アクティブ・ラーニングを具体化する単元を貫く言語活動?
もうお分かりでしょう。国語科でアクティブ・ラーニングを具体化することは、単元を貫く言語活動を位置付けた授業づくりを一層推進することに他なりません。
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/tangengo/?id=20150037
すごい自信である。
すでに今年の1月にこのような意見を発信している。
諮問の以下の部分が「単元を貫く言語活動」に合致するのだと言う。
◆「ある事柄に関する知識の伝達だけに偏らず、学ぶことと社会とのつながりをより意識した教育を行い、子供たちがそうした教育のプロセスを通じて、基礎的な知識・技能を習得するとともに、実社会や実生活の中でそれらを活用しながら、自ら課題を発見し、その解決に向けて主体的・協働的に探究し、学びの成果等を表現し、更に実践に生かしていけるようにすることが重要である」
水戸部氏監修の「パーフェクトガイド」をwebで見る。
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-162212-1
◆単元を貫く言語活動を位置付けた授業づくりを進めるに当たり,例えば「活動だけで力が付くのか」「場面ごとにしっかり読み取らせなくて大丈夫なのか」といった思いから,言語活動を位置付けることをためらってしまうことがある。
と水戸部自身が書いているので
「活動あって指導なし」
「はいまわる授業」
の批判は織り込み済みである。
にもかかわらず、具体的な実践例を見ると、「それでいいの?」と思える内容がある。
①「本のショーウィンドウ」でお薦めする
②「読書座談会」で作品の魅力を語る
③「本の帯」をつくってお気に入りの物語を推薦する
④書評で物語を推薦する
⑤新聞を意図的に読み,根拠を基に自分の意見文を書く
⑥「読書座談会」で生き方や命を見つめ直す
⑦お気に入りのファンタジー作品の魅力を推薦文に書く
⑧「読書交流会」を通して思いを深めながら読む
⑨「持続可能な社会」への取組についてリーフレットで紹介する
⑩自分の生き方を見つめて随筆を書く
⑪自分の憧れの仕事について調べたことを調査報告文に書く
何をやらせるかは分かる。
しかし、指導者にとって大事なのは「どうやらせるか」である。
あるいは「どこまで求めるか」である。
「指導のステップはどうなっているか」
「書けない子・かたまってしまう子にどう支援するか」
「作品を残すことが目的か」
「どこまでの質を要求するか(評価基準をどう設定するか)」
などが明確でない。
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/tangengo/?id=20150502
のQAを例に考えると
「登場人物の気持ちを読み取って話し合おう」という課題での話し合いがうまくいかなかったという相談に対して
「自分が選んだ作品を推薦することに向けて、主人公の気になる行動の理由を明らかにするために、同じ作品を読んだ友達と、読みを交流しよう。」
と変えてみると、「選んだ作品を推薦するためには、明確な推薦理由が必要になります。一人一人がそれを明らかにすることに向けて、目的をもって交流できるでしょう。」とある。
どちらの課題にしても、五十歩百歩だと私は思う。
「読みを交流しよう」と言われても、何を言えばよいのかが分からない。
「主人公の気になる行動の理由を相談しよう」という意味なのだろうが、
「主人公の気になる行動を明らかにする」ことと「自分が選んだ作品の推薦」とが、どう結びつくのかが分からない。
そもそも「交流」は「座談会」「話し合い」「相談」「協議」「討論」とどう違うのか?
「推薦」は「紹介」とどう違うのか。
高尚な言葉がたくさん出てくるが、具体的に考えると迷ってしまうというのが、水戸部氏の文章に対する印象である。
ちなみに、「単元を貫く言語活動」の問題点は、『向山型国語教え方教室』の 2014年5・6月号でたくさんの先生が書いている。
◆「分析の技術」の転用と討論が子どもに力をつける
◆物語文9時間の指導でペープサートづくり
◆2作品では国語の基礎学力はつかない
◆「向山型国語」で最重要な音読・漢字練習が「単元を貫く言語活動」の指導案では示されていない
◆子どもにどう力がついたのかが曖昧である
◆「クイズ大会」は言語活動か
◆一見、論理が明快そうに見えて、実際は分からないことだらけだ
◆言語活動は目的ではなく、「話す・聞く・書く・読む」の力を付けるための手段である
先にも書いたが、知識を基礎にしなければ、真の問題発見力や課題解決力、論理的思考力などは育たない。
座学で前提となる知識を学ぶことができ、与えられる課題をしっかりこなせるという、学びにおける基礎・基本があり、その上で、個性と応用力を育むのがアクティブ・ ラーニングなのである。
○「適切な指導」がされていなければ、「単元を貫く言語活動」は浅薄な活動至上主義に終わる。
○「コードの習得」がされていなければ、自力による「分析」「書評」「推薦文」「紹介文」は書けない。
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