« January 2014 | Main | March 2014 »

February 27, 2014

「無師独悟」~慢心したら成長は止まる~

51eely0phxl__sl500_aa300_

 30年も昔から、教育実践についても「守・破・離」がよく言われてきた。
 法則化運動の追試実践が「猿まね」と批判される中で、誰もが、少しでも早く「破・離」の段階を目指した。
 しかし、30年近く経って改めて思うが、「破・離」などは、本当は雲の彼方の行為であった。
 正直なところ、今なお発見の連続で、「守」すらゾンザイデあったと言わざるをえない。
 軽々しく「破・離」など実現できるものではなかったのだ。
 教師修行には果てがないが、むろん「人生修業」も同じである。
 今なお、知らないことの多さに唖然としてしまう。

 さて、禅寺の僧侶が共同生活をしながら修行することを「叢林」と呼ぶそうだ。
 以下の言葉は重い。

◆弟子が師匠の言うことなど気にしないというならば、師匠についている意味はない。先輩の言うことを聞きたくないというならば、叢林である意味もない。そういう者は独りで山に入ればいい。
 しかし独りの修行は、大変危険である。共同生活をしなければ、すべて自分の思い通りになるが、肝心の自分の姿は一切見えない。人の目は、鏡の役割をしているのである。叢林はお互いが切磋琢磨する場なのだ。自分独りでは、切磋琢磨のしようがない。
(「日本人に『宗教』は要らない」ネルケ無方(ベスト新書)P186)

・・・教師修行にも通じる指摘である。
 しかし、サークルやセミナーの場が「叢林」の役割を果たさなくては意味がない。
 サークルに批判検討がなく、セミナーに自分自身の積極的な参加がなければ切磋琢磨のしようがない。

◆「無師独悟」という言葉もある。独りで山に登り、何か月か経って悟ったつもりになる人はどの時代にもいた。しかしほとんどの場合、それはエゴが膨れただけで、結局は悟りとはまったく反対の状態である。
 「無師独悟」の人はいまもいるが、自惚れ屋で、威張りちらしている。(中略)だから禅宗では、「無師独悟」を戒めているのである。(同署P187)

・・・同書では「不安を感じたほうが健全である」という項目もある。不安な方が注意もするし、何らかの手も打つからだ。
 「楽観的に『大丈夫だ』と思っているときほど、危険な状態はない」(P194)とあるが、できたつもりが一番怖いというのは、先の「無師独悟」の危険性と同じである。
 かつて私も大学時代の練習日記の表紙に「慢心したら競技生命は終わりである」と書いていたことを思い出す。独りよがりが一番危ない。

 セミナーに行くたびに「自己否定」の連続である。
 でも「自分は未熟だ」と思い知ることは大事な機会である。
 そのような機会を得られたことをラッキーだと思う。

| | Comments (16) | TrackBack (0)

February 16, 2014

幸福論と道徳の授業

 年始にNHKで放送していた新春スぺシャル「100分de幸福論」が録画してあったので、じっくり見た。

http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/2014special/

http://m4s.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/14127-80b6.html

 経済学者の浜矩子氏はアダム・スミスの『国富論』を紹介すると同時に、その17年前の書かれた「道徳感情論」を紹介した。
 これには驚いた。

◆人間に備わった大切な能力の1つは「共感」。
 他人の不幸をわがことのように思う気持ちが「共感」。
 人間がどんなに利己的なものであったにしても、われわれが他の人の悲しみを想像することによって自分も悲しくなることがあるのが明らかである。

◆人が転んだのを見たとき、相手の立場にたってどう行動すべきかを考える「公平な観察者」が現れる。
 そして(助ける・手を貸すなど)公平な観察者の声に逆らった行動をすると、人は恥ずかしさや自己嫌悪を感じる。
 観察者の声に従うことで、人は心の平静・満足が得られる。

◆人の心の平静を支える条件は
 ①健康 ②負債がない ③良心にやましいところがない の3つである。
 そこにこそ幸福がある。

・・・そうか、良心に逆らった行動をすると、人は恥ずかしさや自己嫌悪を感じるものなのだ!
 道徳授業の1つのパターンが、自分の心の中にある天使の声と悪魔の声の葛藤である。建て前と本音と言い換えてもいい。
 「天使の声」は「良心・道徳心」とも言えるし、「公平な観察者」とも言える。
 「頭では分かっていても、行動に移せない自分へのいらだち」が葛藤であり、自己嫌悪だ。
 でも、「分かっていても行動できない人間の弱さ」を責めたてるのは酷だ。例えば、自分の命を犠牲にして他者を救うことを勧めることはできないし、できなかった自分を責める必要もない。

 「頭では分かっていても、行動に移せないことってだれにもあるよね。自分のできる範囲で、できることを増やしていけるといいね」ぐらいのフォローがよいのだと思う。弱い自分に共感する道徳の授業でありたい。

 番組内で浜氏は言う。
◆「まっとうなことがわかる、互いの痛みがわかる・やっちゃいけないことがわかる、この不文律の理解を前提にしないと経済活動は正当性をもたない」

◆「人の気持ちや痛みが分かり、互いの事情が分かるから、初めて経済活動もどうすればよいかが分かる。」

・・・「経済活動は人の営み」。そりゃあそうだ。相手のニーズ(人の痛み)が分からなければ、何も売れないし、支持もされない。

 で、浜氏がまとめた「幸福」とは、「人の痛みが分かること」。

 これが経済学者の意見というところが面白かった。

 ちなみに、浜氏は、2月9日の中日新聞のコラム「視座」で、ヒト・モノ・カネが正しい順序」だと述べている。
 「カネ回しがモノづくりを手玉に取り、全ての帳尻合わせのために、ヒトが踏みにじられる。こんなことをしていると、グローバル時代も長いことはないだろう」と言う。

 数年前「ユニクロ栄えて国滅ぶ」と浜氏が主張した。
 海外の低賃金で海外の原材料で大量な商品をつくられたら、日本の雇用は奪われる。国内生産でがんばる他企業も脅かされると理解し自分は納得していたのだが、当時ネット上では批判が多かった。
「そんなの競争社会だから仕方ないじゃん」みたいなトーンだった。

http://www.j-cast.com/2009/09/14049572.html?p=all

http://kitanotabibito.blog.ocn.ne.jp/kinyuu/2009/09/post_7670.html

http://www.apalog.com/kojima/archive/333
 

 安ければいい・安くてよい品物が売れるのは当然・それが企業努力といった風潮だった。
 しかし、「デフレ」の問題が深刻になり、デフレスパイラル脱却が国の喫緊の課題となった頃から、風向きが変わったようだ。
 浜氏の思想の根底は、「人の痛みが分かること」
 非正規労働者の悲鳴、下請け企業の痛みが分からないような経済活動は正当性を持たないという浜氏の考えが、受け入れられるようになってきたと思う。
 経済活動においても、人間の道徳性、倫理観が問われているのだということを再認識した番組だった。

 さて「人の痛みが分かること」は、「生き方の五原則」のすべてに重なってくる。

 ①相手のことを真剣に考え
 ②弱いものを大切にし
 ③人にためになること
 ④自分のできること
 ⑤人の生き方に学ぼう

 だから「人の痛みは分かる」の線で道徳の授業を考えることは我流ではない(と思う)。

 道徳の授業の充実が求められる4月を前に、しっかり理論武装しておきたい。

※追伸
 アダム・スミスの「道徳感情論(上・下)」(岩波書店)
 書店で手にとってみましたが、とても読めそうにないと、断念しました。
 本当は読まなきゃあいけないなと思ってます。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

下村文部大臣のお話

 文部科学大臣下村博文氏と慶應義塾大学講師竹田恒泰氏の講演を聴くことができた。
 雪の影響もなくてよかった。

 名古屋青年会議所主催の2月フォーラム
 呼び起こせ!日本の心 ~教育再生 私たちが歩むべき日本道!~

 
案内HPの理事長挨拶が、すでに濃密である。
 https://www.nagoyajc.or.jp/64nendo/jigyo/0201/
========================
 2014年度の公益社団法人名古屋青年会議所は、日本をリードする名古屋を実現すべく、人づくり、まちづくり、国づくりの運動を展開しております。その中で、「世のため人のためが自分のため」という考え方を日本の道と書いて「日本道」と定義し、日本人の根底には「日本道」が息づいているという考えのもと、日本人の精神性や価値観を全国そして世界へ発信していこうと考えております。
 しかしそのためには、世界で通用する、自信に満ち溢れた日本人を育成していかなくてはなりません。そして今を生きる私たち日本人に必要なものは、歴史観と道徳心です。自国を誇れる歴史観を培っていなければ、世界では認められません。また、私たちのアイデンティティの源である道徳心が育まれていなければ日本人とは呼べません。
 しかし、この歴史観と道徳心は、戦後教育の中でおざなりにされてきたため、自分に自信を持った若者が育っていないのが実情です。そこで、2月フォーラムでは、下村博文文部科学大臣、竹田恒泰先生にお越しいただき、歴史観と道徳心について、会場の皆様と一緒に考えてまいります。特に下村大臣からは、本年を教育再生元年と捉え、日本の教育再生について力強く発信していただきます。私たち名古屋青年会議所といたしましても、名古屋から日本の教育を再生させていくという気概を持って、教育再生を名古屋の地から実行する覚悟でございます。
 国家百年の計は教育にあります。子育て世代の皆様はもちろんのこと、是非とも、ご家族・ご友人をお誘い合わせのうえ、一人でも多くの方のご来場を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
=======================

 竹田氏はもちろん下村大臣も「歴史観と道徳心」を含んだ教育再生を熱心に語られた。
 大臣は、現在44項目の教育改革に取り組んでいるそうだ。
 実直なお人柄が、よく伝わってきた。
  レジメやスピーチ原稿もなしによどみなく話を続けられた。

 教育再生担当大臣であり、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣でもある下村大臣の言葉を箇条書きで列挙してみる(順序は竹田が勝手に変えました)。

【オリンピック関連】
◆オリンピックを含め、世界に通用する人材を育てたい。
 「たまたま」ではオリンピック選手にはならない。しかし最初からあきらめる必要はない。
 才能よりも環境。そして環境を最大に左右するのは教育
 イチローやオリンピック選手の多くは、小学校のころから「なりたい」と強く思っていた。その思いが大事。

◆2020年のオリンピックは
 ①東京だけのオリンピックにしない。オールジャパンで挑む。事前遠征などで各地が各国と接点をもつ。
 ②スポーツだけでなく、文化芸術の祭典に(伝統文化とのコラボ)
 ③日本の素晴らしさを世界に発信する(メモ内容に自信ありません)

◆2020年、6年後をターゲットとし、さらに2020年以後をどうするかを考える必要がある。

・・・ちなみに、文科省のHPの「トビタテ!留学JAPAN」のページに大臣のオリンピック関連の言葉がある。

◆折しも2020年に夏季オリンピック・パラリンピック競技大会が日本で開催されることになりました。2020年に世界が日本にやってきます。私たちは、2020年を大きな節目として、世界規模で活動し、地球規模で物事を考える日本に進化する必要があります。特に、日本の若者には、広い世界の中で自己研鑽を積んでもらい、日本と世界で活躍できるような人材として育って欲しいと考えております。

http://www.mext.go.jp/ryugaku/concept.html

◆グローバル社会は、英語が絶対に必要になる。
 ただし英語はツールにすぎない。
 真のグローバルな人材は、真の日本人。アイデンティティ・反論できる力・知識が必要である。
 真の国際人は、日本をよく知っている。日本のよさを自信をもって語れるか。

【道徳関連】
◆昨日の大臣発表、産経新聞だけ取り上げていた。

◆我が国の労働生産性は世界2位から13位に落ちた。
 人としての付加価値は、「教育」でつけられる。

◆若い人の意識を変えたい。生まれた時からデフレ経済で、「心のデフレ」になっている。自分はだめだと思う高校生が84%もいる。この子たちが30代・40代になって、日本はどうなるか。チャレンジの志がもてない。

◆道徳は4月から充実させる。新「心のノート」は全面改訂版。
 小保方さんも偉人伝に影響された。
 大臣も小さい頃、偉人伝を1冊買ってもらった。偉人は別世界の人だと思っていたがそうではない。成功は努力のたまものである。
 イチローや高橋尚子さんのような身近な例も入れながら、偉人から多く学んでほしい。

◆人生の成功の秘訣として「夢・志」があるかどうか。新「心のノート」には、そのことを入れた。

◆人として生きる道・あるべき姿は不変、国家に関係ない。
 ただし1つの価値観を押し付けない。多様な感じ方を議論させたい。

・・・「教室ツーウエイ」3月号は、特集「生き方の五原則で貫く道徳教材の開発」もしっかり読み込み、「道徳の授業」を語れるようになりたい。

| | Comments (132) | TrackBack (0)

February 15, 2014

「明日」 佐倉淳一.(角川書店)

9784041105825

 発達障害について取り上げた、実に学びの多い1冊。
 小説ではあるが、最新の知見を網羅した自閉症スペクトラムへの対応の指南書だ。

 ラストのセリフでは思わず涙があふれてしまった。
 本作品における「明日」は、きわめて重要なキーワードだ。
 そして、最後のセリフは極めて重要なキーセンテンスだ。
 
 きりがないが、「『明日』の意味」以外にも10の学びをリストしてみた。

①障害を疑われる母親、謝罪を強いられる母親の辛さを、ここまで想像できなかった。
 教師の言葉が、お母さんの「自己肯定感」をボロボロにしているかもしれないのだ。

②無断で取り出し指導されることに対する母親の拒絶感を、ここまで想像できなかった。
 親は「みんなと一緒」であってほしいのだ。

③学校で指導された後の自宅での親子の会話や衝突を、ここまで想像できなかった。
 言うことを聞かない子にどう約束させるか、苦しいのは教師も親も同じなのだ。

④戸惑いながら、母親に任せたがる父親の気持ちがよく分かった。
 でも、それではいけないのだということもよくわかった。

⑤誰も悪くないのに、どうしてこんなことになるのか、という母親の訴えに答えられない自分が情けなかった。

⑥厳しく指導したがる松田先生ほどではないにしろ、「厳しく指導しなければ」という意識が自分にもあることがよく分かった。

⑦両親の心を和らげる丸先生の対応を、自分がアドバイスを受けているかのように聞き入った

⑧応用行動分析学・ABC分析=「行動は周りとの相互作用によって起きる」を、再認識。
 良い結果を起こし、よい評価(褒め言葉)を得られたら、人はますます、その良い行動を繰り返そうとする。
 これが「自己肯定感」「エラーレスラーニング」と重なることは言うまでもない。

⑨「豊かな森学園」の描写を読んで、視察した翔和学園と重なった。
 周りが自分と同じだから安心して過ごせるのだ。

⑩ 翔太は相手を見抜いていた。
 自閉症スペクトラムの子たちが安心して話せる自分でありたいとつくづく思った。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

« January 2014 | Main | March 2014 »