子どものかすかな進歩を見逃さない
子どもの進歩や意欲を見逃さずにほめていけば、子どもはどんどん成長していくことを先に書いた。
「子どものかすかな進歩を見逃さずにほめる」は、技術の問題ではなく、教師の「人」としてのあり方の問題なのだと向山洋一氏は述べている。
向山氏は「教育技術」のみを語るように思われがちだが、教師として、人としての生き方・在り方を語ることが多い。
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「どうして、先生方は子どもの進歩を見つけられないのだろう。かすかな進歩をとらえ、うんとほめてやれば、自然に伸びていく のに…」 こう切り出したのは、藤井氏である。
「そうだ、そうだ」と、私も話をさせてもらった。
見る人から見れば、同じことが見えてくる。
子どものかすかな変化を見つけ、それをほめていくことが、大切なのに、それができる教師が極端に少ない。
でも、これは、技術の問題ではない。
一見して、技術・方法の問題に見えるが、そうではないのだ。
一人一人の子どもを真に一人一人として見ていける教師であり、 一人一人の成長を真に一人一人の成長を願っている教師であり、そのために努力を続けている教師によってこそ可能なのである。
それは、教師としての思想の問題なのだ。
それは、教師としての生き方の問題なのだ。
それは、教師としての生きざまの問題なのだ。
だから、自分自身の弱さを見つめ、それを直視しようとしたことのない教師に、できる境地ではないのである。
教育実践のターゲットは、本当は自分自身なのだ。
自分の弱さと対峙し、自分の弱さを射続けられる教師のみが、峰を越えられるのである。
(中略)
向山型国語は、このような思想、生き方から作られてきた。
そこに示されているのは、技術であり方法ではある。
しかし、それを支える思想があってこそ、真に有効性を持つ。
それは、一人一人を一人一人として見て、髪の毛一筋の成長を我が事のよう喜べる境地である。
(教室ツーウェイ別冊2001年12月242号/向山型国語教え方教室5号 向山洋一巻頭論文)
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「あの子はどうせダメだ」と、子どもを否定的にしか見られない教師が子どもを伸ばせるわけがない。
できない子をできるようにするのが教師の仕事なのに、「できて当たり前、できないのは子どもが悪い」と開き直る教師がいる。
「髪の毛一筋の成長を我が事のよう喜べる境地」に立つべく、人としての「生き方」を磨いていきたいと思う。
「向山型国語教え方教室❶巻頭論文集」は電子書籍ライブラリーTossMediaよりダウンロードできる。
http://tossmedia.jp/
より入会できます。
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