「つながる喜び」で、歴史が好きになる
もともと日本史は嫌いであった
「まんが日本の歴史」はよく読んだが、覚えるのが苦手だった。
エピソードで覚えないから覚えられない。
「嫌い」だと思っているから、脳が働かない
という悪循環だった。
さて、1月28日(木)、たまたま帰宅後に少しだけ見た番組。
NHKBS 「英雄たちの選択」。
◆「知りすぎた男たちの挑戦 蛮社の獄 渡辺崋山と高野長英の決断」 ◆
権力にもの申すことが死の危険に直結した江戸時代、世界情勢に精通する渡辺崋山と高野長英は、なぜ幕府批判の意見書を書いたのか?
“知りすぎた男たち”の挑戦と悲劇を描く
権力にもの申すことが命の問題に直結した江戸時代。
幕府の政策に危機感を抱き、あえて意見書をしたためた二人の男がいた。
渡辺崋山と高野長英。二人は当時、世界を最も知っていた日本人とも言われる。
西洋の学問を通して世界情勢に精通、いわゆる鎖国を貫こうとする幕府の方針に異を唱えた。
そうした動きに対し、幕府は弾圧で臨む。
世に言う蛮社の獄。死の危険に直面しながら、二人は何を訴え、どんな葛藤を抱えていたのだろうか。
http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2016-02-04/10/26579/2473060/
・・・「蛮社の獄」=「渡辺崋山と高野長英」ほどの知識しかなかった。
機械的な暗記で、その背景を知ることはなかった。
しかし、後半少しだけ見た番組のエピソードと、キーワードをつなげて、時系列に再構成してみると、結構おもしろいドラマになってくる。
【外国船打払令】
1825年、日本の沿岸に近づく外国船は,理由を問わないでみな砲撃し,撃退せよと江戸幕府が命じた。
幕府の鎖国政策に基づく政策である。
その後、アヘン戦争清がイギリスにやぶれたのを契機に 1842年外国船打払令を止めた。
この17年の間に、「蛮社の獄」は位置づけられる。
【モリソン号事件】
1837年、日本人漂流民を乗せて浦賀に来航したアメリカ船モリソン号を幕府が砲撃した。
しかし、このモリソン号にはマカオで保護されていた日本人漂流民が乗っていたため、砲撃は人道的な見地から批判を浴びることになる。
【渡辺崋山】
崋山は江戸づめの家老職で海防策を担当していた。つまり鎖国を擁護する立場であるが、蘭学者仲間で「尚歯会」をつくって西洋事情を研究していた。
モリソン号砲撃事件おこると鎖国政策を批判する『慎機論』を書いた。しかし家老職の立場から幕府批判をしては周りに迷惑が及ぶと考え、表には出さなかった。
【高野長英】
一方、長崎でシーボルトの教えを受けたあと、江戸で町医者をし、渡辺崋山らと蘭学研究グループをつくった高野長英。
モリソン号砲撃事件おこると、幕府の外国船打払令を批判するために、架空の話を作り、匿名で『戊戌夢物語』を書いた。
この書は広く広まり、各地で書き写され、幕府批判・鎖国政策批判が広がった。
【蛮社の獄】
1839年、匿名の「夢物語」の作者として渡辺崋山が捕らえられた。
崋山は否定したが、自宅から『慎機論』が見つかったために、幕府批判の理由で捕らえられることになった。
高野長英も幕府批判の理由で捕らえられた(正しくは自首)。これが「蛮社の獄」である。ちなみに、「蛮社」とは、「南蛮の学を学ぶ集団」の意味である。
長英は6年後脱獄したが、その後自殺。崋山は国元で2年謹慎したのち自殺した。
しかし、 開国の動きは、止めようがなかった。
アヘン戦争清がイギリスにやぶれたのを契機に 1842年外国船打払令を止めた。
1854年、3月日米和親条約が結ばれ、8月には日英和親条約が、12月には日露和親条約がそれぞれ締結される。
あとは一気に幕末・開国・明治維新に続いていく。
というわけで、幕末あたりの歴史小説を読んでみたいと改めて思った。
それは、知れば知るほど、断片的だった知識とつながってくるからだ。
今は、日本史は、好きな分野になっている。
嫌いな教科も、ちょっとしたきっかけで好きにさせられるかもしれない。
相手が興味・関心をもつような提示の工夫次第なのだ。
「つながる喜び」を保障する授業を構築してみたい。
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