発問づくりの気概~再び「大学受験のための小説講義」より~
名古屋で行われた伴一孝先生の年末セミナーで、国語の発問づくりを学んだ。
これを石原千秋の「大学受験のための小説講義」(ちくま新書)を重ねてみると、新たな発見があった。
「大学受験の小説講義」は、以前も読んだ本なのだが、全然身に付いていないことが分かって愕然とした。
【テキストを読めばすぐに答えられる問いもあれば、どうやっても答えようもない問いがある】という流れを受けて、次のような記述がある(P176から177)。
◆すぐれた小説の読者は、「なかなか答えられない問い」をテキストに巧妙に仕掛けていくものだ。もちろん、「なかなか答えられない問い」は「まったく答えられない問い」ではない。考えようによっては答えることの出来る問いなのである。そして、それに答えることによってテクストはより深く読みこまれる。そういうレベルにある問いだ。
・・・この「小説の読者」は「教師」に置き換えられる。
教師の役割を次のように考えた。
「①テキストを読めばすぐに答えられる問い」を布石にしながら
「②なかなか答えられない問い」をメインに持ってくる。
そして、子どもたちから列挙される「③まったく答えられない問い」は、適当にスルーして授業の進行をリードする。
教師の発問に答えさせることによって、テクストはより深く読みこまれる。
石原氏は、次のように言う。
◆「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る読者がすぐれた読者だ」
・・・子どもたちが「すぐれた読者」になることが望ましいが、まずは、教師が先だ。次のように置き換えられる。
★「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る教師がすぐれた教師だ」★
ただし、教師は「すぐれた読者」で終わるわけにはいかない。
石原氏は次のように言う。
◆ただし、研究者は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、一般の読者と同じレベルの読み込みしかできないからだ。研究者にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた問いだと言えるだろうか。
・・・向山先生や高段者の先生の授業で驚くには、その発問の見事さである。
ということは、「研究者」は「教師」に置き換えられる。
念のためトレースして提示する。
★教師は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、子どもと同じレベルの読み込みしかできないからだ。教師にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた発問だと言えるだろうか。
・・・先に示した教師の役割が次のように変更できる。
①「テキストを読めばすぐに答えられる問い」でホップ
②「なかなか答えられない問い」でステップ
③「まったく答えようのない問い」に近づいてジャンプ
・・・「まったく答えようのない問い」に近づいた問いについて、石原氏は次のように言う。
◆それはほとんど「誤読」に近いが、「誤読」に少しでも触れる冒険を経験しないような読みは、研究者にとっては読みの名に値しない。研究者はたとえてみればテストパイロットのようなもので、テクストの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。
・・・この「研究者」を「教師」に置き換えるつもりでチャレンジしていきたい。
★テクストの可能性を限界まで引き出し、子どもの読みの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。
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