研究授業の事後検討会は、数値結果で語るべきだ
ある国語の研究授業。
「くじらぐも」に乗った子どもたちの言葉を吹き出しに書かせていた。
授業の前半、雲の上から何が見えるかを問うていた影響で、目標は「会話やしたことを想像する」となっているのに、半数の子が「〇〇が見える」としか書けていなかった。
全員分をチェックできなかったが、31名中
A 気持ちが書いてある子・・・・・・・10名
B 「見えたもの」だけ書いてある子・・13名
であった。指導案の座席表にABと記録していった。
先日行われた市内の授業研究会でも、自分は人数チェックをした。
構想メモの指導をした後、原稿用紙に書かせる作文指導の授業だったが、配られた原稿用紙に即座に向えない子が半数近かった。
したがって、「丁寧に構想メモに取り組ませて、作文への抵抗感を減らしたい」という授業者の思いは今一つ成果を伴わなかったと判断した。
そういえば、自分が若い頃の研究授業は、誰がどのグループの様子を見るかを事前に打ち合わせして、どの先生も座席表にしっかり子どもの活動の様子を記録をしていた。指導案にある座席表は、チェック用だと理解してきた。
授業後は全員のノートを回したり、「何人の子が○○できていた」という授業者の反省があった。
今でも、誰がどの子(グループ)の活動状況を記録するかを事前に打ち合わて、事後検討会でその結果報告をする学校がある。
ただ、このところ自分の勤務する学校では、「人数をチェックして、本時の成果を問う」といったシビアな会を行ってこなかった。
したがって、
〇先生の対応があたたかかった
〇子供が集中していた
○学習規律が徹底していた
といった感想に終始していた。
付箋を用意して、みんなでよかった点や改善点を列挙していくのも1つの授業検討の方法である。
しかし、授業の長所・短所を列挙する作業に終始すると、「本時で何人が目標を達成したのか」という肝心な部分の検討がおろそかになる。
事後検討会は、「今日の授業でつけるべき学力はついたのか」「何がよくて成果が出たのか、何が問題で成果が出なかったのか」をメインにすべきだし、かつてはそうであったことを思い出した。
むろん、そのような検討会を行うためには、本時でどこまで子どもに求めるか・どのような反応が得られれば本時の目標を達成したと判断するのか、その到達目標が明確でなければならない。
指導目標が明確でなければ、評価のしようがない。
評価する以上は、根拠を明らかにしなければならない。
初任だった頃、エビデンスなんて言葉を聞いたこともなかった。
しかし、事後検討会は、今思えばエビデンス意識をもっていた。
昨今の授業研究は「ゆるく」なっているのだろうか。
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