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December 20, 2013

努力した者が、皆成功するとは限らない。しかし成功した者は、皆、努力している

因果関係の誤謬の例として、「因果関係の逆転」がある。

◆火災現場に出動する消防士が多いほど、火災の規模は大きい。
したがって、出動する消防士が多くなることが、火災が大きくなる原因だ。
・・・実際には火災が大きいから多数の消防士がそこに送り込まれているのであり、因果関係は逆である。

 この「因果関係の逆転」について、もう少し考えてみた。

①忙しいから本を読まないのではない。本を読まないから忙しいのだ

と雑誌で読んだことがある。そのことはかつて本ブログでも書いた。

 本を読み知識とアイデアを身につけないから、忙しさから抜けられないのだ。

 因果関係が逆の一例である。
 逆転の発想とも言えるし、言い訳の否定ともいえる。

 サークル活動も同じだ。

②忙しいからサークルに行けないのではない。サークルに行かないから忙しいのだ。

・・・そのような意気込みで、時間を捻出し、サークルで学ぶことで、日々の仕事の精度をあげていきたい。

 論理を鍛えるために、そして常識を疑うために、さらに考えてみた。


③寒いから運動しないのではない。運動しないから寒いのだ。

・・・こんなのも該当するか。

④力がないから研究授業できないのではない。研究授業をしないから力がつかないのだ
⑤自信がないから授業検定を受けないのではない。授業検定を受けないから自信がつかないのだ

・・・(最初から力のある人などいない)(最初から自信がある人などいない)は当たり前だ。
なのに、力のなさや自信のなさを理由に、人から学ぶ機会、自分の下手さを見てもらう機会を回避してしまう。
 言い訳ならいくらでもできる。最後は「やるか、やらないか」だ。

⑥時間がないから仕事がたまるのではない、仕事をためるから時間がなくなるのだ

・・・「たまる」と「ためる」では、動詞が違うが、わざとすり替えた。。
 子どもが「ガラスが割れました」と報告に来た時に「ガラスを割りました」と言い直させるのと同じだ。
 仕事は「自然にたまる」のでない。自分の意志で仕事を「ためた」のだと反省しないと事態は解決しない。

⑦楽しくないから笑わないのではない。笑わないから楽しくないのだ。
⑧楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ。

・・・有田和正先生は、笑う訓練を子どもたちにさせたと言う。
 笑っているうちに楽しくなるのは「セレトニン」の効果かもしれない。
 ⑦の「~ないから~ない」はくどいかも。
 ならば、⑧のように、肯定形に直すこともできる。


⑨よいことがないからほめられないのではない。ほめないからよい行動が起こらないのだ。
⑩よいことをしたからほめるのではない、ほめるからよい行動は起きるのだ

・・・これも⑨は双方否定形。言い換えると⑩になる。
 どんな些細なことでもほめていれば、子どもたちは気持ちのよい毎日が送れる。
 これもセレトニンの効果だ。

⑪子どもが悪いから指導がうまくいかないのではない、指導がうまくないから子どもが悪くなるのだ。

・・・子どものせいにしているうちは、教師の力量は向上しない。
 うまくいかない自分の技量を見直し、時分を高める契機とするしかない。

⑫結果が伴うから信じられるのではない、信じて行動するから結果が伴うのだ
・・・疑心暗鬼で行動していては永遠によい結果は生じない。まずはチャレンジしてみることだ。


 ところで、かつて「あきらめなければ夢はかなう」という言葉に懐疑的な時期があった。
 本ブログでも、次のように書いたことがある。

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 その言葉の大事さは分かる。
 しかし、その一方で、無条件に「あきらめなければ夢はかなう」を信じてはいけないぞ、と抑制が働く。
 頂点に立ったほんの一握りの有能選手の下には、たくさんのあきらめた選手がいる。
 100人が「オリンピックのマラソンの代表に選ばれたい」と願ったら、かなうのは4年に3人の狭き門だ。
 夢破れた人が逆に「どうせ、俺は挫折した人間だ」などと自己嫌悪に追い込まれるようではいけない。
 
 「○○高校に入りたい」と受験勉強にがんばってる中学生も、たくさんいるだろう。
 どんな高校だって、全員合格ははありえない。
 そんな時「あきらめなければ夢はかなうと信じて勉強してきたのに、結局、別の高校に行くことになった」と自暴自棄にならないようなケアが必要で、「必ず夢はかなう」という言葉だけが絶対視され、あきらめずに夢をかなえた人だけが英雄視されるのは問題だと思う。
 転身も大事な人生の1つの選択肢のはずだし、失敗も挫折も人生の大切な糧である。
 
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 その後、「セカンドベスト」の生き方を知った。
 そのときは、次のように書いた。

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「セカンドベスト」は、辞書的には「最善ではないが、その次ではあること。」となる。

 孫引きになるが、次のような解説があった。

 http://www.shiawasehp.net/diary/200901/27.html

 『不思議なくらい心が強くなるヒント』(ルイス・ターターリャ)より、
 私たちは、ベストな解決法に気づいているが、それを実行するのは不可能だと思いがちである。
 なぜ、よりよい方法を実践しないのかといえば、創造性が欠けているからである。
 もしベストな方法がムリなら、セカンド・ベストな方法でもいいじゃないかと考えて、気軽に行動する習慣をつけよう。

(中略)
 『心に夢のタマゴを持とう』(講談社文庫)。
 この中で、小柴氏は「夢のタマゴ」は3つか4つもつように説いているそうだ。

◆自分のやりたいことは、これなんだ。という夢をいくつか持っておくこと。
◆ひとつではなく三つか四つ。ひとつが駄目になっても、別があるし、夢も変わっていくだろうから。

とのことだ。

 これは、セカンドベストと同じ発想である。
 1つの方法に固執すると、うまくいかなかった時のダメージも大きく、修復も大変である。
 受験生にとって全員がベストの結果というわけにはいかないだろう。
 事前の心構えとしてはセカンドベストをきちんと確保しておくこと。
 事後の心構えとしては

 「人生万事塞翁が馬」
 「禍福はあざなえる縄のごとし」
 「逆境が自分を強くする」

と開き直ったり、切り換えたり、自分を叱咤したりすること。

 セカンドベストを受容する余裕のない生き方は危険だということを、親も教師もしっかり子どもに指南していかなければならない。
 間違っても親や教師がセカンドベストを受容しない偏った「オンリーワン」を押しつけてはならない。

 なお「第一志望校」ごときを「夢」と捉えるのは愚かである。
 「夢をかなえる」というなら、もっと大きい規模で語ってほしい。
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・・「因果関係の逆転」を考えていて、もう1つ思い出した。
 記憶があやふやなので、文責は私である。確か、漫画「はじめの一歩」だと思う。

⑬努力した者が、皆成功するとは限らない。しかし成功した者は、皆、努力している。

◆「努力した者が、皆成功するとは限らない。しかし成功した者は、皆努力している。」
◆「あきめずにがんばったから、必ず夢がかなうとは限らない。しかし夢をかなえた人は、皆あきらめずにがんばった」

を伝えたい。
 
 「やってみなければ何も始まらない」「やってみなけりゃわからない」も真理である。
「あきらめなければ夢はかなう」の問題点にも配慮しながら、それでも「チャレンジ精神を失わないでほしい」と願っている。
 だから、先のダイアリーで示した上杉鷹山の「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も成らぬは人の為さぬなりけり」も思い出した。
 
 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)

 そういえば、私が子どものころは
◆「人のやれないことをやれ」と水前寺清子が歌い
◆「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」と何かバラエテイのテーマソングになっていた。
◆ 青春ドラマでは熱血教師が「レッツ ビギン」と叫んでいた。

◆悩んでもきりがない。
◆迷ってもきりがない。
◆やってみなければわからない。

 だからこし「チャレンジしよう!」が大事なのだと思う。

 さて、先日「カンブリア宮殿」で、スーパーカミオカンデにも使用された光電子増倍管を作った世界企業「浜松ホトニクス」を特集していた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20131212.htm...

感激した!
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◆浜松ホトニクスを世界的な地位へと押し上げた晝馬輝夫会長が提唱する企業理念は「人類未知未踏」。
つまり人類がまだ誰も挑んだことのない領域への挑戦だ。
◆文字通り「世界に誇る」浜松ホトニクスの技術力は、一朝一夕で生まれたものではない。
「できないと言わずにやってみろ」というのは先代社長の有名な言葉だが、単なる精神論とは違う。
 未知未踏の領域への挑戦を怖れたり躊躇したりするな、知的好奇心、探求心を常に維持しろという、サイエンスの本質を正確に指し示すものだ。
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 「人類未知未踏}(世界初)に挑戦し続ける企業の姿が輝いて見えた。
 まさに「やってみなければわからない チャレンジしよう!」なのである。

 冒頭、因果関係の誤謬を書いた。
 「あきらめなければ夢はかなう」の危うさは、必要条件と十分条件の混同だ。

 「あきらめない」は「夢をかなえる」ために必要な条件である。
  だから、あきらめた人は、夢をかなえることはできない。

 しかし、「あきらめない」は「夢をかなえる」ための十分な条件ではない。
 だから、「あきらめない」からといって、夢がかなうとは限らない。

 これは、宝くじと一緒だな。

 「宝くじを買う」は「宝くじがあたる」ために必要な条件である。
  だから、宝くじを買わなければ、絶対にあたることはない。

  しかし、「宝くじを買う」は「宝くじがあたる」ための十分な条件ではない。
  だから、「宝くじを買った」からといって、「宝くじがあたる」とは限らない。

 努力と夢の実現の関係が「宝くじ」と同じだとするならば

 「あきらめなければ絶対に夢はかなう」

のような断言は危険であることも、よく分かる。

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