バロンダンス~人の心の善と悪~
自分の道徳のメモ書きに「バリ島のバロンダンス」と記してある。伊坂幸太郎の『SOSの猿』に出てきた。
バリ島の人々は、
「人の心の中には『良い魂』と『悪い魂』がいくつも同時に存在している」
と信じている。
バリのバロンダンスは、人の心の中にある善と悪の戦いを物語っており、善悪両者とも決着のつかないまま生き残るといった内容。
即ち、
「この世には善悪が永久に存在する」
ということを表している。
参考
http://www.asahi-net.or.jp/~mb2t-ymmt/bali/barong/
西洋的な二元論でなく、東洋的な陰陽二元論の考え方。
「悪の中にも善があり、善の中にも悪がある」といった考え方であるともいえる。
道徳の授業展開も、バロンダンスと同じで、単純な二元論で割り切らない方が自然だと思う。
たとえば、「わがまま」は、確かによくない。短所として扱われる。
しかし、人の心から「わがまま」を完全消去することは不可能だ。
消去できない自分の中の「わがまま」を認める。
短所の存在を受け入れた上で、自分の内なる「わがまま」とどう付き合っていくかを考えていく。
そのようなスタンスだからこそ、場合によっては、短所が長所に転じることが起こる。「わがまま」なほど我を通すことが、意志の強さとして評価されることがあるように。
短所も含めて、自分のすべてを受け入れること。
今流の言葉で言えば、「ありのままの自分」の受容。
むろん、誰しも否定したい短所の存在を受け入れることは難しい。
だからこそ、「誰にだって短所も長所もある」「善なる部分も悪なる部分もある」ということを、道徳の授業の中で、しっかり理解させていきたい。
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