学級は「なかよし集団」だけでは成長しない、
初任研資料として、学級づくり・学級経営について、いろいろ探している。
例えば、有田和正先生の学級づくりに関する講演記録。
http://seinenjuku.abetaka.jp/?eid=1401073
①「どうぞ」という「思いやり」
②「ありがとう」という「感謝の心」
③おもしろい授業で子どもを鍛えれば、よい学級ができる
とある。なるほど、その通りだ。
そうした中に、何気ない記述があった。
◆『助け合い』『みがき合い』『けん制し合い』こういうことが学級経営の柱であります。◆
①「助け合い」、②「みがき合い」は分かる。
③の「けん制し合い」という箇所に引っかかった。
「けん制し合い」の意味は何となく分かるつもりだが、以下に書くのは、自己流の解釈かもしれない。
向山先生の学級経営の骨格になるキーワードが2つある。
①「一匹狼のたくましさと、野武士のごとき集団を」
②「千万人といえども吾往かん」(孟子 公孫丑上)
・・・自ら省みて正しければ,敵対者や反対者がどんなに多くとも,恐れることなく自分の信ずる道を進もう。
これは、論語の「和して同ぜず」とも重なる心意気だ。
◆君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
【意味】すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないということ。
もし、学級づくりが「仲良くしましょう・助け合いましょう」だけであれば
「出る杭は打たれないようにしよう」
「和を乱さないよう、自分の主張はほどほどにしよう」
ということになる。
それでは、仲よし集団・お友達集団はできても、強い集団はできない。
有田先生が語った「けん制し合い」は、自分の理解では「ライバル意識」である。
学級集団は、助け合う仲間ではあるが、互いに高め合うためのライバル意識を失ってはいけないということなのだと思う。
他者への依存度・自立度で考えると、「助け合い」→「磨き合い」→「牽制し合い」の3段階は、
他者依存 (強)→(中)→(弱)
自立度 (弱)→(中)→(強)
ということになるだろうか。
「助け合い」「磨き合い(高め合い)」を主張する学級・学校は多い。
しかし、「ライバル意識」を明記する学級・学校は少ない。
「孤高のススメ」ともなれば、皆無に近いだろう。
言い方を間違えると、かどが立つし、誤解も生むからだ。
そのような中で、「一匹狼の強さ」「千万人といえども~」を提唱する向山先生の学級づくりは、異彩を放っている。
今回、有田学級も同じだったのかと、改めて感心しているところだ。
むろん、生半可な追試は、火傷の元である。
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