古賀氏の世論操作術
名古屋JCの企画で、古賀茂明氏の講演に行ってきた。
テレビで見る古賀氏を改革派の賢い人だなあと思っていたので、直接話を聞ける機会を楽しみにしていた。
しかし、古賀氏のすべてを否定する気はないが、安倍政権に対する批判には不満が残った。
古賀氏は、9月に新書を出した(ことを知らなかった)。
◆国家の暴走~安倍政権の世論操作術◆
ずいぶん強引なタイトルである。
講演の最後に、政策の対立軸として、「戦争のできる国家」と「平和な国家」を仕立て、集団的自衛権を認めた安倍政権を「戦争のできる国家」と批判した。
本書の解説にも次のようにある。
◆日本人にとって”今、そこにある危機”それは日本が[戦争のできる国」となり「戦争なしでは生きられない国」となること。
安倍政権の世論操作による”国家の暴走”はどうすれば食い止められるのか?
http://www.kadokawa.co.jp/product/321402000230/
「集団的自衛権の行使できる国」が「戦争のできる国」であるという表現までは理解できる。
しかし「戦争なしでは生きられない国」とまで言うのは、明らかにすり替えであり、ミスリードである。
このような批判(非難と曲解)こそが、世論操作ではないか。「元官僚の暴走」という言葉でお返ししたい。
世論操作術ともいうべき、こうした書籍が何十万部と売れることこそが「国家の危機」である。
「集団的自衛権の容認」を「平和な国家」と対立させる安易な二元論もどうかしている。
それを言うなら「日本は、他国の危機にも救いの手をのべない一国平和主義」という批判に正対できない。
国民に戦争で死者が出ることは確かに避けたい。
では、ノーベル平和賞であれほど持ち上げたマララさんのような人達を救えない国家でよいのか。
「戦争で国民が犠牲にならない日本」は、極端に言い換えれば、「友好国の国民を見殺しにする日本」である。
そもそも今の世の中で問題になるのが、戦争でなく、紛争である。この違いは大きい。
集団的自衛権の容認を急いだ手続き上の問題はある。
そうした手続きの問題と、集団的自衛権の意味をひっくるめて否定する議論は生産的でない。
将来の日本に関わる問題であり、子どもたちにも関わる問題だ。
小学生にも伝わる形で説明できるよう、もう1度学び直したい。
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