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June 25, 2014

「成長するものだけが生き残る」(上原春男)

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「成長するものだけが生き残る」
上原春男(サンマーク出版)2005年初版

書名や見出しにあるように
◆「成長するものだけが生き残る」
◆「なぜ成長しなければならないのか」
◆「これでいい」と思った瞬間に成長は止まる
◆「成長したい」という欲求が幸福をもたらす
などと迫られたら、香山リカ氏などはどう反応するのだろう。

 香山リカ氏が批判した勝間和代氏以上に、「人は成長して当たり前」「努力して当たり前」と上原氏は説く。 

成長を強要されるのはシンドイかもしれない。
100%完全燃焼しなくても、8割主義でそこそこ生きていけばいいじゃんという考え方もある。

しかし、自分が健康で生きている以上、これまでの先人のお礼の気持ちも込めて、全力で「成長思考」をし、限界を突破したい。むろんバーンアウトしたら事情は別である。

上原氏が説く5つの「成長の原理」だけ見ても、具体例がないから意味は分からないかもしれないが、とりあえず、覚書をする。

①「創造・忍耐の原理」(成長力は、創造性と忍耐力をかけたものである)

②「成長限界の原理」(成長→限界→限界突破→再成長)

③「並列進行の原理」(成長する人は「同時進行」がうまい)

④「条件適応の原理」
(変化に柔軟に対応できる人が成長できる・ピンチをチャンスに・短所を長所に)

⑤「分離・再統合の原理」(成長の秘訣は、強み・弱みを分解し、再構築すること)

◆まず「成長するのだ」という前向きな意志や姿勢がなくてはならない。(P42)
◆目標を口に出すことで、成長回路を刺激する(P46)
◆伸びるのは「デタラメ度」の高い人(P130)

などの言葉をかみしめて、日々精進したい。
ちなみに、50を超えると、自分の精進は自分のためでなく、後輩のためである。
とはいえ、後輩に後ろ姿で語れる人間でありたいという欲があることを考えると、やはり己のためと言えるのかも・・。

最近、どこかで聞いた「男って、すぐ名前を残したがるよね」。
功名心も「生きるエネルギー・成長エネルギー」の1つなのだろう。
緒方洪庵は、「名声や利益を顧みることなく」と、戒めている。

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June 15, 2014

緒方洪庵の12か条の医戒に学ぶ

 緒方洪庵は幕末を代表する医学者であり教育者である。
 彼はフーフェランド教授の内科書翻訳書を書き上げると共に、巻末に記された“医師の義務“を愛弟子に伝えるべくこれを抄訳し、12か条の医戒を著わした。
 原文の理解が難しいところがある。
 下記のサイトから現代語訳を引用する。
 ただし下記のサイトにあるように、大元は馬場茂明著の「聴診器」ということになろうか。
 1か条ごとに、◆で、教育者に置き換えてみた。

http://www.matsui-clinic.net/080/m/post_574.html

「扶氏医戒之略」緒方洪庵訳
Chrstoph Wilhelm Hufeland(1762-1836) 著

1.人のために生活して、自分のために生活しないことが医業の本当の姿である。安楽に生活することを思わず、また名声や利益を顧みることなく、ただ自分を捨てて人を救うことのみを願うべきであろう。人の生命を保ち、疾病を回復させ、苦痛を和らげる以外の何ものでもない。

◆ただただ、子どものために教育実践をする。安楽な生活を求めず、名声や利益を顧みない。


2.患者を診るときはただ患者を診るのであって、決して身分や金持、貧乏を診るのであってはならない。貧しい患者の感涙と高価な金品とは比較できないだろう。医師として深くこのことを考えるべきである。

◆子どもの身分や貧富に左右されないことはいうまでもない。


3.治療を行うにあたっては、患者が対象であり、決して道具であってはならないし、自己流にこだわることなく、また、患者を実験台にすることなく、常に謙虚に観察し、かつ細心の注意をもって治療をおこなわねばならない。

◆子どもは実験台ではない。自己流に陥らず、謙虚にかつ細心の注意をもって教育実践にあたらねばならない。


4.医学を勉強することは当然であるが、自分の言行にも注意して、患者に信頼されるようでなければならない。時流におもね、詭弁や珍奇な説を唱えて、世間に名を売るような行いは、医師として最も恥ずかしいことである。

◆教育について勉強することは当然であるが、自分の言行にも注意し、保護者や子供から信頼されるようでなければならない。時流におもね、珍奇な説に惑わされない。売名もしない。

5.毎日、夜は昼間に診た病態について考察し、詳細に記録することを日課とすべきである。これらをまとめて一つの本を作れば、自分のみならず、病人にとっても大変有益となろう。

◆「放課後の孤独な作業」の勧めだ。日々の実践をしっかり記録にとどめたい。


6.患者を大ざっぱな診察で数多く診るよりも、心をこめて、細密に診ることの方が大事である。しかし、自尊心が強く、しばしば診察することを拒むようでは最悪な医者と言わざるをえない。

◆心を込めて細密に子どもに接する。子どもを選ぶのは最悪な教育者である。


7.不治の病気であっても、その病苦を和らげ、その生命を保つようにすることは医師の務めである。それを放置して、顧みないことは人道に反する。たとえ救うことができなくても、患者を慰めることを仁術という。片時たりともその生命を延ばすことに務め、決して死を言ってはならないし、言葉遣い、行動によって悟らせないように気をつかうべきである。

◆「手遅れ・無理」などと口にしてはならない。万策尽きるまで手を打ち、最後まで激励を続ける。


8.医療費はできるだけ少なくすることに注意するべきである。たとえ命を救いえても生活費に困るようでは、患者のためにならない。特に貧しい人のためには、とくにこのことを考慮しなければならない。
◆教育費については、触れなくてよいか・・。


9.世間のすべての人から好意をもってみられるよう心がける必要がある。たとえ学術が優れ、言行も厳格であっても、衆人の信用を得なければ何にもならない。ことに医者は、人の全生命をあずかり、個人の秘密さえも聞き、また最も恥ずかしいことなどを聞かねばならないことがある。したがって、医師たるものは篤実温厚を旨として多言せず、むしろ沈黙を守るようにしなければならない。賭けごと、大酒、好色、利益に欲深いというようなことは言語道断である。

◆医者=教育者でそのままトレースできる。信用第一である。


10.同業のものに対しては常に誉めるべきであり、たとえ、それができないようなときでも、外交辞令に努めるべきである。決して他の医師を批判してはならない。人の短所を言うのは聖人君子のすべきことではない。他人の過ちをあげることは小人のすることであり、一つの過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになろう。医術にはそれぞれの医師のやり方や、自分で得られた独特の方法もあろう。みだりにこれらを批判することはよくない。
とくに経験の多い医師からは教示を受けるべきである。前にかかった医師の医療について尋ねられたときは、努めてその医療の良かったところを取り上げるべきである。その治療法を続けるかどうかについては、現在症状がないときは辞退した方がよい。

◆ここは正直難しい。困った同僚教師はたくさんいる。子どものために衝突する場面がないわけではない(それが12条に該当する)。しかし、安易に非難しない。特に子どもや保護者に前担任の批判は謹むべきだ。
「他人の過ちをあげることは小人のすることであり、一つの過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになろう。」

11.治療について相談するときは、あまり多くの人としてはいけない。多くても三人以内の方が良い。とくにその人選が重要である。
ひたすら患者の安全を第一として患者を無視して言い争うことはよくない。

◆指導法などの相談は、人選が重要である。ネット検索も同様で、確かな情報を入手したい。


12.患者が先の主治医をすてて受診を求めてきたときは、先の医師に話し、了解を受けなければ診察してはいけない。しかし、その患者の治療が誤っていることがわかれば、それを放置することも、また医道に反することである。とくに、危険な病状であれば迷ってはいけない。

◆10条に続き難しいところだ。担任を超えて相談があるときは、了解を得るべきだと言うことになる。しかし、その教育方針が間違っていれば放置することも教育者の道に反する。迷うところではない。

さて、こうした12戒の根底にあるのは「仁」の心であろうか。

安易ですが、ウイキで調べてみた。貝原益軒以外にもたくさん言及していることが分かった。

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医は仁術(いはじんじゅつ、「医は仁術なり」とも)とは、「医は、人命を救う博愛の道である」(広辞苑)ことを意味する格言。特に江戸時代に盛んに用いられたが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができ、また西洋近代医学を取り入れた後も、長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきた。

「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求めず。医は当(まさ)に仁慈の術に当たるべし。須(すべから)く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」(陸宜公:唐の徳宗の時代の宰相)

「大医の病いを治するや、必ずまさに神を安んじ志しを定め、欲することなく、求むることなく、先に大慈惻隠の心を發し、含霊の疾を普救せんことを誓願すべし」(丹波康頼『医心方』)

「慈仁」(曲直瀬道三『道三切紙』より第一条)
「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」

「醫は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし。」(貝原益軒『養生訓』)

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国語教育 2014年7月号(明治図書)

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国語教育 2014年7月号の特集は

◆授業に密着“新ワークシート”開発と活用◆

私も書かせてもらった。

▼国語ワークシート=どんなタイプ・どんな活用法があるか

本校でも、多くの先生がワークシート・書き込みプリント・ミニテストなどさまざまな印刷資料を用意している。
一方で、ノート指導も行っている。

自分できちんと定規を使ってノートに表をつくることも大事な勉強である。
時間短縮のためにワークシートで表を配付してしまうことが、必ずしも「ベストな対応」とは言えない。

ワークシートは、書き込みスペースをある程度想定して作成する。
それでも、個々に文字の大きさなどが異なるので、書きにくさを感じる子もいる。
ノートなら枚数制限はない。どんどん書き足せばよい。
それを思えば、書き込む場所を指定した配慮したワークシートが、必ずしも「ベストな対応」とは言えない。


ほかにも、何点か注意点はあるが、やはり1つの課題に効率的に取り組ませたい場合もある。
一斉回収もコピーも掲示もノートより簡便である。
ワークシートのもつ短所を意識しながら、特集されたワークの効用を読むとよい。
市販ワークもよいが、自分の授業プランに正対させるには、自作ワークを作成する心意気も大事だと思う。

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June 08, 2014

拝啓 鳥羽美花さま

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 先日、はるひ美術館の個展に行ってまいりました。
 門外漢で、作品そのものにはコメントできないのですが、身の丈を超える大きな作品群の迫力(気魄)に圧倒されました。
 あの繊細であった鳥羽さんのどこにそれだけのパワーがあるのかと思いました。
 もちろん繊細さあっての「型染め」です。細やかな、そして根気のいる作業です。
 鳥羽さんの日々の鍛錬の賜物なのでしょう。
 会場で流れる映像を観ながら、20年30年と鳥羽さんが努力された姿を思い浮かべました。

 小学校・中学校・高校の同級生として誇らしい気持ちでいっぱいです。
 しかし、ただ「誇らしい」と口にするだけでは、自分が恥ずかしくなります。
 鳥羽さんほどの活躍はできませんが、私は私で与えられた場所で、ささやかながら自分の痕跡を残していきたいと思います。

 すばらしい作品を見せていただき、ありがとうございました。
http://www.toba-mika.net/

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「正直」のエピソード~中江藤樹~


「正直」をググっていくと、陽明学が出てきた。
先のダイアリーの「さぬきうどん」のエピソードは、下記のWEBから引用した。

http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/prayer/128.h...

 三井寺のサイトで、近江聖人=中江藤樹=陽明学についての紹介のページである。

 中江藤樹は江戸時代初期の儒者。日本陽明学の祖。近江聖人。
 ここで、馬方又左衛門のエピソード(榎の宿)が紹介されている。

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隣村の河原市宿に又左衛門という馬方がいた。
馬方というのは、馬に旅人や旅人の荷物を乗せて運ぶ仕事。
ある日、加賀の飛脚を次の宿場まで送り、帰って見ると大金が忘れてある。
夜中、急いで道を引き返し、金を届けると、飛脚は涙ながらに喜び、この金がないと私の命がないところだったという。
飛脚は礼金を申し出るが、又左衛門は、小川村の与右衛門さんの教えを守っているだけ、当然のことをしたまでだといって、受け取らない。
あまり何度もいわれるので、又左衛門は、それでは、ここまで、もう一度、運んだ運賃だけをもらうといって、帰ってしまった。
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・・・まさに、正直(無欲)の教えであるが、この小川村の与右衛門が、中江藤樹である。

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 中江藤樹の教えは「致良知」(良知にいたる)という言葉に代表される。
 しかし我欲によって曇らせてしまうので、絶えず磨きつづけ、鏡のように輝かせておく努力が必要。
 良知が明らかになれば、天と一体になって人生は安らかになる。
  良知にいたるには、日常、五つのことを心がければいいという。
 なごやかな顔つきをし、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ目でものごとを見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、まごころをもって相手を思う。
 何より正直であることが大切と説く。
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・・・藤樹の説話は、別のサイトにも詳しい。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog324.html

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■7.「なぜ人のものを盗るのか」■

 その夜、中江は又左右衛門や加兵衛らに対して「親孝行」の話から始めた。

わたしたちは、親によってこの世に生まれました。その恩は計り知れません。
ですからまず、自分を生んでくれた父母を敬い愛することは大切です。
しかし考えてみれば、その父母も祖父母から生まれました。
そうなると祖父母に対しても愛敬の念を失ってはなりません。
その考えを推し進めていくと、わたしたちはご先祖様に対しても、孝を尽くす義務があります。

 中江は皆の理解を確かめるように見渡したが、なかでも漁師の加兵衛は食い入るように中江の話に聞き入っていた。

 が、それだけではありません。
わたしたちは一人で生き ているわけではありません。
かならず、他人との関わりが あります。
世の中との関わりがあります。
恵みや慈しみを くださる方々に対しても、われわれは愛敬の念を持たなけ ればなりません。
つまり、他人や世の中に対しても孝を尽くさなければならないのです。

 他人や世の中に対して愛敬の念を持てば、他人のものを盗んだり、みだりに自分の欲望を満たそうなどという考え は消えるはずです。
 そういうことをする人は、他人から受けた恩を全く知らない人です。
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・・・すごい。
1つ話を聞いただけで、心が洗われるようだ!

小林義典先生のTOSSランドのコンテンツも参考になりました。

http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/16827

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「正直」を考える

 「正直」という徳目(倫理)は、奥が深い。昨日の例会のために模擬授業の準備をしたのだが、全くの未完成だった。
 「正直」に関する昔話、エピソード、宗教や哲学など、手持ちの資料を整理したり、ネット検索するするだけでも膨大である。

(1)
自分自身の取っ掛かりは「野菜の無人販売所」だった。
野菜の無人販売所が商売として成立するには、まさに「正直」が根底になる。

◆「誰も見ていなくても、きちんとお金を払いますか」

(2)
例会で、自己申告制のバス料金を体験したことの話があった。
自分で、行先までの料金を払うのだそうだ。

◆「きちんと料金を払いますか」


(3)
例会で、「お釣りを余分にもらったらちゃんと返すか」を話題にした。
みんな、当然「返す」と答えた。
「子どもは素直だから、ちゃんと返すと思う」
と言われたが、自分としては「ラッキー」と思う子も多いのではないかと考えてしまった。

◆「余分なお釣りは、ちゃんと返しますか」


(4)
例会でスーパーマーケット(セルフマーケット)の例を出した。
今日、ネット検索で、讃岐うどんのセルフ店のエピソードを見つけた。
うどん玉70円、生卵30円、天ぷら100円。具は自分で勝手にとり、支払いは自己申告。
自らが丸い皿に代金を入れて行く。
野菜の無人販売所と同じようなものだ。

◆「ちゃんとお金を払いますか」


(5)
本日の中日新聞の夕刊に、一宮市の障害者の飲食店が、値段を自分で決める「心づけ」で支払うシステムにするとの記事が載った。
==========
お代は「心付け」 一宮で障害者の飲食店、9日開店    2014/6/7 夕刊

 障害者の自立支援に取り組む愛知県一宮市のNPO法人「自立と共生をめざす会 もやい」が九日、メニューに値段を付けず、お客自身が決めた対価を「心付け」として受け取る形式の飲食店を同市本町で開く。
心付けは、味に値段を付けるも良し、障害者の支援としても良し。お客の善意に委ねることで、働く障害者に、人との絆を感じてもらおうという試みだ。
(中略)
 店の出入り口横に「絆の箱」と記された木箱が一つ。心付けを入れる箱だ。
 各テーブルには「心付けを入れてくだされば幸いです」と書いた紙を置く。支払いは強制ではない。
===========

◆「みなさんは、うどん一杯に、心づけでいくら払いますか」 

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日本の資本主義繁栄の秘密

中日新聞夕刊に梅原猛氏の連載「思うままに」がある。
6月2日は経済発展と仏教思想を重ねたものだった。

◆◆◆
なぜ日本で資本主義が高度に発達したのか。
それは、日本が大乗仏教の国であったゆえではなかろうか。
中国や韓国は仏教国とはいえず、儒教国といってよかろう。
とすれば、なぜ儒教の影響の強い中国や韓国で資本主義の発達が遅れ、仏教国日本で資本主義がいち早く発達したかという疑問が生じる。
しかし、だからこそ答えは甚だ明らかである。
 大乗仏教は自利利他を根本精神とする。
経営者は利益を上げることによって、自らを利するとともに他人をも利するのである。マルクスは、資本主義社会においては経営者が富を独占しているというが、そのような経営者は甚だ特殊な人間であろう。ほとんどの経営者は自らが利益を得るとともに、その利益を労働者ばかりか社会にも還元しようとする。日本ではこのような自利利他を最高の道徳理念とする大乗仏教の教えによって、資本主義が発達したというべきであろう。
(中略)
経営者というのは、大乗仏教の自利利他の行を行う人であらねばならないであろう。
◆◆◆

・・・トヨタは自動織機で得た特許の利益を、国産自動車開発に注ぎ込んだ。
国産自動車開発は、トヨタという一企業の利益のためではなく、日本国家繁栄のためであった。
 トヨタと同様に日本の経済発展に寄与した松下電器。
 「松下電器」には、「遵奉すべき精神」と呼ばれる七か条がある。
http://panasonic.co.jp/company/philosophy/conduct/03.html

◆◆◆
一、産業報国の精神
産業報国は当社綱領に示す処にして我等産業人たるものは本精神を第一義とせざるべからず

一、公明正大の精神
公明正大は人間処世の大本にして如何に学識才能を有するも此の精神なきものは以て範とするに足らず

一、和親一致の精神
和親一致は既に当社信条に掲ぐる処個々に如何なる優秀の人材を聚むるも此の精神に欠くるあらば所謂、烏合の衆にして何等の力なし

一、力闘向上の精神
我等使命の達成には徹底的力闘こそ唯一の要諦にして真の平和も向上も此の精神なくては贏(か)ち得られざるべし

一、礼節謙譲の精神
人にして礼節を紊(みだ)り謙譲の心なくんば社会の秩序は整わざるべし正しき礼儀と謙譲の徳の存する処社会を情操的に美化せしめ以て潤いある人生を現出し得るものなり

一、順応同化の精神
進歩発達は自然の摂理に順応同化するにあらざれば得難し社会の大勢に即せず人為に偏(へん)する如きにては決して成功は望み得ざるべし

一、感謝報恩の精神
感謝報恩の念は吾人(ごじん)に無限の悦びと活力を与うるものにして此の念深き処如何なる艱難(かんなん)をも克服するを得真の幸福を招来する根源となるものなり
◆◆◆

・・・全文理解できるわけではないが、すばらしい七か条だと思う。
企業理念の中には、次の項目もある。

◆◆◆
 企業は社会の公器
 その意味では、私たちの会社は私企業であっても、事業には社会的責任があります。
私たちは、「企業は社会の公器」との理念のもと、その責任を自覚し全うしなければなりません。
さらに、さまざまなステークホルダーとの対話を通じて、透明性の高い事業活動を心がけ、そして説明責任を果たします。そのために、私たちは、常に公正かつ正直な行動をスピーディーに行うよう努めます。
◆◆◆

・・・近江商人の思想にも同じものがある。
 
○「売り手よし、買い手よし、世間よし」
○「利真於勤」
 利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義の諫め。
○陰徳善事
 人知れず善い行いをすることを言い表したもの。自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと。

 西洋の「功利主義」も、最大多数の幸福を追求する立場である。
 宗教的な戒律かどうかは別として、「人様のために尽くす」という発想は世界にある。
 あえて「日本人の美徳」でくくる必要はない。
 他者の喜び・他者の幸せを願う人間本来の精神をしっかり追求していきたい。

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