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June 26, 2016

道徳「友情」の指導

 6年生の道徳資料に「ルソーとミレー」がある。。
 「友情」が主題で、メインとなる筋は、貧しい画家ミレーのために、友人のルソーがミレーの絵に買い手がついたと偽って高額で買い取った話。

 http://www.fuku-c.ed.jp/center/houkokusyo/h27/doutokug-ken.pdf

 友だちのために嘘をつく・自分を犠牲にするという点では「ないた赤おに」「手品師」を彷彿とさせる。
 「ないた赤鬼」も「手品師」も結末については、本当にあれが美談なのかといった批判がある。
 しかし、「自分のために、そんな嘘をつかれて相手が喜ぶかな」などと冷めた見方をせず、純粋に、自己を犠牲にする友情の存在を理解させる資料として授業展開をしていきたい。
 この資料に近い卑近な例と重ねて、授業展開を考えてみた。

 たとえば、友達が歌手を目指していて、CDデビューしたとする。

 自分は、どのタイプだろうか?

 A:友達だから安く売ってもらう
 B:定価で売ってもらう
 C:その他

A:「友達に売ってもうけようなんて、ずうずうしい。友だちには安くして当然」

B:「友達だから安く売ってあげるよ」と言われるなら、安くしてもらってもいいだろうけど、こちらから「安くしてよ」と言うのは失礼だ。
 「友達から買ってもらってもうけようなんて図々しい」と言うなら、自分だって「友達だから安く分けてもらおうなんて図々しい。」
 「他の人が払うより安い値段でしか買わないなんて、その友人のファンではないということだ」

 本当の友情は、CDデビューした友達の音楽活動を応援することだから、きちんと定価で買うべきだろう。
やはり、AよりBの方が、相手を考えた友情だと思う。

 でも、本当の本当の友情は、そんなものではない。
 それは、Cの「その他」。

①定価にカンパ金を上乗せする。
②CDを余分に買う
③自分がCDを売る手伝いをする。

などだ。
 友達の大ファンとして、友達の成功を心から願うなら、
たくさんの人に歌を知ってもらうために、
たくさんのCDが売れるために
自分が動くこと・自分がお金を出すことがある。

A「友達だからCDを安く売って」と頼む子
B 友達だからCDを定価で買う子
C「友達だからCDを余分に買うよ」という子

 この3通りの友人について、どう思うだろうか?

 Aの「安く売って」という友人は、自分の利益を優先している。
 「相手の事を考えないにせものの友人」

 Bの「定価で買う」って、誰もがすることだから、当たり前。
  「友人」というよりは「ただの人」

 Cの「余分に買う」という友人は、相手のために行動している。
 「相手の事を考える本物の友人」

 むろん相手側から考えたら

 「友だちならCDをたくさん買ってよ」とせがむ友人は、自分の利益を優先している「にせものの友人」
 「友だちだから安くしておくよ」という友人は、相手のために行動している「本物の友人」

ということになる。
 だから、本物の友人同士だと
 「お前を応援したいんだから、俺にたくさん買わせてくれ」
 「友人のお前にそんなに買わせるわけにはいかない」
といったバトルになって、堂々巡りになるかもしれない。
 だからこそ、この資料は、「買ってくれる相手がいるから、たくさん買わせてくれ」という嘘があとでばれるという形になっている。
 
 自分が本当に困っているなら、正直に「困っている」と告白するのも友情だろうし
 相手の厚意を素直に受け入れて、素直に感謝することも友情だ。
 ここは先生の考えを無理矢理押し付けられないので、「友情」について、子どもたちに考えさせてみたい。

 さて、「私たちの道徳」の中学年の部には

①相手が問題の答えが分からなくて困っている場面で
「友達だから答えを教えてあげたほうがいいのかな」

②相手がかけっこでいつも負けてばかりいる場面で
「友達だから、たまには負けてあげた方がいいのかな」

③相手が給食当番をやりたくないなと思っている場面で
「友達だから変わってあげた方がいいのかな」

と悩む絵がある。

 友達だから応援してあげたいという気持ちが長じて
「許してあげる・大目に見てあげる・不正をして楽をさせてあげる」
ということがあってはならない。
 でないと、エスカレートして、

①友達の給食だけ大目に盛り付ける
②友達の代わりに場所取り・順番とりをする

といった「ご機嫌取り」になる。
 そのような「なれ合い」の人間関係は要らない。

 したがって「友達のために、CDを余分に買う」という行為も、「ご機嫌取り」のためなら意味がない。
 本当にその子を支えたいという思いがあってこそ、あるべき行為だ。

 場合によって「厚意」は「おせっかい」になる。
 厚意による「嘘」もあれば、相手を甘やかすだけの「嘘」もある。

 6年生に「厚意の嘘」がどこまできちんと理解できるのか、それによって、実際の授業は全く違う様相になるだろうが、
 しかし、どんな反応にも柔軟に切り返して、子どもが本音で「友情って何?」を考える1時間の授業にしてほしい。

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