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December 31, 2014

発問づくりの気概~再び「大学受験のための小説講義」より~

 名古屋で行われた伴一孝先生の年末セミナーで、国語の発問づくりを学んだ。
 これを石原千秋の「大学受験のための小説講義」(ちくま新書)を重ねてみると、新たな発見があった。
 「大学受験の小説講義」は、以前も読んだ本なのだが、全然身に付いていないことが分かって愕然とした。

 【テキストを読めばすぐに答えられる問いもあれば、どうやっても答えようもない問いがある】という流れを受けて、次のような記述がある(P176から177)。

◆すぐれた小説の読者は、「なかなか答えられない問い」をテキストに巧妙に仕掛けていくものだ。もちろん、「なかなか答えられない問い」は「まったく答えられない問い」ではない。考えようによっては答えることの出来る問いなのである。そして、それに答えることによってテクストはより深く読みこまれる。そういうレベルにある問いだ。

・・・この「小説の読者」は「教師」に置き換えられる。
教師の役割を次のように考えた。

「①テキストを読めばすぐに答えられる問い」を布石にしながら
「②なかなか答えられない問い」をメインに持ってくる。
そして、子どもたちから列挙される「③まったく答えられない問い」は、適当にスルーして授業の進行をリードする。
教師の発問に答えさせることによって、テクストはより深く読みこまれる。

 石原氏は、次のように言う。
◆「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る読者がすぐれた読者だ」

・・・子どもたちが「すぐれた読者」になることが望ましいが、まずは、教師が先だ。次のように置き換えられる。

★「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る教師がすぐれた教師だ」★

 ただし、教師は「すぐれた読者」で終わるわけにはいかない。
 石原氏は次のように言う。

◆ただし、研究者は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、一般の読者と同じレベルの読み込みしかできないからだ。研究者にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた問いだと言えるだろうか。

・・・向山先生や高段者の先生の授業で驚くには、その発問の見事さである。
 ということは、「研究者」は「教師」に置き換えられる。
 念のためトレースして提示する。

★教師は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、子どもと同じレベルの読み込みしかできないからだ。教師にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた発問だと言えるだろうか。
・・・先に示した教師の役割が次のように変更できる。

①「テキストを読めばすぐに答えられる問い」でホップ
②「なかなか答えられない問い」でステップ
③「まったく答えようのない問い」に近づいてジャンプ

・・・「まったく答えようのない問い」に近づいた問いについて、石原氏は次のように言う。

◆それはほとんど「誤読」に近いが、「誤読」に少しでも触れる冒険を経験しないような読みは、研究者にとっては読みの名に値しない。研究者はたとえてみればテストパイロットのようなもので、テクストの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

・・・この「研究者」を「教師」に置き換えるつもりでチャレンジしていきたい。

テクストの可能性を限界まで引き出し、子どもの読みの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

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December 25, 2014

教師は謙虚に学び続ける存在

 サークルの例会に参加すると、メンバーの1人が同学年の先生と校内サークルのように授業準備をしている話をよく聞く。
 校内で授業検討できるのは素晴らしい環境である。
 いつも
「あの子は授業が私よりうまい。」
「賢い子だからセミナーに参加しなくても何でもできちゃう」
と言われる。
 それはそうなのかもしれない。
 しかし、自分は、それでも「ちょっと違う」と思う。
 授業は、そんなに簡単なものではない。
 名人と呼ばれる先生でさえ、なお学び続ける世界である。
 いくら賢くても要領がよくても、そんなに簡単に授業ができてなるものか、と思う。
 自分のこれまでの勤務校を振り返ってみても、何かと自信たっぷりな発言の人がいたが、謙虚に学んでいるようにはみえなかった。子ども相手のに知識を切り売りしているからだろうか、特に、困り感もない。
 「覚えないのは子どもが悪い」
 「あれだけ言ったのにできないのは、子どもが悪い」
と自分の教え方への反省をしないのであれば、困り感もわいてこない。

 
 ネットのイージーな引用で恥ずかしいが、次の言葉がある。
◆◆◆
 釈尊もまた『発句経』で説かれています。
「たとえ愚かな者であっても、自分は愚かであると知っている者は賢者である。愚か者であるのに自分は賢いと思い込み、そのように振る舞う者がいたら、それこそ本当の愚か者といわなくてはならない」

「自分のわからないことがある」と知っているから向上心が生まれ、「自分の理解できないことがある」という思いから尊敬の気持ちや謙虚な心が生まれます。

http://www.geocities.jp/koyappy_rkk/library/library06.html
◆◆

 人に教える仕事である。
 研究と修養は、教育公務員の法的な義務である。
 謙虚に学ぶこと・たえず学び続けることなしに、教壇に立つことは許されない。

 慢心すれば終わりである。

人生は死ぬまで修行である。

 そんなわけで、自分は「知らないことの畏れ」という言葉を大事にしている。

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December 24, 2014

トヨタの「MIRAI」を見てきました!

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 日本初の燃料電池車、トヨタのMIRAIをこの目で見てきた。
といっても名古屋駅前のショールームにある展示車を見て、乗り込んでみただけ。
さすがに試乗はしていないし、エンジンも動いていない。
ボンネットを開けていいですかとも聞けなかった。
第一印象は、普通の車である。
あまりに普通の車でありながら、水素燃料の車であるというところが逆にすごい。

秋頃、「燃料電池」について調べていた。水素自動車のことも含まれていた。
しかし、実物も見ていない。トヨタの人に直接聞いてもいない。
ネットやテレビ、いくつかの書物をまとめただけの極めて安易な代物だった。

レポート作成直後に、ミライの正式発表があり、新聞では、燃料電池車の詳しい特集記事が出た。
すると、自分が調べた燃料電池の関するウンチクは、あっさり網羅されていた。
まさに惨敗状態であった。

とはいえ、「いつか」に備えて、その後も燃料電池(水素エネルギー)については、その後もアンテナを張っている。
できるだけ早い段階で、試乗のチャンスもゲットしたい。

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December 23, 2014

ヤフーの強さは見出しのすごさ!

ネットニュースの見出しは最大13文字の制限がある。
この13文字の見出しで、いかにユーザーをひきつけてクリックさせるか、
そこが勝負だから、ヤフーでは新聞編集経験者を引き抜いて、見出しを作らせている。
「言葉」で勝負するすごい世界だ。

11月27日の「カンブリア宮殿」は、「ヤフージャパン」の特集だった。

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20141127.html

カンブリア宮殿は、いつもすごいのだが、この回もすごかった。

◆◆
東京ミッドタウンで最大フロアを占めるヤフー。
その従業員数は、日本のネット企業では屈指の多さ6800人(連結)を超え、日本で最もアクセスの多いサイトYahoo!JAPANを運営している。
番組では、その知られざる社内に潜入。 日々200を超えるメディアから入ってくるニュースの見出しを独自に編集することで、大手新聞の存在感を超えつつあるYahoo!ニュース、サービス開始後の落札総額8兆5000億円、年間1000万人が利用するヤフオク。 そして、データサイエンティストと言われる専門家たちが、集めたビッグデータを分析し、サイトの収益を上げる戦略から選挙予測まで様々なことに役立てているDS本部までを徹底取材。
◆◆

この「ニュースの見出しを独自に編集する」が、冒頭の13文字の戦いのくだりだ。

かつて、『映画字幕は翻訳ではない』(早川書房)で、字幕の文字制限も知った。

映画の字幕は観客の文字を読むスピード(1秒間約4文字といわれています)に合わせて作られるため
縦書きでは10文字、横書きでは2行で26文字という字幕表示の制限もあったはず。


「内容がよければ見出しなんて、どうでもいい」というのは非生産的な言い訳だ。
見出しにも配慮できない人間が中身に配慮できない 。
では、今回の見出しをどうするか。

①見出しにも最大限の注意を払う
②見出しがクリック数を左右する
③見出しはクリック数に影響する
④閲覧されるかどうかは見出しで決まる

文字数を強調するか。

⑤13文字の見出しに最大限の注意を払う
⑥見出しの13文字が閲覧数を左右する
⑦13文字がクリック数に影響する
⑧閲覧数は13文字で決まる


だめだな。「ヤフー」を出さないとインパクトがない。

⑨ヤフーの強さは見出しの工夫
⑩ヤフーの強さは見出しのすごさ
⑪見出しで勝負するヤフーのすごさ

いろいろ練ったが「ヤフーの強さは見出しのすごさ」というちょっとした反復型を選ぶことにした。

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December 20, 2014

「探究的な学習」は「総合」の専売特許ではない。

 「習得「-「活用」ー「探究」という学習の流れは承知していたが、「探究」については、あまり真剣に考えてこなかった。
 「探究」以前にやるべきことが山積みだからた。
 「学習指導要領」には、次のような記載がある。

◆各教科では、基礎的・基本的な知識・技能を「習得」するとともに、
観察・実験をしてその結果をもとにレポートを作成する、文章や資料を読んだ上で知識や経験に照らして自分の考えをまとめて論述するといったそれぞれの教科の知識・技能を「活用」する学習活動を行う。
それを総合的な学習の時間等における教科等を横断した問題解決的な学習や「探究」活動へと発展させる。

・・・「総合的な学習」にウエイトを置かない限り、「探究的な学習」までは考えなくてよいと勝手に判断していた。
 しかし、文科省の冊子「今、求められる力を高める総合的な学習の時間の展開(小学校編)」を読み直して、意識を変えざるを得なくなった。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/1300434.htm

 第1章の第2節に「探究的な学習における学習指導」のページがある(P17から19)。

◆総合的な学習の時間の改訂の趣旨を実現するためには、問題解決的な活動が発展的に繰り返される探究的
な学習とすること、他者と協同して課題を解決する協同的な学習とすることが重要である。加えて体験活動
を重視するとともに、思考力・判断力・表現力等をはぐくむ言語活動の充実を図ることが欠かせない。

◆探究的な学習とは、図のような問題解決的な活動が発展的に繰り返されていく一連の学習活動である。

①【課題の設定】 体験活動などを通して、課題を設定し課題意識をもつ
②【情報の収集】 必要な情報を取り出したり収集したりする
③【整理・分析】 収集した情報を、整理したり分析したりして思考する
④【まとめ・表現】気付きや発見、自分の考えなどをまとめ、判断し、表現する

・・・「探究的な学習」の4つの学習活動を見ても、今までは感じなかったのだが、
「考えてみれば向山実践には、探究的な学習があるじゃないか!」
と気が付いた。

①「かける」の授業は、「かける」の用例をたくさん収集し、【整理・分析】して、自分の考えとして【まとめ・表現】させている。

②分析批評の「対比」の授業は、文中からされている表現を集め【情報の収集】【整理・分析】(関連付け・意味づけ)をして主題に迫り、【まとめ・表現】させている。

③理科の「磁石」の授業は、浴びるほどの体験を通して【情報の収集】をし、【整理・分析】した結果を【まとめ・表現】させている。

・・・「総合的な学習」がない時代に、各教科の特性に応じて、【課題の設定】【情報の収集】【整理・分析】【まとめ・表現】という「探究的な学習」の積み上げてきた向山実践に今さらながら驚いてしまう。上記の実践に憧れたのは、「探究的な学習」も持つ知的なダイナミックさに惹かれたからだ。
 「探究的な学習」は、「総合」の時間でしか取り組まなくてよい、わけではないことをきちんと理解したい。

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December 14, 2014

教師は「将来選挙に行く子」を育ててきたか!

かつて、ミスター文部省と言われた寺脇研氏の講演の中で、次のような言葉があった。

◎いくら歴史の年号を覚えさせたって、過去の歴史から学ばない子では意味がない。

◎いくら小選挙区制を覚えさせたって、選挙に行く子を育てなければ意味がない。


 総合的な学習がスタートする頃の話だ。
「知識は活用されなければ意味がない」という「総合」のコンセプトを語っていた。

 選挙に行くことは「民主主義」の根幹だ。
 若者の投票率の低下は、われわらが義務教育で「投票の意義」を教えてきたかが問われている。

 我々は将来選挙に行く子を育てなければならない。
 我々教師が選挙に行くことは、大前提だ。
 投票に行かない教師は「信用失墜行為」だと思うくらいである。

 では、これかから、投票に行ってまいります。

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December 03, 2014

付箋紙を活用した思考整理法

 今年度の全国学力調査小学校国語B②で、「付箋」の利用した場面が出題された。

https://www.nier.go.jp/14chousa/pdf/14mondai_shou_kokugo_b.pdf

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 分かったことや気づいたことのメモ書きとして付箋が使われている。そのような利用の仕方を推奨しているということになろう。
 春日井市の多くの学校では、授業研究の協議会で2色の付箋紙を使っている。
 「1枚に1項目の内容を書く」ので、追加や修正が簡単である。付箋紙法というかKJ法というか、そのあたりはよく分からない。

①順序は並べ替えられるので、思いつくままに書けばよい。
②追加が簡単である。

というわけで、覚え書きには重宝である。
 しかし、まだまだ自分の活用の仕方はまだまだだなあと思っている。

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さて、ある企業のWEB。インターンシップも学生がプランニングした際のホワイトボードの様子が写っている。
 色別の付箋を、分類し、順序づけている。
 画像から読み取ると、「プラン」「問題」「キープ(保留)」などの項目がある。

 なるほど、付箋はこうやって使うのか!
 
 プランニング(知的生産)、ブレーンストーミング、アイデア・企画・発想・情報の収集と整理に、付箋紙の活用が有効だということができるだろうか。

 思考ツール・思考整理のツールとして、付箋の役割は大きい。
 ビジネス書を中心に、しっかり情報収集したい。

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December 02, 2014

中教審の答申「アクティブ・ラーニング」

 11月20日 文部科学大臣下村博文氏の名前で中央教育審議会「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」が出された。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1353440.htm

 なるほど、次期指導要領に向けて、いろいろ書いてある。

◆特に学力については,学校教育法第三十条第二項に示された「基礎的な知識及び技能」,「これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力」及び「主体的に学習に取り組む態度」の,いわゆる学力の三要素から構成される「確かな学力」をバランス良く育てることを目指し,教育目標や内容が見直されるとともに,学級やグループで話し合い発表し合うなどの言語活動や,各教科等における探究的な学習活動等を重視することとされたところです。

◆新しい時代に必要となる資質・能力の育成に関連して,これまでも,例えば,OECDが提唱するキー・コンピテンシーの育成に関する取組や,論理的思考力や表現力,探究心等を備えた人間育成を目指す国際バカロレアのカリキュラム,ユネスコが提唱する持続可能な開発のための教育(ESD)などの取組が実施されています。

◆そのために必要な力を子供たちに育むためには,「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと,「どのように学ぶか」という,学びの質や深まりを重視することが必要であり,課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や,そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。

◆育成すべき資質・能力を確実に育むための学習・指導方法はどうあるべきか。その際,特に,現行学習指導要領で示されている言語活動や探究的な学習活動,社会とのつながりをより意識した体験的な活動等の成果や,ICTを活用した指導の現状等を踏まえつつ,今後の「アクティブ・ラーニング」の具体的な在り方についてどのように考えるか。また,そうした学びを充実させていくため,学習指導要領等において学習・指導方法をどのように教育内容と関連付けて示していくべきか。

◆育成すべき資質・能力を子供たちに確実に育む観点から,学習評価の在り方についてどのような改善が必要か。その際,特に,「アクティブ・ラーニング」等のプロセスを通じて表れる子供たちの学習成果をどのような方法で把握し,評価していくことができるか。

・・・意図的に抜粋したが、新聞報道では「アクティブラーニング」が話題の中心になっていた。

【アクティブ・ラーニング】
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/10/04/1325048_3.pdf

 中央教育審議会(2012年8月28日)の報告書は次のようにあったそうだ。

◆「生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。
従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベー トといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進 めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである」
【出典】『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)』
 平成24年8月28日中央教育審議会

・・・ただ、「アクティブ・ラーニング」は、もともと大学教育の提言であった。
 たとえば、産業能率大学のPR。
◆本学では、かねてより「一人ひとりの学生を社会人として着実に育てる」ことを目的に、授業をつくってきました。現実社会を想定したグループワークやプレゼンテーションによる学習、企業とのコラボレーションなどは、その一例です。このように長年にわたり、本学が独自に培ってきたスタイルが、新しい時代にふさわしい学習方法として教育界の注目を集めています。
http://www.sanno.ac.jp/exam/learn/active/info.html

 たとえば、河合塾の調査PR。
◆「学習者中心の教育」の鍵を握るのが「アクティブラーニング」という授業形態です。アクティブラーニングとは「能動的な学習」のことで、授業者が一方的に知識伝達を行う講義スタイルではなく、課題研究やPBL(project/problem based learning)、ディスカッション、プレゼンテーションなど、学生の能動的な学習を取り入れた授業形態のことを指します。アクティブラーニングを授業に取り入れることで、専門知識の定着とその活用力を涵養させ、またその学習プロセスを通してスキル・態度などの汎用的技能(ジェネリック・スキル)も育成するような効果が認められています。

http://www.kawaijuku.jp/research/activelearning/index.html#activelearning01

 高校向けの冊子もあった。
◆近年、大学では「アクティブ・ラーニング」と総称される学習スタイルが盛んに導入されている。(中略)
また、「アクティブ・ラーニング」は主に高等教育の場で用いられる用語だが、それに総称される学習スタイルは、高校でも各教科および総合的な学習の時間の中で行われている
http://www.keinet.ne.jp/gl/10/11/kaikaku_1011.pdf
 
 ただし、この冊子には、次の指摘もある。

◆しかし現状は、学生にただ、座学以外の活動をさせているに留まっている例が少なからず見られます。そのような知にこだわらないアクティブ・ラーニングは、浅薄なものにしかなりません。


・・・大学でも小・中・高校でも、「活動あって指導なし」の危険をはらむことは同じだ。
 問題解決学習と同じだ。
 「大学教育のあるべき姿」と言われるような学習形態を小学校に持ち込むのは「基礎段階の相手に活用させる」ことになる。
 またまた、「活動あって、指導なし」の「はいまわる経験主義」の復活になるのではないだろうか。
 それでも、この風潮を「学び合い」が追い風にでもしたら、困ったものである。
 

『生活科の学習の成立と評価』(日本教育新聞社)より抜粋引用
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教師中心主義を批判する立場で戦後に展開されたのが、アメリカの経験主義教育論を理論的背景とした児童中心主義の教育であった。
ここでは、それまでの教師中心の授業に対して、あまりに実生活からかけはなれ、子どもたちの興味・関心を軽視していた点を指摘されたのである。
そして、学習は、「生活により経験から学ぶ」ものであり、「為すことにより学ぶ」ことであるとされ、子どもの経験や興味・関心を根底とした自発的な活動が重視されたのであった。
しかし、この時期、教師による一方的な知識注入を指摘することは正解であったものの、それがあまりに子どもの興味関心や身近な生活経験を重んずるあまりその反動として教師の指導的役割が軽視されることとなった。それが後には、世間一般より、現状適応主義、「はいまわる経験主義」等の批判を受けることになり、結果として基礎学力の低下などの社会問題を引き起こし、新教育運動は衰退の道を歩んだのであった。

【戦後新教育運動より生活科へ生かすもの】
アメリカの経験主義教育論を理論的背景にした、戦後の新教育運動は結果として「はいまわる経験主義」などの批判を受け、系統学習が主張されるようになった。
しかし、新教科生活科が誕生した現在において当時の実践を見直した時、そこには、生活科が学ぶべき多くのものが存在していることに改めて気付くのである。
特に重要なことは、「為すことによって学ぶ」教育の重要性である。
「はいまわる経験主義」などと、経験学習に向けられた当時の批判は、実はデューイの経験のとらえが子どもの生活の領域に限定され、子どもの活動が絶対化された点に対して向けられたものであったというとらえである
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