大村はまの説く「情熱より技術」論
大村はまの文章の中にも「情熱より技術」を説いたものがある。
今の若い先生方にとっては、大村はまを引用しても、ピンと来ないとは思うが、背筋が伸びる文章である。
(ネットからの引用。読みやすく改行を入れました)
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◇熱心結構、いい人あたり前です
教師は一個の職業人です。「聖職」という方もいますが、私はその名に隠れて精神主義に偏っていく態度には賛成できません。
心さえあればいい、熱意さえあればいいというわけではないと思うからです。
熱心、結構です。いい人あたり前です。
悪い人であったら、たまったものではありません。
なのに、教師の世界というのは、いろいろな職業と比べても、「いい人」ということがかなり幅をきかせているように思います。
他の社会では、仕事の能力と切り離して「いい人」をここまで尊重しないのではないでしょうか。
いい人であっても、やはり業績を上げて、仕事をちゃんとやれる人でないと、価値を認められないのではないでしょうか。
教師という職業の拠って立つものは何か。
子どもに一人で生きていける力をつけること、そのための技術を持っていることでしょう。
それを忘れた「いい人」ではちょっと困るのです。
◇熱心と愛情、それだけでやれることは、教育の世界にはないんです
これから教師になる若い方が、今の気持ちをきかれて、「自分には何もできないけれど、教育への愛がある、真心がある、これでやっていくんだ」とおっしゃっていました。そこらへんが不安です。
熱心と愛情、それだけでやれることは、教育の世界にはないんです。
子どもがかわいいとか、よく育ってほしいとか、そんなことは大人がみんな思っていることで、教師だけのことではありません。
そんなものを教師の最大の武器のように思って教師になったとしたら、とてもやっていけないと思います。
教師としては、人を育てる能力、教師の教師たる技術を持っていなければ困ります。
たとえば、お話ひとつとっても、魅力的に話せる、騒いでいた子どもが思わず耳を傾けるようなお話ができなくてはならないのです。
http://ya42853.blog.so-net.ne.jp/2012-04-02
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「技術は、7.8パーセント程度」
「しかし、技術は小さなものだがなしではいけない」
という法則化運動と通じるものがある。
私が若いころ、春日井市でも大村はまの講演が行われた。
情熱だけでなく、教師の技術や修行を説く大村はまの言葉は、手厳しさゆえに、ある意味で心地よかったが、何をどうしたらよいかは自分で悩むしかなかった。
「静かにしなさい」と言わないで静かにさせるのが教師の仕事という大村はまは、教師の力量向上をいつも説いていたが、具体的な代案はなかった。
そこが「授業の腕をあげる法則」との違いであった。
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