東野圭吾 「パラドックス13」
◆13時13分13秒、街から人が消えた。無人の東京に残されたのは境遇も年齢も異なる13人の男女。なぜ彼らが選ばれたのか。大雨と地震に襲われる瓦礫の山と化した街。そして生き抜こうとする人達の共通項が見えてくる。世界が変れば善悪も変る。殺人すらも善となる。極限状態で見えてくる人間の真理とは。◆
・・なぜ彼ら13人が選ばれたのか、ほかの人々はどうなったのか、13人は最後はどうなるのか等々、さまざまな疑問が少しずつ解き明かされていくので、手が止まらない作品だった。
ほとんど一気読み状態だった。
「東野圭吾って、こういう作品も書くんだなあ」と、改めて作者の幅の広さに感服した。
(以下、ネタバレを含みます)
登場人物の兄・誠哉は強い。彼のリードで仲間は命を繋ぎ止めることができた。
にもかかわらず、彼は元の世界に戻れなかった。
一方、もともと兄の道連れにしてパラドックスの世界に迷い込んだ弟の冬樹が、無事に生還を果たす。
この結末は、順当と考えるべきか、皮肉(アイロニー)と考えるべきか。
個人的な見解は「アイロニー」である。
それは自分が、先を見越した兄の行動に、やむをえないながらも共感していたからだ。
しかし、作者は兄を元の世界に戻さなかった。
彼の冷静すぎる判断、彼の「種の保存」の発想は、受け入れられるべきものではなかったという主張なのだろうか。
映画「ポセイドンアドベンチャー」では、沈没の避難者をリードした神父が、最後に命を落とし生還できなかった。
この神父には死ぬべき理由はなかった。その事例と重ねれば、「最大の功労者が命を落とすこと」で、より悲劇性が強まる効果をもたらしているとも言える。
本書は、生き残った13人が、1人2人と死んでいく。その死に方がそれぞれ悲しかった。
アクションやパニックの派手さはないが、人間ドラマとして作品の味わいを高めていた。
逆に言うと、とんでもない状況設定にもかかわらず、人間ドラマを読み味わう小説にしあがっていたということだ。
とんでもない設定と言えば、楳図かずおの「漂流教室」と重なるところがあった。
そこで、漫画喫茶に行って、全巻読んできましたよ「漂流教室」。
比べ読みして、また異なる印象を持つことができた。
「漂流教室」では、突然、小学校が、砂漠の中に移ってしまう(後に、それはタイムスリップであることが分かる)。
食料を巡って、生存を巡って、大人と子供の殺し合い、子ども同士の殺し合いも起きる。
その壮絶さ・悲惨さがと比べると、「パラドックス13」は、パニック小説の醍醐味は薄いことが分かる。
極限状態における人間の本心の悲惨さは、それほど出てこない。
ミルクの盗み飲みや、レイプ未遂などはあるが、その程度で押さえられているのだとすれば、作者がパニック状態を描きたかったわけでもないのだと想像できる。
大雨と地震に襲われる中で、ワインを飲んだり、シャワーを浴びたり、着替えを調達できたりするのだから、よくも悪くも「きれいで、スマートな仕上がり」になっている。
まあ、そのことを物足りないと文句をつけても仕方ない(自分が書いたわけではないのだから)。
極限状況(絶望的な状況)の中で、人はいかに生きるべきか・いかに死ぬべきか、どんな死なら受け入れらるか、安楽死・尊厳死もを含め考えさせられた作品だった。
なお、作品後半で「どうせ死ぬんだから、自分はここに残る」という気持ちになったのは、自分が決して若くないからだ。やり残したことがないわけではないが、先の読めない避難をするだけの気力がない。もっと自分の「生きるパワー」を充電しないといけないかも。
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