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December 26, 2015

説得の2方向~ダブルスタンダード~

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 『オプテイミストは、なぜ成功するか』(マーティン・セリグマン)は、楽観主義と悲観主義の違いがよく分かる1冊だった。
 よい出来事があった時に、楽天的な人は「自分の成果」であり、「よいことは続く」と考える。
 しかし、悲観的な人は「たまたま運がよかった」とか「「よいことはいつまでも続かない」と考える。
 そして、悪いことがあった時は、逆の発想になる。ここが面白い。
 悪いことことがあった時に、楽天的な人は「たまたま運が悪かった」とか「悪いことはいつまでも続かない」と考える。
 しかし、悲観的な人は「自分のせい」であり、「悪いことはいつまでも続く」と考える。

 むろん、楽観的・悲観的、いずれの考え方も必要で、単なる楽観主義者は、自分に都合のよい解釈をするから真の危機回避ができない。
 過度な悲観主義者は、あらゆる困難を自分で抱え込んでしまい、負のスパイラルに入ってしまう。

 「自尊感情」は高すぎても低すぎても問題で、「適切な自尊感情」が求められる。それと同じだ。

 ところで、私が知っているあるベテランの先生。
 毎年のようにクラスが荒れるが、悪い意味で楽観的である。

 「私は一生懸命やっている。でも、子どもが言うことを聞かない」
 「私は悪くない・子どもが悪い・クラスが変わればうまくいく」
 「うまくいくのは自分のせい・うまくいかないのは他人のせい」

 だから、自分の力量を向上させようという意識が全くない。
 
 これは子どもにもよくあることで

◆しっかり反省してほしい子どもほど、自分は「よくできている」と思っており、向上意欲に欠け
◆充分頑張っている子どもほど、自分は「まだまだ」と思っており、自分を追い込んでいる

という事態が起こりやすい。

 保護者も同じ。

◆心配な子どもの保護者ほど、自分の子は「問題ない」と思っており、危機意識に欠け
◆心配のない子供の保護者ほど、自分の子は「問題がある」と思っており、子どもを追い込んでいる

という事態が起こりやすい。

 危機感がない相手は、危機意識をたきつける点火作業
 危機感がありすぎる相手には、危機意識をたしなめていく鎮火作業

が必要で、相手をよく見て、支援を使い分けないといけない。

というわけで

◆落ち込み、悩んでいる相手には、まずは批判を押さえ、自信回復の支援をする。
◆過剰な自信をもっている相手には、改善点を指摘し、危機意識をあおる。

 そのことを、自分はかつて「ダブルスタンダード」という形でまとめてみた。
 楽観主義と悲観主義の区別を知らなかったころだ。

November 18, 2011
ダブルスタンダードは教育的配慮である

 ダブルスタンダード=二重基準は、不公平な対応だと思っていた.
 だが、いろんな先生の話を聞くうちに、そうとも限らないと感じるようになってきた。

◆厳しく言っても通用する人には厳しく
◆厳しく言ったら逆効果の人にはやさしく

の方が望ましいと考えれば、相手かまわず厳しくすることも、相手かまわず優しくすることも逆効果だ。
その方が「思慮分別のない人間」ということになる。

言い方を変えれば
◆期待している人には厳しく
◆期待していない人には甘く
ということにもなる。

 「できる人には厳しく、そうでない人にはそれなりに」の配慮は差別でもひいきでもない。
 これは正当な個別対応だ。
 
「子どもが荒れるのは教師の授業技量が低いからだ」と厳しく言い放つことがある。
 一方で、実際に荒れてしまい疲労困憊している人には「自分を責めなくていい」とメッセージを送ることも大切だ。
 これも正当なダブルスタンダードの対応だ。

 2006年、中日新聞7月18日付の朝刊「ひろさちやのほどほど人生論」の「正しいことを言うな」という言葉を引用したことがある。

======================
怠けている人間、遅刻した人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。
その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、ー正義という名の魔類ーになっているのです。
仏教では、その正義という名の魔類をー阿修羅ー
と呼びます。阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、神界から追放されて魔類になった存在です。(後略)
======================

 教師は「よかれ」と思って平気で子どもを傷つけることがある。
悪意がない分だけ、たちが悪い。正義感を振りかざす鈍感な教師はまさに阿修羅である。
 何も言わずにじっと相手の聞いて上げる行為が「慈悲」なのだとも書いてある。
 今はきちんと問詰める場面か、深く追いつめるべきでない場面か、その程度の思慮分別は持ち合わせたい。

ダブルスタンダードで考えると論争が整理できる

 できる人・やれる人には自己を高める努力を求め、もっともっとと厳しく要求する。
 一方で、十分がんばっている人には「休めばいい・無理しなくていい」と言う。
 これが、思慮分別のあるダブルスタンダードである。

 そう考えると、勝間和代氏と香山リカ氏の「がんばらないで」の論争は、シングルスタンダードの弊害であることが分かる。
 香山氏は、『しがみつかない生き方』を出版し「勝間勝代を目指さない」を帯にした(今は違う)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4531267/

================
 勝間に感化された女性たちが努力のし過ぎで疲れきってしまっていると指摘し、「カツマーになったことで不幸になる女性が増えている」と主張。
 さらに、目標を達成できないことで自分を責め、うつ病を患い精神科を受診する女性が増えているとも明かした。
 対する勝間は、相手を正面から睨みつける迫力満点の顔で、「努力そのものを楽しんでほしい」「年収が多い方が幸せになれるのが現実。目を背けないでほしい」と反論。「どうせ不況だから努力してもムダ」とあきらめる風潮を否定し、夫がいなくても子供を大学まで行かせられる「年収600万円」を目指して努力することが女の幸せにつながると、あらためて主張した。淀みなく言葉を並べ、今年の干支・虎が獲物を狩る時のような鋭い眼光で香山を威嚇する勝間、さすがの勢いである。
 反論を受けた香山は「(勝間の理論は)勝ち組になれなかった人たちを切り捨てている」「勝間さん(の本)は金持ち仕様ってこと?」と返した。香山の言葉にヒートアップした勝間は、「香山さんこそが、下々の者みたいな感じで何にもできないと思い込んでいる」と口撃。香山は思わず「はぁ!?」と怒りの声を上げ、まさに女同士のガチバトルとなった。
==============

・・・香山氏は『しがみつかない生き方』を出版し、『勝間さん、努力で幸せになれますか』という共著もある。
 香山氏の言うように、誰もが勝間氏のようになれるわけじゃない・全ての人が勝間氏をめざさなくてもいい、それはそれで正論なのだ。
 「『頑張ってもうまくいかない』『頑張れない自分はダメだ』……こう訴える30代、40代の女性の患者さんが増えています。という香山氏の訴えは切実である。
 
 ただし、 「ナンバーワンよりオンリーワン」や「がんばらないで」というメッセージが、本来がんばるべき人のサボタージュの口実になっても、これまた困る。
 勝間氏の言うように「どうせ不況だから努力してもムダ」とあきらめる風潮は否定したい。
 「ナンバーワンよりオンリーワン」や「がんばらないで」といったメッセージは甘やかすだけだという声を聞くが、シングルスタンダードで、ナンバーワンよりオンリーワンだと決めてしまうからいけないのだ。

 「あなたはオンリーワンでいい。十分がんばっている。無理しなくていいんだよ」

 「あなたはもっとできる。ここで気を抜くのはモッタイナイ。遠慮しないでナンバーワンをめざせ!」

と個別対応すれば問題はない。
 「善は急げ」と「急いては事をし損じる」といった正反対の格言が存在するのと同じで、時と場合に応じて都合のいい方を選べばよい。
 ダブルスタンダードは、個別指導である。
 ダブルスタンダードは不公平だと考えた自分の発想が貧困なのだが、世の中は何かと分かりやすい二項対立に持ち込みたがる。
 この安易な世の中の二項対立に巻きこまれないように注意しないと!

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December 23, 2015

実践的知能(機知)は、家庭で育まれる

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 「天才! 成功する人々の法則 (講談社)マルコム・グラッドウェル

 Amazonの書評を見ると、訳者である勝間和代氏に対して手厳しい。
 確かに「天才」に興味を持って手にした本だが、原題は「アウトライアーズ=統計において他の値から大きく外れた人たち」である。
 内容が「天才」についての記載が多いかと思うと、そうではない。落胆する人がいても不思議ではない。
 まあ、そうだとしても、面白い1冊だった。
 「好機」
 「一万時間の法則」
 「航空機事故の民族的法則」
 「水田がつくる文化の精神」
など、いろんな章が役に立った。2009年発行だが、これまで目にする機会がなかった。ビジネス書のコーナーのチェックが甘かった。

 中でも、このところ、何度か書いている「非認知スキル」と同義なのかなと感じたのが、「実践的知能」だ。

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教授連中を言いくるめて殺人容疑を切り抜ける、あるいは指導教官を説得して午前のクラスを午後に変更する。
このような技術を、アメリカの心理学者ロバート・スタンバークは、”実践的知能”と呼んだ。
スタンバーグによれば、実践的知能には「誰に何を言うかを理解し、どのタイミングで言うか、そして、どのように言えば最大の効果があるかも承知している」ことも含まれる。
いわゆる”物事の進め方”だ。(中略)
 すなわち、知識のための知能ではない。状況を正しく読み、自分の望みを手に入れるための知能である。
そして、IQで測られる分析能力の類いとは決定的に区別される。
専門用語を使えば、一般的知能と実践的知能は”直角”の関係だ。つまり正反対ではないがまったく異なる。
一方があるからといって、もう一方があるとは限らない。
(中略)では、実践的知能はどこから生まれるのだろう?分析的知能がどこから生まれるかはわかっている。少なくとも一部は遺伝子からだ。ランガンは生まれつき頭がいい。IQとは、ある程度まで、もって生まれた能力だ。ところが、実社会で役立つ機知は知識である。習得すべき技術なのだ。
そのような態度や技術はどこかで身につけなければならないが、それらが身につくと考えられる場所は家庭である。P116~117
====================

 「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーと、並外れた知能の凡人クリス・ランガンの差は、「自分の望みを周囲から引き出す、機知ともいうべき能力を備えていたから」であり、それは家庭環境・家庭教育の差であったと結論づける。
 学校だけに我が子の将来を託してはいけない。
 家庭は家庭のすべき役割を果たしていく必要がある。

 このような家庭の責務を書いた箇所がある。
 一部A・Bと表記して引用する。P118~119
====================
 【A】の親業のスタイルを、”共同育成”と名づける。【A】の親は積極的に”子どもの才能や考えや技能を育み、評価”しようとする。
一方、【B】の親は、”自然な成長による結果”を待つ戦略傾向にある。
【B】の親は子どもの面倒を見る責任は認めるが、子どもに自由に成長させ、子ども自身の発達に任せる。
 ラローは、どちらが勝っているわけではないと強調する。(中略)
だが、実際問題、共同育成には大きな優位点がある。
予定の詰まった【A】の子どもたちは、多様な体験の機会を次々に与えられる。
組織の中でチームワークと対処法を学ぶ。大人とよく会話する方法や、必要に応じて自分の考えを相手に伝える方法を覚える。
 ラローの言葉を借りれば、【A】の子どもは、”権利”意識を身につけるのだ。
======================

 およそ察しが付くと思うが

A=中産階級、B=貧困家庭

が入る。
 確かに日本でも東大入学者の保護者の年収の高さが話題になる。
 ただ、学校関係者としてフォローするなら、収入の問題としてとらえるのではなく、

A=豊かな心の保護者(子どものために協力を惜しまない保護者)
B=無関心な保護者(多忙な保護者・お金だけで解決する保護者)

になると思う。
 裕福な家庭が、子どもの要求のままにゲームさせ放題・テレビ見放題であるならば、それは精神的な貧困家庭と言わざるを得ない。
 むろん、それは保護者の教育度の差ということかもしれない。

=================
 それは文化的な優位点だ。
アレックスがそのような技術を持つのは、短い人生の間に、アレックスの両親が、高い教育を受けた家庭のやり方で労を惜しまず教えてきたからだ。
促し、励まし、勇気づけ、ゲームのルールを教え、病院に向う車の中でちょっとしたリハーサルまでやってみせる。
 これこそが主に階級の持つ優位点だ、とラローは指摘する。
アレックスはケイテイより幸せだ。
アレックスのほうが裕福だから。
いい学校に通っているから。
だが、同時に、そしておそらく何より重要なことに、アレックスが教わった権利意識が
現代社会で成功するためには好都合な態度だからだ。 P125
======================
 日本は、外国ほどの階級社会ではない。
 どのような保護者だって
 「労を惜しまず教え、促し、励まし、勇気づけ、ゲームのルールを教え、病院に向う車の中でちょっとしたリハーサルまでやってみせる」ことはできる。
 そのようなことを教わらなくても、無意識に行っている保護者も多い。
 マニュアルにあるから実行する保護者よりも、無意識に実行できている保護者の方が、「精神的に裕福な家庭」なのだと言いたい。

 P118には、次のようにある。

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 裕福な家庭の親は、子どもの自由時間に深く関与し、さまざまな活動で我が子を送り迎えし、子どもに教師や監督やチームメイトについて頻繁に質問する。ラローが調査したある裕福な家庭の子どもは、バスケットボールチーム、ふたつのサッカーチーム、スイミングチーム、夏期のバスケットボールチームに参加していた上に、オーケストラでも活動し、ピアノのレッスンまで受けていた。
============

 一読すると、子どもにお金をつぎこんで、いろんなお膳立てをすることが、すごくよい行為のようにも思える。
 しかし、本人自身の動機付けがないと、成果は表れない。

◆なぜなら、脳が喜びを感じうためには「矯正されたものではない」ことが大事だからです。何をするにしても「自分が選んでいる」という感覚こそが、教科学習に欠かせません。
 「脳を活かす勉強法」(茂木健一郎PHP)P27

 多種多様な機会を与えることはすばらしいが、本人の興味を無視して無理やり押し付けているのだとしたら、、「心の貧しい保護者」の範疇ではないだろうか。

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お手伝いする子は、成績もよい

 非認知スキルの重要性を説いているのが

 「『学力』の経済学」中室牧子
 「成功する子・失敗する子」ポール・タフ
 「幼児教育の経済学」ヘックマン
など。
 海外の調査データに裏付けられて、納得する傾向があるが、海外の研究だけがすごいわけではない。
 今から50年近く前になる都立教育研究所のデータも非認知能力の重要性を説いている。

=============
 家庭で手伝いをする子は、学校では良い子です。
 おそうじをまじめにやります。
 用事をたのむと、喜んでやってくれます。
 すぐに身体が動きます。
 生活態度がきちんとしており、安定しています。
 小さい頃の子どもは、お手伝いを喜びます。
 この時期に、少しずつ仕事を与え、教育していくことが大切なのです。
 小さい子のお手伝いは「じゃま」なものです。
 でも、貴重な教育の場面なのです。
 
 40年近く昔、都立教育研究所が、大々的な学力調査をしました。
 とっても、変わった調査でした。
 中学生を対象に、知能指数が同じ子を調べたのです。
 知能指数が同じなのに「オール5」(ぐらい)の子と「オール1」(ぐらい)の子を、東京都中から選んで調査したのです。
 知能指数が同じなら、素質は同じということができます。
 しかし、一方でオール5の子があり、一方でオール1の子がいるのです。
 調べてみると、原因はいろいろでした。
 「これは、こうだ」と、はっきり断定できませんでした。
 しかし、注目すべきことが2つ見つかったのです。

 その1 オール5の子は、家庭で手伝いをしている。オール1の子は、家庭で手伝いをほとんどしない。
 その2 オール5の子は、テレビを見る時間が家庭内で決まっている
    大体1日1時間半。オール1の子は、テレビの約束がなく、長く見ている。
    大体3時間以上、時には4時間、5時間見る子もいる。
 
向山洋一「『手伝い』する子は勉強もできる」(『家庭教育ツーウェイ』2005年8月)
=====================
・・・今から50年近く前に、学力とお手伝いの関連(テレビ視聴の調査とも言えるし、家庭におけるルールの有無の調査とも言える)についての調査結果が報告されている。
 日本の調査を軽視して、海外の調査結果だけを持ち上げることのないよう心したい。
 また、権威ある調査結果を待たなくても、非認知スキルが学力と同様に重要であることは、古来の子育ての中でも語られている。
 科学的根拠も大事だが、昔からの子育ての言い伝えは、大事にしていく必要がある。

 「日本の伝統的な子育て」が世界から注目されている面もある。真摯に学んでいきたい。

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December 13, 2015

 「戦争をしちゃいけないなんて子どもでも分かるよ」???

 中日新聞の朝刊に掲載される「平和の俳句」
 12月5日は、中学2年生の作品であった。

 「戦争をしちゃいけないなんて子どもでも分かるよ」
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/heiwanohaiku/CK2015120502000077.html

・・・中学生が書いたこの俳句を選ぶのは、罪が深いと思う。

◆戦争をせざるをえない事情は、子どもには分からないかもしれない。
◆自衛権・・自衛のための戦闘(殺人)は許されているのだという事実は、子どもには分からないかもしれない。
◆戦争そのものが「悪」とは言い切れない事情は、子どもには分からない。
◆イスラムの紛争などは、大人でも、なかなか分からない。
 テロをしちゃいけないことは、子どもでも分かる。
 しかし、テロを起こす者の抱く積年の恨みは、第三者の日本人にはなかなか分からない。

 中学2年生といえば、世界の社会情勢について少しは関心をもつべき年代だ。
 何も知らない小学生・知らないことが許される小学生ではないのだから、「戦争をしちゃいけないなんて子どもでも分かるよ」といった、無垢な子どもぶった俳句を書いて満足している場合ではない。
 もっともっと突っ込んで
 「なぜ、戦争がなくならないか」
 「なぜ憎しみの連鎖が起こるのか」
を考えるべき年代だ。
 もし、書いたとしても黙殺してあげるのが大人の作法だ。
 わざわざ取り上げるべきべきではない。
 まして、自分たちの主張のために子どもの意見を利用するような行為は厳として謹んでもらいたい。

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December 12, 2015

向山学級が育てた「考える力」

 『成功する子 失敗する子』(ポール・タフ)で一番着目されるのは第2章だろう。
 以下の項のたくさんの箇所に付箋をつけた。

 ・何が気質を育てるのか ・楽観主義を身につける
 ・性格の強み      ・自制心と意志力
 ・動機づけ       ・勤勉性
 ・やり抜く力(グリット)・性格の通知表

 しかし、第3章「考える力」も、すごく印象に残った。
 チェスで雑な試合運びをしたセバスチャンに対するスピーゲル先生の言葉は手厳しい。以下にセリフを中心に抜粋する。

================
 「その手を指すのにどれくらい時間をかけたの?」
 「二秒です。」
 「一手に二秒しかかけないような試合をするためにあなたをここに連れてきたわけではないのよ」
 「お話にならない。こんな試合を続けるならトーナメントから降ろします。ここで頭を垂れたまま週末の残りを過ごすといいわ。二秒では、きちんと時間をかけているとはいえない」
 「いい?まちがいをおかしたのなら、それはそれでかまわない。だけどろくに考えもしないで駒を動かすとしたら?それは駄目。そんな軽率で思慮を欠いた試合を見せられると、やりきれないの」
 
 ふたりはそうやって次から次へと駒を動かした。スピーゲルはセバスチャンのよい手を褒め、あまりよくなかった手については代案を考えさせ、落ち着いて考えるようにとくり返し促した。

 「一部を取ってみればすばらしいゲームだった」
 「それなのにあなたはときどき超高速で駒を動かして、ほんとうに馬鹿なことをしでかした。それさえやめることができれば、このあと試合はかなりうまくいくはずよ」
===================

・・・追い詰める手法・でも本人の成長を強く願う温かい指導が、向山実践と重なってくる。
 宿題のスピーチ練習をしてこなかった子への詰問場面の記載は見つからなかった。
 ただし、位取りを手抜きして計算間違いをした子への詰問場面が『斎藤喜博を追って』にあった。

「君達はさっきやさしい、簡単だと言った。しかし君達六名はまちがえ、吉岡ができていた。しかも吉岡は君たちも知っているように前の時間まで、二桁×一桁のかけ算もできなかったんだ。前の時間、クラスで一番できなかった子より君達はできなかった。ところで、君達の感想を聞かせてくれ」P28

・・・いいかげんなやり方は許さない。
 甘えを断ち切ることが「叱る」なら、この詰問も「叱る」だと言ってもよい。
 スピーゲル先生の指導法について、『成功する子~』のP179には次のようにある。

=====================
 心理療法と少し似ている、とスピーゲルはいう。自分がしたまちがい、しつづけているまちがいを見直し、その根本にある理由を探る。そして最良のセラピストのように、スピーゲルも生徒がせまく困難な道をなんとか通り抜けるのを助けようとする。まちがいに対する責任を自覚させ、気に病んだり打ちのめされたりすることなくまちがいから学べるように仕向ける。「完全に自分をコントロールできる範囲のものごとで負けるというのは、子どもたちにとってすごく稀な体験なのよ。チェスの試合で負けた場合には、責めるべき人間は自分しかいないとはっきりわかっている。(中略)まちがいや負けから自分を切り離す方法を見つけるしかなくなる。負けというのはその場その場の行動の結果であって、永続する状態ではないということを、生徒たちに教えたいの」
======================

・・・失敗は誰にもあり、科学の発展は失敗の積み重ねだと指導する向山氏の次の方針と重なってくる。

教室とは、まちがいを正し真実をみつけ出す場だ。
教室は、まちがいをする子のためにこそある。
教室には、まちがいを恐れる子は必要ではない。

・・・こうした向山学級の手厳しさの意義は『成功する子~』の解説で裏打ちされる。
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 たいていの人は十代の女子生徒達に向かって怠慢であるとか、あなたのしたことはお話にならないくらいレベルが低いなどとはいわない。だけどときには子供たちはそういう言葉を聞く必要がある。もういちど姿勢を正そう、と思うために。P184
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 研究者たちは、幼児が粘り強さや集中力といった気質を伸ばすには養育者からの温かく愛情に満ちた世話が必要であると論じてきた。しかしスピーゲルの成功例を見ると、思春期に到達するころの子供たちに有効な動機づけは毛づくろいに似たスタイルのケアではなく、まったくべつの気遣いである。おそらくミドル・スクールの年ごろの生徒をスピーゲルのチェスチームの選手たちとおなじくらい熱狂的に集中させ、練習させるには、誰かが意外なほど自分のことを真剣に受けとめてくれるという -自分の能力を信じてくれて、もっと改善できるからしてみなさいと持ちかけてくれるという - 体験が必要なのだ。P186
=================

・・・向山学級は子どもを一個の人格として大切にした。
 まさに「自分のことを真剣に受けとめてくれる体験」が与えられたのだ。

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 教室やトーナメントで毎日のようにスピーゲルが生徒に教えようとしていたのは、私が見たところ、やり抜く力であり、好奇心であり、自制心であり、オプテイミズムだった。P187
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にトレースすると、向山氏が毎日教えようとしていたのが、やり抜く力であり、好奇心であり、自制心であり、オプテイミズムだったことがよく分かる。
 具体的な指導場面が惜しげもなく提示される向山先生の著作はすごい。
.
 とはいえ、この「追いつめる」部分だけを真似すると、やけどをし、反発をくらう。
 心から子供の成長を信じ、つぶさに子供の様子を観察して適切なアドバイスをするスタンスがない教師に「追いつめる」資格はない。

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「確証バイアス」の罠から逃れるための逆転現象の授業

 『成功する子・失敗する子』(ポール・タフ著)について、もう少し。
 チェスの上達に必要なスキルを究明する中で出てくるキーワードが「確証バイアス」(p113~114)

◆何かの理論を実証しようとするときに、人はその理論に反する証拠を探そうとはせずに、どうしても自分が正しいことを証明するデータを探してしまう。
「確証バイアス」として知られる傾向である。これを乗り越える能力がチェスの上達においてはきわめて重要な要素だった。

◆当然のことながら、ベテランのグループは初級者のグループよりも正確に状況を分析していた。
驚くべきは、どのようにちがったか、という部分である。ひとことでいえば、上級者のほうが悲観的だった。
初級者は気に入った手を見つけると確証バイアスの罠に陥りやすい。
勝利につながる可能性だけを見て、落とし穴は見過ごしてしまう。
これに比べ(中略)上級者は自分の仮説を反証することができ、その結果、致命的な罠を避けることができる。

・・・第三章「考える力」の一節だ。
 確証バイアスの罠に陥るのは、深く考えないことが原因だ。
 だからこそ、深く考えないと失敗する経験を意図的に仕組む必要がある、

 ※よく考えろ
 ※常識にとらわれるな
 ※他に手はないか

を考えたとき、思いつくのが「逆転現象」の授業だった。
 多数決でも常識でも決まらない「逆転現象」の授業は、確証バイアスの罠に陥らない秘策であるとも言える。
 他人とつるまない一匹狼のたくましさを育むのも、自分の都合のよいデータだけに振り回されない強さと慎重さだ。
 
 ところで、『成功する子~』には、慎重さ(悲観的な見方)が大事だと書きつつも、一方で大胆さ(楽観的な見方)も大事だと述べている。

ダブリンの研究についてスピーゲルに尋ねると、どんな動きの結果についても少し悲観的であるくらいのほうがいいという考えには同意するといっていた。
ただし、チェスの能力全般については、楽観するほうがいいという。
演説のようなものだ、とスピーゲルは説明した。マイクのまえに立つときには少しばかり自信過剰なくらいでないと困ったことになる、というわけだ。
「どんなに上達しても、死にたくなるほど馬鹿げたまちがいをすることは絶対になくならない」。だから自分には勝てるだけの力があると自信を持つこともチェスの上達の一部なのだ、と。

・・・「慎重に、かつ大胆に」「悲観的に、かつ楽観的に」
といったところか。
 「黒澤明監督の語録「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」という言葉とニュアンスが近い。
 「大胆と繊細」「楽観と悲観」は相反する言葉ではあるが、両方を兼ね備えることが成功の秘訣のようだ。

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December 06, 2015

アメリカの人格教育と日本の道徳教育

 アメリカの人格教育が気になってネット検索した。

「アメリカにおける道徳教育の新たな展開」

宮本浩紀氏の早稲田大学大学院教育学研究科紀要別冊 2013年3月
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/39547/1/KyoikugakuKenkyukaKiyoBetsu_20_2_Miyamoto.pdf

 「人格教育の特質」の項が分かりやすくてありがたい。

◆人格教育は、アメリカにおいて主として1990年代以降実施されてきた取り組みである。同国における道徳教育では、人格教育が注目される以前の1960~1970年代に、「価値の明確化」や「モラルジレンマ」という教育方法が多くの学校現場において活用されていたが。これらの教育目標は、教師が子どもに価値を押し付けるのではなく、子ども自身に価値を見出させることを目指す点に特徴があった。そのような目標が見出された背景には、ベトナム戦争の失敗などを通じて、国家・社会の提示する価値観のすべてが正しいわけではないという現実理解がが広がったことがあげられるが、「価値の明確化」や「モラルジレンマ」という教育方法は、そのような理解に基づいて、子どもが自らの判断に基づいて身に付けるべき価値を選択することを目指すものであった。だが次第に、子どもの問題行動への注目などを背景として、次第にそれらの教育方法の限界が見出されることになる。教育関係者の間において、大人(教師や保護者)が子どもに対して明確に身に付けるべき価値を示す必要があるのではないかということになり、子どもの道徳性の育成における新たな取り組みの創出が望まれたのである。
 そのような状況において注目された取り組みが人格教育である。

・・・・・・このように見ると、日本の事情と重なる。
 日本では、太平洋戦争後、国家・社会の提示する価値観のすべてが正しいわけではないという現実の理解が広がったと言えるし、次第に、子どもの問題行動への注目などを背景として、子どもに明確に身に付けるべき価値を示す必要に迫られたと言える。
 アメリカの「そのような状況において注目された取り組みが人格教育である」に対応するのは、「そのような状況において注目された取り組みが『道徳の教科化』」と言えるだろうか。

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「成功する子 失敗する子」ポール・タフ(英治出版)

Taff

 一言で言うと難しかったというか、読みづらい1冊だった。
 図表もグラフもなく、文字だけな点も辛かった。
 「学力の経済学」などの先行した読書があり、各セミナーでの非認知スキルについて聞いていたからピンとくる点が多かった。あの先生は、ここを引用したのかと腑に落ちる箇所がたくさんあった。
 しかし、逆に、事前にいろいろ聞いていたから戸惑いもあった。
 「やり抜く力」「自制心」などの非認知スキルを中心に書いてあるのかと思ったら、それは、ほとんど第2章のみで、それ以外の記載が盛りだくさんだった。
 貧困問題・人種問題などは米国ならではの問題も詳細で、日本との違いが如実に表れていた。
 
 「非認知スキル」が脚光を浴び、『成功する子 失敗する子』は、いろんな人が紹介している。
一番有名なのは第2章だろう。
 以下のたくさんの箇所に付箋をつけた。

・何が気質を育てるのか
・楽観主義を身につける
・性格の強み
・自制心と意志力
・動機づけ
・勤勉性
・やり抜く力(グリット)
・性格の通知表

 コピーを取るだけで読んだ気になってしまうし、あとでまた読めばいいと思うと、つい放置してしまうので、文字打ちすることにした。 
 ただし、打ち込んだ内容をそのまま提示すると著作権で問題になるので、一部にとどめる。

【P105~106を抜粋】

 セリグマンとピーターソンの書くところによれば、ほとんどの社会において一定の道徳観を持っていることは長所とされ、多くの場合その道徳は宗教上の規則や制限と重なる、しかし性格の強みの話をしようとすると、道徳の価値は限られたものとなる。なぜなら、道徳的なおこないとは単に高い権威や規則に従っているだけの場合があるからだ。「美徳は規則よりもはるかに興味深い」とふたりは書く。セリグマンとピーターソンによれば、二十四の強みの真価はある特定の倫理体系との関わりから生じるのではなく、それが現実に利益を生むこと・・その強みを持っていることによって実際に何かが得られること・・・にある。こうした強みを育てることは「よい人生」、つまり幸福であると同時に有意義で充実した人生へと通じる確かな道のひとつである。
 多くの人々が「性格」という言葉を生まれつきのもの、変わらないもの、人の品質を決める書くとなる性質という意味で使う。しかしセリグマンとピーターソンの定義はそれとは異なるものだ。ふたりは「性格」を、変わることのおおいにありうる・・適応できる力を備えた・・強みや能力の組み合わせであると定義した。性格とは習得でき、実際に使える、そして何より人に教えることのできるスキルなのである。
 ところが実際には、教員がそれを教えようとするとたいてい道徳の壁にぶつかる。(後略)

・・・・・長々と引用したが、日本の学校が日々の道徳指導をどうするか。学級指導・生活指導をどうするか、どのように「生きる力」をつけるかを考える大事な部分だと思う。
 ちなみに、この本では「24の性格の強み」は紹介されていない。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep/63/2/63_181/_pdf

が、6つの「美徳の領域」と24の「性格の強み(CS)」として挙げているので、これを引用する。

(1)知恵と知識 
①独創性 ②好奇心・興味 ③判断 ④向学心 ⑤見通し

(2)勇気
①勇敢 ②勤勉 ③誠実性 ④熱意

(3)人間性
①愛する力・愛される力 ②親切 ③社会的知能(適応)

(4)正義
①チームワーク ②平等・公平 ③リーダーシップ

(5)節度
①寛大 ②謙虚 ③思慮深さ・慎重 ④自己コントロール

(6)超越性 
①審美心 ②感謝 ③希望・楽観性 ④ユーモア・遊戯心 ⑤精神性(目的意識) 

・・・ピーターソンは、24の性格の強みを実際の教育システムに取り入れるために絞りこみ、7項目のリストにした。

①やり抜く力  ②自制心  ③意欲 ④社会的知性
⑤感謝の気持ち⑥オプティミズム  ⑦好奇心

・・・とはいえ、24項目は日本の「道徳」で教える以下の22の項目と比べても大差がないので、多くの教師は驚かない。

A 主として自分自身に関すること
①「善悪の判断,自主、自律,自由と責任」
②「正直,誠実」
③「節度,節制」
④「向上心・個性の伸長」
⑤ 「希望と勇気,努力と強い意志」
⑥「真理の探究,創造」

B 主として人との関わりに関すること[編集]
①「親切,思いやり」
②「感謝」
③「礼儀」
④「友情,信頼」
⑤「相互理解,寛容」

C 主として集団や社会との関わりに関すること
①「規則の尊重」
②「公正,公平,社会正義」
③「勤労,公共の精神」
④「家族愛,家庭生活の充実」
⑤「よりよい学校生活,集団生活の充実」
⑥「伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度」
⑦「国際理解,国際親善」
 
D 主として生命や自然,崇高なものとの関わりに関すること
①「生命の尊さ」
②「自然愛護」
③「感動,畏敬の念」
④「よりよく生きる喜び」
 
・・・24の性格の強みは道徳の指導内容と同じじゃん、と思うからこそ、「ところが実際には、教員がそれを教えようとするとたいてい道徳の壁にぶつかる」というアメリカの報告が気になる。
 アメリカでは1990年代に「性格教育」が行われたが、「ほとんど効果がないとわかった」(P106)とある。
 「何百ものアメリカの公立学校がなんらかのかたちで性格教育のプログラムを実施しているが、多くは漠然とした表面的なもので、厳密な観察の結果、ほとんど効果がないとわかった」とある。
 日本の道徳教育・学級経営も同じなのだろうか。
 自分が不勉強なだけで、日本の道徳教育は、当然、アメリカの性格教育・人格教育を参考に展開しているんだろう。この一部分を取り出すだけでも、すごいところに踏み込んでしまった気がしてならない。(続く)
 

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