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August 20, 2014

あらすじを書かせるにのも、手順がある

 ある研究会の講演(というか模擬授業)に参加した。
 「大造じいさんとガン」を黙読した後、

「あらすじを書いてください」

という指示があった。

 条件が付くかと思って待っていたが、無条件だった。
 無限定に書かせてわざと混乱させているのかと思ったが、そういう意図でもなかった。

◆文字数の指定がない。
◆文の数にも指定がない。

 このような荒い指示では、子どもが混乱する。
 このような荒い指示では、できない子に寄り添えない。
 自分は「はじめ・なか・おわり」の3文とした。自分が粗筋を書かせるなら、最低でもそのくらいの指定をする。
 講師の先生が指名発表させたある先生は一文だった。
 講師の先生の内心には、評価基準があるのだろう。
 しかし、それが明示されないと、書く側は混乱する。
 しかも、最後までどんな粗筋が望ましいのかは示されなかったので、自分の粗筋が適正かどうかの自己評価もできなかった。

◆文字数を示す
◆入れるべきキーワードをみんなで検討し、指定する。

という手順があるから、向山型の要約指導なら、誰もが同じような要約文を書ける。
 それは、どうしたら苦手な子にも書かせられるかを配慮した工夫である。
 このような配慮こそが「授業のユニバーサルデザイン」である。 

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August 16, 2014

身近なところに陽明学「知行合一」

◆「思いは伝えなきゃ、思ってないのと同じだ。」
キリンの「澄みきり」のCMの一節である

これは、陽明学で言うところの「知行合一」だ。
ウイキペデイアによると、

◆知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
知ることと行うことは本来一つであるという考え。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。

王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。

江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた。

ネット検索した辞書によると、

◆知行合一 意味
知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。
▽王陽明が唱えた陽明学の学説。朱熹しゅきの先知後行説に対したもの。


「“知行合一”が行動力の原点に!」と題したインタビュー記事によると、

http://diamond.jp/articles/-/1899

◆「迷ったらやる」が私のポリシーです。思っただけでは意味がない、必ず行動する。これは私が敬愛する吉田松陰の「知行合一(ちこうごういつ)」という考えからきています。
「知行合一」とは、陽明学の命題の一つで、松陰が松下村塾の掛け軸に掲げた言葉です。「知識をつけることは行動することの始まりであり、行動することはつけた知識を完成させることである。
 行なわなければ知っているとはいえない。知っていても行なわないのはまだ知らないのと同じである。知って、行なってこそ、本当の知恵、真知である」。


 かつてお世話になった上越青年会議所の2012年のテーマは

◆「自分がやらねば誰がやる」

であった。
http://joetsujc.com/2012/?p=2198

 これも、「知行合一」の発想なのだと思う。
 身近な生き様に「知行合一」がしみ込んでいるようだ。もっと調べてみよう(思うだけでなく、やらないと意味がない)。

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August 14, 2014

根性や努力でなく「システム」改善が大切である

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 再読した岡本薫氏の「日本を滅ぼす教育論議」のある一説。

 「心」や「意識」のせいにして「システム」の改革を怠っていないか?
多くの生命を犠牲にしたにもかかわらず、日本ではいまだにこうした悪しき精神主義から脱却できていない人が多く、依然として、「システムの改革」ではなく、「人の『心』や『意識』や『精神』を変える」という「手段」であらゆる問題を解決できる、と信じ込んでいる人が少なくない    (P128)

・・・教務主任として感じるのは、仕事の期日に間に合わない先生が多いのは、個人の問題か、学校のシステムの問題か」である。
 みんなで合意形成した期日を平然と守れない風潮は、「教える立場にある者」として問題がある。
 これまでは、期日を守る先生もいるのだから、仕事の遅い常連さんの意識の問題だと思ってきた。
 しかし、個々の先生の意識の問題と決めつけて、学校運営の改善を怠るわけにはいかない。
 学校運営に問題があるのか、どこを改善すると事務処理がスムーズにいくか、全職員からきちんと意見をもらおうと思っている。
 そのような自分にとって、「『心』や『意識』のせいにして『システム』の改革を怠っていないか?」という問いかけは、非常に胸にしみたのである。

 もちろん、「心」や「意識」=「やる気」のせいにしやすいのは学習も同じである。「システム」の改革に邁進したい。
高校野球の常勝チーム、大学進学の名門校など、生徒が入れ替わっても好成績が残せるのは、「意識」ではなく「システム」のおかげだ。
  「がんばる」の具体的な方策を示すことが、「システム」と言えるかもしれない。

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August 13, 2014

ワイドショーのネタは、「日本的モラリズム」の典型

 昨日・今日と、万引き犯のビデオ写真を公開するかどうかが話題になっていた。
 ビデオ写真の公開が違法なら批判すればよい、違法でないなら店主の自由意思に任せるしかない、責任は店主がとればよいのであって他人がとやかくいう筋合いではない。
 そんなことを感じたのは、岡本薫氏の言説を学んだからだ。

 先日のワイドショーでは、海水浴場周辺での若者のマナーの悪さを扱っていた。
 水着や裸足のままでコンビニに入ったり、タクシーに乗ろうとしたり、電車に乗ろうとしたりする。駅のトイレで体を洗おうとしたり着替えようとしたりする。
「迷惑ですね」「ひどいですね」というトーンのコメンテーターたち。
 しかし、「商売だから強く言えない」「今のところ条例として規制する方針はない」と当事者たちは静観していると言う。
 「条例で規制する気がないなら、どうしようもないじゃん」というのが、ルール中心の世の中の限界である。
 迷惑だと思う店舗がそれぞれ「水着お断り・裸足お断り」と明記すればよい。自分の店舗だけ禁止にすると角が立つから、商店街でまとめてルールを作ってほしいというなら、そのように動けばよい。
 「困ってます」と言いながら、何の手も打たず、商品を売っているなら、結局、お客さんの確保・利益の確保を優先しているのだということになる。
 そんなことを感じたのは、岡本氏の言説を学んだからだ。
 岡本薫氏の「日本を滅ぼす教育論議」(講談社現代新書)は読んだはずであったが、熟読していなかった。というよりも、自分のアンテナが低くて、読み取れなかったのだ。
 この夏、岡本氏の「世間さまが許さない!~『日本的モラリズムと』対『自由と民主主義』~」(ちくま書房)を読んだ。
 感服したことの一部が、「日本を~」にもきちんと書かれていたことが、再読してよく分かった。

 さて、岡本氏は次のように述べる。

◆ 一方で「個性化・多様化」を推進しておきながら、他方で「ある特定のものを大切にするという心」を「一律に育てる」というのは、矛盾している、こうしたところにも、タテマエでは「個性化・多様化」を唱えつつ、心の底では無意識に「同じ心」による「一律」を目指してしまう日本人の特性が、よく表れている。
(中略)
 したがってまずなすべきことは、「○○を大切にする心の教育」の「追加」ではなく、「行動」について、「ルールは守らなければならない」という「すべての人々に共通すること」を教えることである。
(「日本を滅ぼす教育論議」P116~117)

◆ 「自由と民主主義」の国では、言うまでもなくすべての人に自由が保障されている。39ページに示したように、人の「内心」は常に自由であり、また、ルール違反でない限り人の「行動」も自由だ。さらに言えば、人はあえてルール違反の行動をすることもあるが、その場合には、罰則が待っているだけだ。ルール違反の行動によって被害を受けた人もまた自由なので、警察に訴える自由もあるし、訴えない自由もある。訴えた場合も訴えない場合も、それなりのコスト(失うもの)は覚悟しなければならないだろう。自由を失う代償は、自分で支払わなければならない。
(中略)
 大人が「ルール違反を罰するシステム」を使おうとせず、自分の「モラル感覚」を基準にモンクだけを言い続けている・・という問題は、国際的な規模で起こっている。
(中略)
 まず第一の混乱の「原因」について言えば、その本質は、繰り返し述べてきたように、「自由と民主主義」や「個性化・多様化」によって人々の「同質性」が破壊され、「世間様のモラル基準」が機能しなくなったことにある。
 しかし多くの日本人は、さまざまな社会的混乱の原因を、「モラルの低下」だと勘違いしているのだ。人々のモラル感覚は、「低下」したのではなく、単に「バラけた」だけなのである。そもそも「自由化」「個性化」「多様化」などといったことを意図的に進めておきながら、「それはモラル感覚がバラけているのておきながら、「それはモラル感覚がバラけるという結果も招くのだ」ということに気づいていないのが不思議だが、あくまでも「モラル感覚(心)はひとつ」という「同質性」を信じぬくのが「日本的モラリズム」の特性である。
(「世間さまが許さない!」P187~193)

・・・個性化・多様化教育と心の教育・モラル教育を同時に進めるのは「アクセルとブレーキを同時に踏む」(P199)ようなものだという指摘にも、納得した。

 とにかく、この2冊をきちんと読みこんで、学校ができる「心の教育」、学校がすべき「心の教育」について、しっかり自覚したい。

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August 09, 2014

太平洋戦争をもっと知らねば

 以前、百田尚樹著『海賊と呼ばれた男』(講談社)の上巻から、石油を元にした大東亜戦争の経緯を時系列に並べてみたことがある。2012年12月のころだ。
 しかし、並べるだけでは見えてこないことが、よく分かった。

 太平洋戦争でアメリカ軍にサイパン島を奪われ、守備隊が玉砕したのが昭和19年7月7日。
 アメリカ軍は爆撃機を発着できる空港を確保したため、日本本土が空襲を受けるようになる。
「海賊~」には、次のような記述がある。

◆昭和十九年七月、サイパン島がアメリカ軍に占領された。
同島を含むミクロネシア一帯は日本が戦前から統治していた領土で、大本営はここを絶対国防圏としていた。
サイパンを奪われたことにより、日本のほぼ全土がアメリカの長距離爆撃機B29の攻撃圏内に入った。
またサイパンをめぐる戦いで日本海軍は空母3隻と数百機の飛行機を失い、太平洋の制海権を完全にアメリカに奪われていた。
この年から徴用船の戦没率が跳ね上がり、南方からの物資を運ぶ輸送船はほぼ途絶えた。
その結果、日本は石油も鉄も枯渇し、工場は壊滅的な打撃を受けた。
この年、南方から日本に送られた原油はわずかに79万キロリットルだった。
戦前アメリカから年間約500万キロリットルを輸入していたことを考えると、もはや戦争継続どころか、国民生活を維持するのも難しい状態と言えた。

・・・これが昭和19年7月である。
終戦の昭和20年ではない。前年の7月である。
絶体絶命のサイパン島陥落から約1年、日本は抗戦したのである。
それは、本土空襲の開始でもあったから、長い1年であっただろう。
サイパン陥落で結末の見えていた太平洋戦争が、その後1年続いたことで、どれほどの被害があったことか。
この1年という機関の長さについての想像が欠けていた。

◆昭和20年、アメリカ軍の空襲は全国の主要都市を焼け野原にした。
日本は文字通り焦土と化した。陸海軍は徹底抗戦を叫び、「全機特攻」を標榜したが、もはや飛行機を飛ばせる燃料はどこにもなかった。
海軍の燃料タンクはほとんど浚われ、もはやわずかな艦艇さえ動かす石油も残っていなかった。
そして8月、人類最悪の兵器、原子爆弾が広島、次いで長崎に落とされ、同月15日、ついに日本は「ポツダム宣言」受諾を、世界に向けて発信した。
このとき、日本の備蓄石油はほぼゼロに等しく、これ以上戦う力はどこにもなかった。

◆大東亜戦争は極論すれば「石油のための戦争」であった。
戦前、日本はアメリカから石油の8割を輸入していたが、それを断たれたためにアメリカとの戦争に踏み切ったのだ。
そして南方の油田を確保したが、制海権を失って、その石油を国内に還送する手段を奪われたとき、戦争継続は不可能となった。

 かつて「サンデー毎日」の「サンデー時評」で、岩見隆夫氏がサイパン島のことが書かれていた記憶があった。
なんとか、HPに残っているのを見つけた。
http://sunday.mainichi.co.jp/blog/2013/01/post-fe4d.html

===============
サイパンに米軍が上陸したのは敗戦前年の1944(昭和19)年6月15日である
この島は旧軍の大本営が設定した絶対国防圏で、海軍にとっては最重要拠点だった。
だから、海軍は総力戦を展開したのだ。
日本軍3万に対して米軍7万、19日から20日にかけてのマリアナ沖海戦では、日本側が虎の子の空母3隻を失うなど壊滅的打撃を受けた。
地上戦でも物量の差はいかんともしがたく、7月7日最後の攻防戦で日本軍守備隊は全滅、非戦闘員約1万人も道連れとなる。
 (中略)
一方、サイパン占領によって有力な航空基地を確保した米軍は、四四年末からB29爆撃機による本格的な日本本土への空襲を始めたのだ。
翌四五年八月、原爆搭載のB29が広島、長崎に向け飛び立ったのは、隣のテニアン島からである。
================

 百田氏の著作と、岩見氏のコラムを重ねると、より理解が深まる。
 なお、岩見氏のコラムには、次の記述もある。

=============
車窓の風景はのどかそのものだが、中年日本人女性のガイドさんが語る玉砕悲話は胸に刺さる。
ことに北端のバンザイクリフ(崖)、絶壁には米軍の艦砲射撃でえぐられた大きな穴がいくつも残っていた。
「みなさん、『天皇陛下バンザイッ!』って叫んで……。
女子学生は手をつないで〈仰げば尊し〉を合唱し、歌い終わったところで飛び込んだそうです。
お母さんたちも、子どもを先に投げたり、抱いたりして……」
などとガイドさんの話には次第に熱がこもり、車内はシーンとなる。
近くの空き地には、日本軍の兵器類の残骸が、放置されているのか、陳列しているのか、散らばっていた。
なかに赤茶けた小型戦車が鉄くずのようになって一台。
「これは二人乗りで、一人が操縦し、一人が射撃するのです。
あのころはクーラーなんかなく、車内は三五度くらいあったそうで、もう大変でした」と、きのうのことのように言う。
それにしても、本当に二人乗れたのかと思うくらい、小さい豆タンクだ。
米軍との物量の差を見せつけているように思えた。
「これが日本です」
というガイドさんの言葉があとまで耳に残った。
(後略)
==================

 歴史を知ることは、年号を並べることではない。
 その時、その時の人々の生き死にに思いをはせることだ。
 また、今の日本を創るために命を懸けた有名・無名の先人達に感謝することだ。
 歴史に対して、謙虚でなければならないと、つくづく思う。
 夏休みは、先の戦争をしっかり学び直すよい機会である。

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中国の食品偽装報道に、偽装の疑いはないか?

 7月の話題になるが、上海福喜食品という中国の企業が、消費期限の切れた鶏肉を使用している映像が報道された。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=102256

 日本マクドナルドとファミリーマートは22日、中国・上海の食品加工会社が保存期限を過ぎた鶏肉を使用した可能性があるとして、この食品加工会社が製造したチキンナゲットの販売を中止したと発表した。
 両社が取引していた食品会社は「上海福喜食品」。
 日本マクドナルドによると、この食品会社から「チキンマックナゲット」の約2割を調達し、関東を中心に1340店で販売していた。保存期限切れの鶏肉だったかどうかは不明という。取引中のタイや中国メーカーからの調達を増やし、ナゲットの販売自体は続ける。
 一方、ファミマはナゲット2商品の販売を中止した。「ガーリックナゲット」は今月1日から全国約1万店で販売し、「ポップコーンチキン」は21日から関東10店舗で試験販売していた。
 この食品会社を巡っては、中国のメディアが保存期限が過ぎた食肉を販売していると報道していた。中国内の取引先と報じられたケンタッキー・フライド・チキンやスターバックス、セブン―イレブンは、いずれも日本国内の店舗では扱っていないと運営会社などが説明している。
 日本マクドナルドは2002年から、この食品会社のナゲット用の鶏肉を仕入れており、「あってはならない事態で、ご心配をおかけし、大変申し訳ございません」(広報)としている。
(2014年7月23日 読売新聞)

・・・私の第一感は、「あるテレビ放送の動画しか流れてこないが、これは事実なのか(「やらせ」の可能性はないのか)、裏は取ったのか?」であった。
 中国の食品工場は信用ならないと訴えるその映像は中国のテレビ局のものだ。
 中国のテレビ局の動画は信用できるのか?と素朴に感じていた。
 検索していくと、早い段階で「やらせ」を疑う発信もあった。

(1)
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51429359.html
2014年07月23日11:49
中国食品偽装の「潜入取材」は本当に「極秘」だったのか

◆◆◆
「検査が終わり、マクドナルドのスタッフが立ち去った直後に、また不正をしているシーンがありましたが、あまりにも露骨な不正行為が、あっけらかんと映っていました。
思わず、これは、「やらせ」ではなかったのかという疑念を感じたのです。
◆◆◆

(2)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140727/chn14072707000002-n1.htm

期限切れ鶏肉問題 外資たたき? やらせ? 飛び交う陰謀説
2014.7.27 07:00 (1/2ページ)[中国ネットウオッチ]

◆◆◆
中国上海市にある食肉加工会社「上海福喜食品」が7月中旬、マクドナルドなど外資系大手ファストフード店に期限切れの肉を使用した商品を供給していたことが中国メディアに報道され、食の安全問題への関心が一気に高まった。
中国国内のインターネットに「もう何も食べられなくなった」といった不安の声が多い一方、「食の安全問題で外資系だけがクローズアップされるのはおかしい」「政府の陰謀かもしれない」といった意見も寄せられた
(中略)
しかし一方、テレビの潜入取材の映像があまりにもきれいに取れていることから「これは盗撮ではなく、やらせではないか」といった意見もみられた。
また、上海福喜食品は中国人が経営する大手レストラングループ「小肥羊」などにも商品を提供しているのに、中国メディアはほとんど伝えなかった。
さらに、テレビニュースの中に「だから外国資本の企業は信用できない」「これからは中国の店を使いたい」といった街頭で取材した市民の声を繰り返してながしていることから、「目的は外資系たたきではないか」と推測する声多かった。
◆◆◆

(3)http://blog.goo.ne.jp/gnishiki/e/23c673e944771e5d4687c30b46e267bb

◆◆◆
上海福喜食品の食肉問題、中国当局やらせ疑惑の報道こそジャーナリズム
2014-07-31 11:56:10
中国福喜食品の工場内を潜入取材したと上海のテレビが報道したことで、中国食品に対する安全性の問題、従業員のモラルの問題がもっぱらわが国のマスメディアで取り上げられ報道されてきたが、私が最初にこのニュースを見たとき、潜入取材で従業員と会話までするあんな映像が取れるわけがないと思っていた疑惑を昨日のBSフジのプライムニュースが取り上げてくれた。
中国の場合、メディアにはすべて共産党政権の息がかかっているわけで、報じるも報じないも政権側の意図、さじ加減次第、捏造までしても世論誘導することは常識だが、この問題の扱いで、そうした点からの疑惑をもって報道したマスメディアを新聞、テレビでこれまで見なかった。
わが国のマスメディアの報道レベルの低さを示し、仕方ないかなとあきらめていたのだが、フジテレビの昨日のプライムニュースには救われた思いがし、このような視点から適切な出演者を選び、分かりやすく報道した点は高く評価したい。こうした報道こそ、ジャーナリズムである。
◆◆◆

・・・実際のところは分からない。
しか、し「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」がまかり通っていない現実の中では、自己防衛として「鵜呑みにしない・疑ってみる」を習慣づけるしかない。

ニュース報道を見て、単純に感動したり、憤慨したりすることがある。
まんまと騙されるのも「自己責任」であることを肝に銘じ、冷静な判断に努めたい。

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改めて「メデイアリテラシー」の大切さ

 朝日新聞に「従軍慰安婦」の証言を載せた吉田清治。
 以前から世紀のペテン師とも呼ばれていた。
 「3年間で6000人の朝鮮人を強制連行した」という証言は、のちに自分が創作だと認めたはずなのだが、
報道した朝日新聞は20年も放置した。今となっては「捏造記事」であったのだと言われても仕方ない。
 しかし、多くの人は、従軍慰安婦の様々な議論の中で、吉田清治証言の怪しさを分かっていた。
 なかなか認めなかった朝日新聞もどうかと思うが、今まで、吉田証言を信じていたのだとしたら、世間知らずとしか言いようがない。

 さて、同じく朝日新聞が6月に報じた「長崎被爆者の語り部」の話題。
 語り部の老人に「死にぞこない」と言い放った中学生の言動に批判が集中したが、
どうやら別の見方もできるようだ。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4693711.html

http://news.livedoor.com/article/detail/8926866/

 作家の竹田恒泰氏がTwitter上で、被爆の語り部として活動する森口貢(みつぎ)さんへの批判を展開した。
5月27日、森口さんら被爆者が、長崎を訪れた横浜市の公立中学校の生徒らを、爆心地周辺の被爆遺構を案内していたところ、グループから離れて行動していた数人の生徒が「死に損ないのくそじじい」と大声で叫んだという。
7日には、この件で森口さんが学校に抗議していたことが複数のメディアで報じられていた。
竹田氏は10日にTwitterでこの事件に触れ「年寄りに暴言は良くない。」とコメント。
しかし、続けて「だが語り部の森口貢氏は、被爆していないのに被爆者を自称して一時間一万円で生徒に被爆体験を語るふりをし、実際は反日思想を植え付ける話をしていた模様。
平和教育はもうやめたほうがよい」とつづり、森口さんの「語り部」活動を批判した。
その後、竹田氏は「たしかに森口貢氏は、原爆投下11日後に長崎市に入ったため、法的には被爆者とされる。」と投稿し、森口さんが「被爆者」であることは認めたものの、「彼が見てもいない原爆投下の実態について、被爆者として、しかもそれを有償で生徒に語るのはおかしい。
天皇の戦争責任、首相の靖国参拝批判など、一方的な政治思想を押し付ける平和教育ならやめるべき。」と、森口さんの語り部としての活動については批判する姿勢を崩さなかった。
続けて「森口貢氏がやっていることは、平和教育の名を借りた反日教育である。修学旅行で平和教育をすること自体、弊害が生じていることに、そろそろ気づくべきだ」と、森口さんの活動を「反日教育」と断じた。

・・・意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることが、マスメデイアの役割であろう。
 簡単に個人を糾弾し抹殺する力がある「強権力の保持」を肝に銘じ、常に謙虚な姿勢で取材してほしい。
 その一方で、我々も大新聞報道だからと鵜呑みにする態度を改めなくてはならない。
 大新聞の報道をまんまと鵜呑みにした場合、その責任は自分である。

 宮部みゆきの『ペテロの葬列』を読了した。
 実際に存在した詐欺商法の手口が不気味だった。
 ここでは示さないが、youtubeで、「自己啓発」などと検索すると、ホワイトボードを駆使して雄弁に語る動画などがよく出てくる。
 今なお言葉巧みに人をだます人が多く、また、だまされる人が多い。
 「ペテロの葬列」では「悪の連鎖」が起きる。顧客となって出資した被害者が、新たな出資者を誘い加害者になっていく。だまされた側が今度はだます側に変わっていくことで、被害者がどんどん拡大していく。
 そのような世の中の恐ろしさを感じさせる一冊だった。

 
 「悲韓論」を読んで、国が滅びないためには「だまし討ち」もやむを得ない国があることを知った。
 そのような国を非難するのではなく、平気で嘘をつく国であることに理解して付き合っていく方策を練るしかない。

 我々は、学校教育の現場で
◆「事実と意見」の見分けを教え、
◆「正しい歴史の原因と結果」を教え
◆「嘘の存在・嘘を見ぬくスキル・嘘と付き合うスキル」を教えなければならない。

 「だまされない」ためのスキルは、「実社会を生き抜く」生きるための大事なスキルである。

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