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January 30, 2016

「つながる喜び」で、歴史が好きになる

 もともと日本史は嫌いであった
 「まんが日本の歴史」はよく読んだが、覚えるのが苦手だった。
 エピソードで覚えないから覚えられない。
 「嫌い」だと思っているから、脳が働かない
という悪循環だった。

 さて、1月28日(木)、たまたま帰宅後に少しだけ見た番組。
 NHKBS 「英雄たちの選択」。

◆「知りすぎた男たちの挑戦 蛮社の獄 渡辺崋山と高野長英の決断」 ◆

権力にもの申すことが死の危険に直結した江戸時代、世界情勢に精通する渡辺崋山と高野長英は、なぜ幕府批判の意見書を書いたのか?
“知りすぎた男たち”の挑戦と悲劇を描く

権力にもの申すことが命の問題に直結した江戸時代。
幕府の政策に危機感を抱き、あえて意見書をしたためた二人の男がいた。
渡辺崋山と高野長英。二人は当時、世界を最も知っていた日本人とも言われる。
西洋の学問を通して世界情勢に精通、いわゆる鎖国を貫こうとする幕府の方針に異を唱えた。
そうした動きに対し、幕府は弾圧で臨む。
世に言う蛮社の獄。死の危険に直面しながら、二人は何を訴え、どんな葛藤を抱えていたのだろうか。

http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2016-02-04/10/26579/2473060/
 ・・・「蛮社の獄」=「渡辺崋山と高野長英」ほどの知識しかなかった。
 機械的な暗記で、その背景を知ることはなかった。
 しかし、後半少しだけ見た番組のエピソードと、キーワードをつなげて、時系列に再構成してみると、結構おもしろいドラマになってくる。
 
【外国船打払令】
 1825年、日本の沿岸に近づく外国船は,理由を問わないでみな砲撃し,撃退せよと江戸幕府が命じた。
 幕府の鎖国政策に基づく政策である。
 その後、アヘン戦争清がイギリスにやぶれたのを契機に 1842年外国船打払令を止めた。
 この17年の間に、「蛮社の獄」は位置づけられる。

【モリソン号事件】
 1837年、日本人漂流民を乗せて浦賀に来航したアメリカ船モリソン号を幕府が砲撃した。
 しかし、このモリソン号にはマカオで保護されていた日本人漂流民が乗っていたため、砲撃は人道的な見地から批判を浴びることになる。
 

【渡辺崋山】
 崋山は江戸づめの家老職で海防策を担当していた。つまり鎖国を擁護する立場であるが、蘭学者仲間で「尚歯会」をつくって西洋事情を研究していた。
 モリソン号砲撃事件おこると鎖国政策を批判する『慎機論』を書いた。しかし家老職の立場から幕府批判をしては周りに迷惑が及ぶと考え、表には出さなかった。

【高野長英】
 一方、長崎でシーボルトの教えを受けたあと、江戸で町医者をし、渡辺崋山らと蘭学研究グループをつくった高野長英。
 モリソン号砲撃事件おこると、幕府の外国船打払令を批判するために、架空の話を作り、匿名で『戊戌夢物語』を書いた。
 この書は広く広まり、各地で書き写され、幕府批判・鎖国政策批判が広がった。

【蛮社の獄】
 1839年、匿名の「夢物語」の作者として渡辺崋山が捕らえられた。
 崋山は否定したが、自宅から『慎機論』が見つかったために、幕府批判の理由で捕らえられることになった。
 高野長英も幕府批判の理由で捕らえられた(正しくは自首)。これが「蛮社の獄」である。ちなみに、「蛮社」とは、「南蛮の学を学ぶ集団」の意味である。
 長英は6年後脱獄したが、その後自殺。崋山は国元で2年謹慎したのち自殺した。


 しかし、 開国の動きは、止めようがなかった。
 アヘン戦争清がイギリスにやぶれたのを契機に 1842年外国船打払令を止めた。
 1854年、3月日米和親条約が結ばれ、8月には日英和親条約が、12月には日露和親条約がそれぞれ締結される。
 あとは一気に幕末・開国・明治維新に続いていく。
 
 というわけで、幕末あたりの歴史小説を読んでみたいと改めて思った。
 それは、知れば知るほど、断片的だった知識とつながってくるからだ。
 今は、日本史は、好きな分野になっている。

 嫌いな教科も、ちょっとしたきっかけで好きにさせられるかもしれない。
 相手が興味・関心をもつような提示の工夫次第なのだ。
 
 「つながる喜び」を保障する授業を構築してみたい。

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January 29, 2016

「野心のすすめ」 林真理子 講談社現代新書

 Ya

  「野心のすすめ」 林真理子 講談社現代新書

を手にしたのは、若者の「低め安定」を憂う林氏の言葉に賛同したからだ。
 「低め安定」の典型例として「一生ユニクロと松屋でOKじゃん」とのくだりがある。
見事な具体例に納得してしまう。
 しかし、やはり一生ユニクロと松屋では OKと思わないし、もっといろんな世界を知ろうよと思う。

 その1つが、「一流」へのあこがれだ。

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◆一流の場所に行って気づくのは、一流の人たちって本当に面白いんですよね。どんな会話をしても、いちいち面白くて、行動から好きな食べ物(たとえラーメンでも)、そのすべてが輝きを放っているのが一流の人々です。糸井さんや仲畑貴志さんクラスの人ってまぶしいほどの一流オーラが出ている。毎日が刺激的で、信じられないほど楽しかった。
 こうして一流の面白い人たちに出会うと良いことは。自分もその一流の仲間に入りたい、この面白い人たちと一緒のところにずっといたい、と強く思うようになることです。P53
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・・・若いころ、大先輩の家の新年会にお呼ばれしたとき、「安酒は飲むな。いい酒を飲め」と言われたことがある。
 「安物を何度も買い換えるなら、本当に質のよいものを長く使え」ともよく言われる。
 本物志向は、決して無駄遣いには直結しない。
 豪快な無駄遣いも、長い目で見れば。貴重な人生経験の出費(自己投資)かもしれないのだ。
 「安物買いの銭失い」と言うように、自己投資を怠ると、ビッグチャンスを物にできないかもしれない。
 ネクタイ1本、靴一足だって、見る人は見る。

 さて、「野心のすすめ」にも、「努力論」が見られる。 
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 自分が何も努力せずに、だれかが引き上げてくれるなんていうことはありえないのです。(中略)
「今のままじゃだめだ。もっと成功したい」と願う野心は、自分が成長していくための原動力となりますが、一方で、その野心に見合った努力が必要になります。

 野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。
 前輪と後輪のどちらかだけでは車は進んで行けません。野心と努力、両方のバランスがうまく取れて進んでいるときこそ、健全な野心といえるのです。 P31
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・・・「努力」もしないで「野心」を抱いても、それはただの妄想になってしまう。
 野心と努力が車の両輪とは見事な比喩である。
 問題の良い面しか見ず、問題を解決せず自己満足で終わってしまう精神疾患を「ポリアンナ症候群」と呼ぶ。
 「努力」のない「野心」(ポジティブシンキング)は、現実逃避の「ポリアンナ症候群」とであるとも言えるだろう。

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◆『走っている不幸」は、本人は辛くても、端から見ていて明るい爽快感があります。(中略)
  本当に恐ろしいには「止まっている不幸」だと思います。出口が無くて、暗く沈んでいくだけのモヤモヤとした不幸。P178~180
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・・・見事な対句表現である。「走っている不幸」と「止まっている不幸」の違いは、「やった後悔」と「やらない後悔」の違いによく似ていると思う。

http://matome.naver.jp/odai/2137553076281901401

には、「やった後悔・やらない後悔」についてのいろんな名言がある。

◆やってしまった後悔はだんだん小さくなるけど、やらなかった後悔はだんだん大きくなる
by 林真理子 「生き方名言新書」より"
◆『してしまったことを悔やむより、したかったのにしなかったことのほうが、悔やみが大きい』
○ユダヤの格言

 「ワン・シング」の一説とも重なってくる。

◆生きるに値する人生を送れば、最後にはこう言う事ができる。
 「ああすればよかった」ではなく、「ああしてよかった」P213


 ピーターパンの物語に出てくると言われるのが

◆「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」

http://www.asahi.com/articles/ASH6445ZSH64ULFA00W.html

 「だめだと思うから、だめになる」
 「失敗だと思うから、失敗になる」
 だからといって、無限定に自分を信じろなどとは言わない。
 「野心」と「努力」が車の両輪だと、林氏が説いたとおりなのである。

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January 27, 2016

「疑えば永遠に飛べない」

2015年6月5日のニュースで、日本銀行の黒田総裁がピーターパンの話を例示した。いつか使おうとストックしておいたネタだ。

◆「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」――。
日本銀行の黒田東彦総裁は4日、都内で開いた日銀主催の国際会議で、ピーターパンの物語に出てくる言葉を引き、物価や景気が思い通りでなくても、世界の中央銀行が「前向きな姿勢と確信」をもって政策を進める重要性を呼びかけた。
 
http://www.asahi.com/articles/ASH6445ZSH64ULFA00W.html

 この言葉が、ずっと心に残っている。

 「だめだと思うから、だめになる」
 「失敗だと思うから、失敗になる」

 能天気に自分を信じろなどとは言わない。
 「野心」と「努力」が車の両輪だと、林真理子が「野心のすすめ」で書いている。

 「疑えば永遠に飛べない」という意識を強く持っていたい。

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January 24, 2016

勘違いでもいいから、自信をつけさせる

 地元中日新聞夕刊の連載「この道」は、ノーベル賞の益川俊英氏を取り上げている。
 1月13日の第8回は、面白い内容だった。
 益川氏の父は科学や技術の知識が豊富だったので、銭湯の行き帰りに益川氏に雑学を聞かせていたそうだ。
「なぜ月食は毎月起こらないのか」
「モーターはなぜ回るか」
「電車の扉は一度閉まると絶対に開かないのはなぜか」など。

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 そんな難しい話をしても小さな子どもに分かるわけがない。たぶん、母も近所の人も聞いてくれないから、息子に話して自慢していたのだろう。おかげで、いろいろ科学的な知識がいについた。
 子どものころは勉強より遊ぶ方が楽しかったから、学校の宿題や予習はまったくしなかった。授業中に先生が問題を出すと、予習してきた子どもは答えを知っているので、私が考えている間に手を挙げて答えてしまう。だが、先生の話が脱線すると予習なんて関係なくなる。すると父に仕込まれた雑学の知識が役立って一人で先生の相手をした。そんなことをするうちに自分は理科や数学が好きだと勘違いするようになった。
 いったん錯覚すると興味を持って勉強しはじめたりするものだ。するともっと得意になった気がする。そうしてどんどん錯覚が強まり、難しい本や問題にも挑戦するようになru.
父と歩いた夕暮れの道。それが私の科学への入り口だった。
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・・・勘違いでも「得意」と思うことで、ますます好きになり「得意」になる。
「勘違い」でもいいから「自信」をもたせることが大事なのだという好例である。

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「ワン・シング 一点集中がもたらす驚きの効果

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 「THE ONE THING  一点集中がもたらす驚きの効果」2014/1/22
 ゲアリー・ケラー(SBクリエイティブ)

・・・授業検定を受けるために手にした1冊

◆やるべき仕事は、常に「1つ」だ!
 日々、膨大な仕事量に追われ、右から左にこなしていく・・そんなやり方では大きな成功は望めない。
「ココ!」という1点を見つけ、そこに集中すれば、あとはドミノ倒しのように目覚ましい成果がもたらされる。

という表紙裏のコピーも目を引いた。

◆並外れた成功物語の裏側には、常に「一つのこと」がある。P25

とあり、ビル・ゲイツやマイク・フェルプスの例がされている。

  「マシュマロテスト」「1万時間のルール」など、非認知スキルの関連書籍で目にした内容と重なってきて、読みやすかった。

○同時処理(マルチタスク)に憧れた自分の仕事の仕方の誤りで
○重要度を考慮しない「やることリスト」が役立たずである

と指摘され、仕事の仕方を考えるきっかけになった。

◆大成功するには少数のことに首尾よくやるだけでよいのに、あまりに多くのことをしようして、結局は何もできない。やがて多くのことをしようとして結局は何もできない。P12

という1か所は、授業づくりの心得にもなった、
 「難解すぎる」「詰め込み過ぎる」という悪い癖があることは自覚している。
 今回もシンプルな授業を意識して、修正を繰り返した。

◆情熱とスキルは簡単には切り離せない。この二つはほとんど常につながっているからだ。P25

・・・このあたりは、「熱中のすすめ」をテーマにした自分の授業と密接につながっていた。

 「ココ!」という1点で授業を組めないので、ぐずぐずとあれこれ手を出さざるを得なくなる。
 「ココ」と決めきれないから、本を読んでいても、たくさんのページをコピーする。
 要約指導も同じだ。「ココ!」と決めきれないから、トピックセンテンスが決まらず、端的な要約文がつくれない。

 「決める勇気」は、「捨てる勇気」と一体である。
 「断捨離」も「ワン・シング」とつながる。

成功している事業にも、成功者にもそれはある。
個人の情熱やスキルをめぐってもある。
情熱とスキルは簡単には切り離せない。
この二つはほとんど常につながっているからだ。P25

◆正しい規律は役に立つし、習慣づけるのも大変なのは最初だけだ。時とともにしだいに簡単に維持できるようになる。習慣はつらいことを楽にしてくれる(中略)
新しい習慣を身につけるには平均66日が必要だった。P64.65

という記述も、大切な指摘だ。

「習慣はつらいことを楽にしてくれる」

教師修行も同じである。

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January 19, 2016

「好きなことだけやってみなはれ!」竹村健一(PHP)

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 21世紀的成功のヒント
 「好きなことだけやってみなはれ!」竹村健一(PHP)
 似たようなタイトルの本が次々と目の前に現れる。
 
 21世紀直前の2000年10月に出版された書籍。
 15年経った今でも、「21世紀的成功のヒント」は生きていると感じる箇所が多々あった。
 逆に言えば、相変わらず日本は、発想のチェンジができていないということだ。
 以下の部分などは、昨年提唱された「一億総活躍社会」へのメッセージにも読める

◆これからは競争社会だと言われるが、同じ土俵で勝負するから競争になる。自分の土俵をいかに見つけるかが、大切なのだ。
 つまり「ナンバーワンではなく、オンリーワン」を目指す時代だと言える。
 今までは、いい学校を出て、いい会社に入って出世することが、もっとも確実な成功法だった。工業社会はそうした規格に合った人間を大量に必要としたから、偏差値教育もあったし、学歴競争にもなった。
 だが、二一世紀の情報社会は、他人と違うことを考える人間、違うことをする人間が求められる時代だ。(P2)。

・・・「工業社会」と「情報社会」

 求められる社会人の2つの像の違いを、我々教師は本当に理解しているだろうか。
 もはや、金太郎飴のような均質な人間をつくることは求められていないのだという自覚が重要だ。
 何しろ、正確無比な単純作業なら、ロボット(人工知能)の方が、はるかに仕事ができる。
 人工知能にできない分野・他人があっと驚くような創造的な分野にしか、人間の生き残る道はないのだ。

◆ITでもバイオでも、こうしたベンチャーは「面白いからとことんやる」人間が中心になっていることは言うまでもない。(P4)

◆今やインターネットの時代になって、クリックするだけで、瞬時にして世界中から情報を手に入れることができるようになった。
 そういう時代にコツコツやっていたら、時代の流れに追いつかない。(P106)

◆自分がやりたいことをやっているときは、それを辛いと思わないものだ。
好きなことをやっているのだから、多少は辛い目に遭っても当たり前だと考えられる。P174


・・・竹村氏には、よく似たタイトルの著書もある。

 「好きなことをやれ イヤなことはするな」(太陽企画出版1999年)

◆好きなことをやれば自分は楽しんでできるからいろいろなことに気づく。
 イヤなことは早く終わりにしたいから、結局好きなことのほうがイヤなことをよりずっとうまくできることになる。
 また、好きなことをやって、イヤなことをやらないということは自分に正直で嘘がないということでもある。P4

◆人は、自分で興味を引かれ、自分の意思でやり始めたものには、何の負担も感じないで一生懸命に取り組める。他人から勧められたことがどんなにすばらしいものであっても、自分で見つけたことのほうが、たとえ見劣りするとしてもはるかにやり甲斐がある。(P102)

・・・「好きなことだけやれ? そうは言ってもなあ」などと反論している場合ではない。
 むろん、好きなことだけやっていていいとは思わないが、基本スタンスを「好きなことをやる」にしておかないと、
すぐに「コツコツ努力しろ・我慢も大事」という精神論(反対勢力)に押し切られてしまうのである。

 下記の「すごいリスト」も興味深い!

http://www.1study.jp/100/

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January 18, 2016

「好きなことだけやればいい」 中村修二 

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 「好きなことだけやればいい 」
 中村修二著 バジリコ  2002年発行

 挑発的なタイトルだから問題提起ができるのだろう。
 日米の学生の比較も、説得力がある。

==================
◆米国の学生たちは自分が専攻している分野が大好きだから勉強に励む。
好きだから一一生懸命やる。がんばって勉強するから実力がつく。
つまり、(中略)自分が勉強してきた分野で実践的で有効なスキルを身につけているのが米国の学生なのである。P31

◆日本の大学入試には減点方式が多い。今でこそ一芸入試などがあるが、センター入試も含め、ほとんどが減点タイプだ。百点なら百点という上限があり、ミスをするたびにそこから点数が引かれていく。
こうした方法だと当然、なるべくミスをしないのが成功への近道となる。どこからなにが出るかわからない広範な試験範囲をすべて網羅して暗記し、ケアレスミスも含め、失敗しないように用心しつつ試験にそなえなければならない。
 つまり、減点方式というんは、悪くいえば、上の思惑ばかり先回りして考え、石橋を叩いて渡るタイプの冷血人間が得意とするテストなのである。こうしたテストによって選ばれた日本の受検秀才というのは、保守的で独善的な日和見主義者がほとんどだ。日本の政治や行政のトップが、いくら改革改革と叫んでもいっこうに進む気配が見えないのは、こうした人間ばかり集まっているからかもしれない(P39~40)

◆日米の学生で、もっとも大きな違いは自信だろう。日本の学生は自分に自信がない。だから大企業や役所に入ろうとする。一方、米国の大学生は自信たっぷりだ。ベンチャーを起業し、社長になって金儲けすることを目指せるだけのものを自分で持っている。
 米国の学生の、この自信の源泉はいったいどこにあるのだろう。 
 つまるところ、大学教育の内容や質にあると私は考えている。米国の大学は入るのは比較的簡単だが、卒業するのは非常に難しい。大学時代、必死に勉強しなければ卒業できない。だから、卒業の時点で大きな自信がつく。
 教授たちの多くも企業からの転職者だ。実際に自分でベンチャー企業を起こした人間もたくさんいる。教える側の、こうした生の体験が学生たちに影響を与えないはずはない。その結果、大学や大学院で過ごす間、日米の学生たちは子どもと大人くらいの差がついてしまうのである。(160・161)

◆日本では、いい大学に入ること自体が目的になっている。自分の好きなことややりたいことをもっと勉強したいから大学に行くのではない。自分が大学でなにを勉強したいか、あまりよく考えないまま入るから、大学に入った途端、人生の目的を見失ってしまうことも多い。目的がないから、勉強もせずに遊んだりバイトに精を出したりする。
 本来なら専門知識をしっかり身につけて大学を卒業するのだが、遊んでばかりいるから社会に出てもまるで使い物にならない。自分たちに実力がないことがわかっているから、学生たちも自信がない。
 つまり日本の教育は、自信のない若者を大量に作り出すシステムというわけだ、自信ない人間は、寄らば大樹の陰的な生き方しかできない。
(中略)私は、こうした元凶のほとんどは大学受験にあると思っている。   (195・196)
===============

・・・受験制度の問題に触れないわけにはいかないが、現状の受験体制で我慢している若者に「好きなことだけすればいい」と主張しても、どうしていいか困惑させてしまう。
 中村氏のポジテイブな主張には賛同するが、たとえば、次のようなくだりで引っかかってしまう。

◆小さい子どものほとんどは勉強が嫌いだ。マンガを見たりゲームをしたり友達と遊んだりするほうが、よっぽど楽しいし好きなことである。そのうち勉強がおもしろくなる子どももいるし、絵を描いたり、ゲームが得意になる子どももいる。そのときそのときで好きな対象は変化する。それでも全然かまわない。好きなことは変化することが多いのだ。(P205)

・・・「小さい子どものほとんどは勉強が嫌いだ」「嫌いなものはやらなくていい」
となれば、子どもは永遠に勉強をしなくていいことになる。

 しかし、中村氏も言うとおり、「そのうち勉強がおもしろくなる子もいる」のは、

◆嫌でもやらされているうちにおもしろさが分かるようになったか
◆おもしろさが分かるように授業の工夫や支援の工夫があったか

なのである。
 
 だから、教師は「楽しくなければ授業はない」というくらいの覚悟で授業を創る。
 実際には、そんなに毎日毎日楽しい授業にはならないかもしれない。
 しかし、めざす方向としては、楽しい授業=知的好奇心を喚起できる授業をめざす。
 無理矢理教え込んだって、いずれそのような知識は、はがれ落ちてしまうからだ。
 身につく知識は、知的好奇心の喚起によって印象づけられたエピソードや経験なのである。

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January 17, 2016

好きなことだけやればいい?

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 ノーベル賞をとった中村修二氏の 『好きなことだけやればいい』(バジリコ)は、2002年発行。図書館で借りた。
 同じく図書館で借りた『日本の子どもを幸福にする23の提言』(小学館)は、2003年の本。
 後者は、ノーベル賞受賞後の緊急メッセージを加えた「中村修二の反骨教育論~21世紀を生き抜く子に育てる」として出版されていると後で知った。

 どちらも「自分の好きなことを伸ばそう」というメッセージにあふれている。
 この中村氏の主張は、「ポジテイブ心理学」のスタンスと同じだった。、 
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 昔から日本では、長所より短所を克服することが大事とされました。
 しかしポジティブ心理学では、強み(長所)をさらに伸ばす方が効果的であり、そうすればほかの部分も、それにともなって伸びると考えます。
 例えば、得意な科目と苦手な科目があるとします。受験を前に、苦手科目の点数を上げようと頑張っても、辛いことは続けられないかもしれません。
 それより得意科目をさらに伸ばして、それを生かせる大学でやりたいことを学び、可能性を広げる方がよりハッピーだと考えるのが、ポジティブ心理学なのです。ここ 
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 「ポジテイブ心理学」と重なる中村氏の主張の一部を拾ってみる。

◆好きなことなら、一生懸命やるものですし、努力も苦痛とは思わない。むしろ喜んで取り組むのが人間です。
 好きなことを時間をかけてやれば、誰でもある程度のレベルには達します。そのレベルは、子どもによって多少の差があるのは仕方のないことですが、その差も最初はほとんど小さいものです。
 まさに好きこそものの上手なれ。そのことが本当に好きで夢中でやれば、必ずなんらかの効果が出てきて、その小だけが自慢できるものになるのです。(中略)
 どんな分野でもいいのです。必ず好きなものや得意なものがあるはずです。その才能を見つけ、才能を上手に伸ばすことができた人が、その分野で成功することができる。
 好きなことや得意なものが、なにもない人などひとりもいません。ただ、うまく見つけられなかったり、ほかのことを無理矢理やらされてしまっているのです。
 今の日本のほとんどの子どもたちは、自分の好きなことも見つけられず、得意分野にも進むことができず、大切な才能を浪費して大人になっていく。これは日本にとっても大きな損失なのです。(P75~76)

・・・そして、中村氏は、ネガテイブな反論を想定して、次のように反論する。

◆こういうことを書くと必ず「好きなことばかりやってもろくな人間にならない」とか「苦労をしないと人間は伸びない」と反論する人がいます。
 もちろん苦労は大事です。壁や生涯を乗り越えなければ、人間は進歩しない。切磋琢磨し、自分を鍛え続けなければアホになってしまうでしょう。
 しかし、好きで始めたことで壁にぶつかるのと、好きでもないことでムリにやらされ、それで苦労するのとでは全く違う。反論する人は「嫌いなことも苦労してやらなければダメだ」というのでしょうが、それはとても無意味で無駄なことだと思います。
 逆に嫌いなことをムリにやるのは違います。それ自体ストレスがたまるのですから、そこに壁があったらペシャンコになってしまうでしょう。
 今の日本の子どもたちは、大学受験というウルトラクイズ競争を強いられています。受験勉強が好きな子どもなど、ほとんどいない。嫌いなことをムリにしているのです。
 反論する人は「若いころに受験勉強で苦労すれば、つらさに耐え、壁を乗り越え、人間形成がなされるための準備になる」と言います。もちろん多少の効果があるでしょう(中略)
しかし、好きなことをやる苦労に比べたら、そんな苦労は奥の深さが全く違うのです。第一、専門的な知識や能力を伸ばすために、その苦労は何の役にも立っていない。
 大学受験の苦労は、単にウルトラクイズを嫌々やるという苦労です。  (P220~221)

・・・中村氏の主張の意味は分かる。
 自分が好きな分野で深く追求していく中で、派生的に学ばねばならない分野が出てきたとしても、それは自分で選んだ好きな分野の延長だから学びの必然性がある。
 したがって、苦労とも感じずに努力できる。
 しかし、自分の追求する分野とは異なる全教科の勉強を全員に強いる今の受験システムは、無駄が多く、無意味で、若者の学びのエネルギーをスポイルしている。
 「君の目指す大学に行くには、好き嫌いを言わずに万遍なく各教科の点数を稼ぎなさい」という今の受験システムは、オンリーワンを育む意向に反している。
 
 日本の受験制度を変えようという主張とセットにすれば、中村氏の提言も生きる。
 しかし、受験制度が変わらないまま、中村氏の主張に同意しても、現実的に子どもたちの将来は保障されない。 (むろん、私学の中には、受験科目を限定するところも増えてきたが)。
 
 現実を無視して「好きなことだけやりなさい」を鵜呑みにしてしまうのは危険だと思う。

 実は、「好きなことだけやれ」と主張する中村氏も、母親に無理矢理やらされた英語が役に立ったというくだりがある。

◆(小学校5年から6年にかけて母に言われて通った英語塾では)超スパルタの先生が怖くて、自然に文法や英単語なども覚えてしまい、中学に入った後で非常に楽だったという記憶があります。
私は暗記科目が苦手で算数や理科が好きな理系人間ですが、どういうわけか英語だけは苦労したことがない。それは小学校のころ、母が無理やりにでも英語塾に通わせてくれたおかげです。(P34から35)
なぜそれを好きなのかといえば、やはり得意なことであり、それによってほめられ、また、ほかの子よりも上手にできるとか、早くできるとかいった理由が主だと思います。
逆に考えると、好きだから上手にもなるし、得意にもなるのです。そして、親や先生にほめられれば、うれしいから工夫したり熱中したりして、どんどん得意になっていく。(P74)

・・・ここを読んだ親なら、「やはり無理にでも勉強させることにも一理ある」と思うだろう。
本人の意志に任せていたら、中村氏も英語嫌いだった可能性が高いのだから。

 また、大好きな算数も、最初は分からなくて困っていたというくだりがある。

◆小さいころから、きらいなことには全く興味が持てない性格でした。きらいなことはいくら覚えようとしてもダメ。(中略)
 反面、好きなことはホントに大好きでトコトンやります。小学校低学年のころ、算数が得意でしたし、好きな科目でもありました。
 どうして算数が好きになったのか。
 小学校の低学年のころ、父が私に算数を教えてくれたことがあります。
 小学校に上がったばかりの子どもはそれまでとは違う学校の勉強にとまどい、そのせいで勉強嫌いになることも多いでしょう。私も算数の宿題ができず、わからなくて困っているのを見た父が助けてくれたというわけです。
(中略)最初は九九もなかなか覚えらtれなかった。何時間後に電車がすれ違うかというような文章問題も苦手でした。
 しかし、繰り返しやるうちに九九も自然に覚え、文章問題もわかりやすく教えてくれたのです。解き方や考え方を教えてもらったおかげで、徐々に算数ができるようになりました。それ以後、算数が好きな教化になったのです。
 自信がつけば、好きになる。得意なことは好きになってしまうものです。(P32~34)

・・・「わからないということは、苦手なんだからやらなくていいや」と父親が放置していたら、中村氏は算数を好きにならなかったということだ。

 「わからない」と「嫌い」は違う。
 「わからない部分」さえ取り除いてやれば、すっきりして「好き・得意」になることも多い。
 しかし、子どもが「わからないから嫌い・分からないからやりたくない」と駄々をこねていた時、あっさり大人が引き下がってしまったら、その子は一生「嫌い」のままということになる。

 中村氏だって、無理矢理、英語を教えてもらって、英語が得意になったんだ。
 中村氏だって、分からない算数を教えてもらったからこそ、算数が好きになったんだ。

 だから「嫌々やっても成果が上がらない」と決めつけるのは、親として教師として危険な選択であることが、逆に中村氏の著書から読み取れてしまう。

 最初は全く興味がなかったけど、やり進めるうちに好きになっていくこともある。
 もし「好きなことしかやらない」のだったら、そのような新たな出会いは得られないことになる。

 嫌いなニンジンを無理に食べさせなくてもいいと割り切るか、ニンジンの料理方法を工夫しておいしく食べさせるかの選択に似ている。

 「好きなことをやらせる」のか「嫌いなものは無理にやらせなくていい」かは、簡単に決められないなあと、かえって迷う結果になった。

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January 09, 2016

「鍛錬」の回数は、マジックナンバーと一致する

 かつて、中学校の学年通信の新年号に、下記のように書いた。

◆練習の「練」の昔の字は、糸偏に束と書いて、その束の中に「八」を書きました。
「八」は選り分けるという意味なので、「練」は、たくさんの糸の束からいいものを選び出すというのが元々の意味なのだそうです。
 だから「練習をする」は、何度も繰り返す中でいいものを引き出すという意味になります。いいものを引き出せない練習は「練習」と言えないのです。

◆「練習」よりレベルの高い言葉で「鍛錬(たんれん)」という言葉があります。
 「鍛」は千回の練習、「錬」とは1万回の練習。つまり「鍛錬」とは1万1千回の練習のことなのだそうです。
 百日の努力が約1か月。千日の努力が「石の上にも3年」と言われる約3年。
 1万は「どんな仕事も1人前になるには10年」と言われる約10年の努力です


・・・書いた後で間違いに気づいた。
 10000割る365は、約27.4。
 1万日は、27年というすごい年数だった。
 簡単に1万日はクリアできないことがよく分かる。

 さて、昨年末に読んだ「天才! 成功する人々の法則」(講談社)。
 この中の「1万時間の法則」の章を読んで、「鍛錬」と同じ考え方なんだなと納得した。

 一つの分野の世界レベルに達するために必要な練習量が1万時間であると法則。

◦毎日3時間のトレーニングでおよそ10年
◦毎日8時間のトレーニングでおよそ4年

 1万時間は「成功へのマジックナンバー」であると述べている。


◆バイオリニストへの調査によれば、5歳ごろから始めて、最初の2、3年はみんな同じくらいで週に2、3時間。
しかしトップクラスになると、他の誰よりも練習に励むようになる。
9歳で週に6時間。12歳で週8時間、14歳で週16時間、20歳の頃は週に30時間以上。
トップクラスの学生の総練習時間は、1万時間に達していたが、優れた学生は8000時間、将来の音楽教師グループは4000時間程度だった。
アマチュアのピアニストは週3時間以上は練習していなかったし、20歳時点の練習時間の合計は2000時間。
プロの場合は、20歳のころには1万時間に達していた。

◆トップになれるかなれないかを分けるのは、「熱心に努力するか」どうかによることを示していた。
彼らを分けるのは、ただそれだけ。
さらに重要なことに、頂点に立つ人物は(中略)圧倒的にたくさんの努力を重ねている。

◆専門家たちは、世界に通用する人間に共通する「魔法の数字」があるという意見で一致している。つまり1万時間である。

◆不世出の天才モーツァルトでさえ、本来の才能を発揮するのは作曲時間が1万時間を過ぎた後なのだ。訓練は優れたレベルに達した後ではなく、優れたレベルに達するために行われる。

・・・ビートルズも世に出る前の下積み時代があり、その長時間のステージ演奏が、腕を上げるのに役立ったとある。

◆ハンブルクでは、1日8時間もステージに立たなくちゃならなかったから、新しいやり方を見つける必要があった。
演奏もうまくなり、自信もついた。一晩中、演奏してたんだから、嫌でもそうなるだろう。客が外国人なのもよかった。観客にわかってもらおうとますます必死に、全身全霊で努力した。

◆僕たちの噂が広まると、クラブに客が詰めかけるようになった。週に7日働いた。最初は、ほとんど休憩なしにステージに立ち、閉店の12時半には仕事は終わったが、演奏がうまくなると、たいてい夜中の2時まで客が帰らなかった。

◆学んだのは体力だけじゃない。ものすごい数の曲も覚えなくてはならなかった--思いつく限りのあらゆる曲を。ロックだけじゃない。ときにはジャズでさえ。それ以前はステージで鍛えられてなかった。だけど帰ってきたとき、ザ・ビートルズは他のどんなバンドとも違っていた。それが成功を呼び込んだんだよ。

・・・1万時間については、この本を含め、さまざまな引用でまとめたのが、次のサイトである。
http://matome.naver.jp/odai/2135372857393394401

 ただしイージーに1万時間を推奨していないのが、次のビルゲイツの言葉。

◆「一つのことに1万時間費やせばその分野にずば抜けて強くなる」という人もいるが、私はそんなに単純だとは思わない。
実際には50時間を費やした後、90%が脱落する。好きになれない、向いていないという理由でだ。
そしてさらに50時間費やした人の90%があきらめる。このような普遍的なサイクルがあるんだ。
運だけでなく、続けるだけの熱意も必要だ。1万時間費やした人は、ただ1万時間費やした人ではない。
自分で選び、さまざまな過程の中で “選ばれた人” なんだ。
(出典 人生と経営に役立つ名言・格言・いい言葉)

・・・1万時間の法則は、必ずしも科学的ではないかもしれないが、経験則としては時間できる。
 1万時間練習すれば必ず成功するというわけではないから、「成功のための十分条件」ではないが、「成功のための必要条件」とは言えるかもしれない。
 1万時間のやり抜いた人を「天才」と言うのかもしれないが、
1万時間もかけないで成功をおさめた人がいたら、それこそ「天才」と呼ぶべきなのかもしれない。
Tensai


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スマホネイテイブ世代

 朝日新聞の1月3日号の一面は「スマホ世代 動き出す」という見出しでベンチャー企業で働く2人の若者を取り上げていた。
 「灘中高に在学中から国内外のプログラムコンテストで賞を獲得してきた。昼間は昨春入学した筑波大で授業。夕方以降は都内のオフィスで働く」という「TEAMBOX」の矢倉大夢さん。
 もう1人は、「15歳のときに起業した会社で働く仲間たちを率いる」という「GNEX」社長の三上洋一郎さん18歳。

 ノーベル賞を受賞するような科学者も、ソニーやホンダのような優れた技術者も、戦後の教育では出てこないのではないかと言われてきた。
 しかし、昨年ノーベル賞受賞の梶田さんは1951年生まれ。青色LEDの天野さんは1960年、iPSの山中さんは1962年生まれだから、立派な戦後世代だ。
 戦後世代がノーベル賞を受賞する事実が出てくると、今度は「まだ経済成長期はよかったが、今のゆとり教育の世代はだめだろう」などといった声があがる。
 いつまでたっても「昔はよかったが、今はダメ」でありたいと願う自虐的なところが日本人の国民性なのかもしれない。

 さて、冒頭のスマホ世代。「スマホネイテイブ」世代とも言う。
 物心ついたときから、手元にスマホがあった世代は、これまでとは生き方や発想が全く違うということは想像に難くない。
 いつも手元に「ネット上の情報」があり「友達から得られる情報」があるのだ。腕時計1つだって身につけると癖になってしまうのだから、スマホが依存症になるのは仕方ないとさえ思う。

◆働く仲間はほぼ全員、ツイッターで初めて知り合った高校生や大学生たちだ。会議の大半はオンライン。業務管理や人事考課、経理システムも自前で開発した。海外の文献も読みこなし、面白そうな技術はいち早く社内システムに取り込む。その感性とスピードに大人は目を見張る。

との特集の記述にも圧倒されるが、驚いてばかりもいられない。

 ネットでビジネスを始めるカリスマ中学生が登場した「希望の国のエクゾタス」を村上龍が書いたのが1998年。
 現在、巨大LINEグループで18000人規模のSNS「匿名クラブ」を仕切っているのは16歳の高校1年生とのことだから、小説のような自体が現実化しているのだ。
http://kakeru.me/twitter/snl-mikagoshi/
 上記のサイトのインタビューで天越クンは次のようにネットのメリットを語っている。

◆帝越:個人で何かをするっていうのは、リアルだと難しいことも多いし、特に僕みたいな学生には限度があります。でも、ネットだと、年齢やバックグラウンドを問わずに影響力を持つことができるし、それをゼロから積み上げていくスピードもリアルより早い。それはネットの持つメリットですよね

 「スマホネイテイブ」は、「早くからプログラミングや英語に関心をもち、使いこなせる程度に習得しているのも特徴」だともある。
1万時間を早くクリアした者が、そのジャンルでのトップになれるのだとしたら、今の若者はスマホ活用の草分け的な存在になるビッグチャンスを与えられている。

 今の若者たちを見下したり、嘆いたりするのは簡単だが、彼らは間違いなく新しい時代を創る。彼らのスマホ依存を理解し、支援していきたいと思う。

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January 03, 2016

「レジリエンス」について理解を深めよう

Resilience
 プラス思考とかポジテイブシンキングとかオプティミズムといった意味合いと同じように使われている言葉に「レジリエンス」がある。

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 「レジリエンス」とは、物理学の用語で「弾力、復元力」を意味します。
 心理学では「立ち直る力・逆境でもしなやかに生き抜く力』という意味で用いられます。つまり、強いストレスにさらされても負けない力、立ち直れる性質を指します。

 レジリエンスが強い人はいくつかの共通点があることが分かっています。
①自分を信じてあきらめず、いつかよい時期が来ると思うことができること。
②感情のコントロールが適切に行えること
③失敗に落ち込むのではなく、失敗を今後に生かそうと考えること

 レジリエンスは自分の努力で高めることができます。
 ◆自分を否定しない考え方を身につける。
 ◆結果よりもプロセスに目を向ける習慣を身につける
  
 「仕事で使える心理学」榎本博明参照

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・・・これは孫引きの引用。
 愛知県で発行される「福利あいち」の1月号から引用した。
 せっかくなので、「『レジリエンス』とは何か」枝廣淳子著(東洋経済新報社)に目を通してみた。
 レジリエンスの要素、要因としてさまざまな文献のさまざまな分類が示されている。
 例えば、次の3つ。

➀「多様性」
②「モジュール性」
③「密接なフィードバック」

 ➀の「多様性」は、「リスク分散」と同じ考え方。
 自分がさまざまな立場をもっていれば、どれか1つうまくいかなくても、全体が倒れることはない。

 ②の「モジュール性」は、「個の自立」と同じ考え方。
 ふだんは全体とゆるやかにつながっていても、いざというときには切り離しても自分たちだけで成り立つ、「自給自足」できる個の強さだ。

 ③の「密接なフィードバック」は理解が難しかったが、「システムのある部分に起こる変化を、他の部分が感じて反応する速さと強さのこと」とあるから、正確で素早い情報収集といったところだろうか。

 他にも3つの分類がある。P58

➀粘り強く問題を解決する「意欲的活動性」
②他者との内面の共有を求める「内面共有性」
③物事をポジテイブに捉える「楽観性」

 「精神的回復力」も3つの要素 P59

➀新奇性追求(興味・関心が多様であること)
②感情調整(感情のコントロール)
③肯定的な未来志向(将来の見通しが明るいと思っていること)

 ハーデイネス(頑健さ)と呼ばれる「レジリエンスを高める姿勢・心持のパターン」として、3つのCと2つのスキルを挙げている。

【3つのC】
➀コミットメント(正面から関わる)
②コントロール(制御)
③チャレンジ(挑戦)

【2つのスキル】
➀問題解決型の対処
②支えの交流

 別のページでは、7つの特性。P56

➀「洞察」     ②「独立性」  ③「関係性」
④「イニシャテイブ」        ⑤「創造性」 
⑥「ユーモア」  ⑦「モラル」

・・・この7つの中の「独立性」は、「モジュール性」に近い。
「関係性」は、「多様性」に近い。
「イニシャテイブ」は、「感情調整」「制御」に近い。
「ユーモア」は、「楽観性」に近い。

 さて、「多様性」「関係性」は、「脱依存」とも言える。
 危機管理で言えば「リスク分散」。
 エネルギー問題で言えば「ベストミックス」の考え方である。
 級友・近所の子・塾・クラブなど、さまざまな自分の入る集団があれば、それだけ相談できる相手が多くなる。
 また、タイプの異なる集団に属していれば、自分を客観視できるし、ある1人の言動の善し悪しも冷静に判断できる。
 頼る子が1人しかいないと、その子を失った途端に路頭に迷ってしまう。
 所属集団が少ないと、その中の立ち位置だけがすべてになってしまう。
 オールインワンの相手がいること・1つの集団の中でよい位置にいることは貴重だが、「複数の顔・複数の立場」をもっていることが望ましい。

◆「あなたは、気の許せる集団が、どれほどありますか?」

を問いかけ、所属集団が少ない子は注意したい。

 「多様性・関係性」と相対関係にあるのが、「モジュール性・独立性」。
 頼るべき存在を失っても、1つの集団を失っても、揺るがない強さ(しなやかさ)がほしい。
 先にも書いたように、頼る子が1人しかいないと、その子を失った途端に路頭に迷ってしまう子が多い。、
 いざとなったら1人でも生きていける強さがないと、「依存」から抜けられない。
 しなやかな心をもつということは、いざとなったら1人でも生きていける強さをもつことだ。
 自分の身は自分で守る「自助努力」のススメとも言える。
 小さなレベルで言えば

◆「あなたは1人で帰れますか。1人でトイレに行けますか?」

である。
 何かと群れたがる子は要注意である。
 時には「そんな友達なら、いなくたっていいじゃないか」と言い切る「個」の強さがほしい。

・・・様々な分類があり、様々なキーワードがある。
 同じような意味合いのものもあるし、全く異質なものもある。
 単なる頑丈さではポキリと折れてしまうから、「復元性・しなやかな強さ」の重要さが問われている。 
 大人にも子どもにも大切な復元力=レジリエンスだから、しっかり学んでおこうと思う。

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January 02, 2016

「コツコツやる」態度は、達成率を落とす!

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 『脳に悪い7つの習慣』(林成之著)は持っていたが、図解版も購入した。
 図解の方がすんなり入ってくる。
 以下のサイトなどの詳細にまとめているが、自分の理解を深めるために、自分でもまとめてみる。

http://matome.naver.jp/odai/2133861837603008701

 7つの習慣の3つは、何となく分かる。
(1)「興味がない」と物事を避ける
(2)「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
(5)やりたくないのに我慢して勉強する

 これらは、重なりがあって、
◆A10神経群で「嫌い」というレッテルがはられてしまうと、脳はその情報に関して積極的に働かなくなります。
脳の理解力や思考力、記憶力を高めるには、まず「おもしろい「好きだ」というレッテルをはらなければなりません。(P24)
◆「面白くない「嫌い」「役に立たない」と思っていると、記憶するのが難しくなるとある(P70)
◆好きなこと、感動したこと、主体的に取り組んだこと、心を込めたことは、記憶に深く残せます。一方「我慢して勉強している」という状態では、どんなにがんばっても、脳がもつ記憶力は働かないのです。(P70)
 
・・・とあるように、「興味をもつこと」「好きなことをやる」「好きになる」が、脳にプラスの作用を与えることは、およそ分かる。 意外だったのが、(3)の「言われたことをコツコツやる」が、脳に悪い習慣という指摘だ。

◆一般に「コツコツとやること」「一歩一歩。着実に進めること」は、ほめられこそすれ、否定されることはないでしょう。しかし、「コツコツ」や「一歩一歩」には、「失敗しないように慎重に進めよう」という「自己保存」のクセが隠れています。(中略)ですから、自己報酬神経群をよく動かすためには、決断・実行を早くし、達成に向って一気に駆け上がることが必要です。P44
◆全力投球することと「コツコツ」は、まったく別のもの。脳の達成率を上げ、集中してことを成し遂げるためには、「コツコツ」は間違いです。(P45)

・・・ 「がんばります」も、具体性がないので、脳は力を発揮できないともある(P46)。 にもかかわらず、苦手なこともあきらめずにこうこつ頑張っている姿は、日本人の好みそうな姿だ。
  「好きなことをやる」は、「好きなことしかやらない」「わがまま」「自分勝手」というマイナスイメージが伴うので、なかなか高評価を得られない。
 「好きなことを続けていれば、少々困難なことがあっても、乗り越えられる」というのが、脳によい習慣なのだということをオーソドックスにしたい。
 教師が「こつこつ努力」を、推奨しているうちは、一億総活躍社会の実現は難しい。

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