「子どもにさせようと思うことは自分がやらないと絶対にダメです」
6年の国語(光村)の「カレーライス」に、次のような課題がある。
・心情を想像させる
・気持ちの変化がわかる部分を見つけさせる
・どんな意味があるのか、みんなで話し合わせる
・感想をまとめさせる
どの教材でも同じだが、物語教材の学習に手引きには心情を想像させる課題が多い。
しかし、それぞれ、どこまでの分量、どの程度の精度を求めているのか。そこが決まらなければ、「できた・できない」の評価規準も決まらない。
「とりあえず書かせてみる」
「子供が書いた文章から評価基準を決める」では、いかにも後付けである。
「指導者はどこまで求めているのか」、
「指導者自身は、書いてみたか?」
が課題になる。
光村の指導書「説明文編」P2には、次のようにある。
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子どもにさせようと思うことは自分がやらないと絶対にダメです。(中略)これを作るために、わたしは倍ほど書いています。
一度ではなかなか自分の満足できるものは書けないと分かります。
だから子どもにさせるときも、三回目ぐらいで納得いくものが書けるだろうと予測して用意します。
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教師も、自分の力で書いてみることだ。
そこで、『カレーライス」の中で一番大事な課題である「『甘口』『中辛』にこめられた意味」について、自分もチャレンジしてみた。
大雑把に考えると、次のようになる。
◆「甘口」は「子ども」、「中辛」は「ちょっと大人」のこと。(30文字弱)
さすがに、これでは足りないだろう。
では、どの程度の分量を書いたら満足な解答となるだろうか?
分析批評の評論文を読むと、文中の言葉を引用した次のような文章が目立つ。
「○○と書いてある。このことから△△であることが分かる」
これは宇佐美氏の論文でも同じだ、正確な引用の上に自説を主張することが大事だからだ。
特に今回は「象徴」の解釈だ。
「○○と書いてある。このことは、△△であることを表している」の構造が最適だろう。
あえて20字ずつに区切って、原稿用紙換算してみた
◆父は、ひろしはまだ「甘口カレー」を食べ
ていると思っていたが、知らない間に「中辛
カレー」を食べていた。このことは、父の知
らない間にひろしが「子ども」から「大人」
に成長していたことを表している。
父は、ひろしが中辛カレーを食べる年頃に
なったことを心から喜んでいる。このことは、
父親がわが子の成長を喜ぶ姿を表している。
ひろしが父に反発していたのは、自分がい
つまでも甘口カレーを食べる子どもだと思わ
れていたからだ。
ひろしは、今まで父から甘口カレーを作っ
てもらってばかりであったが、自分からカレ
ーを作ると言い出した。しかも、これを機会
に自分がすでに中辛カレーを食べている事実
を父に伝えた。これは、自分はもう子どもで
はないこと、子ども扱いされたくないこと、
父に対等に扱ってほしいという宣言であるこ
とを表している。
・・・19行。
何度も同じような引用部があって、自分でもくどいと思うが、トレーニング段階なので仕方ない。 「表している」という言い回しが多いので、変えてみる。
◆父は、ひろしはまだ「甘口カレー」を食べ
ていると思っていたが、知らない間に「中辛
カレー」を食べていた。このことから、父の
知らない間にひろしが「子ども」から「大人」
に成長していたことが読み取れる。
父は、ひろしが中辛カレーを食べる年頃に
なったこと、つまり、わが子の大人への仲間
入りを喜んでいる。
ひろしは自分がいつまでも甘口カレーを食
べる子どもだと思われて、父に反発していた。
それでも、自分でカレーを作ることができず、
まだまだ子どもであった。
そこで、ひろしは、自分から父にカレーを
作る機会をとらえ、自分がすでに中辛カレー
を食べている事実を父に伝えた。これは、自
分はもう子ども扱いされたくないこと、父に
対等に扱ってほしいという宣言であることを
表している。
教師がまず書いてみる、このトレーニングは欠かせない。
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