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June 26, 2016

道徳「友情」の指導

 6年生の道徳資料に「ルソーとミレー」がある。。
 「友情」が主題で、メインとなる筋は、貧しい画家ミレーのために、友人のルソーがミレーの絵に買い手がついたと偽って高額で買い取った話。

 http://www.fuku-c.ed.jp/center/houkokusyo/h27/doutokug-ken.pdf

 友だちのために嘘をつく・自分を犠牲にするという点では「ないた赤おに」「手品師」を彷彿とさせる。
 「ないた赤鬼」も「手品師」も結末については、本当にあれが美談なのかといった批判がある。
 しかし、「自分のために、そんな嘘をつかれて相手が喜ぶかな」などと冷めた見方をせず、純粋に、自己を犠牲にする友情の存在を理解させる資料として授業展開をしていきたい。
 この資料に近い卑近な例と重ねて、授業展開を考えてみた。

 たとえば、友達が歌手を目指していて、CDデビューしたとする。

 自分は、どのタイプだろうか?

 A:友達だから安く売ってもらう
 B:定価で売ってもらう
 C:その他

A:「友達に売ってもうけようなんて、ずうずうしい。友だちには安くして当然」

B:「友達だから安く売ってあげるよ」と言われるなら、安くしてもらってもいいだろうけど、こちらから「安くしてよ」と言うのは失礼だ。
 「友達から買ってもらってもうけようなんて図々しい」と言うなら、自分だって「友達だから安く分けてもらおうなんて図々しい。」
 「他の人が払うより安い値段でしか買わないなんて、その友人のファンではないということだ」

 本当の友情は、CDデビューした友達の音楽活動を応援することだから、きちんと定価で買うべきだろう。
やはり、AよりBの方が、相手を考えた友情だと思う。

 でも、本当の本当の友情は、そんなものではない。
 それは、Cの「その他」。

①定価にカンパ金を上乗せする。
②CDを余分に買う
③自分がCDを売る手伝いをする。

などだ。
 友達の大ファンとして、友達の成功を心から願うなら、
たくさんの人に歌を知ってもらうために、
たくさんのCDが売れるために
自分が動くこと・自分がお金を出すことがある。

A「友達だからCDを安く売って」と頼む子
B 友達だからCDを定価で買う子
C「友達だからCDを余分に買うよ」という子

 この3通りの友人について、どう思うだろうか?

 Aの「安く売って」という友人は、自分の利益を優先している。
 「相手の事を考えないにせものの友人」

 Bの「定価で買う」って、誰もがすることだから、当たり前。
  「友人」というよりは「ただの人」

 Cの「余分に買う」という友人は、相手のために行動している。
 「相手の事を考える本物の友人」

 むろん相手側から考えたら

 「友だちならCDをたくさん買ってよ」とせがむ友人は、自分の利益を優先している「にせものの友人」
 「友だちだから安くしておくよ」という友人は、相手のために行動している「本物の友人」

ということになる。
 だから、本物の友人同士だと
 「お前を応援したいんだから、俺にたくさん買わせてくれ」
 「友人のお前にそんなに買わせるわけにはいかない」
といったバトルになって、堂々巡りになるかもしれない。
 だからこそ、この資料は、「買ってくれる相手がいるから、たくさん買わせてくれ」という嘘があとでばれるという形になっている。
 
 自分が本当に困っているなら、正直に「困っている」と告白するのも友情だろうし
 相手の厚意を素直に受け入れて、素直に感謝することも友情だ。
 ここは先生の考えを無理矢理押し付けられないので、「友情」について、子どもたちに考えさせてみたい。

 さて、「私たちの道徳」の中学年の部には

①相手が問題の答えが分からなくて困っている場面で
「友達だから答えを教えてあげたほうがいいのかな」

②相手がかけっこでいつも負けてばかりいる場面で
「友達だから、たまには負けてあげた方がいいのかな」

③相手が給食当番をやりたくないなと思っている場面で
「友達だから変わってあげた方がいいのかな」

と悩む絵がある。

 友達だから応援してあげたいという気持ちが長じて
「許してあげる・大目に見てあげる・不正をして楽をさせてあげる」
ということがあってはならない。
 でないと、エスカレートして、

①友達の給食だけ大目に盛り付ける
②友達の代わりに場所取り・順番とりをする

といった「ご機嫌取り」になる。
 そのような「なれ合い」の人間関係は要らない。

 したがって「友達のために、CDを余分に買う」という行為も、「ご機嫌取り」のためなら意味がない。
 本当にその子を支えたいという思いがあってこそ、あるべき行為だ。

 場合によって「厚意」は「おせっかい」になる。
 厚意による「嘘」もあれば、相手を甘やかすだけの「嘘」もある。

 6年生に「厚意の嘘」がどこまできちんと理解できるのか、それによって、実際の授業は全く違う様相になるだろうが、
 しかし、どんな反応にも柔軟に切り返して、子どもが本音で「友情って何?」を考える1時間の授業にしてほしい。

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楽観主義者にも2通りある

 ポジテイブ思考は大事だが、能天気な楽観主義は問題がある。
 自分の問題を改善する努力もせずに、「何とかなるさ」と開き直ることは、何の改善にもならない。
 ちなみに「楽観主義者」の負の側面が「ポリアンナ症候群」という言葉で表されることを、ごく最近知りました。

http://orangewind.hatenadiary.jp/entry/20101118/p1

◆問題の良い面しか見ず、問題を解決せず自己満足で終わってしまう精神疾患を「ポリアンナ症候群」と呼ぶ。
ポジティブシンキングをするだけで現実逃避をした上で、仮に物事が運良く上手く言ったとしても、単に運が良かっただけに過ぎない。
 
・・・ウイキには、「ポリアンナ症候群」について、次のように補説がある。

◆ポリアンナ症候群とは実際のポリアンナの「良かった探し」とは異なり、現実逃避のために行う楽天主義(アドラー心理学で言えば実際には悲観主義であり、問題解決を志向する楽観主義とは異なる)を指す内容であることから、名称を変更する必要があると思われる。

 「現実的な楽観主義者」と「問題解決を志向する楽観主義」とは、同義なのだろう。
 「現実逃避のために行う楽天主義は、アドラー心理学で言えば実際には悲観主義である」ということだ。
 
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◆ポジテイブ思考の人は、物事がうまくいくと信じているために、起こり得るさまざまな問題を十分に検討しようとしません。そのために準備を怠ったり、危険な行動を取ろうとします。(中略)
 一方、ネガティブ思考の人は、つねに最悪の状況を想定します。物事がうまくいかなくなる状況も含め、さまざまな可能性に備えようとします。

◆自分には人並み以上の能力があり、幸運の女神は自分に微笑むと誰もが信じているという現象は「レイク・ウオビゴン効果」と呼ばれます。非現実的な楽観主義は、自分でコントロールできる出来事(かなりの肥満になる)、稀な出来事(破産する)、とくに重大ではない出来事(思っていたよりも試験のできがよくない)などの状況でよく見られます。
 これらの状況には失敗しないための対処策があります({体重を測る」「家計簿をつける」「試験勉強をする」)が、ポジティブ思考をしていると、自分には問題が生じないと考えるため、対処策を取ろうとしなくなるのです。
 「トラブルのもとになる非現実的な楽観主義」と「目標達成に欠かせない現実的な楽観主義」との違いは、楽観的になる理由の違いから生じます。自分は適切な計画を立てたり効果的な戦略を見つけることによって成功するか失敗するかを自分でコントロールできる、そう考えて楽観的になるのが現実的な楽観主義です。
 この考えは自信と意欲を高めます。非現実的な楽観主義は、計画や努力とは無関係の要素ーたとえば才能(わたしは頭がいいから成功する)や運(自分はラッキーだからうまくいく)-を根拠にします。そのため必要な準備を怠り、状況が悪くなるとすぐにあきらめてしまうのです。

 『やってのける』ハルバーソン著 大和書房 p215・216
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June 24, 2016

我慢・自制・刺激統制

 中野信子氏の 『教育技術』連載  Do You 脳 「人のココロ」
 タイトルは、どうしようもなく情けないが、内容は勉強になる。
 7月号では、

「ダラダラしがちな子どもたちのやる気を引き出すためにはどうすればよいのでしょうか」

ということで、認知科学的な対処法を紹介している。

①余計なものを排除する
②大人も一緒に取り組んでみる
③できる目標を立てて達成感を与える
「毎日少しずつ取り組めば、最後にはできるようになる」ということを、体で覚えさせるのです。
④上手にご褒美を与える
⑤5分間だけ昼寝をさせる
⑥アウトプットをさせる

 ⑥まであるが、①だけでも十分意味がある。

◆余計なものを排除する
 
 子どもの集中力をアップさせるためには、まず、余計なものを視界から排除してあげることが有効です。
 例えば勉強中に、勉強道具以外は近くに置かないようにしましょう。

・・・特別支援や療育の研究資料では、よく「刺激統制(距離を置く)」などと言われる。
 集中の訓練のための環境整備として、雑音を排除したり、視覚刺激が入らないようにしたりする。

 ただし、表記が微妙である。
 「排除する」なら、子供の行動、「排除してあげる」なら、第三者の行動になる。
 今回の中野氏の回答は、教師・保護者向けだから、やる気の上がらない子どもをどう支援するかの立場で書いてある。

 学習環境の第一歩、学習をスタートさせる第一手は、「誘惑(余分な刺激)の排除」。
 しかし、誘惑の排除を子供自身で行うのは難しい。
 家庭学習を進める上で、支援者が誘惑の排除を手伝ってくれるかどうかの差は大きいとつくづく思う。
 自分で、誘惑を排除できること(自己統制)が望ましいが、それが困難なら、教師や保護者が支援するしかないのである。

 ところで、「マシュマロ テスト」は、誘惑に耐えるテストだ。
 目の前にマシュマロがあると、我慢するのは難しい。
 その一方で、実物の代わりに写真があると、逆に励みになって我慢しやすいというのだから、誘惑の抑制は実にややこしい。

 「誘惑への抵抗」を調べる実験としては、「ミスター・クラウンボックスのささやき」もある。

 実験者は、作業中にクラウンボックスが誘いかけた時の自分への言い聞かせ方として3つを提示した。

①誘惑を抑える言い聞かせ「クラウンボックスを見ないんだ」
②ごほうび志向「あとで、おもちゃで遊ぶんだ」
③課題のやりとげ志向「私は仕事をするんだ」

 ③の課題やりとげ志向 は、「言い聞かせなし」よりも成績が低かったのが、①②は、成績がよかった。
 他人からの言い聞かせ(外的統制)ではなく、自分自身の言い聞かせによる自己統制に移っていくことの大切さを示す実験結果である。

 誘惑に耐えるために、後回しにする方法は、「if-then戦略(交換条件)」と言われる。
 「勉強が終わったら、おやつにしよう」という形で、自分に約束する方法である。
 他人に宣言すると、さらに成果が上がる。

 ただし、誘惑を中断すると、気になって仕事がはかどれない。
 「テレビを途中で消して仕事を始めると、気になって集中できない」というように、中途半端に放り出した問題については、脳が忘れないようにと注意を喚起することを「ザイガルニック効果」と言う。

 そして、我慢をしすぎると、次の課題の時に折れてしまう「自我消耗」が起こる。そして、かえって欲求が強く残ってしまうと言う。

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※人は精神的疲労に勝てることもあるが、意志力を発揮したり決断を下したりすることでエネルギーを使い果たせば、やがて誘惑に負けてしまう。

※被験者を自我消耗の状態にしたところ、感情にはっきりした変化は現れなかったが、すべてのことに対する反応が強くなったというのだ。
(中略)感情だけでなく欲望も強く感じるようになり、クッキーを一つ食べたあとに、もう一つどうしても食べたくなり、可能なら実際に追加のクッキーを食べた。
またラッピングされた箱を見ると、開けてみたいという特に強い欲求を感じたという。

 『WILLPOWER 意志力の科学』 ロイ・バウマイスター インターシフト発行2013
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 意志力の消耗は、脳の糖分の消耗とも関連があるのだとも書いてある。
 ダイエットをすると、かえって食欲が強くなり、食欲に対する抵抗力も弱まってしまうから、ダイエットできないという「パラドックス」が起こるらしい。
 おかしな話だ。
 意志力を気合だけで解決させようとすることが、いかに愚かがよく分かる。
 さらに、あまりに我慢をして、結果が伴わないないと、やけを起こすような行動になってしまう
 「今日は早起きしようと思っていたのに、寝過ごしたので、あきらめて2度寝する」というような、笑えない行動だ。

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 ダイエットに努力しているのに、お昼についつい食べ過ぎてしまった。
 その日の夜、ダイエットしなければならないのに、気力が失せて、ますます食べてしまう。
 「今日は無理だったから、明日からダイエットしよう」
 「今日は制限カロリーをオーバーしたから、もう関係ないや」

 このような心理を「どうにでもなれ(what the hell)効果」というそうです。

 「私たちは目標達成に成功しつつあるのに、一瞬の狂気で全てのことが泡に消えることがあります」
 このどうにでもなれ効果はセルフコントロールの欠如でも、刹那的な過ちでもなく、目標を見失ったことと関係しています。

http://www.shinrigaku-news.com/article/44123984.html
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 「我慢」を、根性論で語るのでなく、科学的に語る必要がある。

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June 21, 2016

「怖い」印象を排除する

 『教育技術』(小学館)の各学年には「教師の印象戦略」というコーナーがあり、7月号に7つのチェック項目があった。

①腕組みをしている
②言葉のセンテンスが短い
③眉間にしわがよっている
④命令口調が多い
⑤声が大きすぎる
⑥子供からの投げかけに反応が薄い
⑦表情が少ない

 教師にありがちな態度で、生徒指導担当の先生など、まさにこんなイメージだ。
 想像がつくと思うが、このチェック項目は

◆「怖さ」出てませんか?

のチェックである。確かにそうだろう。

◆大きな声や、感情を全面に出した言葉で威圧感を与え、子どもたちを力でコントロールするのは、教育には逆効果。
「怖さ」を自覚して、利用しているとしたら、それは自分が楽だからではありませんか?
(中略)
もし、自分では普通にしているなのに、怖いと思われてしまう場合はどうしたらようでしょう。恐らく、気づいていない原因があるはずです。まずは自分自身の言動や行動を見直すことから始めましょう。

・・・厳しい指摘だ。
 ところで、自分は、我が家は、特に「センテンスが短く・反応が薄く・表情少なく。話したかと思うと命令口調」だと思う。
 これでは、家族から敬遠されてもしかたない。
 子どもに対しても、同僚に対しても、家族に対しても、「戦略」としてでなく、「人」としての立ち居振る舞いを磨いていきたい。

(1)腕組みしたり、ふんぞりかえったりしない。
(2)単語でやりとりしない。相手の言葉に正対して、センテンスできちんと話す。
(3)和らいだ表情を意識する。笑顔を意識する)。
(4)命令口調にならない。
(5)どならない。

 もう1度、 「アサ―テイブ」についても勉強し直そう。

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June 19, 2016

「仕事を無理なく両立できる 毎日続く勉強法」多田健次著

Tada

「仕事を無理なく両立できる 毎日続く勉強法」多田健次著 日本実業出版社

 多田健次氏は、心理学の公認カウンセラーでもあり、メンタルヘルスマネジメント検定マスター資格も取得されている。

◆勉強は、「毎日続く」からこそ意味があるものです。
(中略)勉強を続けるコツは簡単です。それは、勉強が続く「しくみ」をつくってしまえば良いのです。

ということで「勉強量=勉強をスタートする回数」だとも述べている。納得だ。このところ、なかなか勉強にスタートできない。

◆ベビーステップ(スモールステップ) 一歩ずつ確実に・とにかく続ける

という原理も、勉強の開始と継続のためには欠かせない。

◆人は実際に行動を始めると自然とやる気がわいてくるもの

については、池谷裕二氏の本で「作業興奮」とあったことと重なってくる。

============
○「勉強しなきゃいけないのは分かっているけど、どうしてもヤル気が出ない」と感じることはありませんか。実際に「ヤル気」は勉強の原点であるといってもよいくらい重要な要素です。

○ヤル気、つまりモチベーションは、脳の「側坐核」という場所で作られます。

○側坐核を活動させるためには、ある程度の刺激が必要なのです。刺激が来ないと十分な活動を起こしてくれません。

○ですから、何もしないでいて「ヤル気が出ない」というのは、もっともなことです。刺激を入れなければ側坐核は活動しないので、ヤル気の出ようがないのです。ですから、ヤル気が出ないときには、まずは何より机に向かって勉強を始めてみましょう。とにかく側坐核を刺激するのです。そうすると、しだいにヤル気が生じて勉強に集中できるようになっていきます。

○こうした現象は心理学者クレペリンによって発見され、「作業興奮」と名付けられました。何事でも、始めてからしばらく経つと少しずつ調子に乗って集中できるようになる。これが作業興奮です。側坐核が目を覚ますのには時間がかかります。だから、とにかく勉強を始める。そして、始めたらしばらくは中断しないことが肝心なのです。

「最新脳科学が教える高校生の勉強法」
 池谷裕二著 東進ブックス p109
==============  

※「Once done is half done.」 (いったんはじめたものは、半分終わったも同じ)

という言葉も、「作用興奮」とつながっていることが分かる。
 とりかかりについては、

◆開始の儀式をいくつかもっておく

とあり、「いつでも簡単にできる行動をルーティーンにするとスイッチが入りやすい」と述べている。

「〇〇をしたら取りかかる」ということで

①文具をセットする
②テキストをパラパラめくる
③テキストを出す
④手帳を開いて予定を確認する
⑤好きな科目から始める
⑥コーヒーを入れる

などの例示がある。
 ①②③は、教室での授業開始時と同じだ。
 筆記用具・教科書とノートを出して、今日やるページを開く、などがルーテイーンになり、授業への切り替えスイッチになっている。

 「見られている意識」ということで
 
①ライバルの視線
②応援者の視線
③将来の自分に恥じないように

などの例示がある。
 ライバルと応援者の存在を考えたら、「学校での集団学習」は非常に有効だということが分かる。
 家庭学習では、兄弟がいればライバルになり、家族がいれば応援者になるが、単独の学習はなかなか難しい。
 1人でも学習できる強い意志(モチベ―ション)と習慣形成について、もっと詳しく調べてみたい。

 たとえば、30日続けようとすると

①前半は、「反発期」でやめたくなる。挫折率42%
②中半は、「不安定期」で振り回され、挫折率40%
③後半は、「倦怠期」で飽きてくる。挫折率18%

 「続ける力・やり抜く力」の適切な指導についても、しっかり調べてみたい。

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エンゲージメントとは?

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 文科省が出した「教育課程企画特別部会 論点整理」の参考資料P193に

 「学習意欲と学習プロセスとの関係 エンゲージメントと非エンゲージメント」

と題した資料がある。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/09/24/1361110_2_5.pdf
 
 Skinner, Kindermann, Connel, & Wellborn,2009を一部改変 鹿毛 雅治 (慶應義塾大学教職課程センター教授) 著
『学習意欲の理論-動機づけの教育心理学-』(金子書房 、2013年)第1章(p.9)より引用

とある。
 掲げられた言葉が印象的だった。

◆エンゲージメント・意欲的な姿
 一生懸命に取り組む・努力する・持続する・熱心・専念・熱中・没頭・情熱的・積極的・チャレンジ・熟達を目指す
 最後までやり抜く・細部にまで丁寧で几帳面である

◆ 非エンゲージメント・意欲的でない姿
受動的で先延ばし・あきらめる、身を引く・興味がない・回避的・無関心・無目的・あきらめる
気が進まない・反抗的・頭が働いていない

・・・どのような経緯で、この資料が参考として取り上げられたのかのかは分からない。
 意欲が大事、動機付けが大事ということなのだろうが、この「エンゲージメント」という言葉は聞いたことがなかった。

 昨日買った「モチベーション3・0」(ダニエル・ピンク著 大前研一訳)講談社+α文庫にも、このワードが出てきた(P192)。

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 従順から積極的な関与へ
 自律(オートノミー)の反対は統制(コントロール)だ。行動という羅針盤において、この二つは対極に位置しており、両者はわたしたちに異なる目的地を指し示す。すなわち、統制は従順へと、自律は関与(エンゲージメント)へと導く。
=============

 この「エンゲージメント」の部分には、訳注として

◆本来は「関与」「絆」などを意味する。最近は、「仕事に対する真剣な取り組み」、さらに「個人と組織が一体になり、双方の成長に貢献し合う関係」を指す

とあり、P194には

◆アメリカでは、従業員の50%以上が仕事にエンゲージしておらず、約20%が意識的にエンゲージしていないとわかった。
(中略)労働人口のほんの2、3%しか仕事に自発的な関心を示さない国もあるという。

という叙述もある。
 「エンゲージメント」=積極的な関与・自発的な関心・仕事への真剣な取り組み・貢献、などの意味合いだと分かる。

 次のサイトでは、社員の「組織への貢献意欲」としてとらえている。

http://www.adecco.co.jp/vistas/adeccos_eye/32/

◆タワーズワトソンのデータ・サーベイ部門ディレクター岡田恵子氏は、こう分析する。
「当社ではモチベーションに近いものとして『エンゲージメント(組織への貢献意欲)』という概念を提唱し、調査していますが、日本人のエンゲージメントのスコアは長年、G8の中で最下位です。もっとも日本人の場合、こういった調査の回答として『どちらともいえない』を選択する傾向が多分に見られるので、実際に極端にエンゲージメントが低い人が多いわけではありません。ただ、低成長の長期化、企業の業績不振、それによる社員の報酬の減少、管理職ポストの削減など、さまざまなマイナスの要因が絡んだ結果、『組織のためにがんばることが自分のやりがいだ』と、言いきれなくなっている現状があります」

・・・日本人の会社への貢献意欲がG8で最下位という調査結果は意外だった。会社への忠誠を尽くす国民性というイメージがあったから、これは真逆だ。「会社への貢献」は、もはや死語か。

 また、次のサイトでは、

◆会社の社員への期待(仕事のミッション)をリンクさせて、社員のやる気を内側から向上させる手法を『バリュー・エンゲージメント』と呼びます。

として、社員のやる気向上(内発的な動機付け)について、詳しく述べている。

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◆学校の勉強になると、あまり物覚えがよくなかったり、創造性を発揮しない子が、ビデオゲームになると、そこで登場するキャラクターの名前を全部記憶し、ゲームの裏技を見つけるのに創造性をいかんなく発揮する子がいます。
 学校のことになるとおとなしく沈んだような顔をしているのに、ビデオゲームのことになると目を輝かせてやる気満々、インスパイアされた状態になっている。
同じ子供がやる気を持ったり持たなかったりするのは何故でしょうか?
 やる気の境界線は、どこにあるのでしょうか?
 おそらくその答えは、おわかりかと思います。
 そうです。やる気は、自分が好きなこと、大切に思っていること、重要なことに対して起るものなのです。
 そして、好き、大切、重要なこととは「価値観」なのです。
 私たちは、自分の価値観に合致していることに対しては、やる気が自然と起り、誰に指図されることもなく積極的に取り組みます。 しかし、価値をおいていないことについては、自分で行動を起こすことは滅多にありません。誰かに指図されたり、行動しなければならない、行動する必要がある場合のみ嫌々ながら行動します。
 このように私たちのやる気は、個人それぞれが持つ価値観が大きく影響します。
 社員の仕事のやる気が低いのは、仕事と自分の価値観のつながりが見えない。仕事と自分の価値観の間に関連性を見出せていない状態と言い換えてもいいでしょう。
 もし、その社員が今の仕事が、自分の価値観を満たしてくれることがわかれば、その社員にとって仕事の意味は大きく変わるはずです。そして、仕事のやる気はずっと高まることでしょう。(中略)
このように、これまでネガティブに捉えていた業務と自分の価値観との間に明確なリンクが認識できたとしたら、その中間管理職のやる気は、グッと上がります。
 重要なのは、これが報酬や昇進といったアメ(外からのモチベーション)ではなく、自分にとっての仕事の意義に気づいたこと(インスピレーション)によってやる気が上がることです。

http://www.yaruken.com/method/
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 外からのモチベーションではなく、内からのモチベーションが大事というのは、『モチベーション3・0』のメインの主張である。
 このサイトが言う「価値観」は、ダニエル・ピンクが言うところの「目的」に相当する

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June 17, 2016

「好きなことをやる」ことの価値

 「好きなことをやる」
 「好きなことだけやればいい」
と何度も書いてきた。
 無論、懐疑的な意識を持ったうえでの見解だ。

 さて、TEDのダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」の動画を見た。

https://www.youtube.com/watch?v=YcJJYQB0mY0
https://sites.google.com/site/tedjapaneseenglishnote/list/dan_pink_on_motivation

 「内的な動機付けによるアプロ―チ」について、次の4つの項目を提示している。

①because they matter, 重要だからやる

②because we like it, 好きだからやる

③because they're interesting, 面白いからやる

④because they are part of something important. 何か重要なことの一部を担っているからやる

・・・「好きだからやる」は、4項目の内の1つに過ぎないことが分かる。
 だから受験勉強のように、好きでなくても面白くなくても、その重要性を考えたらやらざるを得ないこともあると伝える必要がある。
 「好きなことをやれ」は、「好きなことしかやらなくていい」という誤ったメッセージになりかねない。

 さて、ダニエル・ピンクは、この後「ビジネスのための新しい運営システム」は、3つの要素を軸にして回ると述べている。
 この3要素と、上記の4項目の意味の違いが十分理解できなくて、実は困っている。

①Autonomy: the urge to direct our own lives.
「自主性」は 自分の人生の方向は自分で決めたいという欲求です

②Mastery: the desire to get better and better at something that matters.
「成長」は 何か大切なことについて上達したいということです

③Purpose: the yearning to do what we do in the service of something larger than ourselves.
「目的」は 私たち自身よりも大きな何かのために やりたいという切望です

 『日経アソシエ』のケリー・マクゴニガルの連載でも、モチベーションの説明の中で、この3つの要素が出てきた。

①Autonomyは、多く「自主性」と訳している。

②Masteryは、多く「熟達・精通」と訳している。

③Purposeは、「目的」が多いが、「決意」の方がよいのではと自分は思っている。


 なお、ダニエル・ピンクの動画で驚いたのは、このところ読んだ本の内容と結構重なりがあったからだ。

 「ロウソク問題」
 「報酬の問題」
 「ウイキペデイアの事例」

など、別の書籍でも目にした内容だったが、それ故、記憶が強化された。

◆思考が鋭くなり クリエイティビティが加速されるようにと インセンティブを用意したのに結果は反対になりました 。思考は鈍くクリエイティビティは阻害されたのです。

※単純な機械作業(単純なルールと 明確な答えがある場合)なら、アメとムチでうまくいく。
しかし、知的・創造的な課題では、機械的なご褒美と罰というアプローチは 機能せず うまくいかないか 害になる。

 
 「外発的動機」より「内発的動機」が重要という主張が、その後のウイキの例につながっていく。

 一方で、

◆ googleの「20%の時間」
◆ ROWE

などは初耳だった。
 これを機に、しっかり調べなおしたい。

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バロンダンス~人の心の善と悪~

自分の道徳のメモ書きに「バリ島のバロンダンス」と記してある。伊坂幸太郎の『SOSの猿』に出てきた。

バリ島の人々は、

「人の心の中には『良い魂』と『悪い魂』がいくつも同時に存在している」

と信じている。
 バリのバロンダンスは、人の心の中にある善と悪の戦いを物語っており、善悪両者とも決着のつかないまま生き残るといった内容。
  即ち、

 「この世には善悪が永久に存在する」

ということを表している。

参考
http://www.asahi-net.or.jp/~mb2t-ymmt/bali/barong/

 西洋的な二元論でなく、東洋的な陰陽二元論の考え方。
 「悪の中にも善があり、善の中にも悪がある」といった考え方であるともいえる。

 道徳の授業展開も、バロンダンスと同じで、単純な二元論で割り切らない方が自然だと思う。

 たとえば、「わがまま」は、確かによくない。短所として扱われる。
 しかし、人の心から「わがまま」を完全消去することは不可能だ。
 消去できない自分の中の「わがまま」を認める。
 短所の存在を受け入れた上で、自分の内なる「わがまま」とどう付き合っていくかを考えていく。
 そのようなスタンスだからこそ、場合によっては、短所が長所に転じることが起こる。「わがまま」なほど我を通すことが、意志の強さとして評価されることがあるように。

 短所も含めて、自分のすべてを受け入れること。
 今流の言葉で言えば、「ありのままの自分」の受容。

 むろん、誰しも否定したい短所の存在を受け入れることは難しい。
 だからこそ、「誰にだって短所も長所もある」「善なる部分も悪なる部分もある」ということを、道徳の授業の中で、しっかり理解させていきたい。

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June 05, 2016

子どもの動きを制御する授業


 若い先生の書写の授業を参観した(春日井市は教育特区として、低学年の毛筆書道を行っている)。
 1・2年生では、水書板(子どもは「魔法の黒板」と呼んでいる)に、水をつけた筆で線を書いていた。
 今回が、ほぼ初体験の1年は、「の」の字のようなグルグルを書いていた。
 久しぶりの2年生は、「一」を書いていた。
 3年生は、教科書通り「土」の1画目の「一」を書いていた。

 3名の若い先生は、みんな「授業が上手だな」と感じた。
 指示が的確で、特に「NO GO」が徹底できていたからだ。
 

◆では、一を書きますよ。
 はい、筆を持って。筆を立てて。
(先生と同じ速さで)トン、ス―、トン。
その下に、もう1回、書きますよ。
(先生と同じ速さで)トン、スー、トン。

というように教師の動きに合わせて文字を書かせていた。
 どうってことのない場面だとは、自分には思えない。
 大方のクラスでは、勝手な動きをする子が出る。
 教師の動きに追いつけない子もいれば、教師が言う前に先走る子もいる。
 特にやっかいなのは「No Go」が守れず、勝手に先に進めてしまう子だ。
 
 教師の指示通りに子どもが動く教室は、制御が効いている。
 指示が速すぎず遅すぎず、心地よいリズムとテンポだから、子どもがみんな指示通り動けたのだと思う。
 若い女性の先生が、子どもの動きを制御している姿に感激した。
  
 かつてベテランの先生の図工の授業を垣間見た。
 下描きの絵が描けていない子が何人もいる一方で、色ぬりが終わろうとする子がいた。先生は、それぞれの過程の子に指示を出しているが、 先走りを容認しているから、指示は後手に回っていた。個別対応だから、どうしても漏れが出ていた。「色塗りは○○するんだよ」と声掛けしているが、すでに描き終えた子もいたので、後の祭りであった、。
 結局、作品は「描けばいい、出せばいい」という質になっていた。「『自由画』だから、それでいいのだ」と言われればそれまでだが、自由放任の授業では、身に付けさせるべき技能の習得はできない。

 あの図工授業に比べ、今回の3名の書写の授業は、心地よかった。
 「授業の原則」の1つとして、ほかの先生方にもしっかり伝えていこうと思う。

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