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December 24, 2013

「幼学綱要の20項目、教育勅語12徳」

 10月に名古屋で竹田恒泰氏の講演を聞いた。
 その際、幼学綱要の話題が出てきた。主催の名古屋JCが、幼学綱要の20徳をアピールしていたからだ。
 ちなみに人物では、
 ①元田永孚もとだながさね
 ②井上毅
 ③明治天皇
の3人が際立っていた。

 幼学綱要については、河田先生が詳しく解説されている。
 TOSSとして、このくらいはきちんと把握していなければならないということだ。

http://kawata3.web.fc2.com/doutoku/doutoku17.html

日本人の道徳観を読み解く②一 儒学と幼学綱要

 現在の道徳教育に深い影響を与えているのが『幼学綱要』だ。道徳教育というと「学校での教育」を頭に思い浮かべるだろうが,学校以外でおこなわれる道徳教育が圧倒的に多いだろう。両親から「人間なら~しなければ」と説かれる,近所のおじさんから「男なら~だろ」と励まされるというように,小さな時から自然に空気を吸い込むように社会の中にある道徳観を吸い込んで子どもは育っていく。我々のまわりにある,我々を包み込んでいる空気のような道徳観は,マスコミによってつくられることもあるし,よく売れている本や雑誌によってつくられることもあるだろうし,最近では2チャンネルなどのネットでの議論によって形成される場合もある。しかし,それらの空気のような道徳観の根っこにあるものがある。子どもを諭す両親や,口うるさい近所のおじさん,マスコミでしたり顔に話すコメンテーター,ネットで自らの論を展開する人達へ影響を与えているものがあるのだ。

 それが『幼学綱要』だ。

 『幼学綱要』は全七巻からなる本だ。筆者は,元田永孚。

 「国民道徳」から儒教的色合いを除きたいと頑張った森有礼とは対極をなす人物だ。

 元田は,「儒教道徳」こそが,国民道徳だと信じていた。そして,皇室への崇敬を国民に求めた。元田は,「修身」=「治国」として,修身と名を借りた儒教道徳の国民への広まりを重視した人物である。

 その元田が編修している『幼学綱要』はまさに儒学そのものだ。

 教育勅語は,『幼学綱要』がもとになっている。『幼学綱要』は,徳目を20にまとめている。全七巻のすべての巻頭にこの20の項目が載っている。「孝行・忠節・和順・友愛・信義・勤学・立志・誠実・仁慈・礼」がその徳目だ。

 明治12(1879)年,学校生徒の学力衰退を憂慮した天皇の意向をうけ,日本独自の教育に関する文書『教学大旨』を提出。日本における教学の要を論じた前段と,小学校における教育の実情について留意すべき二条項を述べた後段から構成され,終始儒学に基づいた仁義忠孝の精神を力説した。

 明治14(1881)年にはこの『教学大旨』をもとに『幼学綱要』が編纂され,さらに明治23(1890)年の『教育勅語』発布へと展開していくことになる。教育勅語は,敗戦の昭和20年まで日本人の道徳観形成していくわけだが,その大本は『幼学網要』であり,『幼学網要』の大本は元田の学んだ和製儒学(主に水戸学をもとにしたもの)なのである。

 儒学
 ↓
 幼学綱要
 ↓
 現在の日本人の道徳観

 この『幼学綱要』の教科が日本人に与えた影響が大きいために,日本人の道徳観は,儒学的道徳観が多くを占めている。

 しかし,日本の長い歴史のおいては,儒学の影響を受けている期間は長くはない。儒学の思想は古くから日本に入ってきてはいたが,多大な影響を与えるようになったのは江戸時代だ。江戸幕府は「修身・斉家・治国平天下」,すなわち「身をおさめ,家を斉(ととの)え国を治めれば,自ずと天下は平らかになる(世の中平和になる)」という朱子学の定理にのっとって国を運営した。家臣が主君に忠義を尽くす「忠」,武士道にのっとり主人の仇を討つ「義」などは,みな「和風儒学」のキーワードだ。そして,日本人全部の共通する道徳観として根付くのは明治以降のことなのだ。

日本人に,「和風儒学」の精神を浸透させるのに力を発揮したのが『幼学綱要』である。

二 幼学綱要の徳目

 幼学綱要には,20の徳目が収録されている。規範意識が低下した現在,国民全員が精いっぱい生きていた明治時代の規範基準「幼学綱要」を見直し,指針とするときである,

① 孝行〔親の恩に感謝する〕
② 忠節〔国に忠節をつくす〕
③ 和順〔夫婦はむつまじく〕
④ 友愛〔兄弟姉妹は仲よく〕
⑤ 信義〔友人は助けあう 〕
⑥ 勉学〔まじめに勉強する〕
⑦ 立志〔決心を固める  〕
⑧ 誠実〔何事もまじめに 〕
⑨ 仁義〔人を助ける心  〕
⑩ 礼譲〔礼儀正しく   〕
⑪ 倹素〔無駄遣いをしない〕
⑫ 忍耐〔耐え忍ぶこと  〕
⑬ 貞節〔節操を守ること 〕
⑭ 廉潔〔正しく潔白なこと〕
⑮ 敏智〔機敏に知恵を出す〕
⑯ 剛勇〔強い勇気を持つ 〕
⑰ 公平〔えこひいきしない〕
⑱ 度量〔こせこせしない 〕
⑲ 誠断〔正しく判断する 〕
⑳ 勉職〔職場に専念する 〕

 現代社会で必要であるにも関わらず希薄になった徳目がたくさんある。TOSS道徳は,現代版幼学綱要の提案を検討中である。

・・・ちなみに、下記の12項目を「教育勅語の12徳」と言う。
20の中から厳選されているが、自分が調べたところでは、やや言葉が異なっている。

①孝行⇒子は親に孝養を尽くしましょう。
②友愛⇒兄弟姉妹は仲良くしましょう。
③夫婦の和⇒夫婦はいつも仲睦(むつ)まじくしましょう。
④朋友の信⇒友達はお互い信じ合ってつき合いましょう。
⑤謙遜⇒自分の言動を慎みましょう。
⑥博愛⇒広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。
⑦修学習業⇒勉学に励み職業を身につけましょう。
⑧智能啓発⇒知徳を養い才能を伸ばしましょう。
⑨徳器成就⇒人格の向上につとめましょう。
⑩公益世務⇒広く世に中の人々や社会の為になる仕事に励みましょう。
⑪遵法⇒法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
⑫義勇⇒正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう。

 「幼学綱要」については、多くのWEBが、「儒教的」としているが、竹田恒泰氏は「儒教」とは異なるといった言い方をされたと記憶している。
 宗教色や思想を排除し、きわめて普遍的なものを目指したというようなことを言われた。

教育勅語の12徳
(原文)
  爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 ここから徳目を抜き出すと

①父母ニ「孝」
②兄弟ニ「友」
③夫婦「相和」
④朋友「相信」
⑤「恭儉」己レヲ持シ
⑥「博愛」衆ニ及ホシ
⑦「學ヲ修メ業ヲ習ヒ」以テ
⑧「智能ヲ啓發」シ
⑨「德器ヲ成就」シ進テ
⑩「公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」
⑪「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」
⑫ 一旦緩急アレハ「義勇」公ニ奉シ・・

ということになるか・・。
 
 「明治以降に於ける陽明学の展開について」と題したブログは、「陽明学」の視点から幼学綱要と教育勅語を論じている。
http://blog.goo.ne.jp/takuyoshio/e/bf4e6b006a1b27fca3388367d6ad773e

==================
 底流化し噴出した幕末陽明学の素養

 明治維新を成し遂げた人々(武士)は、国体に対する絶対なる確信(史学・水戸学)と日本人としての豊かな情操(国学)そして道義的な生き方を誇りとする人生哲学(儒学・陽明学)を体得していた。
 更に武士達は国家(公)に対する強い責任意識を持ち「敵」に勝つ為の実践論(兵法)を身に付けていた。
 それ故に、西欧列強の「力」に対応し勝利する為に、彼らは積極的に西欧を研究し、その技術力(洋学・蘭学・医学)を学び取り入れて行った。
 所謂「和魂洋才」「東洋道徳西洋芸術」である。

 だが、西洋文明の背景にはキリスト教(一神教)が存し、絶対神と繋がる強固な自我(個人主義)、他者の征服を「神の恩頼」と見做す人種差別・選民思想が隠されていた。
 明治以降の日本人にとって、西欧文明を学ぶ事は、それ迄培ってきた東洋思想・日本哲学との「文明の衝突」を持ち来たすものだった。
 取り分け、維新後の十年は、西欧文明の手法を身につける為に総てが「西欧化」一辺倒となり、日本なるもの東洋なるものは捨てて顧みられる事が無い精神的な混乱の時代が続いた。

(中略)
日本人の倫理道徳の復権

 次代の国民精神を如何に涵養して行くかは、国家存続の意味で重大な問題である。
時代は陽明学のみならず、漢学の伝統素養を抹殺し、西欧流の功利主義・自己中心主義・拝金主義という無倫理へと流れようとしていた。

その時代風潮を最も危惧されたのが明治天皇であらせられた。陛下は、明治十一年の東北、北陸、東海道御巡幸の直後に岩倉具視や侍講の元田永孚に民政教育についてのご憂念を示された。
そこで、元田は陛下の聖旨を「教学大旨」「小学条目二件」として成文化し奉呈した(十二年九月十一日)。

「教学大旨」には「自今以往、祖宗の訓典に基づき、専ら仁義忠孝を明かにし、道徳の学は、其才器に随て益々長進し、道徳才芸、本末全備して」と記されている。更に明治天皇は、元田永孚に幼児のための教訓書編纂の勅諭を下された。元田の編集案を元に衆智を結集して十五年七月に『幼学綱要』が完成した。幼学綱要には「孝行」「忠節」「和順」等二十の徳目が示され、それぞれに、「経書(四書五経)」からの金言や和漢歴史の中の忠臣・孝子・烈婦等の言行が紹介された。
「幼学綱要頒賜の勅諭」も下され、幼学綱要は官公私立学校を始め広く一般に普及し、国民教育に大きな影響を及ぼした。

更に小学校では「修身」教科書が生み出されて行く。

同じ十五年には、武士道の伝統に基づく「軍人勅諭」(忠節・礼儀・武勇・信義・質素の五カ条、「誠心」に帰一)が下され、国民皆兵の日本軍隊の精神的な支柱が明確にされている。

だが十八年に森有礼文部大臣が誕生するや、修身教科書の使用禁止を通達するなど徳育教育は再び混乱を始める。

二十一年頃から心ある知事の間で憂慮の声が上がり始め、遂に二十三年二月の地方長官会議で「徳育涵養ノ議ニ付イテノ建議」が為され、教育勅語の発布へと繋がって行ったのである。
起草した井上毅や元田永孚が如何に苦心し精魂を傾けて勅語案を考えたか、明治神宮編『明治天皇詔勅謹解』に詳しく記載されている。

(中略)

明治の基督教の指導者達は、その殆んどが陽明学の素養を身につけていたという。
この著書の中で紹介されているのは本多庸一・海老名弾正・松村介石・内村鑑三・植村正久・柏木義円・新渡戸稲造、更には基督教文学者の北村透谷・国木田独歩である。
彼らは、陽明学の「良知」と基督教の「良心」とを同一のものとして捉え、高貴なる魂を求め続けた。
彼らは基督教徒であると共に武士道を体現する日本人であった。
新渡戸稲造は『武士道』を、内村鑑三は『代表的日本人』を著し、日本人の魂の高貴さを世界に発信した。

(中略)

教育勅語の発布によって、日本の伝統的な思想や東洋哲学の復興に再び力が注がれる様になり、明治二十年代中頃には『東洋哲学』『朱子学』『陽明学』等の機関紙が相次いで発刊され、道義心の涵養と道義国家の建設が強く訴えられた。
だが、日清戦争の勝利は支那文明への蔑視を生み、力のみが全てを制する西欧的な帝国主義の考えが人々の心を支配する様になって行く。
=====================
・・・難しい。でも竹田氏の講演を聞いたおかげで、ずいぶんスムーズに入ってくる。
 それにしても、西洋化の問題を指摘している一方で、日本を代表する知識人がキリスト信者というところが、すごく不思議である。

ちなみに「幼学綱要」についてのシンプルな解説もあった。

http://rakudo.jp/recomendbook.html

『幼学綱要』
(元田永孚編、宮内省蔵板)
これは明治天皇が、明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ、侍講の元田永孚に命じて編纂させられた最初の修身教科書である。
「修身」などというと、戦前の軍国主義を連想する人もいるであろうが、我が身を修めるのは、人生の基本である。
二十の徳目に分類され、その徳目にかなった中国と日本の先人達の言動を集めた、『小学』の日本版とも称すべき重要な書物である。

 
・・・明治初頭の段階で、すでに「明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ」たと言う。
 このあたりは「逝きし世の面影」も同じ論調である。

内村鑑三は、武士道とキリスト教の双方のよさを説いている。
「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」という言葉が知られている。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249028687

◆◆◆
 新渡戸稲造も内村鑑三も武士階級出身で、熱烈なクリスチャン、真の愛国者でした。 そして武士道を日本が生んだ最高のものとして終生誇りにしていました。
「接ぎ木」と言ったのは内村鑑三です。 以下をご参照下さい (1916年1月「聖書之研究」より)

「武士道は日本国最善の産物である。 しかしながら武士道そのものに日本国を救うの能力(ちから)は無い。
武士道の台木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であって、これに、日本国のみならず全世界を救うの能力がある。
今やキリスト教は欧州において滅びつつある。 そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い。
ここにおいて神は日本国に、その最善を献じて彼の聖業を助くべく求めたまいつつある。
日本国の歴史に、深い世界的の意義があった。
神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に応ぜんがために、日本国において武士道を完成したまいつつあったのである。
世界はつまりキリスト教によって救わるるのである。
しかも武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教によって救わるるのである。
◆◆◆

 ヤフーの知恵袋で満足するつもりはないので、もう少し調べてみたい。
 あの時代に「今やキリスト教は欧州において滅びつつある。 そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い」と指摘したところが興味深い。
 むろん、日本も、この時代、「逝きし世の面影」で指摘されるように、日本の良さは失われてしまったと嘆かれている。
 明治天皇も西欧化によって日本のよき精神が失われたことを嘆いている。

 失われる前の「日本」、失われる前の「キリスト教」って、どんなだったのか、が気になるところだ。

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