緒方洪庵の12か条の医戒に学ぶ
緒方洪庵は幕末を代表する医学者であり教育者である。
彼はフーフェランド教授の内科書翻訳書を書き上げると共に、巻末に記された“医師の義務“を愛弟子に伝えるべくこれを抄訳し、12か条の医戒を著わした。
原文の理解が難しいところがある。
下記のサイトから現代語訳を引用する。
ただし下記のサイトにあるように、大元は馬場茂明著の「聴診器」ということになろうか。
1か条ごとに、◆で、教育者に置き換えてみた。
http://www.matsui-clinic.net/080/m/post_574.html
「扶氏医戒之略」緒方洪庵訳
Chrstoph Wilhelm Hufeland(1762-1836) 著
1.人のために生活して、自分のために生活しないことが医業の本当の姿である。安楽に生活することを思わず、また名声や利益を顧みることなく、ただ自分を捨てて人を救うことのみを願うべきであろう。人の生命を保ち、疾病を回復させ、苦痛を和らげる以外の何ものでもない。
◆ただただ、子どものために教育実践をする。安楽な生活を求めず、名声や利益を顧みない。
2.患者を診るときはただ患者を診るのであって、決して身分や金持、貧乏を診るのであってはならない。貧しい患者の感涙と高価な金品とは比較できないだろう。医師として深くこのことを考えるべきである。
◆子どもの身分や貧富に左右されないことはいうまでもない。
3.治療を行うにあたっては、患者が対象であり、決して道具であってはならないし、自己流にこだわることなく、また、患者を実験台にすることなく、常に謙虚に観察し、かつ細心の注意をもって治療をおこなわねばならない。
◆子どもは実験台ではない。自己流に陥らず、謙虚にかつ細心の注意をもって教育実践にあたらねばならない。
4.医学を勉強することは当然であるが、自分の言行にも注意して、患者に信頼されるようでなければならない。時流におもね、詭弁や珍奇な説を唱えて、世間に名を売るような行いは、医師として最も恥ずかしいことである。
◆教育について勉強することは当然であるが、自分の言行にも注意し、保護者や子供から信頼されるようでなければならない。時流におもね、珍奇な説に惑わされない。売名もしない。
5.毎日、夜は昼間に診た病態について考察し、詳細に記録することを日課とすべきである。これらをまとめて一つの本を作れば、自分のみならず、病人にとっても大変有益となろう。
◆「放課後の孤独な作業」の勧めだ。日々の実践をしっかり記録にとどめたい。
6.患者を大ざっぱな診察で数多く診るよりも、心をこめて、細密に診ることの方が大事である。しかし、自尊心が強く、しばしば診察することを拒むようでは最悪な医者と言わざるをえない。
◆心を込めて細密に子どもに接する。子どもを選ぶのは最悪な教育者である。
7.不治の病気であっても、その病苦を和らげ、その生命を保つようにすることは医師の務めである。それを放置して、顧みないことは人道に反する。たとえ救うことができなくても、患者を慰めることを仁術という。片時たりともその生命を延ばすことに務め、決して死を言ってはならないし、言葉遣い、行動によって悟らせないように気をつかうべきである。
◆「手遅れ・無理」などと口にしてはならない。万策尽きるまで手を打ち、最後まで激励を続ける。
8.医療費はできるだけ少なくすることに注意するべきである。たとえ命を救いえても生活費に困るようでは、患者のためにならない。特に貧しい人のためには、とくにこのことを考慮しなければならない。
◆教育費については、触れなくてよいか・・。
9.世間のすべての人から好意をもってみられるよう心がける必要がある。たとえ学術が優れ、言行も厳格であっても、衆人の信用を得なければ何にもならない。ことに医者は、人の全生命をあずかり、個人の秘密さえも聞き、また最も恥ずかしいことなどを聞かねばならないことがある。したがって、医師たるものは篤実温厚を旨として多言せず、むしろ沈黙を守るようにしなければならない。賭けごと、大酒、好色、利益に欲深いというようなことは言語道断である。
◆医者=教育者でそのままトレースできる。信用第一である。
10.同業のものに対しては常に誉めるべきであり、たとえ、それができないようなときでも、外交辞令に努めるべきである。決して他の医師を批判してはならない。人の短所を言うのは聖人君子のすべきことではない。他人の過ちをあげることは小人のすることであり、一つの過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになろう。医術にはそれぞれの医師のやり方や、自分で得られた独特の方法もあろう。みだりにこれらを批判することはよくない。
とくに経験の多い医師からは教示を受けるべきである。前にかかった医師の医療について尋ねられたときは、努めてその医療の良かったところを取り上げるべきである。その治療法を続けるかどうかについては、現在症状がないときは辞退した方がよい。
◆ここは正直難しい。困った同僚教師はたくさんいる。子どものために衝突する場面がないわけではない(それが12条に該当する)。しかし、安易に非難しない。特に子どもや保護者に前担任の批判は謹むべきだ。
「他人の過ちをあげることは小人のすることであり、一つの過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになろう。」
11.治療について相談するときは、あまり多くの人としてはいけない。多くても三人以内の方が良い。とくにその人選が重要である。
ひたすら患者の安全を第一として患者を無視して言い争うことはよくない。
◆指導法などの相談は、人選が重要である。ネット検索も同様で、確かな情報を入手したい。
12.患者が先の主治医をすてて受診を求めてきたときは、先の医師に話し、了解を受けなければ診察してはいけない。しかし、その患者の治療が誤っていることがわかれば、それを放置することも、また医道に反することである。とくに、危険な病状であれば迷ってはいけない。
◆10条に続き難しいところだ。担任を超えて相談があるときは、了解を得るべきだと言うことになる。しかし、その教育方針が間違っていれば放置することも教育者の道に反する。迷うところではない。
さて、こうした12戒の根底にあるのは「仁」の心であろうか。
安易ですが、ウイキで調べてみた。貝原益軒以外にもたくさん言及していることが分かった。
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医は仁術(いはじんじゅつ、「医は仁術なり」とも)とは、「医は、人命を救う博愛の道である」(広辞苑)ことを意味する格言。特に江戸時代に盛んに用いられたが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができ、また西洋近代医学を取り入れた後も、長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきた。
「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求めず。医は当(まさ)に仁慈の術に当たるべし。須(すべから)く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」(陸宜公:唐の徳宗の時代の宰相)
「大医の病いを治するや、必ずまさに神を安んじ志しを定め、欲することなく、求むることなく、先に大慈惻隠の心を發し、含霊の疾を普救せんことを誓願すべし」(丹波康頼『医心方』)
「慈仁」(曲直瀬道三『道三切紙』より第一条)
「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」
「醫は仁術なり。人を救ふを以て志とすべし。」(貝原益軒『養生訓』)
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