「議論する道徳」のヒント
たまたま読んでいた本で「疑う」ことの大切さが出てきた。
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目的を読むからこその「疑う」です。「イエス、バット(Yes,but」の読み方と言ってもいいでしょう。
書いてあることは分かる、そのとおりかもしれない(イエス)。
でも(バット)、こういうこともあるんじゃないか?こういうやり方もあっていいんじゃないか、など、一度著者の意見を受け入れたうえで、違う見方もあるんじゃないか?と考えてみる。これが、ここで「疑う」と言っていることの正確な意味です。
「A6ノートで読書を超速化しなさい」松宮義仁 徳間書店
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書いてあることは分かる、そのとおりかもしれない(イエス)。
でも(バット)、こういうこともあるんじゃないか?
・・・そんな意識で道徳の資料に対峙できたら、授業の質も話し合いの質も深まるのではないだろうか。
そもそも、教師が資料の展開を鵜呑みしていたら、Yes Butの授業展開は期待できない。
教師が資料を鵜呑みにしないスタンスが必要で、そのためには「セカンドオピニオン(別の意見にあたってみる)も大事なのだとも言える。
また、自分の考えを絶対視しない客観的な姿勢という意味では、「メタ認知」が必要なのだとも言える。
ただ、いろんなカタカナ語を使うとややこしくなるので、
「そのとおりかもしれない(イエス)。でも(バット)、こういうこともあるんじゃないか?」
を合言葉にしてみたい。
むろん、これは道徳に限ったことではない。
相手を肯定しつつ反論する「確かに○○だ。だがしかし~」は、欧米での議論の定型になっている。
『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一(集英社新書)では、たとえば次の話し方を勧めている。
「君の質問は3つの誤解に基づいている。第一の誤解、それは~」
「そこには、問題点が2つある。歴史的にみると~」
「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からすると反対だ」
「そもそも~とは~」
「今問題にあっているのは~」
「なぜ、そのようなことが起こっているかというと~」
「確かに~、しかし~」
など。 これらを「型思考」と言う。
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