回の反町隆司なんだ」とつながって、これもまた理解が進んだ
 この「つながる」感覚、「つながる」快感について、『海馬』には次のように出てくる。

◆「経験してわかる」ことに関しては、大人になってからのほうが発達しているのです。
 30歳以上の人のほうが経験した内容を縦横に駆使できますし、年を重ねるほどに脳のはたらきを利用できるという現象も起こります。P22
◆30歳を過ぎると、つながりを発見する能力が非常に伸びるんです。P55
◆「今まで一見違うと思われたものが、実は根底では、つながっている」ということに気づきはじめるのが、30歳を超えた時期だと言われています。P56

・・・30歳をとうに過ぎたのだが、近頃、「つながり」の快感を感じることが多いが、こういうことなのか。。
 そして「つながり」の快感があるから、歴史なんかも好きになりつつあり、好きになるからよく覚えるようになってきたのか。
 この歴史が好きになる過程も、『海馬』に出てくる。

◆脳の中で「好き嫌い」を扱うのは扁桃体というところでして、「この情報が要るか要らないのか」の判断は海馬というところでなされています。海馬と扁桃体は隣り合っていてかなりの情報交換している。つまり、「好きなことならよく憶えている」「興味のあることをうまくやってのける」というのは、筋が通っているんですよ。感情的に好きなものを、必要な情報だとみなすわけですから。P28
◆好き嫌いといった感情が絡むと憶えます。扁桃体が絡むと憶えやすいというのが動物的な憶え方です。P156

・・・ なお、今までのいろんな情報を『海馬』と照合してみると、つながりが多くて実に快感である。

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池谷裕二『海馬』から、チャレンジ精神の大切さを学ぶ

 『海馬』池谷裕二・糸井重里(新潮文庫)は、非常に興味深い一冊だった。
 対談の多くを糸井氏がしゃべり、もう少し池谷氏の言葉も聞きたいという思いもあるが、糸井氏がうまく対談をリードし、さまざまな視点から池谷氏の言葉を引き出しているとも言える。
 各章ごとに、まとめがあるのもうれしい。

 先日書いた、「チャレンジ精神」に重なるのが「脳そのものは無刺激に耐えられない(P51)に関連する次の箇所だ。

◆生きていることに慣れてはいけないんです。慣れた瞬間から、まわりの世界はつまらないものに見えてしまう。P25
◆「ルーテインワーク」だと、脳の中のネットワークの再編成が起こらなくなってしまう P89
◆刺激を求めているけれど、同時にいつでも安定した見方をしたがるのが、脳です。創造的なことをしたいと思っている人は、画一的な見方をしたがる脳に対して、挑戦をしていかなければなりません。
◆脳の機能が低下しているかどうかということよりも、まわりの世界を新鮮に見ていられるかどうかということのほうを、ずっと気にしたほうがいいでしょう。
◆ 生きていることに慣れてはいけないんです。慣れた瞬間から、まわりの世界はつまらないものに見えてしまう。P25
◆クリエイテイブなことを仕事にするというには、常識をちょっと破ってみることが必要ですよね。ですから、脳に逆らった仕事をしなければならないわけです。P176
◆脳が刺激を求めているから、刺激を満たす必要はあるけれども、その先には、「脳がいつも安定した見方をしてしまいたがる」ということに対して、挑戦していかなければならないこともあるんです。P176

 脳は刺激を求めている一方で、安定した見方をしたがる。
 この「安定した見方は「コンフォートゾーン」の考えと同じだ。
 コンフォートゾーン(快適なゾーン)は、悪く言えば「ぬるま湯」である。「ぬるま湯」に安住していては自己の向上はない。

 常に快適さや新鮮な刺激を得るには、二律背反の脳の働きについての理解が大事だということが分かる。

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December 24, 2013

「幼学綱要の20項目、教育勅語12徳」

 10月に名古屋で竹田恒泰氏の講演を聞いた。
 その際、幼学綱要の話題が出てきた。主催の名古屋JCが、幼学綱要の20徳をアピールしていたからだ。
 ちなみに人物では、
 ①元田永孚もとだながさね
 ②井上毅
 ③明治天皇
の3人が際立っていた。

 幼学綱要については、河田先生が詳しく解説されている。
 TOSSとして、このくらいはきちんと把握していなければならないということだ。

http://kawata3.web.fc2.com/doutoku/doutoku17.html

日本人の道徳観を読み解く②一 儒学と幼学綱要

 現在の道徳教育に深い影響を与えているのが『幼学綱要』だ。道徳教育というと「学校での教育」を頭に思い浮かべるだろうが,学校以外でおこなわれる道徳教育が圧倒的に多いだろう。両親から「人間なら~しなければ」と説かれる,近所のおじさんから「男なら~だろ」と励まされるというように,小さな時から自然に空気を吸い込むように社会の中にある道徳観を吸い込んで子どもは育っていく。我々のまわりにある,我々を包み込んでいる空気のような道徳観は,マスコミによってつくられることもあるし,よく売れている本や雑誌によってつくられることもあるだろうし,最近では2チャンネルなどのネットでの議論によって形成される場合もある。しかし,それらの空気のような道徳観の根っこにあるものがある。子どもを諭す両親や,口うるさい近所のおじさん,マスコミでしたり顔に話すコメンテーター,ネットで自らの論を展開する人達へ影響を与えているものがあるのだ。

 それが『幼学綱要』だ。

 『幼学綱要』は全七巻からなる本だ。筆者は,元田永孚。

 「国民道徳」から儒教的色合いを除きたいと頑張った森有礼とは対極をなす人物だ。

 元田は,「儒教道徳」こそが,国民道徳だと信じていた。そして,皇室への崇敬を国民に求めた。元田は,「修身」=「治国」として,修身と名を借りた儒教道徳の国民への広まりを重視した人物である。

 その元田が編修している『幼学綱要』はまさに儒学そのものだ。

 教育勅語は,『幼学綱要』がもとになっている。『幼学綱要』は,徳目を20にまとめている。全七巻のすべての巻頭にこの20の項目が載っている。「孝行・忠節・和順・友愛・信義・勤学・立志・誠実・仁慈・礼」がその徳目だ。

 明治12(1879)年,学校生徒の学力衰退を憂慮した天皇の意向をうけ,日本独自の教育に関する文書『教学大旨』を提出。日本における教学の要を論じた前段と,小学校における教育の実情について留意すべき二条項を述べた後段から構成され,終始儒学に基づいた仁義忠孝の精神を力説した。

 明治14(1881)年にはこの『教学大旨』をもとに『幼学綱要』が編纂され,さらに明治23(1890)年の『教育勅語』発布へと展開していくことになる。教育勅語は,敗戦の昭和20年まで日本人の道徳観形成していくわけだが,その大本は『幼学網要』であり,『幼学網要』の大本は元田の学んだ和製儒学(主に水戸学をもとにしたもの)なのである。

 儒学
 ↓
 幼学綱要
 ↓
 現在の日本人の道徳観

 この『幼学綱要』の教科が日本人に与えた影響が大きいために,日本人の道徳観は,儒学的道徳観が多くを占めている。

 しかし,日本の長い歴史のおいては,儒学の影響を受けている期間は長くはない。儒学の思想は古くから日本に入ってきてはいたが,多大な影響を与えるようになったのは江戸時代だ。江戸幕府は「修身・斉家・治国平天下」,すなわち「身をおさめ,家を斉(ととの)え国を治めれば,自ずと天下は平らかになる(世の中平和になる)」という朱子学の定理にのっとって国を運営した。家臣が主君に忠義を尽くす「忠」,武士道にのっとり主人の仇を討つ「義」などは,みな「和風儒学」のキーワードだ。そして,日本人全部の共通する道徳観として根付くのは明治以降のことなのだ。

日本人に,「和風儒学」の精神を浸透させるのに力を発揮したのが『幼学綱要』である。

二 幼学綱要の徳目

 幼学綱要には,20の徳目が収録されている。規範意識が低下した現在,国民全員が精いっぱい生きていた明治時代の規範基準「幼学綱要」を見直し,指針とするときである,

① 孝行〔親の恩に感謝する〕
② 忠節〔国に忠節をつくす〕
③ 和順〔夫婦はむつまじく〕
④ 友愛〔兄弟姉妹は仲よく〕
⑤ 信義〔友人は助けあう 〕
⑥ 勉学〔まじめに勉強する〕
⑦ 立志〔決心を固める  〕
⑧ 誠実〔何事もまじめに 〕
⑨ 仁義〔人を助ける心  〕
⑩ 礼譲〔礼儀正しく   〕
⑪ 倹素〔無駄遣いをしない〕
⑫ 忍耐〔耐え忍ぶこと  〕
⑬ 貞節〔節操を守ること 〕
⑭ 廉潔〔正しく潔白なこと〕
⑮ 敏智〔機敏に知恵を出す〕
⑯ 剛勇〔強い勇気を持つ 〕
⑰ 公平〔えこひいきしない〕
⑱ 度量〔こせこせしない 〕
⑲ 誠断〔正しく判断する 〕
⑳ 勉職〔職場に専念する 〕

 現代社会で必要であるにも関わらず希薄になった徳目がたくさんある。TOSS道徳は,現代版幼学綱要の提案を検討中である。

・・・ちなみに、下記の12項目を「教育勅語の12徳」と言う。
20の中から厳選されているが、自分が調べたところでは、やや言葉が異なっている。

①孝行⇒子は親に孝養を尽くしましょう。
②友愛⇒兄弟姉妹は仲良くしましょう。
③夫婦の和⇒夫婦はいつも仲睦(むつ)まじくしましょう。
④朋友の信⇒友達はお互い信じ合ってつき合いましょう。
⑤謙遜⇒自分の言動を慎みましょう。
⑥博愛⇒広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。
⑦修学習業⇒勉学に励み職業を身につけましょう。
⑧智能啓発⇒知徳を養い才能を伸ばしましょう。
⑨徳器成就⇒人格の向上につとめましょう。
⑩公益世務⇒広く世に中の人々や社会の為になる仕事に励みましょう。
⑪遵法⇒法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
⑫義勇⇒正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう。

 「幼学綱要」については、多くのWEBが、「儒教的」としているが、竹田恒泰氏は「儒教」とは異なるといった言い方をされたと記憶している。
 宗教色や思想を排除し、きわめて普遍的なものを目指したというようなことを言われた。

教育勅語の12徳
(原文)
  爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 ここから徳目を抜き出すと

①父母ニ「孝」
②兄弟ニ「友」
③夫婦「相和」
④朋友「相信」
⑤「恭儉」己レヲ持シ
⑥「博愛」衆ニ及ホシ
⑦「學ヲ修メ業ヲ習ヒ」以テ
⑧「智能ヲ啓發」シ
⑨「德器ヲ成就」シ進テ
⑩「公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」
⑪「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」
⑫ 一旦緩急アレハ「義勇」公ニ奉シ・・

ということになるか・・。
 
 「明治以降に於ける陽明学の展開について」と題したブログは、「陽明学」の視点から幼学綱要と教育勅語を論じている。
http://blog.goo.ne.jp/takuyoshio/e/bf4e6b006a1b27fca3388367d6ad773e

==================
 底流化し噴出した幕末陽明学の素養

 明治維新を成し遂げた人々(武士)は、国体に対する絶対なる確信(史学・水戸学)と日本人としての豊かな情操(国学)そして道義的な生き方を誇りとする人生哲学(儒学・陽明学)を体得していた。
 更に武士達は国家(公)に対する強い責任意識を持ち「敵」に勝つ為の実践論(兵法)を身に付けていた。
 それ故に、西欧列強の「力」に対応し勝利する為に、彼らは積極的に西欧を研究し、その技術力(洋学・蘭学・医学)を学び取り入れて行った。
 所謂「和魂洋才」「東洋道徳西洋芸術」である。

 だが、西洋文明の背景にはキリスト教(一神教)が存し、絶対神と繋がる強固な自我(個人主義)、他者の征服を「神の恩頼」と見做す人種差別・選民思想が隠されていた。
 明治以降の日本人にとって、西欧文明を学ぶ事は、それ迄培ってきた東洋思想・日本哲学との「文明の衝突」を持ち来たすものだった。
 取り分け、維新後の十年は、西欧文明の手法を身につける為に総てが「西欧化」一辺倒となり、日本なるもの東洋なるものは捨てて顧みられる事が無い精神的な混乱の時代が続いた。

(中略)
日本人の倫理道徳の復権

 次代の国民精神を如何に涵養して行くかは、国家存続の意味で重大な問題である。
時代は陽明学のみならず、漢学の伝統素養を抹殺し、西欧流の功利主義・自己中心主義・拝金主義という無倫理へと流れようとしていた。

その時代風潮を最も危惧されたのが明治天皇であらせられた。陛下は、明治十一年の東北、北陸、東海道御巡幸の直後に岩倉具視や侍講の元田永孚に民政教育についてのご憂念を示された。
そこで、元田は陛下の聖旨を「教学大旨」「小学条目二件」として成文化し奉呈した(十二年九月十一日)。

「教学大旨」には「自今以往、祖宗の訓典に基づき、専ら仁義忠孝を明かにし、道徳の学は、其才器に随て益々長進し、道徳才芸、本末全備して」と記されている。更に明治天皇は、元田永孚に幼児のための教訓書編纂の勅諭を下された。元田の編集案を元に衆智を結集して十五年七月に『幼学綱要』が完成した。幼学綱要には「孝行」「忠節」「和順」等二十の徳目が示され、それぞれに、「経書(四書五経)」からの金言や和漢歴史の中の忠臣・孝子・烈婦等の言行が紹介された。
「幼学綱要頒賜の勅諭」も下され、幼学綱要は官公私立学校を始め広く一般に普及し、国民教育に大きな影響を及ぼした。

更に小学校では「修身」教科書が生み出されて行く。

同じ十五年には、武士道の伝統に基づく「軍人勅諭」(忠節・礼儀・武勇・信義・質素の五カ条、「誠心」に帰一)が下され、国民皆兵の日本軍隊の精神的な支柱が明確にされている。

だが十八年に森有礼文部大臣が誕生するや、修身教科書の使用禁止を通達するなど徳育教育は再び混乱を始める。

二十一年頃から心ある知事の間で憂慮の声が上がり始め、遂に二十三年二月の地方長官会議で「徳育涵養ノ議ニ付イテノ建議」が為され、教育勅語の発布へと繋がって行ったのである。
起草した井上毅や元田永孚が如何に苦心し精魂を傾けて勅語案を考えたか、明治神宮編『明治天皇詔勅謹解』に詳しく記載されている。

(中略)

明治の基督教の指導者達は、その殆んどが陽明学の素養を身につけていたという。
この著書の中で紹介されているのは本多庸一・海老名弾正・松村介石・内村鑑三・植村正久・柏木義円・新渡戸稲造、更には基督教文学者の北村透谷・国木田独歩である。
彼らは、陽明学の「良知」と基督教の「良心」とを同一のものとして捉え、高貴なる魂を求め続けた。
彼らは基督教徒であると共に武士道を体現する日本人であった。
新渡戸稲造は『武士道』を、内村鑑三は『代表的日本人』を著し、日本人の魂の高貴さを世界に発信した。

(中略)

教育勅語の発布によって、日本の伝統的な思想や東洋哲学の復興に再び力が注がれる様になり、明治二十年代中頃には『東洋哲学』『朱子学』『陽明学』等の機関紙が相次いで発刊され、道義心の涵養と道義国家の建設が強く訴えられた。
だが、日清戦争の勝利は支那文明への蔑視を生み、力のみが全てを制する西欧的な帝国主義の考えが人々の心を支配する様になって行く。
=====================
・・・難しい。でも竹田氏の講演を聞いたおかげで、ずいぶんスムーズに入ってくる。
 それにしても、西洋化の問題を指摘している一方で、日本を代表する知識人がキリスト信者というところが、すごく不思議である。

ちなみに「幼学綱要」についてのシンプルな解説もあった。

http://rakudo.jp/recomendbook.html

『幼学綱要』
(元田永孚編、宮内省蔵板)
これは明治天皇が、明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ、侍講の元田永孚に命じて編纂させられた最初の修身教科書である。
「修身」などというと、戦前の軍国主義を連想する人もいるであろうが、我が身を修めるのは、人生の基本である。
二十の徳目に分類され、その徳目にかなった中国と日本の先人達の言動を集めた、『小学』の日本版とも称すべき重要な書物である。

 
・・・明治初頭の段階で、すでに「明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ」たと言う。
 このあたりは「逝きし世の面影」も同じ論調である。

内村鑑三は、武士道とキリスト教の双方のよさを説いている。
「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」という言葉が知られている。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249028687

◆◆◆
 新渡戸稲造も内村鑑三も武士階級出身で、熱烈なクリスチャン、真の愛国者でした。 そして武士道を日本が生んだ最高のものとして終生誇りにしていました。
「接ぎ木」と言ったのは内村鑑三です。 以下をご参照下さい (1916年1月「聖書之研究」より)

「武士道は日本国最善の産物である。 しかしながら武士道そのものに日本国を救うの能力(ちから)は無い。
武士道の台木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であって、これに、日本国のみならず全世界を救うの能力がある。
今やキリスト教は欧州において滅びつつある。 そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い。
ここにおいて神は日本国に、その最善を献じて彼の聖業を助くべく求めたまいつつある。
日本国の歴史に、深い世界的の意義があった。
神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に応ぜんがために、日本国において武士道を完成したまいつつあったのである。
世界はつまりキリスト教によって救わるるのである。
しかも武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教によって救わるるのである。
◆◆◆

 ヤフーの知恵袋で満足するつもりはないので、もう少し調べてみたい。
 あの時代に「今やキリスト教は欧州において滅びつつある。 そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い」と指摘したところが興味深い。
 むろん、日本も、この時代、「逝きし世の面影」で指摘されるように、日本の良さは失われてしまったと嘆かれている。
 明治天皇も西欧化によって日本のよき精神が失われたことを嘆いている。

 失われる前の「日本」、失われる前の「キリスト教」って、どんなだったのか、が気になるところだ。

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December 20, 2013

努力した者が、皆成功するとは限らない。しかし成功した者は、皆、努力している

因果関係の誤謬の例として、「因果関係の逆転」がある。

◆火災現場に出動する消防士が多いほど、火災の規模は大きい。
したがって、出動する消防士が多くなることが、火災が大きくなる原因だ。
・・・実際には火災が大きいから多数の消防士がそこに送り込まれているのであり、因果関係は逆である。

 この「因果関係の逆転」について、もう少し考えてみた。

①忙しいから本を読まないのではない。本を読まないから忙しいのだ

と雑誌で読んだことがある。そのことはかつて本ブログでも書いた。

 本を読み知識とアイデアを身につけないから、忙しさから抜けられないのだ。

 因果関係が逆の一例である。
 逆転の発想とも言えるし、言い訳の否定ともいえる。

 サークル活動も同じだ。

②忙しいからサークルに行けないのではない。サークルに行かないから忙しいのだ。

・・・そのような意気込みで、時間を捻出し、サークルで学ぶことで、日々の仕事の精度をあげていきたい。

 論理を鍛えるために、そして常識を疑うために、さらに考えてみた。


③寒いから運動しないのではない。運動しないから寒いのだ。

・・・こんなのも該当するか。

④力がないから研究授業できないのではない。研究授業をしないから力がつかないのだ
⑤自信がないから授業検定を受けないのではない。授業検定を受けないから自信がつかないのだ

・・・(最初から力のある人などいない)(最初から自信がある人などいない)は当たり前だ。
なのに、力のなさや自信のなさを理由に、人から学ぶ機会、自分の下手さを見てもらう機会を回避してしまう。
 言い訳ならいくらでもできる。最後は「やるか、やらないか」だ。

⑥時間がないから仕事がたまるのではない、仕事をためるから時間がなくなるのだ

・・・「たまる」と「ためる」では、動詞が違うが、わざとすり替えた。。
 子どもが「ガラスが割れました」と報告に来た時に「ガラスを割りました」と言い直させるのと同じだ。
 仕事は「自然にたまる」のでない。自分の意志で仕事を「ためた」のだと反省しないと事態は解決しない。

⑦楽しくないから笑わないのではない。笑わないから楽しくないのだ。
⑧楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ。

・・・有田和正先生は、笑う訓練を子どもたちにさせたと言う。
 笑っているうちに楽しくなるのは「セレトニン」の効果かもしれない。
 ⑦の「~ないから~ない」はくどいかも。
 ならば、⑧のように、肯定形に直すこともできる。


⑨よいことがないからほめられないのではない。ほめないからよい行動が起こらないのだ。
⑩よいことをしたからほめるのではない、ほめるからよい行動は起きるのだ

・・・これも⑨は双方否定形。言い換えると⑩になる。
 どんな些細なことでもほめていれば、子どもたちは気持ちのよい毎日が送れる。
 これもセレトニンの効果だ。

⑪子どもが悪いから指導がうまくいかないのではない、指導がうまくないから子どもが悪くなるのだ。

・・・子どものせいにしているうちは、教師の力量は向上しない。
 うまくいかない自分の技量を見直し、時分を高める契機とするしかない。

⑫結果が伴うから信じられるのではない、信じて行動するから結果が伴うのだ
・・・疑心暗鬼で行動していては永遠によい結果は生じない。まずはチャレンジしてみることだ。


 ところで、かつて「あきらめなければ夢はかなう」という言葉に懐疑的な時期があった。
 本ブログでも、次のように書いたことがある。

=============
 その言葉の大事さは分かる。
 しかし、その一方で、無条件に「あきらめなければ夢はかなう」を信じてはいけないぞ、と抑制が働く。
 頂点に立ったほんの一握りの有能選手の下には、たくさんのあきらめた選手がいる。
 100人が「オリンピックのマラソンの代表に選ばれたい」と願ったら、かなうのは4年に3人の狭き門だ。
 夢破れた人が逆に「どうせ、俺は挫折した人間だ」などと自己嫌悪に追い込まれるようではいけない。
 
 「○○高校に入りたい」と受験勉強にがんばってる中学生も、たくさんいるだろう。
 どんな高校だって、全員合格ははありえない。
 そんな時「あきらめなければ夢はかなうと信じて勉強してきたのに、結局、別の高校に行くことになった」と自暴自棄にならないようなケアが必要で、「必ず夢はかなう」という言葉だけが絶対視され、あきらめずに夢をかなえた人だけが英雄視されるのは問題だと思う。
 転身も大事な人生の1つの選択肢のはずだし、失敗も挫折も人生の大切な糧である。
 
=============
 
 その後、「セカンドベスト」の生き方を知った。
 そのときは、次のように書いた。

=============
「セカンドベスト」は、辞書的には「最善ではないが、その次ではあること。」となる。

 孫引きになるが、次のような解説があった。

 http://www.shiawasehp.net/diary/200901/27.html

 『不思議なくらい心が強くなるヒント』(ルイス・ターターリャ)より、
 私たちは、ベストな解決法に気づいているが、それを実行するのは不可能だと思いがちである。
 なぜ、よりよい方法を実践しないのかといえば、創造性が欠けているからである。
 もしベストな方法がムリなら、セカンド・ベストな方法でもいいじゃないかと考えて、気軽に行動する習慣をつけよう。

(中略)
 『心に夢のタマゴを持とう』(講談社文庫)。
 この中で、小柴氏は「夢のタマゴ」は3つか4つもつように説いているそうだ。

◆自分のやりたいことは、これなんだ。という夢をいくつか持っておくこと。
◆ひとつではなく三つか四つ。ひとつが駄目になっても、別があるし、夢も変わっていくだろうから。

とのことだ。

 これは、セカンドベストと同じ発想である。
 1つの方法に固執すると、うまくいかなかった時のダメージも大きく、修復も大変である。
 受験生にとって全員がベストの結果というわけにはいかないだろう。
 事前の心構えとしてはセカンドベストをきちんと確保しておくこと。
 事後の心構えとしては

 「人生万事塞翁が馬」
 「禍福はあざなえる縄のごとし」
 「逆境が自分を強くする」

と開き直ったり、切り換えたり、自分を叱咤したりすること。

 セカンドベストを受容する余裕のない生き方は危険だということを、親も教師もしっかり子どもに指南していかなければならない。
 間違っても親や教師がセカンドベストを受容しない偏った「オンリーワン」を押しつけてはならない。

 なお「第一志望校」ごときを「夢」と捉えるのは愚かである。
 「夢をかなえる」というなら、もっと大きい規模で語ってほしい。
================


・・「因果関係の逆転」を考えていて、もう1つ思い出した。
 記憶があやふやなので、文責は私である。確か、漫画「はじめの一歩」だと思う。

⑬努力した者が、皆成功するとは限らない。しかし成功した者は、皆、努力している。

◆「努力した者が、皆成功するとは限らない。しかし成功した者は、皆努力している。」
◆「あきめずにがんばったから、必ず夢がかなうとは限らない。しかし夢をかなえた人は、皆あきらめずにがんばった」

を伝えたい。
 
 「やってみなければ何も始まらない」「やってみなけりゃわからない」も真理である。
「あきらめなければ夢はかなう」の問題点にも配慮しながら、それでも「チャレンジ精神を失わないでほしい」と願っている。
 だから、先のダイアリーで示した上杉鷹山の「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も成らぬは人の為さぬなりけり」も思い出した。
 
 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)

 そういえば、私が子どものころは
◆「人のやれないことをやれ」と水前寺清子が歌い
◆「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」と何かバラエテイのテーマソングになっていた。
◆ 青春ドラマでは熱血教師が「レッツ ビギン」と叫んでいた。

◆悩んでもきりがない。
◆迷ってもきりがない。
◆やってみなければわからない。

 だからこし「チャレンジしよう!」が大事なのだと思う。

 さて、先日「カンブリア宮殿」で、スーパーカミオカンデにも使用された光電子増倍管を作った世界企業「浜松ホトニクス」を特集していた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20131212.htm...

感激した!
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◆浜松ホトニクスを世界的な地位へと押し上げた晝馬輝夫会長が提唱する企業理念は「人類未知未踏」。
つまり人類がまだ誰も挑んだことのない領域への挑戦だ。
◆文字通り「世界に誇る」浜松ホトニクスの技術力は、一朝一夕で生まれたものではない。
「できないと言わずにやってみろ」というのは先代社長の有名な言葉だが、単なる精神論とは違う。
 未知未踏の領域への挑戦を怖れたり躊躇したりするな、知的好奇心、探求心を常に維持しろという、サイエンスの本質を正確に指し示すものだ。
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 「人類未知未踏}(世界初)に挑戦し続ける企業の姿が輝いて見えた。
 まさに「やってみなければわからない チャレンジしよう!」なのである。

 冒頭、因果関係の誤謬を書いた。
 「あきらめなければ夢はかなう」の危うさは、必要条件と十分条件の混同だ。

 「あきらめない」は「夢をかなえる」ために必要な条件である。
  だから、あきらめた人は、夢をかなえることはできない。

 しかし、「あきらめない」は「夢をかなえる」ための十分な条件ではない。
 だから、「あきらめない」からといって、夢がかなうとは限らない。

 これは、宝くじと一緒だな。

 「宝くじを買う」は「宝くじがあたる」ために必要な条件である。
  だから、宝くじを買わなければ、絶対にあたることはない。

  しかし、「宝くじを買う」は「宝くじがあたる」ための十分な条件ではない。
  だから、「宝くじを買った」からといって、「宝くじがあたる」とは限らない。

 努力と夢の実現の関係が「宝くじ」と同じだとするならば

 「あきらめなければ絶対に夢はかなう」

のような断言は危険であることも、よく分かる。

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December 08, 2013

「昭和の独白録」(文春文庫)

 「昭和天皇独白録」(文春文庫)は、1990年発掘、発表されて大反響を呼んだ昭和史の超一級資料とある。
すでに教師になっていて小6の歴史も教えていたのに、どうして今ままで読まなかったのだろうか。
自分のアンテナの低さに恥ずかしくなるばかりである。

 抜粋すれば、きりがない。「独白録」は、聞き書きにすぎないから真実は分からない。それでも第一級の資料であることは変わりない。

 私が一番関心を持ったのは、昭和天皇の考える「敗戦の原因」だ。(引用の漢字表現を数か所変える)

◆敗戦の原因は四つあると思ふ。
第一、兵法の研究が不充分であった事、即孫子の、敵を知り、己を知らねば百戦危からずといふ根本原理を体得してゐなかったこと。
第二、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した事
第三、陸海軍の不一致
第四、常識ある首脳者の存在しなかった事。往年の山縣[有朋]、、大山[巌]、山本権兵衛、と云ふ様な大人物に欠け、政戦両略の不充分の点が多く、且つ軍の首脳者の多くは専門家であって部下統率の力量に欠け、所謂下剋上の状態を招いた事。

・・・注意書きには、昭和二十年九月の皇太子宛の手紙には次のように昭和天皇は記したとある。

◆「我が国人が、あまちに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである。明治天皇の時には 山縣 大山 山本等の如き名将があったが 今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考えず 進むを知って 退くことを知らなかったからです」

・・・これを「天皇のいはば不動の太平洋戦争観」と評している。


 二点目に関心を持ったのは「御前会議」だ。
 御前会議は昭和開幕から太平洋戦争開戦まで8回開かれたが、16年9月以外は、昭和天皇は無言で国策を裁可した。

 独白録には次のようにある(P56)
◆(前略)枢密院議長を除く外の出席者は全部既に閣議又は連絡会議に於て、意見一致の上、出席してゐるので、議案に対し反対意見を開陳し得る立場の者は枢密院議長只一人であって、多数に無勢、如何ともなし難い。
 全く形式的なもので、天皇には会議の空気を支配する決定権は、ない。

 昭和天皇自身は開戦に反対であったが、御前会議の議案を反対することにはためらいがあった。
 出席者が意見を一致させたものをひっくり返せば、独裁者になってしまう。
 この点を、次のように述べている(P159)

◆開戦の際藤樹内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於る立憲君主として已むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないつれば、之は専制君主と何等異なる所はない。


 ちなみに、この独白録の記録を担当した寺崎英成は、日米開戦の該当者の1人である。
 12月6日夜、本務をはずれていた寺崎とほか2名の、内輪の送別会が開かれた。
◆真珠湾攻撃のあった12月7日の日曜日は、寺崎は転勤を前に休暇を与えられていた。
(中略)寺崎は大使館に赴いた。そこで寺崎が目にしたのは、奥村が血走った目でタイプを叩き、野村と来栖が立ったり座ったりしている焦燥の姿であったのである。寺崎は開戦通告遅延をふくむすべての事情をのちになって聞かされた。(P8)


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