これまでの「努力論」の復習になるが、中野信子氏は「努力不要論」で、
◆真の努力というのは本来、成果を出すために必要な①目的を設定する、②戦略を立てる、③実行する、という3段階のプロセスを踏むことです。
と言う。
イチローは、卒業文集の中で
◆ボクの夢は、一流のプロ野球選手になる事です。
そのためには中学・高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍をするには、練習が必要です。
と言う。
本田圭佑は、「夢ノート」の中で
①夢を持つこと
②夢に向けて、日々、何かにチャレンジすること
③実践したことを日々、振り返り、明日につなげること
を説いている。
当然だが、夢や目標実現に必要なのは「実行・練習・チャレンジ」であり、その「継続・積み重ね」である。
にもかかわらず、中に自分勝手な解釈で満足してしまう場合がある。「思うだけで夢が叶う」というような・・。
マラソン金メダリストの高橋尚子選手が
「あきらめなければ夢はかなう」
という時、彼女をよく知っている人は、名コーチのもとで尋常でない練習を積んできたことをよく知っている。
「あきらめないだけで夢がかなった」わけはない。
「あきらめずに、人並み以上の練習をしたから、夢がかなった」のである。
それは、むしろ当たり前なのだが、ともすると「あきらめなければ」の部分だけが強調される。
「チャレンジ」を説いた本田圭佑も、別の場所では「夢は強く願う事。願えばかなうもの」と書いてあるから誤解が生じやすい。
If you keep on believing, the dreams that you wish will come true.
「信じていれば、夢は叶う。(シンデレラ)」
などは、能天気で、むしろ犯罪的でさえある。
ここまで憤ってきたが、同じような意見を持つ人はいるようだ。
たまたまヒットした、以下の文は、今の自分の思いそのものだ。
=================
「信じれば夢は叶う」
それは多分 本当だ
但し 一文が抜けている
「信じて 努力を続ければ 夢は叶う」
━━━これが 正解だ
さらに言えば
信じて
「他のどのライバルよりも1時間長く
毎日 努力を続ければ ある程度迄の夢は、かなりの確率で」
叶う━━━だ
キャッチコピーというものは 短い方がいい
━━でも これは あまりにも はしょり過ぎだと思う
それじゃまるで
「何もしなくても」「ただ信じていれば」
叶うみたいじゃないか
この文章を ここまで削ったヤツに
何を思って ここまで削ったのかと
問い質したい
出典 羽海野チカ『3月のライオン』(白泉社)第7巻より
http://sf-mitu.link/march-of-lion
===============
本田圭佑プロデユースの夢ノートには「毎日の努力」を書き込むことになっているが、問題は「努力の質と量と方向」だ。
「私は、がんばっています」と言うだけでは、その「質」が評価できない。
たとえ、毎日振り返ったところで、質の低さを自覚していないなら、「今日もよくがんばった」と自己満足で終わってしまう。
「私は人の倍がんばっています」と断言したところで、それを判定するのは難しい。
正しい努力かどうかの客観的な判定をするためには
例えばSMARTな目標設定かどうかを見る必要がある。
Specific (具体的)
Measurable(測定可能)
Achievable(達成可能)
Realistics(現実的)
Time-bound(期限が明確)
「成長する・上達する・レベルアップする」ということは
①早くできるようになる
②たくさんできるようになる
③正確にできるようになる
の3要素がある。
毎日毎日取り組んで、それでいて
①早くもならない
②量も増えない
③正確さも高まらない
なら、努力していないのと同じと考えるべきだろう。
そのことをかつて「当たり前を積み重ねると特別になる」でまとめたことがある。
「職人の仕事は、毎日毎日、同じ作業を繰り返しているように見えるが、実はそうではないと杉野は言う。」とある。
================
「進歩がない職人はダメだ」と杉野は言い切る。
今日50分かかった作業を明日は45分でやろうという進歩。
同じミスを繰り返さないように手順を変えてみる進歩。
そして、常に、その時点での最高の味を作り出すという味の進歩。
杉野の店に並ぶお菓子は、同じ名前のものでも、10年前に比べると、そのほとんどが何かしらのマイナーチェンジを経て、味の「進化」を遂げている。
いつものフルーツをいつもの作業で触りながら、これを違うお菓子に使えないか、考える。
いつものお菓子を作りながら、ほかの素材を加えられないか、考える。
厨房という現場にこそ、答えはある。
================
地道に愚直に繰り返すだけではダメ。
「凡時徹底」は、その徹底した行為の中から工夫や改善方法を見出したり、観察力や実行力が向上したりするから意味がある。
(中略)
◆掃除をしていたら、別の汚れた場所にも気づかなくては意味がない。
◆今日50分で行っている作業が、何とか1分でも縮められないかとチャレンジしなくては意味がない。
少しでも進歩させる気概があってこそ、当たり前の積み重ねがいつか結実する
「当たり前を積み重ねると特別になる」のパテシエの杉野さんが語ったのは、「凡時徹底」を「日々精進」とセットにしていたからだ。
それは、継続・反復の原則に「過負荷」「漸進性」を加えることであり、何より「意識性」をキープすることでもある。
漫然と繰り返してはダメということを、トレーニングの原理・原則から訴えるのも1つの方法だ。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2011/12/post-a48c.html
・・・2011年に上記のようにまtめていたということは、自分の「努力論」も5年前から、同じところをグルグルはい回って、「進化」していないのだろうか。
例示や引用が増えて、スケールアップしたと言いたいところだが、まだまだだな。
Recent Comments