あらすじを書かせるにのも、手順がある
ある研究会の講演(というか模擬授業)に参加した。
「大造じいさんとガン」を黙読した後、
「あらすじを書いてください」
という指示があった。
条件が付くかと思って待っていたが、無条件だった。
無限定に書かせてわざと混乱させているのかと思ったが、そういう意図でもなかった。
◆文字数の指定がない。
◆文の数にも指定がない。
このような荒い指示では、子どもが混乱する。
このような荒い指示では、できない子に寄り添えない。
自分は「はじめ・なか・おわり」の3文とした。自分が粗筋を書かせるなら、最低でもそのくらいの指定をする。
講師の先生が指名発表させたある先生は一文だった。
講師の先生の内心には、評価基準があるのだろう。
しかし、それが明示されないと、書く側は混乱する。
しかも、最後までどんな粗筋が望ましいのかは示されなかったので、自分の粗筋が適正かどうかの自己評価もできなかった。
◆文字数を示す
◆入れるべきキーワードをみんなで検討し、指定する。
という手順があるから、向山型の要約指導なら、誰もが同じような要約文を書ける。
それは、どうしたら苦手な子にも書かせられるかを配慮した工夫である。
このような配慮こそが「授業のユニバーサルデザイン」である。
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