教師は謙虚に学び続ける存在
サークルの例会に参加すると、メンバーの1人が同学年の先生と校内サークルのように授業準備をしている話をよく聞く。
校内で授業検討できるのは素晴らしい環境である。
いつも
「あの子は授業が私よりうまい。」
「賢い子だからセミナーに参加しなくても何でもできちゃう」
と言われる。
それはそうなのかもしれない。
しかし、自分は、それでも「ちょっと違う」と思う。
授業は、そんなに簡単なものではない。
名人と呼ばれる先生でさえ、なお学び続ける世界である。
いくら賢くても要領がよくても、そんなに簡単に授業ができてなるものか、と思う。
自分のこれまでの勤務校を振り返ってみても、何かと自信たっぷりな発言の人がいたが、謙虚に学んでいるようにはみえなかった。子ども相手のに知識を切り売りしているからだろうか、特に、困り感もない。
「覚えないのは子どもが悪い」
「あれだけ言ったのにできないのは、子どもが悪い」
と自分の教え方への反省をしないのであれば、困り感もわいてこない。
ネットのイージーな引用で恥ずかしいが、次の言葉がある。
◆◆◆
釈尊もまた『発句経』で説かれています。
「たとえ愚かな者であっても、自分は愚かであると知っている者は賢者である。愚か者であるのに自分は賢いと思い込み、そのように振る舞う者がいたら、それこそ本当の愚か者といわなくてはならない」
「自分のわからないことがある」と知っているから向上心が生まれ、「自分の理解できないことがある」という思いから尊敬の気持ちや謙虚な心が生まれます。
http://www.geocities.jp/koyappy_rkk/library/library06.html
◆◆
人に教える仕事である。
研究と修養は、教育公務員の法的な義務である。
謙虚に学ぶこと・たえず学び続けることなしに、教壇に立つことは許されない。
慢心すれば終わりである。
人生は死ぬまで修行である。
そんなわけで、自分は「知らないことの畏れ」という言葉を大事にしている。
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