吉田兼好が否定した日本人の国民性~「奥ゆかしさ」~
日米中韓の4か国の高校生の意識調査で、日本の高校生は、「自信がない」といった結果が報告されている。
力もないのに「自分はできる」と自信満々なのはどうかとも思うが、欧米人などは自信満々で自己アピールがすごいと聞いたことがある。
一方、日本の伝統は「奥ゆかしさ・謙虚さ」であった。
他国に比べて「自信がない」と答えるのは、今に始まったことではなく、日本人の相変わらずの思考回路なのかもしれない。
古い引用になるが、漫画「ドラゴン桜」に次のフレーズが出てくる。
TOEFLと日本人の英語力
日本人が英語をできないと思い込んでいる原因は完璧主義。なんでも完璧にやらないと気が済まない潔癖さと物事をネガティブに考えてしまう国民性がそうさせているんだ。だから本当は胸張って,English is my second language,so splease speak slowly fou me.とか言って,図々しく開き直ってどんどん英語を使えばいいのさ。(川口)
http://www2.nsknet.or.jp/~mshr/report/doragon.htm
ベストセラー三浦展著『下流社会』(集英社新書)を読んでいて紹介されていた『ドラゴン桜』とある。
・・・日本人は、よく言えば、「完璧主義」「潔癖主義」。
悪く言えば「ネガテイブ思考」(失敗回避の思考)
長所は伸ばしながら、短所は補っていかないといけない。
さて、高校の授業で学んだ「徒然草」の50段を思い出した。
改めて調べてみると、なるほど「完璧主義」の国民性を叱り飛ばす内容だ。
◆能をつかんとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ。内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交(まじ)りて、譏り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、妄りにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名をうることなり。
天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。
◇何にかしら芸能を身につけようとする人が、 「上手でないうちは、強いて人に知られたくない。 内緒でしっかり練習して習得してから人前で披露するようなことが、たいそう奥ゆかしいだろう」と常に言うようだけれど、このように言う人は、一芸たりとも満足に習得できるためしはない。
まだ下手くそで半人前であるうちから、上手な人の中に交じって、 馬鹿にされ笑われることにも恥ずかしがらず、平気な顔をして稽古する人が、 特別な才能はないけれども、その芸に停滞することなく、 無秩序にならないで年を送るので、 上手な稽古しない人よりは、最終的には上手の域に達するし、 名人ともなって人にも認められて、最高の栄誉の名声をも得ることである。
天下に認められた芸事の名人でも、 初心の頃は下手だという評判もあり、最悪の欠点もあった。
けれども、その人は、その芸道の決まりを正しく守り、これを重んじて、勝手気ままなことをしないでいるとかならず、 世に認められる博士にもなって、あらゆる人の師となることは、どんな芸能の道においても変わるはずがない。
・・・「ドラゴン桜」のアドバイスは、吉田兼好のアドバイスの延長線上にある。
吉田兼好の指摘は実に鋭い。
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