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February 28, 2015

勉強しないと、日進月歩の最新の知見を得られない

 先日、乳がん治療に努めてきた近藤誠氏についての紹介記事があった。
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▼退職した近藤先生は、いまセカンドオピニオン外来を週3回開く。相談時間は8時から17時。あらゆるがんのあらゆる進行の人の相談に応じるには、最先端の知識がなくてはならない。診察のない日は土日で、毎日10時間以上必ず机の前で勉強するという。
 勉強とは、医学論文を読むか執筆すること。これだけ勉強しないと、日進月歩のがん治療の最新の知見を得られない。自信をもって発言するためには、知識の裏付けがなくてはならない。「どうしても勉強は必要です」と先生は語っている。最新刊「近藤誠の女性の医学」を出版した集英社の雑誌「青春と読書」2月号に先生の発言がある。(中略)
 医師免許を受けたら一生医師が保証される。近藤先生と同じでなくても、患者のための勉強を怠らない医師であってほしい。

 地域広報誌「中日ホームサービス」2月21日「ホーム春秋」より
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 教師が学び続けることの大切さを向山先生もいつも説いている。
「学ばない教師に子どもを預けられるか」という保護者の不安に対峙できる教師でありたい。それでこそ「プロ」だ。
 蛇足ながら、上記の文章をトレースする。

◆あらゆる子どもに応じるには、最先端の知識がなくてはならない。
◆勉強とは、教育論文を読むか執筆すること。これだけ勉強しないと、日進月歩の教育の最新の知見を得られない。自信をもって発言するためには、知識の裏付けがなくてはならない。
◆教員免許を受けたら一生教職が保証される。子どものための勉強を怠らない教師であってほしい。

子どもの信頼・保護者の信頼を獲得するためにも、日々の研究と修養は欠かせない。

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February 24, 2015

「あいまいな指示が、教室を混乱させる」

 『授業の腕をあげる法則』(向山洋一著・明治図書)の中でも、多くの先生方が共感するのが、第4条の「全員の原則」の場面です。

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「先生、窓あけていいですか」   ・・ああいいよ
「先生、外で遊んでもいいですか」 ・・ああ、いってきなさい
こんなささいなことをなぜ聞くのだろうと思うほど子供たちは次々に聞きに来る。
「給食を食べ終わったら、片づけていいですか」
「体育の時間の準備体操はだれがするのですか」
「野菜を残していいですか」
次から次へと、際限なく子供たちは聞きにくる。
そして、たまに小さなトラブルが生じる。
「先生、前の先生は、全員が食べ終わるまで片づけてはいけませんでした」
その頃は新卒教師に対する子供たちの質問は数十にものぼっているから、先生の回答のくいちがいも生まれてくる。
ある子供には「野菜を残して良い」と答え、ある子供には「できるだけ食べてごらんなさい」と答えたような時である。
一方の子供は「先生は残して良いと言った」と主張し、一方の子供は「先生は食べなさいと言った」と主張するようなことが生じてくる。あまりにもささいなことを何度も聞きにくるので「自分で考えなさい」とつきはなすこともある。それぞれの子供が考えたルールが、独立して歩きはじめる。教師の権威がかすかに落ちはじめる。
学級の出発に見られた静けさは、少しずつ失われていき、加速度的に騒々しさが教室を支配するようになってしまうのである。
この間、わずかに2カ月位のできごとである。
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 「指示は全員にせよ」と題したこの章では、次のようなアドバイスも書かれています

◆手に何か持っている状態で指示をしたのは指示したうちに入らない。
◆おへそを先生の方に向けなさい。
◆指示の追加をしてはならない。
◆最後の行動まで示してから動かせ

 このような場面は、どこでも起こります。
 先日、ある教室に自習監督にでかけました。
 「国語のテストを1枚やらせたら、あとは読書」という担任の要望です。
 子どもたちに「国語のテストが終わった人は、読書をします」と宣言しました。
 その瞬間、質問が出ます。
 「お昼寝はダメですか」
 「自由帳はダメですか」
 「折り紙はダメですか」
 「いつもはテストのあと、○○もやっていいよ」
 ・・・先の場面と同じです。あれこれ質問が出ましたので、
 「お昼寝は勉強じゃないから家でやってね。」
 「先生は読書をしてほしいと頼まれました。読書をします。」
と対応しました。
 本当は、オウム返しのように「読書です」を繰り返せばよかったのだと思います。
あるいは、黒板に「テスト→読書」と書いておけば、余分な質問は受け付けなくてすんだと思います。

 子どもたちは、テスト後、静かに読書をしていました。
 いちいち、子どもの質問や要望に応える必要はありません。
 向山氏が書いているように、対応すればするほど、そのうち先生の回答に食い違いが生じるからです。

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February 14, 2015

大村はまの説く「情熱より技術」論

 大村はまの文章の中にも「情熱より技術」を説いたものがある。
 今の若い先生方にとっては、大村はまを引用しても、ピンと来ないとは思うが、背筋が伸びる文章である。
(ネットからの引用。読みやすく改行を入れました)

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◇熱心結構、いい人あたり前です

 教師は一個の職業人です。「聖職」という方もいますが、私はその名に隠れて精神主義に偏っていく態度には賛成できません。
心さえあればいい、熱意さえあればいいというわけではないと思うからです。

 熱心、結構です。いい人あたり前です。
悪い人であったら、たまったものではありません。

 なのに、教師の世界というのは、いろいろな職業と比べても、「いい人」ということがかなり幅をきかせているように思います。
他の社会では、仕事の能力と切り離して「いい人」をここまで尊重しないのではないでしょうか。

 いい人であっても、やはり業績を上げて、仕事をちゃんとやれる人でないと、価値を認められないのではないでしょうか。
 教師という職業の拠って立つものは何か。
 子どもに一人で生きていける力をつけること、そのための技術を持っていることでしょう。
それを忘れた「いい人」ではちょっと困るのです。

◇熱心と愛情、それだけでやれることは、教育の世界にはないんです

 これから教師になる若い方が、今の気持ちをきかれて、「自分には何もできないけれど、教育への愛がある、真心がある、これでやっていくんだ」とおっしゃっていました。そこらへんが不安です。
 熱心と愛情、それだけでやれることは、教育の世界にはないんです。
子どもがかわいいとか、よく育ってほしいとか、そんなことは大人がみんな思っていることで、教師だけのことではありません。
 そんなものを教師の最大の武器のように思って教師になったとしたら、とてもやっていけないと思います。

 教師としては、人を育てる能力、教師の教師たる技術を持っていなければ困ります。

たとえば、お話ひとつとっても、魅力的に話せる、騒いでいた子どもが思わず耳を傾けるようなお話ができなくてはならないのです。

http://ya42853.blog.so-net.ne.jp/2012-04-02
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 「技術は、7.8パーセント程度」
 「しかし、技術は小さなものだがなしではいけない」
という法則化運動と通じるものがある。

 私が若いころ、春日井市でも大村はまの講演が行われた。
 情熱だけでなく、教師の技術や修行を説く大村はまの言葉は、手厳しさゆえに、ある意味で心地よかったが、何をどうしたらよいかは自分で悩むしかなかった。
 「静かにしなさい」と言わないで静かにさせるのが教師の仕事という大村はまは、教師の力量向上をいつも説いていたが、具体的な代案はなかった。
 そこが「授業の腕をあげる法則」との違いであった。

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February 08, 2015

「批判・批評」のルーツをたどる

 「思考力を育てる『論理科』の試み」(明治図書)は、広島の向原小学校の研究をまとめた書籍である。
 指導に関わった井上尚美氏が、前書きを書いている。
 Webで立ち読みして、興味深い記載があった。
 がんばって打ち込んでみた(改行は増やしました)。
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 日本の国語教育、「論理的思考」という語が多様されているのに対して、アメリカの国語教育では「批判的思考」や「創造的思考」という語が多く使われている。
 「批判」というと、とかく相手をやっつけるという否定的なニュアンスがあり、また、教師自身が子どもから「批判され」てはたまらないという気持から、この言葉を避けて「吟味」という用語が最近はよく使われる。しかし批判的(Critikal)というのは、もともと「尺度・物差し」という意味のギリシャ語で、
良いものを良しとするのもクリテイカルなのである。
 「建設的に批判したりするような読み(クリテイカル・リーデイング)」(文部科学省『読解力向上に関する指導資料ーPISA調査(読解力)の結果分析と改善の方向』平成十八年、東洋出版社、十四ページ)
 「批判」だけでは上述のような否定的な響きがあるので、「建設的に」という修飾語をつけたのであろう。また、critikal readingをそのまま訳せば「批判読み」となるが、これはある民間団体がよく使う用語なので、意識的に避けたのであろう。私の考えでは、そのような配慮は無用で、単に「批判的な読み」でよかったのである。
http://www.meijitosho.co.jp/detail/preview.asp?code=32333...
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・・・「そのまま訳せば『批判読み』となるが、これはある民間団体がよく使う用語なので、意識的に避けたのであろう」という箇所について、「分析批評(批評読み)」のことを指しているのかとも思っていた。
しかし、いろいろ調べてみると、そうでもない。
 一読総合法の児言研が「批判読み」を提唱してきたからだ。

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 「批判読み」は、東京都教組荒川支部の教研サークルによって提唱され、広く知られるようになった。荒川教研国語サークルによって1957年から5年間、日教組全国教研集会で提案され、共同討議にかけられた。批判読みは日教組教研集会のなかで生まれ育ってきたのだ。荒川教研国語サークルの中には児言研会員(村松友次、長野一三ら)がおり、児言研でも批判読みが取り上げられ、実践されるようになった。荒川教研国語サークルは、1963年(昭和38)に「批判読み」の成果をまとめて書籍を出版した。

http://www.ondoku.sakura.ne.jp/idou2.html
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 国語教育 2001年6月号 「『批判的読み』のスキルを育てる」の編集後記もネットで見られるが、この「批判読み」も児言研のことだと思う。
 「批判・批評」という語の持つマイナスの響きが邪魔している様子・今「批判・批評」が求められる経緯もうかがえる。

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○…学習者は教科書教材に対して常に受動的な読みの姿勢を取らされています。しかしそれだけでは文章に対して能動的、主体的に読み取っていく技能(スキル)は育たないと言われています。
特に情報化社会にあっては、その知識・情報が根拠を持った正確なものかどうかなど、内容を吟味しながら読み取る力を育てることが強調された時がありました。三十数年前の「批判読み」の実践です。ところが国語教育の世界では、「批判」という言葉と概念を嫌うためか、その後の実践は広がらないままに今日に至っています。

○…いま「メディアリテラシー教育」が注目され、テレビ、ビデオ、インターネットから流される情報を批判的に読み取り、創造的に活用する授業に関心が集まりつつあります。
しかし本誌の二月号で有元秀文氏が指摘されているように「欧米で育ったメディアリテラシー教育を日本で根付かせることは容易ではない。最大の障害は、日本の教育が『批判』を教えないことにある」ようです。
欧米では批判的思考を必ず教える、と言われています。
有元氏は「批判とはお互いに助け合い、もっと価値の高いものを創造するために不可欠のコミュニケーションである」とも言っています。

○…かつて輿水実氏は「批判的に読むスキル」を提唱し、言語の使い方、その意味内容についての鋭い分析の態度、方法が必要であるとし、文章で説かれている思想の正当性、この著者の考えは正当な根拠に立っているものかどうか、などを批判的に読むことを勧めていました。加えて戦後の国語教育は、技能養成の意識が弱かったと強調されていました。

○…本号は改めて「批判的読みのスキル」を実践レベルで考え直してみたいとする特集です
http://www.meijitosho.co.jp/detail/02607
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・・・「クリテイカル・リーデイング」は、「分析批評」の専売特許のような言い方をすると、児言研や輿水実氏について不勉強と言われかねない。
児言研が「批判読み」・輿水氏が「批判的に読むスキル」を提唱していることを了解しつつも、「分析批評(批評読み)」の意義をアピールしたい。

 たとえば、井関義久氏の「分析批評で『批評力』が育つ」の前書きと書籍紹介が、webで見ることができる。

http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-305315-2

◆批評力は、『国語の力』(垣内松三・一九二二年)に於いて、旧制高校(現在の大学に当たる)で学ぶことが適当とされていた。
今、判断力・批評的精神を育てる論理的表現力の開発課題として、長く埋もれていた批評力が、ようやく小・中学校で日の目を見ることになった。
 内容を読むことにこだわった戦後教育観から、内容と表現の1元論への脱皮、言語技術教育への転換だ。この方法を初めて具体的に提唱したのが分析批評(小西甚一・一九六七年)であった。『国語の力』が過去の遺産であるのと同様に、分析批評という名称も相当に年代物だ。
 名称もそうだし、方法に至っては聞いたことさえないという世代のためにも、これら遺産を学んできた一人としてぜひとも伝えておかなければと思う。

◆判断力、批評的精神を育てる論理的表現力の開発課題として「批評力」が注目されている。
そのための方法として「分析批評」を軸に実践技能をまとめ問題提起する。
分析批評は論理的思考力を育てる効果的な方法として役立つからである。

・・・先行研究の経緯を踏まえる必要はある。
それでも、「分析批評(批評読み)」が、文科省が求める言語力に合致していることは、明らかである。

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February 07, 2015

アートと科学技術をつなげる「言語化」の重要性

先週、何気なくNHK教育の「スーパープレゼンテーション」を観て、すごいと思った。
テーマは『折り紙の数学と魔法」
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150204....

日本の伝統である「オリガミ」の技法が、「コンパクトに畳む」「強度を高める」などのために重宝されていることは知っていた。
「ミウラ折り」にも注目してきたが、今回の折り紙の例はそんなものではなかった。
一枚の紙を切らずに折り込んで、動物などの立体作品を作っていった。
その秘訣は数式で、創りたい立体の骨組みイメージを入力すると、折り方を示してくれるソフトも開発されていた。

プレゼンをしていたロバートラングさんの語る内容もすごかったが、番組最後に番組ナビゲーターが語る言葉もすごかった。
幸い、ネットで私が確認したい事項も含まれていた。

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◆アートと科学技術をつなげる「言語化」の重要性◆

最近、クールジャパンのムーブメントなどで、日本から海外への文化の輸出が、とても注目されています。
そんな中、今回のロバート・ラングのプレゼンテーションのテーマ「オリガミ」には、世界中の数学者、科学者が注目しています。
今や「オリガミ」は、アメリカで普通の言葉になっています。
もしかしたら折り紙は、「お寿司」や「アニメ」よりも、世界中に強いインパクトをもたらす日本文化かもしれません。
プレゼンテーションのなかでロバート・ラングは、吉澤章さんという方が、折り紙の折り方を本の中できちんと説明(言語化)したことが、日本から世界へ折り紙が出て行くことに重要な貢献をしたと言っています。
この言語化つまり今までアーティストや職人が直感的にわかっていたことを、他の人たちにもわかりやすく説明することが、アートと科学技術をつなげる重要なポイントだと思います。
われわれは「科学技術の進歩」というとき、大学などで最先端の研究をして新しいものが開発されることだと考えがちです。
しかし折り紙のように、数学とコンピューターの進歩が、古典的なアートとつながることで、新しいものが開発されることもあります。
きっと、今後ますます、アートとサイエンスは近づいていくのではないかと思います。
そして、たぶんこれから、とてもいろいろな実りがあると思います。
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①吉澤章さんが、折り紙の折り方を言語化したことで、折り紙が世界に広がった。
②職人が直感的にわかっていたことをわかりやすく言語化することで、アートと科学技術をつなげた。

というように、「言語化」は、第三者に伝えるための大事な手段だ。

だから、芸術作品のよさを伝えるのに「言語化」が求められた。
「言語化」できたから、継承され発展し、アートが科学技術とつながった(たとえば「黄金比率」のように・・かな?)。

この「言語化」は「コード化」と同じだなと思った。
「解釈コードの増殖」という宇佐美美寛氏の言葉の意味はこういうことかと、一人で納得した。

そして、言語作品である文学の直感的なよさを言語で説明するために必要なのが「メタ言語」だ。

◆メタ言語(メタげんご、英 Metalanguage)とはある言語について何らかの記述をするための言語である(ウイキより)◆

「アートと科学技術をつなげる『言語化』の重要性」という言葉は、「分析批評」の授業にも通じる。
.そして、体育でも同じことが言える。

体育の芸術性を伝えるのも「言語」
体育指導のポイントを伝えるのも「言語」

「すごい!」「がんばれ!」「よくやった!」

では、何をどうしてよいか分からない。
何がどうすごいか分からない。

これでは、「上達論」がない。

「伝える技術」
「伝える言葉の選び方」

が大事だということを学ぶことができた。

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クロネコメール便の廃止は困る!

へー、そんなことになっていたのか。
 「信書」を送るトラブルを回避するため、クロネコメール便そのものが廃止になるのだと初めて知った。

http://www.kuronekoyamato.co.jp/mail-haishi/

 メール便は,A4サイズのレポートも安価で届けられた。
 24時間、近所のコンビニで対面で値段を確認できた。
  配送日時も確認できたので、必要なら速達便にしてもらった。
  安価で配信状況がチェックできた。
というわけで、非常に便利だった。
 ところで、自分が利用してきた「指導案」「案内チラシ」などが本当に「信書」でなかったのか心配になった。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1502/02/news041_3....にメール便の解説がある。

◆物流各社の宅配便配送網を利用して、書類やカタログなど、郵便法上の「信書」に当たらない軽量な荷物を低料金で運ぶサービス。

・・・というわけで、期日が迫った指導案などは「書類」だから、コンビニからメール便を利用することは合法だった。
 ならば、堂々と「残念だ」と言える。
 このメール便がなくなることは、とても残念である。
 何やら別の新システムも立ち上がるようだが・・・。

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