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November 26, 2016

「計画的偶発性理論」(偶キャリ)その2

Gu
 スタンフォード大学クランボルツ教授が提唱した「キャリアの80%は予期しない偶然の出来事によって形成される」という「計画的偶発性理論」。
 「偶キャリ」という言葉は聞いたことがあったが、「偶キャリ」の正式名称が、これだったとは知らなかった。

 「キャリア・ブーム」の落とし穴は「挫折」「失敗」が想定されていないことで、「柔軟性」や「楽観性」があれば、
「人事を尽くして天命を待つ」つまり、納得できるだけの努力をしたら、結果がどう出ても後悔はしない」という平常心を維持できる。

 確かに、自分の夢を決め、そこから逆算して今何をすべきかを綿密にスケジュール化していくことも大事な生きる力である。それを実現したイチローの卒業文集にもびっくりした。
 ただし、そのキャリアプランを軌道修正できるだけの余裕がないと、うまくいかなかった場合の精神的なダメージから抜け出せない。
 世の中は自分の努力次第で決定できることもあれば、何ともならないこともある。
 自分の思い通りにならない人生を受け入れなければならないのだ。
 「成功しなくてはならない・失敗してはならない」という強迫観念を捨て、結果にこだわらず挑戦できる子どもたちを育てたい。
 例えば、選挙で2人が同じ票数の場合、戦後はくじで決まる。
 「人生に運はつきもの」と思えるからこそ「くじ」による決定が受け入れられる。
 「人間万事塞翁が馬」という通りである。

 【偶キャリの5つのスキル」も納得である。
①好奇心  ②粘り強さ  ③柔軟性 
④楽観性  ⑤危険を冒す

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November 19, 2016

「計画的偶発性理論」(偶キャリ)その1

 「努力」のカテゴリーに、あえて「反努力」のような内容を書き込みますね。

 「自分の夢を決め、そこから逆算して今何をすべきかを綿密にスケジュール化していく」ことは大事だと思う。
 ただし、その「夢ノート」には余白が必要だし、軌道修正できるだけの余裕がほしい。
 いつだって自分の思い通りにすべてが進むわけがない。
 自分の努力次第で決定できることもあれば、他者との関係でいくら自分が努力しても何ともならないこともある。
 だから、先に、「努力を続ければ必ず夢は叶う」とは言い切れないが「努力を続ければ『スキルアップ』は保障できる」と書いた。

 また、「偶有性」についても書いた。
 「人生何が起こるか分からないからこそ、楽しいと思える」という心の持ちようが大事である。

 似たような心持ちについて、いくつか挙げる

(1)「ケセラセラ」 (Que Sera, Sera)。
「なるようになる(Whatever will be, will be)」のことで、
同義語に「成り行きにまかせる・運否天賦・運を天に任せる・明日は明日の風が吹く」などがある。

(2)「人事を尽くして天命を待つ」
 中国宋の時代の言葉で、「人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない」(広辞苑)。
 逆に言えば「納得できるだけの努力をしたら、結果がどう出ても後悔はない」ということ。
 結果の一つ一つに一喜一憂しない心のありようが求められる。

(3)「計画された偶然理論」
 スタンフォード大学のクランボルツ教授らが提唱したのが

「キャリアの80%は予期しない偶然の出来事によって形成される」

という「計画された偶然理論」。別名「偶キャリ」。

 これは「果報は寝て待て」という努力無用の意味ではなく、積極的に偶然を引き寄せてチャンスを生かせという意味である。
 人生は自分の思い通りにならないのだから、まさに「人事を尽くして天命を待つ」なのである。
 ちなみに、この理論では、

①好奇心 ②粘り強さ ③柔軟性 ④楽観性 ⑤リスクテイク

の5つのスキルが必要とされる。 「予期しない出来事を避けるのではなく、起きた事を最大限に活用する」というスタンス。
 すべて成り行きに任せて、何の努力もしない・何の手も打たないという意味ではないことは念を押しておきたい。

 さて、過日の教育再生実行会議では、内閣府の6か国調査結果から
「意欲的に取り組むという意識が低く、つまらない、やる気が出ないと感じる若者が多い」
「自分の将来に明るい希望を持っていない」
などが指摘され、子どもたちの自己肯定感を高めることが喫緊の課題になった。
 平成27年の日米中韓の4か国の比較でも、日本の高校生は特に
➀自信がない。
②早々に自分の能力に見切りをつける。
③チャレンジする前にあきらめる。
④失敗を恐れる 
などの傾向があると指摘されている。

、「自己肯定感を高める・自尊心を高める」は、とても大事なことで、金科玉条のように語られる。
 しかし、「『学力』の経済学」では、自尊心が高まれば、子どもたちを社会的なリスクから遠ざけられるという科学的根拠は、ほとんど示されなかったことや、自尊心が高いほど失敗しそうな課題を避ける傾向についても紹介されている。
 ということは、今の教育で必要なのは「強い自尊心を育てる」ことではなく、むしろ「中途半端なプライドを捨てさせる」ことではないだろうか。
 「失敗するようなことはしない・チャレンジをしないように慎重に行動する」というのは、「自分の思い通りになることしかしない」ということであり、「思い通りにならないことがある」自覚が足りないということである。
 プライドを捨てて
「恥をかいても当たり前」
「失敗しても当たり前」
と思える子どもたちを育てることではないだろうか。
 

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November 11, 2016

「偶有性」の概念

 「脳をやる気にさせるたった1つの習慣」茂木健一郎(ビジネス社)。
 「たった1つの習慣」の中身は、サブタイトルに書いてある。

~なぜやりたいことを書きだすと実現するのか~

 「たった1つの習慣」は、やりたいこと書き残すことだ。
 書き留めた時点でドーパミンが分泌されて、ヤル気になるからだと言う。
 「有言実行」が自分を追い立てることも重要な意味があることは想像に難くない。
 記録することが「メタ認知」になることもよく分かる。

 ただし、「たった1つ」と言いながら、「書き留める」以外にもやる気のヒントが書いてある。
 やる気をなくす原因が

①コンプレックス
②単調 
③強制や命令

 この反対が、やる気になる方法だ。

①コンプレックスを逆手にとる
②目標をつくる(自分なりの課題を設定する・目安をつくる)
③与えられた課題を楽しむ
④遊びながらやる(フロー体験)

 さて、茂木氏の本著のメインの主張とは別かもしれないが、何度も出てくる「偶有性」というワードが気になった。
 あえてたくさん書き残しておく。

P28
脳科学には「偶有性」という概念がありますが、脳は本来「定まっていること(確実性)」と「定まっていないこと(不確実性)」の絶妙なバランスの中で生きています。

P64
ある程度「予想がつく事柄(確実性)と、「予想がつかない事柄(不確実性)とが混ざり合っている状態のことで「どのように変化するか分からない性質」のこと。

P65
人生もそれ(オセロゲーム)と同じで、白だと思っていた状況が一転して急に急に黒に変わったりすることの繰り返しです。
地震や洪水などの災害に見舞われたり、事故に巻き込まれないとも限りませんし、勤めている会社が買収されたり潰れたりすることもあるでしょう。
まさに「一寸先は闇」で、自分の人生で次の瞬間に何が起こるかはまったく予想できないのです。

P73
人間の脳は予想できるものと、できないものの割合を1対1くらいに保ちバランスを取ろうとします。
そのバランスの取れた状態が脳にとっては、一番楽しいことなのです。
つまり、脳は本来偶有性を楽しむようにできているのです。

P74
何が起こるか分からない状態を楽しむ気持ちは、進化の過程で脳が身につけた生きる知恵だといえます。
そのことが分かれば、次に何が起こるのか分からない局面に立たされたときも、「これは何だか分からないけど、もしかしたら面白いことが起こるかもしれない」と偶有性を楽しむことができ、人生の見え方も変わってくるはずです。
 繰り返しますが、脳は確実性と不確実性のバランスの取れた状態を好みます。会社と自宅を往復する確実性ばかりの生活を送っていては、会社が合併したり倒産するという「偶有性」の荒波に放り込まれたとき、適切な行動を取ることができなくなります。
自分が置かれた状況が変化しても、「次のステップに進むチャンスだ」と偶有性を楽しむ気持ちがあれば、その厳しい状況を乗り越えていくことができるでしょう。

P204
偶有性という概念が血肉化されていくと、一つひとつの出来事に対して一喜一憂しなくなります。
なぜかといえば、人生何が起こるか分からないからこそ、楽しいと思えるからです。
何が起こるか分からないからこそ、たとえ最悪の状況に陥っても「もうすぐ事態が好転するかもしれない」と思えるようになるのです。

P209
人生は偶有性の連続で、次に何が起こるか誰にも分かりません。
けれども実際何か事が起こったときに、自分の中にプリンシプルを持っていれば
・・言い換えれば、自分の中に「これだけは譲れない」「これがあれば大丈夫だ」という確実性を持っていれば・・
不況になろうが会社をクビになろうが定年退職しようが、自分自身が揺らぐことはないのです。

P232
人生に確実なことは何一つありません。
自分の中に確実なものを持っていれば、不確実なことがあっても慌てずに対処できるし、ときには楽しむこともできる。


 ちなみに、茂木氏のブログにも「必然化する偶有性」というタイトルの記事がある。

=====================
自分の回りの「ローカル」な状況を自らコントロールしようとしても、そうはいかない。
局所が、別の局所につながり、それがまた次の局所へとつながっていく。
「ローカル」だけを見ていたのでは、二つ先、三つ先、四つ先のノードで何が起きているのか、把握できない。
「遠く」で起こったことが、回り回って自分の生活に影響を与える。偶有性が必然的となっているのである。
 とりわけ、インターネットの発達は、物流の側面だけでなく、情報の面から見ても、世界各地の相互依存関係を強め、偶有性を増す結果となっている
(中略)脳は、もともと、容易には予想できない要素が本質的な役割を果たすという「偶有性」を前提にその動作が設計されている。
そのことは、認識のメカニズムや、意識と無意識の関係、記憶の定着や想起などのプロセスに反映されている。偶有性に適応するからこそ、脳は創造的であり得る。
グローバル化に伴う「偶有性」の増大に適応することは、脳本来の潜在的力を発揮することに、必ず資するはずなのである。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/07/post-c775...
======================
 
◆ 「成功できる人は、「思い通りに行かない事が起きるのはあたりまえ」という前提で挑戦している」(エジソン)

◆「思い通りにいかないから人生は面白い」(曽野綾子)

と同じかな。

 やる前からあきらめてしまう日本の若者の自信のなさは、「思い通りにならないことが許容できない心の持ち方」から起こる。
 できて当たり前のことだけこなす堅実な生き方は、脳に刺激を与えない。
 それでは創造的な仕事はできない。シンギュラリティの世界を生きられない。

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November 03, 2016

ニーチェの言葉

【That which doesn't kill us makes us stronger.】

 ニーチェはドイツ人だから、この英語は、ニーチェの言葉の原文ではない。
 それにしても、どう訳すのかな。

 直訳したら「我々を殺さないものは、我々を強くする」???
 ヤフーの知恵袋にも質問があった。

==========
Qニーチェの言葉のようですが、有名な日本語訳はありますか?
また、出典はどの著作でしょうか?

A1
ニーチェ全集14『偶像の黄昏』ちくま学芸文庫 原佑訳の16ページにあります。
そこではこう訳されています。

「人生の士官学校から。
ーー私を殺さないものは、私をいっそう強くする。」

ニーチェはドイツ人ですから、英語で書いたことはありません。
原典(ドイツ語)では、こう書かれています。
[Aus der Kriegsschule des Lebens--
Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.]

日本では『偶像の黄昏』と訳されていますが、 原題は[Goetzen Daemmerung](神々の黄昏 )です。

A2
「生ある限り、全てが試練だ」と訳されることが多いようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q...
===========

・・・別のサイトでは、4択で訳を投票させていた。
どれも訳としては「あり」ということなのだろう。

============
次の言葉の訳としてもっとも適しているのはどれでしょう。

What doesn’t kill you makes you stronger.

― フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900年 ドイツの哲学者)
(著名人の言葉で覚える英語:ビジネス表現力)

A1 どんな経験も人を強くする。
A2 生きるか死ぬかの経験こそ人を強くする。
A3 命があってこそ強く生きることができる。
A4 常に命がけで挑むことによって強くなれる。

https://www.blwisdom.com/skillcareer/assessment/english-0...
==============

 今日、自分が読んだ訳は

◆「死なない程度の困難は人を強くする」(P011)
◆「死んでしまいそうなつらい経験も、乗り越えることができれば人は強くなれる」(P295)

 出典「トラウマ後成長と回復」(筑摩書房)である。

 原文がなく、日本語だけ示された言葉が検索したらヒットした。
 たぶん同じ原文の訳なのだろう。

◆困難につぶされなければ、人はその経験によって強くなれる。
                  ニーチェ(哲学者)
http://www.meigenshu.net/2007/12/post_638.html

 失敗したとき・あるいは挑戦するかどうか迷うときによく使われる「命まではとられないから」と似ている言葉のようだ。

 それにしても、訳のニュアンスによって、受け取る印象はずいぶん違う。だからこそ「名訳」というものが存在する。
 「原文にあたることが大事だな」と同時に「人に訳語に安易に頼らない」とも思う。
 これは、日本の古文でも同じことが言えるが、いざとなれば、自分で納得する訳を作ってしまうくらいの気概が必要だ。

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光村4年国語「アップとルーズ」

 数年前、初任が授業をしているのを見て、この教材は話題が身近で面白いと思ったが、案外分かりにくいと思った。

➀アップとルーズの対比
②アップとルーズそれぞれの長所と短所の対比
③テレビと新聞の対比

などが盛り込まれていて、複雑な構造だからだ。

 また、「段落ごとにまとめる」という作業も、難しいものなのだと改めて思った。
 先日、本校の先生が、この教材を授業をしている場面を見て、かつてのメモを再構成して学年に配布した。
その配付プリントをさらに再構成してみた。
 
◆内容の記載か、意味の記載か?◆

 例えば1・2段落を次のようにまとめたとする。

(1)テレビでのサッカーのハーフタイムの画面を例示して、会場全体の感じが伝わってくる「ルーズ」の説明。

(2)テレビでのサッカーの後半の画面を例示して、コート中央の選手の様子が伝わってくる「アップ」の説明。

 あえて「説明」と書いた。
 説明文だからそもそもすべて「説明」になる。必要ないかもしれない。
 「この段落は何が書いてあるのかを短くまとめてみよう」と問われたら、内容のみを書くべきで、その段落がもつ意味や役割は書く必要がないというのが正論だろう。
 しかし、説明文の授業をしていると、内容の要約と同じくらい、各段落の意味や役割もきちんと押さえる必要がある。
 「例示している」「問いかけている」「全体をまとめている」のような表記だ。
 初任が段落ごとにまとめるのを見ていたら、ある段落は内容中心、ある段落は意味中心の記載になっていた。
カテゴリーが異なるというか、まとめ方に一貫性がないのだ。
 どっちかに揃えるというなら、「意味を中心にまとめた方が授業もしやすいし、子供にも分かりやすい」と、このとき初めて思った。
 全段落を意味型の記載で揃えてもいいかなという気になった。

◆後述のキーワードは、使うべきではないか?◆

 ところで、1・2段落に「アップ」「ルーズ」の言葉はまだ出てきていない。
 1・2段落を受けた3段落で初めて「アップ」「ルーズ」の解説がある。
 ならば、この場合、1・2段落で「アップ・ルーズ」は使うべきではないのだろう。
 使わないと決めたら、例えば、次のようになる。

(1)テレビでのサッカーのハーフタイムで、会場全体の感じが伝わってくる画面を紹介している。

(2)テレビでのサッカーの後半で、コート中央の選手の様子が伝わってくる画面を紹介している。

◆全体構造上、はずせないワードがあるか?◆

 ところで、部分で見ると、上述の「テレビでの」などは省略してかまわないとも思う。
 しかし、全段落を並べたとき、「テレビで」と「新聞で」が対比構造になる。
 全体を見据えたら、ここは「テレビで」を明記しておくべきなのだと判断した。
 同様に、1・2段落の対比構造を意識して「ハーフタイム」と「後半」を明記した。
 要約は「個々の段落」だけ見るのではなく、「全体の中の位置付け」を考慮すると、取り込むキーワードが、ぐっと異なるというのが実感である。
 字数制限があるなら削ってもよいが、全体の中に位置づけを考えたら、あえて残しておいた方がよいワードがある。

◆文末は体言止めがいいか?◆

 各段落を意味でまとめる場合、文末は「説明」「紹介」と体言止めするか、「説明している」「紹介している」とするか。
 言葉を削る訓練としては体言止めがよい。ただ、子どもたちの実態としては「~している」と書いた方が伝わりやすいかなとも思う。

 さて、ここまで、かなり独断で書いている。
 すべて「?」がついたままであるが、自分なりに挑戦的に考えることも必要かなと思って書いている。
 とりあえず、「各段落の意味や役割」を含めながらまとめてみた。
 
※意味上の切れ目で改行をしてある。
※最後の行は、なくても分かる場合があるので、その場合はカッコをつけておく。
 ただしカッコの部分を付けたり、付けかなったりすると全部並べたときに統一感がないというのが、初任の授業を見たときの感想である。


テレビでのサッカーのハーフタイムで、会場全体の感じが伝わってくる画面(の紹介)。


テレビでのサッカーの後半で、コート中央の選手の様子が伝わってくる画面(の紹介)。


会場全体の様子が伝わる画面を「ルーズ」といい、
選手の様子が伝わる画面を「アップ」という
(2つの違いの問いかけ)。


(ゴール直後のシーンを例示して)
アップでとると、
細かい部分の様子は分かるという長所と、        
うつされていない多くの部分は分からないという短所がある
(ことの説明)。                        


(ゲーム終了直後のシーンを例示して)
ルーズでとると
広い範囲の様子がよく分かるという長所と
顔つきや視線、気持ちまでは分からないという短所がある
(ことの説明)。

⑥ 
(①から⑤を受けて)
アップとルーズには長所と短所があるので、テレビは何台ものカメラを切り替えている
(ことの説明)。
                               

(新聞の写真を例示して)
新聞も伝えたい内容に合わせてアップとルーズの写真を使い分けている(ことの説明)。      


(全部をまとめて)
テレビも新聞もアップとルーズを使い分けている(ことの説明)。

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